2020年の8月に親鸞会を脱会した際、私は書籍以外の出版物を捨ててしまいました。。。
今思えば、色々とツッコミどころ満載なので「あ~ぁ、取っておけば良かったなぁ。。。」と、少しばかり後悔しているのですが。。。(←ネタ職人の血が騒ぐんだなぁ。┐(´∇`)┌)
それでも、辛うじて、ちょびっとばかり残っていたので、親鸞会発行のチラシを通して、「れおんの信心」と、どこが合わないのか挙げていきたいと思います。。。
今回のテーマは・・・。
教学版 №116「仏教に説かれる2つの「往生」」。。。
まぁ、色々とツッコミどころ満載なのですが、まずは、このチラシで強調されている部分を下記に記します。
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往生には2つの意味があります。「生かされて往く『往生』」と、「行って生まれる『往生』」です。・・・①
【「生かされて往く」現在の往生】苦しみの人生が 幸せな人生に、生まれ変わる
まず「「生かされて往く『往生』」とは、「現在、生きている時の往生」のことで、苦しみの人生が幸せな人生に、生まれ変わることをいいます。・・・②
【私たちの一生は荒波の絶えない海】
「人生は苦なり」「難度の海」・・・③
【なぜ苦しみの人生になるのか】
いつ失うか分からない、不安定な幸せだからです。・・・④
【現在ただ今、絶対の幸福に】
阿弥陀仏は哀れに思われ「必ず絶対の幸福に救ってみせる」という誓いを建てられました。
この「阿弥陀仏の本願(お約束)」に、生きている今、救い摂られ、「よくぞ人間に生まれたものぞ」という生命の大歓喜を獲て、一息一息が、明るく楽しい人生に生まれ変わったことを、「生かされて往く」往生といわれるのです。
「不体失往生」ともいいます。・・・⑤
【「往って生まれる」現在の往生】現在、絶対の幸福になっている人が、死ぬと同時に、弥陀の浄土へ行く
死ぬと同時に弥陀の浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれることをいいます。
「体失往生」ともいわれます。・・・⑥
【生きている時の往生を急げ】
「現在の往生」と「死後の往生」の、この2つの往生を誓われているのが「阿弥陀仏の本願」なのです。
「難度の海を度する大船」
「誰でも彼でも死んだら極楽」ではない、ということです。
現在、「不体失往生」できている人だけが、死後、「体失往生」させていただけるのです。・・・⑦
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「れおん」は既に「他力の信心を獲ていて」、もう二度と迷うことがないので、せっかくなので
また(ネタ作りに)親鸞会に戻ってもイイかなぁ?
な~んて思う時があります。(笑) (←多額のご報謝はナシでね!!)
でも・・・。おそらく出禁ですよね~。( ;∀;)
高森会長には、結構感謝しているんだけど、ダメかなぁ。。。( ;∀;) (←ただの冷やかしだっつーの!!)
・・・って、まぁ、それはおいといて、本題に入ります。(๑•̀ㅂ•́)و✧
◆◆◆【全体を読んだ印象】◆◆◆
ハッキリ言います!!
2つの往生・・・なのに。
「現在の往生」の「現世利益」を、やたら強調しすぎだっつーの!!
「絶対の幸福」って言葉を使うと、その時点で、目的が現世利益に傾きますので要注意です!!
「目的」は「後生、仏さまになること」です。
「絶対の幸福」という言葉は「目的がブレる」ので使わないでくださいね。( ;∀;)
◆◆◆【①について】◆◆◆
「生かされて往く『往生』」と「行って生まれる『往生』」の2つの往生は正しいです。
◆◆◆【②について】◆◆◆
「現在、生きている時の往生」は、苦しみの人生が幸せな人生に、生まれ変わること・・・。
って、間違いじゃないけれど・・・。な~んか「れおんの心」にしっくりこないんだよなぁ。。。
こういう書き方をすると「日常のイヤなことが転じてイヤだと思わなくなる」ような意味にも読めるし。
((イヤなことはフツーにイヤなことです。まったく変化はありません。(笑)))
それに「常に幸せオーラに包まれて、テンションMAX」みたいな意味にも読めるし。
((阿弥陀仏の本願には、そんなゲームみたいなマジックポイントはナイぞ~!))
それに「この世の問題はすべて解決」みたいな雰囲気だし・・・。
((フツーに「因果の道理の世界」にいますから、それはあり得ません。))
だから、そうじゃなくって、、、
本当は「後生安心だから、今も安心で心やすらか」って感じなんだけどなぁ・・・。
視点の向きが逆なんだよねぇ。。。
まぁ、アレですよ!!
「2つの往生」を説明する時点で、文章に「前段(まえ)」と「後段(あと)」が、どうしてもできてしまうじゃないですか!!
本当は「2つの往生」は体感的には「表裏一体」なのですが、「文章」にしてしまった時点で「ニュアンス」がかなり変わってきてしまいます。。。
でも、これは、どうしようもないのかなぁ。。。とも思っています。( ̄▽ ̄;)
◆◆◆【③と④について】◆◆◆
「人生は苦なり」「難度の海」になるのはいつ失うか分からない、不安定な幸せだからです。
って、こういう「機」に関するところは「親鸞会は正しい」んだよねぇ。。。
だから「仏教を聞く目的」は「後生の一大事の解決」っていうのは、本当にそうだし、
この「後生の一大事」が抜けてしまったら「この先仏教を聞いてもまったく意味がない」ものになってしまうから。。。
親鸞会はとにかく「入口」は!正しいんですよ。
でも進んでいくと、だんだん軌道から外れて「途中でふりだしに戻る!」っていう、ドツボにはまるから要注意なんだよなぁ・・・。(笑)
例の「縦の線と横の線」で、「縦の線」を一生懸命進んでるはずが、出口「横の線」が全く見つからない!!
う~ん、例えるなら・・・「スーパーマリオブラザーズ」の「7-4面」!!(笑)
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コレ「正解のルート」通りに進まないと「延々とループにハマってしまう」っつー「巨大迷路」なんですよ。(๑ºдº๑;;)
なので「親鸞会」は・・・、
「正しいみ教え」通りじゃないから「延々と19,20願にハマってしまう」っつー「巨大迷路」なんですよ。(๑º口º๑;;)
◆◆◆【⑤について】◆◆◆
阿弥陀仏は哀れに思われ「必ず絶対の幸福に救ってみせる」という誓いを建てられました。
・・・・・・・って・・・。
ああああああああ!! 「絶対の幸福」が、ちが~~~う!!!!
ほんと忘れて!! 「絶対の幸福」は忘れてください!!( ;∀;)
「他力になる」と、まぁ「間違いじゃない・・・かも・・・。」くらいにはなりますが、
ご信心をいただいていない自力心の人は、ほんと、これダメだから!!
目的がブレるから、とにかく忘れて!!
なので、直すなら・・・
阿弥陀仏は哀れに思われ「必ず絶対の幸福に救って後生仏にしてみせる」という誓いを建てられました。その本願は成就しました。
かな・・・?
そして次の・・・
この「阿弥陀仏の本願(お約束)」に、生きている今、救い摂られ、
は・・・。 ここまでは合っています・・・が!! この後が問題なんだよぉぉぉ。( ;∀;)
「よくぞ人間に生まれたものぞ」という生命の大歓喜を獲て、一息一息が、明るく楽しい人生に生まれ変わったことを、「生かされて往く」往生といわれるのです。
は・・・!!!!!
【「よくぞ人間に生まれたものぞ」という生命の大歓喜】だとぉ!!?? (-`ω´-。)
【一息一息が、明るく楽しい人生に生まれ変わった】だとぉ!???(-""-;)
これこれ!!!! このテンションがめちゃくちゃおかしいんよ!!(^ω^#)ピキピキ
とにかく 高森会長は「現世利益」に特化しすぎなんだよ!!!!
・・・で、これをどう読むか?なんだけど・・・。
なんで「高森会長」がこんなことを言うのか?については、パッと思いつくのが「2つ」あって。。。
1.「本願成就聞」の「諸有衆生聞其名号信心歓喜乃至一念」を上記のように「イメージ」してしまった。
((これはヘタをすると「歓喜正因」になっちゃいます。「れおん」には、こんな(高森会長のイメージする)気持ちはなかったので、気づくのが遅れてしまいました。(笑)))
2.「絶対の幸福の現世利益(アメ)」と「一切衆生必堕無間の恐怖(ムチ)」を巧みに使って「会員数増員計画」を立てた。
・・・って、まぁ、そんな感じかなぁ。。。
なので、この「生かされて往く」往生の結論は・・・。
「生かされて往く『往生』」と「行って生まれる『往生』」が「表裏一体」になっていて、
「二益」ではあるけれど、本当は「切り離すことができない『往生』」だと味わっています。
「後生が助かって安心」だから「今生も安心して生きられる」かな。。。
うわぁ~!! なんか、こうやって考察してみると、改めて・・・、
「「仏智不思議の南無阿弥陀仏」だよなぁ。」
「阿弥陀様の本願力ってスゴいよなぁ。」
って、しみじみ嬉しく思いました。ヾ(❀╹◡╹)ノ゙
◆◆◆【⑥と⑦について】◆◆◆
死ぬと同時に弥陀の浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれることをいいます。「体失往生」ともいわれます。
「誰でも彼でも死んだら極楽」ではない、現在、「不体失往生」できている人だけが、死後、「体失往生」させていただけるのです。
・・・って、また、ここで正しいことを言うんですよ。┐( ̄ヘ ̄)┌ヤレヤレ
これだから「親鸞会教義」は、たちが悪いんだよねぇ。。。(笑)
☆゚゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚
・・・ってことで、今回、こうやって「チラシの内容」を書き出してみると・・・。
①は「正しい」
②は「文章にすると仕方がない」
③と④は「正しい」
⑤は「おかしい」
⑥と⑦は「正しい」
・・・と、こんな感じかなぁ・・・。(¯―¯٥)ノノ
だから「親鸞会教義」って、この文章だけを見ると、パッと見、そんなにおかしくはないんですよ・・・。
でも!!!!
サイコーにおかしいものが「1つ」ありました!!
それがコチラです。
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この図はサイコーにおかしいです!!!!
「矢印の向き」が逆です!!!!
「文章」だけなら「説明するのに前後ができるので」まぁ仕方がないとは思いますが、
でも・・・。こうやって「イメージ図」にしちゃうと、
「他力信心の人」は、おそらくみ~んな「おかしい!!」って言うだろうなぁと思います。
「自力心」と「他力信心」の決定的な違いはココにあるんです!!
なので、これを「親鸞会」に突き付けて、
「高森会長の信心」は「自力」ですか?「他力」ですか?
って聞いてみれば、きっと・・・。
アタフタしちゃうんじゃないかなぁ???( ̄▽ ̄)v と思いました。
以上です!!ヾ(=^▽^=)ノ
なもあみだぶつ 。+゚.。+。(´ω`*)♪♪