goo blog サービス終了のお知らせ 

浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

親鸞会発行_教学版№116「2つの往生」について

2021-06-07 21:14:57 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

 2020年の8月に親鸞会を脱会した際、私は書籍以外の出版物を捨ててしまいました。。。

今思えば、色々とツッコミどころ満載なので「あ~ぁ、取っておけば良かったなぁ。。。」と、少しばかり後悔しているのですが。。。(←ネタ職人の血が騒ぐんだなぁ。┐(´∇`)┌)

 

それでも、辛うじて、ちょびっとばかり残っていたので、親鸞会発行のチラシを通して、「れおんの信心」と、どこが合わないのか挙げていきたいと思います。。。

 

今回のテーマは・・・。

教学版 №116「仏教に説かれる2つの「往生」」。。。

まぁ、色々とツッコミどころ満載なのですが、まずは、このチラシで強調されている部分を下記に記します。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

往生には2つの意味があります。「生かされて往く『往生』」と、「行って生まれる『往生』」です。・・・

【「生かされて往く」現在の往生】苦しみの人生が 幸せな人生に、生まれ変わる 

まず「「生かされて往く『往生』」とは、「現在、生きている時の往生」のことで、苦しみの人生が幸せな人生に、生まれ変わることをいいます。・・・

【私たちの一生は荒波の絶えない海】

「人生は苦なり」「難度の海」・・・

【なぜ苦しみの人生になるのか】

いつ失うか分からない、不安定な幸せだからです。・・・

【現在ただ今、絶対の幸福に】

阿弥陀仏は哀れに思われ「必ず絶対の幸福に救ってみせる」という誓いを建てられました。

この「阿弥陀仏の本願(お約束)」に、生きている今、救い摂られ、「よくぞ人間に生まれたものぞ」という生命の大歓喜を獲て、一息一息が、明るく楽しい人生に生まれ変わったことを、「生かされて往く」往生といわれるのです。

「不体失往生」ともいいます。・・・

【「往って生まれる」現在の往生】現在、絶対の幸福になっている人が、死ぬと同時に、弥陀の浄土へ行く 

死ぬと同時に弥陀の浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれることをいいます。

「体失往生」ともいわれます。・・・

【生きている時の往生を急げ】

「現在の往生」「死後の往生」の、この2つの往生を誓われているのが「阿弥陀仏の本願」なのです。

「難度の海を度する大船」

「誰でも彼でも死んだら極楽」ではない、ということです。

現在、「不体失往生」できている人だけが、死後、「体失往生」させていただけるのです。・・・

  「れおん」は既に「他力の信心を獲ていて」、もう二度と迷うことがないので、せっかくなので

また(ネタ作りに)親鸞会に戻ってもイイかなぁ?

な~んて思う時があります。(笑) (←多額のご報謝はナシでね!!)

でも・・・。おそらく出禁ですよね~。( ;∀;) 

高森会長には、結構感謝しているんだけど、ダメかなぁ。。。( ;∀;) (←ただの冷やかしだっつーの!!)

 

・・・って、まぁ、それはおいといて、本題に入ります。(๑•̀ㅂ•́)و✧

 

◆◆◆【全体を読んだ印象】◆◆◆

ハッキリ言います!!

2つの往生・・・なのに。

「現在の往生」の「現世利益」を、やたら強調しすぎだっつーの!!

「絶対の幸福」って言葉を使うと、その時点で、目的が現世利益に傾きますので要注意です!!

「目的」は「後生、仏さまになること」です。

「絶対の幸福」という言葉は「目的がブレる」ので使わないでくださいね。( ;∀;)

 

◆◆◆【①について】◆◆◆

「生かされて往く『往生』」「行って生まれる『往生』」の2つの往生は正しいです。

 

◆◆◆【②について】◆◆◆

「現在、生きている時の往生」苦しみの人生が幸せな人生に、生まれ変わること・・・。

って、間違いじゃないけれど・・・。な~んか「れおんの心」にしっくりこないんだよなぁ。。。

こういう書き方をすると「日常のイヤなことが転じてイヤだと思わなくなる」ような意味にも読めるし。

((イヤなことはフツーにイヤなことです。まったく変化はありません。(笑)))

それに「常に幸せオーラに包まれて、テンションMAX」みたいな意味にも読めるし。

((阿弥陀仏の本願には、そんなゲームみたいなマジックポイントはナイぞ~!))

それに「この世の問題はすべて解決」みたいな雰囲気だし・・・。

((フツーに「因果の道理の世界」にいますから、それはあり得ません。))

だから、そうじゃなくって、、、

本当は「後生安心だから、今も安心で心やすらか」って感じなんだけどなぁ・・・。

視点の向きが逆なんだよねぇ。。。

まぁ、アレですよ!!

「2つの往生」を説明する時点で、文章に「前段(まえ)」と「後段(あと)」が、どうしてもできてしまうじゃないですか!!

本当は「2つの往生」は体感的には「表裏一体」なのですが、「文章」にしてしまった時点で「ニュアンス」がかなり変わってきてしまいます。。。

でも、これは、どうしようもないのかなぁ。。。とも思っています。( ̄▽ ̄;)

 

◆◆◆【③と④について】◆◆◆

「人生は苦なり」「難度の海」になるのはいつ失うか分からない、不安定な幸せだからです。

って、こういう「機」に関するところは「親鸞会は正しい」んだよねぇ。。。

だから「仏教を聞く目的」は「後生の一大事の解決」っていうのは、本当にそうだし、

この「後生の一大事」が抜けてしまったら「この先仏教を聞いてもまったく意味がない」ものになってしまうから。。。

親鸞会はとにかく「入口」は!正しいんですよ。

でも進んでいくと、だんだん軌道から外れて「途中でふりだしに戻る!」っていう、ドツボにはまるから要注意なんだよなぁ・・・。(笑)

例の「縦の線と横の線」で、「縦の線」を一生懸命進んでるはずが、出口「横の線」が全く見つからない!!

う~ん、例えるなら・・・「スーパーマリオブラザーズ」の「7-4面」!!(笑)

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

コレ「正解のルート」通りに進まないと「延々とループにハマってしまう」っつー「巨大迷路」なんですよ。(ºдº;;)

なので「親鸞会」は・・・、

「正しいみ教え」通りじゃないから「延々と19,20願にハマってしまう」っつー「巨大迷路」なんですよ。(ºº;;)

 

◆◆◆【⑤について】◆◆◆

阿弥陀仏は哀れに思われ「必ず絶対の幸福に救ってみせる」という誓いを建てられました。

・・・・・・・って・・・。

ああああああああ!! 「絶対の幸福」が、ちが~~~う!!!!

ほんと忘れて!! 「絶対の幸福」は忘れてください!!( ;∀;)

「他力になる」と、まぁ「間違いじゃない・・・かも・・・。」くらいにはなりますが、

ご信心をいただいていない自力心の人は、ほんと、これダメだから!!

目的がブレるから、とにかく忘れて!!

なので、直すなら・・・

阿弥陀仏は哀れに思われ「必ず絶対の幸福に救って後生仏にしてみせる」という誓いを建てられました。その本願は成就しました。

かな・・・?

そして次の・・・

この「阿弥陀仏の本願(お約束)」に、生きている今、救い摂られ、

は・・・。 ここまでは合っています・・・が!! この後が問題なんだよぉぉぉ。( ;∀;)

「よくぞ人間に生まれたものぞ」という生命の大歓喜を獲て、一息一息が、明るく楽しい人生に生まれ変わったことを、「生かされて往く」往生といわれるのです。

は・・・!!!!!

【「よくぞ人間に生まれたものぞ」という生命の大歓喜】だとぉ!!?? (-`ω´-。)

【一息一息が、明るく楽しい人生に生まれ変わった】だとぉ!???(-""-;)

これこれ!!!! このテンションがめちゃくちゃおかしいんよ!!(^ω^#)ピキピキ

とにかく 高森会長は「現世利益」に特化しすぎなんだよ!!!!

・・・で、これをどう読むか?なんだけど・・・。

なんで「高森会長」がこんなことを言うのか?については、パッと思いつくのが「2つ」あって。。。

1.「本願成就聞」の「諸有衆生聞其名号信心歓喜乃至一念」を上記のように「イメージ」してしまった。

((これはヘタをすると「歓喜正因」になっちゃいます。「れおん」には、こんな(高森会長のイメージする)気持ちはなかったので、気づくのが遅れてしまいました。(笑)))

2.「絶対の幸福の現世利益(アメ)」と「一切衆生必堕無間の恐怖(ムチ)」を巧みに使って「会員数増員計画」を立てた。

・・・って、まぁ、そんな感じかなぁ。。。

 

なので、この「生かされて往く」往生の結論は・・・。

「生かされて往く『往生』」「行って生まれる『往生』」「表裏一体」になっていて、

「二益」ではあるけれど、本当は「切り離すことができない『往生』」だと味わっています。

「後生が助かって安心」だから「今生も安心して生きられる」かな。。。

 

うわぁ~!! なんか、こうやって考察してみると、改めて・・・、

「「仏智不思議の南無阿弥陀仏」だよなぁ。」

「阿弥陀様の本願力ってスゴいよなぁ。」

って、しみじみ嬉しく思いました。ヾ(❀╹◡╹)ノ゙

 

◆◆◆【⑥と⑦について】◆◆◆

死ぬと同時に弥陀の浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれることをいいます。「体失往生」ともいわれます。

「誰でも彼でも死んだら極楽」ではない、現在、「不体失往生」できている人だけが、死後、「体失往生」させていただけるのです。

・・・って、また、ここで正しいことを言うんですよ。┐( ̄ヘ ̄)┌ヤレヤレ

これだから「親鸞会教義」は、たちが悪いんだよねぇ。。。(笑) 

 

☆゚゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚

 

・・・ってことで、今回、こうやって「チラシの内容」を書き出してみると・・・。

①は「正しい」

②は「文章にすると仕方がない」

③と④は「正しい」

⑤は「おかしい」

⑥と⑦は「正しい」

・・・と、こんな感じかなぁ・・・。¯٥)ノノ

 

だから「親鸞会教義」って、この文章だけを見ると、パッと見、そんなにおかしくはないんですよ・・・。

でも!!!!

サイコーにおかしいものが「1つ」ありました!!

それがコチラです。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

この図はサイコーにおかしいです!!!!

「矢印の向き」が逆です!!!!

「文章」だけなら「説明するのに前後ができるので」まぁ仕方がないとは思いますが、

でも・・・。こうやって「イメージ図」にしちゃうと、

「他力信心の人」は、おそらくみ~んな「おかしい!!」って言うだろうなぁと思います。

 

「自力心」と「他力信心」の決定的な違いはココにあるんです!!

 

なので、これを「親鸞会」に突き付けて、

「高森会長の信心」は「自力」ですか?「他力」ですか?

って聞いてみれば、きっと・・・。

アタフタしちゃうんじゃないかなぁ???( ̄▽ ̄)v と思いました。

 

以上です!!ヾ(=^▽^=)ノ

 

なもあみだぶつ 。+゚.。+。(´ω`*)♪♪