先週・・・
「2021年11月23日(火)」の祝日は・・・
主人と2人で「群馬県みどり市」「西福寺」(阿部信幾先生のご自坊)
・・・の「親鸞聖人報恩講」に参詣してきました。。。(*´▽`*)ノ
・・・が!!
今日のテーマは「報恩講の旅日記」ではなく・・・。
「れおん」の「報恩講」についての「お味わいの変化」というか・・・、
「率直に思ったコト」を書いてみたいと思います。。。(・ω・)ノ
・・・ってコトで!!
ここからは、かなりなが~い「親鸞会時代」の「報恩講」の「思い出話」を・・・
気の赴くままにダラダラっと綴りますので、まぁ、しばらくお付き合いくださいませ。。。(^▽^;)ノ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「親鸞聖人報恩講」といえば・・・。
フツーの「浄土真宗」の門徒さんなら・・・。
「親鸞聖人御命日」の「1262年11月28日」の前後に執り行われる「法要(集まり)」。。。
まぁ「字のとおり」で「親鸞聖人」の「ご恩」に「報いる集まり」なのですが。。。
いやぁ。。。「れおん」は「元浄土真宗親鸞会会員」だったから・・・。
「親鸞学徒」(←親鸞会会員の呼び名)にとっては・・・
「降誕会」(5月頃)と「報恩講」(11月頃)は・・・
半年に一度の「恐怖のイベント」でした。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
(ちなみに「学徒」って言葉はまったく「他力じゃない」からね!(笑) (^▽^;)ノ)
まずは・・・。
「報恩講」の「日にち」が決まったら「宿泊場所」を確保しないといけなくて・・・。
しかも、「親鸞会会員」の「みんな」が「一斉に」「富山県内のホテル」を予約しに掛かるから、
出遅れると、ぜ~んぜん見つからなくてもう大変。。。( ;∀;)
しかも・・・。
「宿泊費」「交通費」とは別に・・・
「ご法礼の金額」が「高すぎる」んですぅぅぅ。。。( ;∀;)
「親鸞会の報恩講」は、土曜日曜と2日間あってさ。。。
「キリ番」関係ない「降誕会・報恩講」なら「ご法礼」が「1日1万円」なんだけれど。。。
これが「親鸞会結成XX周年」(5の倍数)とか・・・
「「親鸞聖人・蓮如上人」XXX回忌」と重なると「1日2万円」に跳ね上がり。。。( ;∀;)
さらに「高森先生との会食」なんかがあると、更に「1万円くらい(だったかな?)」が上乗せされ。。。( ̄▽ ̄;)ノ
((「れおん」は幽霊会員だったから、コレは基本参加していません。。。(^▽^;)ノ))
さらに、「ご報謝」も募られて「?万円」包むから。。。( ;∀;)
「交通費」と「宿泊代」と「ご法礼」と「会食代」と「ご報謝」で、
「れおん夫妻」の場合だと「2人で10万円くらい掛かる計算」で「年間計画」を立てていました。。。(-ω-;)
また、それとは別に。。。
この「報恩講の日」に「抜けられない仕事」や「家庭の事情」が入っている場合は、もう大変!!( ;∀;)
「やべぇ・・・。どうやって断ろう・・・。||||(-_-;)|||」
・・・ってな感じで、「仕事関係者に平謝り」してみたり・・・。( ;∀;)
逆に、「親鸞会の講師」に「参詣できない旨」を伝えてみたり・・・な~んてしちゃうと。。。
「この恩知らずがー!!\(*`∧´)/」
「祖師聖人、高森先生に申し訳ないと思わないのかー!!ヽ(`⌒´メ)ノ」
・・・って、「総攻撃」に遭遇してみたり。。。((((_ _|||))))ドヨーン
なので・・・。まぁ、「れおん」にとっては・・・。
かつての「報恩講」ってのは・・・
ただの「修羅場製造イベント」でしたね。。。(笑)
それに・・・。
「れおん」は「一応」「性別は女性」・・・みたいなので・・・。
かつての「親鸞会時代」の「女性ならでは」の・・・
こ~んな「エピソード」もあって・・・。
↓↓↓↓↓
Aさん「XXさん、「子供の学校行事」で「報恩講」に参詣できないんですって。。。」
Bさん「まぁ、「子育て」なんかしちゃって!!「仏法」と「子供」のどっちが大事なのかしら。。。」
とか・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン (←「トイレの待ち時間」に、小耳に挟んじゃいました。(笑))
Cさん「アナタは、なぜ! こんな大事な「報恩講」の月に「出産予定」なの?」
「ちゃんと、計画を立てて「子供」を授かりなさい!!」
とか・・・。( ꒪Д꒪)ヤバ… (←「そう言われた!」って、愚痴っているヒトを見かけました。(笑))
もうさぁ。。。
「浄土真宗親鸞会」では「報恩講に信をとれ」!!
・・・って「ババン!!」と掲げられてはいたけれど・・・。
とにかく「人集め」と「カネ集め」の目標が高すぎて!!
「講師のみなさん」や「幹部会員さん」は、それどころじゃなかったよね?・・・と思いました。。。
なんか・・・。そんな「余裕」って、なかったですよねぇ。。。( ;∀;)
今思えば・・・。
本当に心から「報恩講」に「信をとろう!」って思っていたのか、少し疑問も残ります。。。(^▽^;)ノ
まぁ、「後生の一大事」を解決したいから、そう思っているとは思うし・・・。
心身共に「余裕がある」「一般会員さん」
・・・なら、真摯に、そう思っていたのかもしれないけれど・・・。
・・・でもさぁ。。。
「心に余裕がある」ってのは・・・
「親鸞会」では「悪」でしたからねぇ。。。(笑) Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
「そんな生ぬるい求道じゃ、信心決定できないぞ!!」
・・・ってな、感じで、これ以上はなんも言えねぇ・・・。( ;∀;)
なので結論は!!
「浄土真宗親鸞会」の「報恩講」は・・・
「すべてを投げうって」「余裕がない」のが「美徳」(聖道門もどき♡)
・・・を象徴するかのような「イベント」でした。。。(´・ω・`)ショボーン
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
((・・・ってコトで!! 以上が「浄土真宗親鸞会時代」の「回想」でした♪))
( ^ω^)・・・。
さてさて。。。
そんな「恐怖の報恩講」だったのですが・・・。
よくよく考えてみたら・・・。
「れおん」は「浄土真宗親鸞会の親友部(職員)」を辞めた後は、
約20年間、幽霊会員にはなっていましたが、
それでも「降誕会・報恩講」は欠かさず「参詣していた」と思います。。。(多分)
やっぱりさぁ。。。
いっくら「お金が掛かる」とか「仕事を断るのに手間暇が掛かる」って言ってもさ。。。
「宿善」ポイントの高~い「報恩講」に参詣しない=「宿善」がめっちゃ薄くなる
・・・っていう感じが、常に付きまとっていて。。。
(・・・ってか、この「「宿善」を積む」とか言う「親鸞会教義」自体がおかしいんだけどね。。。(´・ω・`)ショボーン)
「親鸞会の雰囲気」に・・・
「れおん」の「性格」が、まったく合わなくて・・・
「参詣するだけで吐き気がする」・・・
そんな気持ちを抑え込んで、何とか気力で参詣していました。。。(^▽^;)ノ
・・・ってコトで!!
「2020年8月末」に「親鸞会を脱会」してからの「親鸞聖人報恩講」ってのは、
「2020年の11月」に「1回」あったのですが。。。
このときは「親鸞会脱会直後」で・・・
「自力」「他力」「ホンモノ」「ニセモノ」の区別がつかず・・・
自分でもどうしてよいのかわからず、いろいろと模索中だったので、
「築地本願寺」の「報恩講」(ちょうど「阿部信幾先生」のお話でしたね♡)を
「おうち」で「の~んびり」と、ライブで聞いていました。。。(*´▽`*)ノ
というコトなので!!
「れおん」は「2020年」は「報恩講」に参詣していません!!
(( 「正雑の分別」がわからず絶賛脱力中~♪(っ_ _)っ.......。))
・・・だったのに!!
それが!!
「阿弥陀様のお救いに出遇う」と・・・。
いきなり!!
「心の向き」が「真逆」になっちゃうんですよねぇ。。。(^▽^;)ノ
・・・ってか、この「心の変化」にも、ちょっと驚きました。。。(≧∇≦)ノ
だって。。。
「とにかく「報恩講」に行かなきゃ!」
「歯を食いしばってでも「報恩講」に行かなきゃ!」
・・・っていう「悲壮感」もないし。。。(笑) (^▽^;)ノ
かといって、
「もう救われたんだから、仏法聞かずに全力で遊ぼうぜ!」
・・・っていう「快楽主義」にもならなくて。。。(笑) (^▽^;)ノ
どっちも違う「他力信心」の「お味わい」です・・・。(笑) (^▽^;)ノ
もう「使命感」じゃないんだよねぇ。。。(*´▽`*)ノ
「行きたいから行く!(≧∇≦)ノ」
「「親鸞聖人」の「ご恩」に触れたいから行く!(≧∇≦)ノ」
「嬉しいから行く!(≧∇≦)ノ」
「都合がつかないなら「他のお寺」の「報恩講」に参詣する!(≧∇≦)ノ」
(でも「ほかの先生」の「お話の内容」は「かなりイマイチ」だけれど・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン)
それでも「肝要は拝読の御文章」。。。
それを「みんなと一緒にお聞きする」だけでも「嬉しい」から参詣する。。。(((o(*゚▽゚*)o)))
ただそれだけのこと!!(๑•̀╰╯-)و.。.:*✧
「難しい講釈」も「大義名分」もいりません。。。(*^_^*)ノ
「なんまんだぶ」「なんまんだぶ」
飾る必要もなし!!
カッコつける必要もなし!!
「アホ」は「アホ」のまま救われる。。。(笑) (^▽^;)ノ
「自力」か「他力」か、ただそれだけのコト。。。
「れおん」は「れおん」のままだから。。。
「なんまんだぶ」「なんまんだぶ」
「報恩講」は「ただのお礼」の「集い」です。。。( ̄▽ ̄)v
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし」
「師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」
「親鸞会時代」の「恩徳讃のお味わい」は・・・
「悪しかできない」「わたし」を「絶対の幸福にする」と誓われた
「如来大悲の恩徳」は「身を粉にしても」「報いなければならない」
それを教えて下さった「師主知識の恩徳」にも「骨を砕いても」「感謝しなければならない」
という「強制された使命感」でした。。。
「本当の浄土真宗」の「恩徳讃のお味わい」は・・・
「阿弥陀様のおはたらき」によって「無条件で仏さま」にしていただき
「如来大悲の恩徳」は「身を粉にしても」「報いたことにはならない」
それを教えて下さった「師主知識の恩徳」は「骨を砕いても」「感謝しきれない」
それほど「大きな大きなご恩」でありました。。。
という「(弥陀の一人働きで)もう済んでしまったお話」なのです。。。(*´▽`*)ノ