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浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

「報恩講」と「恩徳讃」

2021-11-30 05:48:47 | 【親鸞会時代の思い出話】

先週・・・

「2021年11月23日(火)」の祝日は・・・

主人と2人で「群馬県みどり市」「西福寺」(阿部信幾先生のご自坊)

・・・の「親鸞聖人報恩講」に参詣してきました。。。(*´▽`*)ノ

 

・・・が!!

今日のテーマは「報恩講の旅日記」ではなく・・・。

「れおん」の「報恩講」についての「お味わいの変化」というか・・・、

「率直に思ったコト」を書いてみたいと思います。。。(・ω・)ノ

 

・・・ってコトで!!

ここからは、かなりなが~い「親鸞会時代」の「報恩講」の「思い出話」を・・・

気の赴くままにダラダラっと綴りますので、まぁ、しばらくお付き合いくださいませ。。。(^▽^;)ノ

 

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「親鸞聖人報恩講」といえば・・・。

フツーの「浄土真宗」の門徒さんなら・・・。

「親鸞聖人御命日」の「1262年11月28日」の前後に執り行われる「法要(集まり)」。。。

まぁ「字のとおり」で「親鸞聖人」の「ご恩」に「報いる集まり」なのですが。。。

 

いやぁ。。。「れおん」は「元浄土真宗親鸞会会員」だったから・・・。

「親鸞学徒」(←親鸞会会員の呼び名)にとっては・・・

「降誕会」(5月頃)と「報恩講」(11月頃)は・・・

半年に一度の「恐怖のイベント」でした。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

(ちなみに「学徒」って言葉はまったく「他力じゃない」からね!(笑) (^▽^;)ノ)

 

まずは・・・。

「報恩講」の「日にち」が決まったら「宿泊場所」を確保しないといけなくて・・・。

しかも、「親鸞会会員」の「みんな」が「一斉に」「富山県内のホテル」を予約しに掛かるから、

出遅れると、ぜ~んぜん見つからなくてもう大変。。。( ;∀;)

 

しかも・・・。

「宿泊費」「交通費」とは別に・・・

「ご法礼の金額」が「高すぎる」んですぅぅぅ。。。( ;∀;)

「親鸞会の報恩講」は、土曜日曜と2日間あってさ。。。

「キリ番」関係ない「降誕会・報恩講」なら「ご法礼」が「1日1万円」なんだけれど。。。

これが「親鸞会結成XX周年」(5の倍数)とか・・・

「「親鸞聖人・蓮如上人」XXX回忌」と重なると「1日2万円」に跳ね上がり。。。( ;∀;)

さらに「高森先生との会食」なんかがあると、更に「1万円くらい(だったかな?)」が上乗せされ。。。( ̄▽ ̄;)ノ

((「れおん」は幽霊会員だったから、コレは基本参加していません。。。(^▽^;)ノ))

さらに、「ご報謝」も募られて「?万円」包むから。。。( ;∀;)

「交通費」と「宿泊代」と「ご法礼」と「会食代」と「ご報謝」で、

「れおん夫妻」の場合だと「2人で10万円くらい掛かる計算」で「年間計画」を立てていました。。。(-ω-;)

 

また、それとは別に。。。

この「報恩講の日」に「抜けられない仕事」や「家庭の事情」が入っている場合は、もう大変!!( ;∀;)

「やべぇ・・・。どうやって断ろう・・・。||||(-_-;)|||」

・・・ってな感じで、「仕事関係者に平謝り」してみたり・・・。( ;∀;)

逆に、「親鸞会の講師」に「参詣できない旨」を伝えてみたり・・・な~んてしちゃうと。。。

「この恩知らずがー!!\(*`∧´)/」

「祖師聖人、高森先生に申し訳ないと思わないのかー!!ヽ(`⌒´メ)ノ」

・・・って、「総攻撃」に遭遇してみたり。。。((((_ _|||))))ドヨーン

 

なので・・・。まぁ、「れおん」にとっては・・・。

かつての「報恩講」ってのは・・・

ただの「修羅場製造イベント」でしたね。。。(笑)

 

それに・・・。

「れおん」は「一応」「性別は女性」・・・みたいなので・・・。

かつての「親鸞会時代」の「女性ならでは」の・・・

こ~んな「エピソード」もあって・・・。

↓↓↓↓↓

Aさん「XXさん、「子供の学校行事」で「報恩講」に参詣できないんですって。。。」

Bさん「まぁ、「子育て」なんかしちゃって!!「仏法」と「子供」のどっちが大事なのかしら。。。」

とか・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン (←「トイレの待ち時間」に、小耳に挟んじゃいました。(笑))

 

Cさん「アナタは、なぜ! こんな大事な「報恩講」の月に「出産予定」なの?」

   「ちゃんと、計画を立てて「子供」を授かりなさい!!」

とか・・・。( ꒪Д꒪)ヤバ… (←「そう言われた!」って、愚痴っているヒトを見かけました。(笑))

 

もうさぁ。。。

「浄土真宗親鸞会」では「報恩講に信をとれ」!!

・・・って「ババン!!」と掲げられてはいたけれど・・・。

とにかく「人集め」と「カネ集め」の目標が高すぎて!!

「講師のみなさん」や「幹部会員さん」は、それどころじゃなかったよね?・・・と思いました。。。

 

なんか・・・。そんな「余裕」って、なかったですよねぇ。。。( ;∀;)

 

今思えば・・・。

本当に心から「報恩講」に「信をとろう!」って思っていたのか、少し疑問も残ります。。。(^▽^;)ノ

まぁ、「後生の一大事」を解決したいから、そう思っているとは思うし・・・。

心身共に「余裕がある」「一般会員さん」

・・・なら、真摯に、そう思っていたのかもしれないけれど・・・。

・・・でもさぁ。。。

「心に余裕がある」ってのは・・・

「親鸞会」では「悪」でしたからねぇ。。。(笑) Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

「そんな生ぬるい求道じゃ、信心決定できないぞ!!」

・・・ってな、感じで、これ以上はなんも言えねぇ・・・。( ;∀;)

 

なので結論は!!

「浄土真宗親鸞会」の「報恩講」は・・・

「すべてを投げうって」「余裕がない」のが「美徳」(聖道門もどき♡)

・・・を象徴するかのような「イベント」でした。。。(´・ω・`)ショボーン

 

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

((・・・ってコトで!! 以上が「浄土真宗親鸞会時代」の「回想」でした♪))

 

( ^ω^)・・・。

 

さてさて。。。

そんな「恐怖の報恩講」だったのですが・・・。

よくよく考えてみたら・・・。

「れおん」は「浄土真宗親鸞会の親友部(職員)」を辞めた後は、

約20年間、幽霊会員にはなっていましたが、

それでも「降誕会・報恩講」は欠かさず「参詣していた」と思います。。。(多分)

 

やっぱりさぁ。。。

いっくら「お金が掛かる」とか「仕事を断るのに手間暇が掛かる」って言ってもさ。。。

「宿善」ポイントの高~い「報恩講」に参詣しない=「宿善」がめっちゃ薄くなる

・・・っていう感じが、常に付きまとっていて。。。

(・・・ってか、この「「宿善」を積む」とか言う「親鸞会教義」自体がおかしいんだけどね。。。(´・ω・`)ショボーン)

「親鸞会の雰囲気」に・・・

「れおん」の「性格」が、まったく合わなくて・・・

「参詣するだけで吐き気がする」・・・

そんな気持ちを抑え込んで、何とか気力で参詣していました。。。(^▽^;)ノ

 

・・・ってコトで!!

 

「2020年8月末」に「親鸞会を脱会」してからの「親鸞聖人報恩講」ってのは、

「2020年の11月」に「1回」あったのですが。。。

このときは「親鸞会脱会直後」で・・・

「自力」「他力」「ホンモノ」「ニセモノ」の区別がつかず・・・

自分でもどうしてよいのかわからず、いろいろと模索中だったので、

「築地本願寺」の「報恩講」(ちょうど「阿部信幾先生」のお話でしたね♡)を

「おうち」で「の~んびり」と、ライブで聞いていました。。。(*´▽`*)ノ

 

というコトなので!!

「れおん」は「2020年」は「報恩講」に参詣していません!!

(( 「正雑の分別」がわからず絶賛脱力中~♪(っ_ _)っ.......。))

 

・・・だったのに!!

 

それが!!

 

「阿弥陀様のお救いに出遇う」と・・・。

いきなり!!

「心の向き」が「真逆」になっちゃうんですよねぇ。。。(^▽^;)ノ

・・・ってか、この「心の変化」にも、ちょっと驚きました。。。(≧∇≦)ノ

 

だって。。。

「とにかく「報恩講」に行かなきゃ!」

「歯を食いしばってでも「報恩講」に行かなきゃ!」

・・・っていう「悲壮感」もないし。。。(笑) (^▽^;)ノ

かといって、

「もう救われたんだから、仏法聞かずに全力で遊ぼうぜ!」

・・・っていう「快楽主義」にもならなくて。。。(笑) (^▽^;)ノ

 

どっちも違う「他力信心」の「お味わい」です・・・。(笑) (^▽^;)ノ

 

 

もう「使命感」じゃないんだよねぇ。。。(*´▽`*)ノ

 

「行きたいから行く!(≧∇≦)ノ」

「「親鸞聖人」の「ご恩」に触れたいから行く!(≧∇≦)ノ」

「嬉しいから行く!(≧∇≦)ノ」

「都合がつかないなら「他のお寺」の「報恩講」に参詣する!(≧∇≦)ノ」

(でも「ほかの先生」の「お話の内容」は「かなりイマイチ」だけれど・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン)

それでも「肝要は拝読の御文章」。。。

それを「みんなと一緒にお聞きする」だけでも「嬉しい」から参詣する。。。(((o(*゚▽゚*)o)))

ただそれだけのこと!!(๑•̀╰╯-)و.。.:*✧

 

 

「難しい講釈」も「大義名分」もいりません。。。(*^_^*)ノ

「なんまんだぶ」「なんまんだぶ」

飾る必要もなし!!

カッコつける必要もなし!!

「アホ」は「アホ」のまま救われる。。。(笑) (^▽^;)ノ

「自力」か「他力」か、ただそれだけのコト。。。

「れおん」は「れおん」のままだから。。。

「なんまんだぶ」「なんまんだぶ」

「報恩講」は「ただのお礼」の「集い」です。。。( ̄▽ ̄)v

 

 

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし」

「師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」

 

「親鸞会時代」の「恩徳讃のお味わい」は・・・

「悪しかできない」「わたし」を「絶対の幸福にする」と誓われた

「如来大悲の恩徳」は「身を粉にしても」「報いなければならない」

それを教えて下さった「師主知識の恩徳」にも「骨を砕いても」「感謝しなければならない」

という「強制された使命感」でした。。。

 

「本当の浄土真宗」の「恩徳讃のお味わい」は・・・

「阿弥陀様のおはたらき」によって「無条件で仏さま」にしていただき

「如来大悲の恩徳」は「身を粉にしても」「報いたことにはならない」

それを教えて下さった「師主知識の恩徳」は「骨を砕いても」「感謝しきれない」

それほど「大きな大きなご恩」でありました。。。

という「(弥陀の一人働きで)もう済んでしまったお話」なのです。。。(*´▽`*)ノ