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浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(8/13)【「機責めの信後」は「罪悪の懺悔」が「死ぬまで続く」】

2023-12-06 08:08:08 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

え~っと。。。

ココからは「2話」にわたって、

「華X会」と「親鸞会」の「双方」の「信後の味わい」

をすこし取り上げておくと。。。

どうやら「他力信心をいただく」には、、、

「無常」の「わが身」を「取り詰め」て!!
「罪悪」の「わが身」を「懺悔する」コト!!
が「必須条件」で!! ((←「無条件の救い」はどこへやら。。。(ー∀ー;)||| ))

「弥陀のお救い」に「出遇った後」は、

死ぬまで「延々」と「罪悪を懺悔し続ける生活」を送る!!

ようであります。。。(¯―¯٥)ノノ

 

(( それって・・・なんだか、ゼンゼン楽しくない「他力の世界」だね。。。(lll-ω-)ズーン))

 


・・・って、何度も言うけれど。。。「れおん」は。。。

「弥陀のお救い」は「無条件」で「そのままのお救い」。。。(*´∇`*)ノ

「仏願の生起本末」を聞いたら「わたしのはからい」に用事がない。。。(*・∀-)☆

「弥陀のお救い」に出遇ったなら。。。

「死生観」が「大転換」。。。

「生」と「死」がドッキング。。。

「後生安心」だから「今が安心」。。。

「死ぬ問題が解決」したら。。。

「生きる問題」が同時に解決!!

「御恩報謝」のお念仏。。。

「すべて」に生かされ生きる日々 ♬ヾ(*´∀`*)ノ

 


・・・ってワリと「くどい」くらい言っているけれど。。。

 


それでも、やっぱり。。。

 


「どう聞いたら」「どうしたら」。。。

「あ~したら」「こ~したら」。。。

「わたしの罪悪」が「深く知らされた」なら。。。

「わたしが死ぬ現実」が取り詰まって「精神的に追い詰められた」なら。。。

「一人でも多くのヒト」を「高森先生まします富山の「二千畳」にお連れした」なら。。。

「一円でも多くの財施」を「真実開顕に使って高森先生のお役に立てた」なら。。。

そうしたら「わたしの「求道(信仰)」が進んで、そのうちに・・・

「高森センセ~~~ぃ!!」

「私は、もう、一歩も進めませ~~~ん!!」

 

 

( ^ω^)・・・。

 


・・・な~んて

「浄土真宗親鸞会」の

「弁論大会の壇上」で絶叫!

するような状況に立たされて。。。(笑)

ついには。。。

「韋提希夫人」の「三品の懺悔」と同じ境地 になって、

「血の涙」を流す懺悔 をしながら「信心決定する」

みたいな。。。(笑)

そういう「心の道程」を「想い描くヒト」が多いようです。。。(´・ω・`)ショボーン

 

で!!「上述」は「親鸞会」で聞かされてきたコトだけれども。。。

「下記」に引用した「華X会」の「前代表の本」もやっぱり「親鸞会」と似たようなモノで。。。

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「X仏のX叫X」

 

・・・の「105ページ」には。。。

 

「人間に生まれて、あさましさ、無慚無愧、自己中心の塊、ええかっこうばかりしていたなあと、
はじめて知らせてもらう。「まこと」の前に「無条件降伏」させてもらうしかありません。
そのことを親鸞さまは、法然さまとの出遇いで知らされた。法然さまは、善導大師のお書物でお遇いになった。」

((ってコレ・・・。「親鸞会制作」「アニメ世界の光親鸞聖人第一部」の「獲信の場面」と同じでさ。。。))
((結局は、どちらも「同じ機責め」の「姉妹教団」なんだよね~。。。(´・ω・`)ショボーン))

「(南無阿弥陀仏の)至徳の尊号が、ボーンと私の心に届いてきたら、
「こんな私を信じてくださったとは、なんともったいないことか。よう信じてくださいました。
私は、信じる心どころか、疑いの塊でございました。仏敵の私は、仏さまの血潮を吸いつくして、
仏さまを地獄に蹴落としても平気なやつ。仏さまを踏み台にして、極楽行きのキップ、
信心を手に入れようとしていた、大うつけ者でございましたーーー!!
その私のためのご本願でございましたーーー!!
人ごとと思って聞いていましたのに、お目当ては、こんな私でございましたか」と、
下がらん頭が、下げんならんようになる。
称えたくない念仏が、口をついて「南無阿弥陀仏」と言わんならんようになってくる。」

((「大うつけ者でございましたーーー!!その私のためのご本願でございましたーーー!!」は、おそらく「彼らの信後」。。。))
((このヒトたちの「救われた後」は、ず~~~っと
「阿弥陀様~~~ぁ!! 済みませなんだ~~~ぁ!!」っつー「寸劇」を死ぬまでやる
んだよねぇ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))

((それって、考えただけでも「ゾッとする」だろ。。。((((;゚Д゚))))ガクブル))

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・・・ってな感じで、

「弥陀」を一心一向にたのみたてまつりて」

・・・と「御文章」を拝読していても、

「我が機」のありさま」を一心一向にたのみたてまつりて」

「後生の一大事」を解決しよう!! ٩( ๑•̀o•́๑ )وムオー!

という「想い」から「離れられないヒト」が多いように思います。。。(^▽^;)ノ

 

 

( ^ω^)・・・。

 

まぁ、なんつーか、

コッチの方が「分別智」の「凡夫の脳」には「しっくりくる」し。。。

逆に「無分別智」の「仏さまの智慧」の、

「はからいは要らない♡」とか「そのままのお助け♡」ってのは、

そういう話を聞いても、

「なら、ど~すりゃイイんだよ!」って「思考停止」しちゃうもんね。。。(^▽^;)ノ

 

ってコトで、 それだから。。。

【仏願の生起本末のお話を聞く】【お聴聞】

【弥陀の本願成就のお話を聞く】【お聴聞】

が大事になってくるんですよねぇ。。。(*^。^*)ノ

 


・・・とは言っても。。。

ココでも、や~っぱり「問題アリ」!!なのですが。。。

「仏願の生起本末」を説きながら【私の努力が役に立つ話】

「仏願の生起本末」を説きながら【罪悪を取り詰めて救われる話】

「仏願の生起本末」を説きながら【三願転入で救われる話】

・・・をされちゃうとさ。。。

それだと、どこまで聞いても「他力」に出遇えないんですよねぇ。。。( ;∀;)ノ

 

 

以前、「れおん」は。。。

獲信までの道のり(番外編) - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

(2021年5月26日更新)にも書きましたが。。。

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阿部先生は、常に「私の自力心が廃る」お話をされています。。。
逆に、阿弥陀様のみ心を、正しく話していない先生は、常に「私の自力心を募らせる」お話をされますが、
実は、それだとダメなんです。。。
「自力心を募らせる」お話を聞きながら「機の深信」を探したらどうなるのか?…というと…。
「出離の縁のない私」ではなく、頑張っても頑張っても、
ぜんぜん掘り下げられない「罪悪深重の私」をひたすら探し求めていたと思います。。。

…ということで「自力心を募らせるお話」ではなく

「自力心がなくなるお話」を聞くことがとても重要 です。。。

阿部先生は「助からない「機」」のお話ではなく常に「必ず助ける「法」」のお話をされます。。。
「必ず助ける弥陀がいるから、私のはからい(自分の心を見つめること)は要らないよ。」というお話をされます。。。
「自分の心(機)」を問題にするお話はされません。。。
「阿弥陀仏の本願が成就したかどうか」を問題にします。。。

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コレは・・・

「すでに」「十方衆生の後生」を救う「弥陀」が
「お念仏」となって「この世界に届いている」から
「弥陀の本願成就」を聞いて「他力に出遇う」。。。( ꈍᴗꈍ)ノ♡

言い換えれば・・・

「弥陀の本願成就」を聞いたら「自力心に用事がない」。。。( ꈍᴗꈍ)ノ♡

それは・・・

「わたしが法を聞いて」「後生助かる」のではなく
「後生助かる法」が「いつでも」「どこでも」「誰にでも」
「聞くより先に届けられている」から
それを「聞いたら」「わたしのはからいに用事がない」。。。

そのコトを・・・

「他力に出遇う」とか「他力信心をいただく」と言う

んですよねぇ。。。v(*´罒`*) v ニヒヒヒヒ~♪

 

 

ってコトで!!

「上述」を踏まえたうえで「今回依頼の会報誌」は、

「自力心を募らせるお話」なのか?

「自力心がなくなるお話」なのか?

ソコは、いったいどうなっているのか? 

・・・を見てみると。。。(´・ω・`)ショボーン

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・・・「会報誌」の「6ページ」には。。。

【サブタイトル】「自力で自力は廃らない」

・・・という「段落」あって、それを引用してみると。。。

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「華X会」でもよく言われますね、
「自分の心の変化を追うのをやめて、阿弥陀さまの方を見なさい」
と。ほんと、その通りなんです。

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・・・と

「いちおう」は「弥陀をたのむ」ように言っている のですが!!

この後が「大モンダイ」でさ・・・。(´・ω・`)ショボーン

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でも、そう言われたからとて、「わかりました。じゃ、やめます」というような調子で止めれるもんじゃない。
そもそも「自分の心の変化を追うような心を捨てる」ことにしたって、自力で捨てるのだったら、
今度は「本当に捨てたのかな」というところが気になってくる。
「あ!こんなことが気になること自体、まだ捨てきってない証拠じゃないか」と気づいても、もう遅いですね。

((・・・と、だんだん「雲行き」が怪しくなって「阿弥陀様」が隅っこに追いやられて。。。(-ω-;)))

ほんとに自力じゃにっちもさっちもいかない。他力によって捨てさせられるのでなきゃいかん。
そう聞くと「じゃ、その他力によって捨てさせられるためにはどうすりゃいいんじゃ?」
という心が出てくるでしょ。それが自力の心。もう取りつく島もない。つらいところです。

((・・・と、「自力心を焚きつけ」「罪悪を煽る」フレーズがでてきて。。。∑( ̄◇ ̄|||)!))

「そうやって、いつも最後の肝心のところで、おいてきぼりになるじゃねーか」
と恨みに思っている求道者がきっとおいででしょう。
ホラ、ちゃーんと仏敵じゃないですか。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))

((・・・って、坊さん! その「悪趣味な煽り」は「アナタの性癖」っスかねー??? ( ̄▽ ̄;)ノ))

自分の獲信のためなら先生をも殺し、お釈迦様も殺す。
その自分の獲信は何のためかというに、決して成仏して衆生を済度するためではない。
これで地獄に落ちずに済むという結構な身になりたいからでしょ。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))
後生に大手を振って出ていける、万歳!
という「絶対の幸福」を獲得したいからでしょ。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))
そのために早く獲信したい、獲信させてくれ、はよ信心よこしてくれ、というわけでしょ。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))

((「悪趣味」な「嬲り殺しMAX」というわけでしょ。(笑)))
((そして「絶対の幸福」は「親鸞会」だけじゃなかった!!!!(笑)ꉂ л̵ʱªʱªʱª (ᕑᗢूᓫ∗)˒˒爆笑!!!))

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・・・っつー、

「たすける弥陀」を投げ捨てた「捨身の機責め」

で、この章がおわり、、、

次の【サブタイトル】の「獲信したいのあさましさ」

その次の【サブタイトル】の「聞きにかかるような偉い者」

・・・と、

延々と「機責め」を「これでもかー!!」と繰り返し。。。

 

この「機責め」はどこまで続くのかなぁ。。。

・・・と、最後まで読んでみると。。。

 


( ^ω^)・・・。

( ^ω^)・・・。

( ^ω^)・・・。

 


な、なんと!!!!

 


「会報誌最後」の「13ページ目」

まで続きましたとさ!! Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

って、それ・・・

 

 

 

シーー( ̄、 ̄*)ーーン・・・。

 

 

 

((「機責め」は続く~よ~♪ ど~こま~で~も~♪))

((野を越え、山越~え~♪ 「死~も越え」て~♪))

 

 

・・・・・・・・・・・。

 

 

「生と死」ってのは「紙」の「表と裏」だからさ。。。

このヒトたちの「教義」でいくと、「救われた先」も延々と・・・

「機責めと懺悔のよくばりセット」!?

 

 

・・・ってコトはさ、((素朴なギモンなんだけれど・・・))

そのまま「後生も苦」で「今生も苦」!!

ってコトになる・・・んじゃないのかなぁ~。。。(-ω-;)

((・・・と、思うんだけれど・・・。(´・ω・`)ショボーン))

 

 

誰もギモンに思わないのかな???

それとも、何か違うかのかな???

もしかして「機責めが快感♡」なのかな???

それとも「れおん」がオカシイのかな???


「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(7/13)【「機責め」根拠の「二種深信」②】

2023-12-01 07:07:07 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

・・・ってコトで、

「1コ前の記事」が「文字数制限」に引っかかっり、

おもっきし「尻切れトンボ」になってしまいましたが。。。(´・ω・`)ショボーン

気を取り直して、つづきを再開いたします!! (`・ω・´)ゞ

 

 

・・・って、毎回「機責め」の記事を書くと、

結局「結論」がこの・・・

「機の深信」は「罪悪深重の私」ではない!

・・・に帰結してしまい。。。

毎度毎度「記事がめちゃくちゃ」「クドく」なって

ホンンンンントに、申し訳ないのですが。。。(^▽^;)ノ

 

 

それでも

「機の深信」は「罪悪深重の私」だーーーぁ!!

と「頑な」に信じて「そこから離れられない方」

・・・は「一定数いらっしゃいます」ので、、、

やっぱり「根気よく」書かせていただきます。。。(^▽^;)ノ

 

 

 

( ^ω^)・・・。

 

 

え~っと。。。

「後半」は、どうしようかなぁ・・・。

 

 

( ー̀ωー́ ).。oஇ う~~~ん

 

 

・・・と考えた結果、やっぱり、

「前半に書いた」

「2022年7月24日」「埼玉恵日会」の「二種深信についての回答」が

「レベチの回答」なので!!

(多少は読みやすく「れおん」がアレンジしますが)

引き続き「阿部信幾先生のお話」を載せていきたいと思います。。。(`・ω・´)ゞ

 

((・・・ってか、この頃までは「次元の違うスゲェおハナシ」が多かったのですが・・・。
「出会い」も「縁」も「法話」も「信心」も「みずもの」ですね。。。(´・ω・`)ショボーン))
((それだから余計に「あう」は「遇う」や「値う」がスゴ~く「しっくりくる漢字」なのでありますよ。。。(´・ω・`)ショボーン))

 

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【質問】

「二種深信」についてお尋ねします。
「他力の信心の内容」として「二種深信」というコトを聞きます。
「「二種深信」が立たないのは他力の信心ではない」と言われています。
「本願成就のお話」をヒトにすると「機の深信」が抜けている
などと言われるコトもあります。
「本願成就のお話」を「法の深信」「機の深信」に当てはめて教えてください。

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で!!【それに対する回答の後半部分】です。。。

 


が!! その前に、、、
「「機の深信」が抜けている」と主張する「例」

を挙げてみますと、まぁ、こんな感じで言われるようです。。。(^▽^;)ノ

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【例文】

「アナタ様」は「機の深信」の前半部分
「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫」をどのように味わわれておりますでしょうか?
「阿弥陀様の本願成就」を喜ばれる方が「十劫安心だと疑われる」のは、
この前半部分を飛ばして喜んでいるように感じるからです。
「アナタ様」の「味わい」は、いつも「機の深信」の「前半部分を飛ばして」書かれています。
私は「罪悪生死と疑い無く」聞き「地獄行きを喜ばせて」いただいております。

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・・・・・・・・・・・・・。

 

 

って、やっぱり「ホラー映画」の延長にしか見えない。。。

 

まぁ、そうは言っても、

「華X会」や「親鸞会」で「ハナシを聞いて」いればそうなりますよ。。。(´・ω・`)ショボーン

「機責め」「機責め」「機責め」・・・
「地獄」「地獄」「地獄」・・・
「あさまし」「あさまし」「あさまし」・・・
「求道」「求道」「求道」・・・
「無条件降伏」やら「無条件服従」やら・・・

こんなん「四六時中」「合宿でカンヅメ状態」にされたら、

そりゃあ「ココロ壊れ」ますよ。。。( ;∀;)ノ

 

・・・ってコトで、

さっそく「回答の後半部分」です。。。( `ー´)ノ

 

((コレを読むと、もう、「ぐうの音」も出ないです。。。(´・ω・`)ショボーン))

 

((・・・が!! それだからと言って、そのヒト(凡夫)が言うすべてを鵜吞みにしてはいけないよ。。。))
先生は「ご法義」に「自身の持論」「過信」と「正義」を混ぜるから・・・。))
((それだから「ヒトに依らず」「法に依れ」なのであります。。。(´・ω・`)ショボーン))

((「同じご法義」でも「師匠の稲城和上」と「内容が異なってしまう」のはココ・・・かな・・・。(^▽^;)ノハハハッ ))

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「他力の信心の内容」として「二種深信」というコトを聞きます。」

コレは「他力の信心の内容」が「二種深信」であるというのは、
もし、「何かを信ずるという信心」というコトなら、こういう言い方はしない。

「法を信ずる」と言うけれど「法とは何か」と言ったら「一切衆生を仏にする」という「法の成就」。
だから「弥陀の本願が成就」して「南無阿弥陀仏」となって既におはたらき下さっている。

その内容とは「一切衆生を仏にするための願いが成就されたコトだ」と信ずるのが法の深信。
で、「その法はだれを救うのか」と言ったら「(自分の力で)仏になれない者を助ける」と。
「仏になれない者」とは「私はどうやっても仏になれない者だ」と信ずるのを「機の深信」という。

「他力の救い」というコトになると、必ず「救う側」と「救われる側」の「二つ」が出てくる。
それだから「他力の信心の内容」は「二種深信」という言い方が必ず出る、というコト。

 

次に「二種深信が立たないのは他力の信心ではないと言われています。」

「二種深信が立たないのは他力の信心ではない」という「言い方」は、
間違ってはいないけれど「他力の信心(の内容)を「二種深信」と表した」という方が適切。

「「本願成就のお話」をヒトにすると「機の深信」が抜けている
などと言われることもあります。「本願成就のお話」を
「法の深信」「機の深信」に当てはめて教えてください。」

要するに「自分でまだ仏になれると思ってるヒト」には「機の深信がない」。
「機の深信がない」というコトは「ひとすじに法をたのむ」という心がない。
「ひとすじに法をたのむ」イコール「本願成就の南無阿弥陀仏をたのみとする」
というコトは、もうその時点で
「こちらが仏になれる身ではないというコト」(機の深信)
イコール
「ひとすじに法をたのむ」(法の深信)というコト。

だから「機の深信のないヒト」は「法をたのむというコトが存在しない」。
「本願成就の南無阿弥陀仏のおいわれ」を聞いて、その時点で「自力心が消えてしまう」。
「自力心が消えてしまう」とは、
「「南無阿弥陀仏」となっておはたらき下さっている法」を「ひとすじにたのみ」(法の深信)
それがそのまま、私の側が「仏になれる身ではない」というコトを信じた」というコト。(機の深信)

 

「自分がまだ仏になれると思っているヒト」には
「ひとすじに法をたのむ心が欠けて」いて
「ひとすじに法をたのむヒト」には「二種深信」が存在する。

「機の深信が抜けている」というヒトたち
(名前は出さないけれど)私はどういうヒトたちか知っている。

「自分の罪が深い」コトが知らされなければ「救いには遇えない」と言っているヒトたち。
「自分の罪が深い」コトが本当に「とことん分かると救いに出遇える」と説いているヒトたち。
このヒトたちは「私の罪がいかに深いか」というコトばかりハナシをする。

で、「私の罪がいかに深いか」をとことん突き詰めて、もっと言えば「自力をとことんやって」、
「オレの自力がダメだった」というコトが分かって「自分の罪の深さ」に目覚めると、
「その罪の深い者を阿弥陀さまは捨てないんだ」と気づかされて助かるというハナシ。
こういうふうに説くヒトたちがいる。

 

「安心は」ぜんぶ「御文章を基準」にしないと。

「ご名号」と「御文章」は「セット」にしないと。

「目の前」に「南無阿弥陀仏のご名号」があるうえで、
「もろもろの雑行雑修自力の心をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば」
・・・と「拝読する」コトは、
「(弥陀の)本願成就」を前にして、
「われわれが、これから何を持ちだす必要があるんですか?」

・・・というコト。。。

「御文章」だけ読むから、ワケがわからなくなる。

 

「御文章」には何と書いてあるか。

「五帖目四通」には、
「そもそも、男子も女人も罪のふかからんともがらは、諸仏の悲願をたのみても、
今の時分は末代悪世なれば、諸仏の御ちからにては、なかなかかなはざる時なり。(中略)
このゆゑに、一心一向に阿弥陀如来たすけたまへとふかく心に疑なく信じて、
わが身の罪のふかきことをばうちすて、仏にまかせまゐらせて」。

コレはどういうコトか?

それともう一つ「機の沙汰をするは自力なり」。((←探したけれど根拠不明。(^▽^;)ノ))
「機の沙汰をする」とは「私のあり方を問題」にする。それは「自力だ」というコト。
「私のあり方を問題にする」とは(言い換えれば)それはまだ「自力心」がなくなっていない。

だから「機の深信を問題にしてる」コトは
(言い換えれば)まだ「信心をいただいていない」というコト。
「本当に「機の深信」をいただいたヒト」は、
「ただひとすじに」「弥陀の」「南無阿弥陀仏の」「本願名号一つ」がたのもしい!
それだから「我が身の罪の深きをばうちおきて」となる。

また、覚如上人は「至心信楽己れを忘れて、無行不成の願海に帰す」(報恩講式)と言って、
「至心信楽おのれを忘れて」なのだから「私のあり方を問題にしない」で「無行不成の願海に帰す」。
「無行不成の願海」とは「阿弥陀様が成就していない行は何一つない」それを海に喩えている。

コレを(「蓮如上人」の言葉で)わかりやすく言うなら
「私が信心をいただいたかどうか」を問題にするよりも、
「弥陀はもう正覚を取ったかどうか」を問題にする、というコト。

大方のヒトたちは「自分は信心いただいたか否か」を問題にしている。
「我が身のコト」を問題にしている。じつは、それは自力なんだ。

もう、阿弥陀さまが成就して下さっていない「行」はなかった。

「至心信楽己れを忘れて、無行不成の願海に帰す」というコトは、
(それは)もう「おのれが問題になっていない」コト。
「己を忘れて」なのだから。
それだから「自分の側」が「信心いただいたのかいただいてないのか」を、
いくら問題にしても「答えは出ない」のです。

 

なぜなら「自分の心を探る」ワケだから
自分自身を問題にする。コレが自力!!

 

(そうではなく)「自分は信心いただいたか否か」を問題にせずに、
「法蔵が、もう正覚、弥陀となったか、まだ修行中か」を問題にする。

「法蔵の修行が、もう完成して阿弥陀となった」というコトは、
「私の浄土往生は間違いないんだ」と聞かせてもらいなさい、というコト。

で、何度も言うけれど、
「名号一つがたのみとなる」っていうコトは、そこには「機の深信がある」。

逆に「機の深信」を問題にしているヒトは、
「名号一つがたのみ」じゃなくて「自分の機のあり方がたのみ」となっているから、
「機の深信があるかないか」を問題にする。

だからそのコト自体が「機の深信がない」というコトになる。

 

「機法二種の深信」っていうのは「南無阿弥陀仏」だから、
「弥陀が向こうにいて」「機がこっちにある」のではない。

 

「阿弥陀仏が行」「南無は機」だから。
「助ける法」「たのむ機」だから。
「南無阿弥陀仏」を「機法二種の深信」というのだから。

 

「南無阿弥陀仏が成就している」というコトは、
もう「私のあり方」を問題にかけず、ただひとすじに「南無阿弥陀仏をたのみ」とするコト。
これが「もろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命する」となり、
「不可思議の願力として仏のかたより往生は治定せしめたまふ」となる。

 

それだから

(南無阿弥陀仏をたのむ)その時に「自力のはからい」が取られ
「浄土往生間違いない身と定まるんだ」という話。

コレが「機法二種の深信」というコト。

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以上ですが、いかがだったでしょうか??? ( ̄▽ ̄;)ノ

 

 

まぁ・・・なんつーか・・・さ。。。

【質問】

「本願成就のお話」をヒトにすると「機の深信」が抜けている
などと言われるコトもあります。

に対してさ。。。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

「名号一つがたのみとなる」っていうコトは、そこには「機の深信がある」。

「機の深信」を問題にしているヒトは、
「名号一つがたのみ」じゃなくて「自分の機のあり方がたのみ」となっているから、
「機の深信があるかないか」を問題にする。

だからそのコト自体が「機の深信がない」というコトになる。

 

だから、おおかたのヒトたちは「自分は信心いただいたか否か」を問題にしている。
「我が身のコト」を問題にしている。じつは、それは自力なんだ。

 

・・・って、めっちゃハッキリ書いちゃったけれど。。。

なんか。。。なんつーか。。。

 

ホント、ゴメンネ。。。(o*。_。)oペコッ

 

 

(; ̄3 ̄)~♪ (; ̄3 ̄)~♪ (; ̄3 ̄)~♪

 

 

・・・ってコトで、

「機の深信」は「罪悪深重の私」ではない!

のでありますよ!!!! (`・ω・´)ゞ

 

 

((つづく。。。))


「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(6/13)【「機責め」根拠の「二種深信」①】

2023-11-26 06:06:06 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

「前回の記事」では「機責め教団」において、

「機責め」は「正当な教義だ」とする「お聖教の根拠」に。。。

「蓮如上人」「御文章」の・・・

「雑行雑修自力の心を「ふり捨てて」
後生たすけたまえと弥陀をたのめ」をあげて、

「雑行雑修自力の心を(私が)「ふり捨てて」
後生たすけたまえと弥陀をたのめ」と、解釈しているから

「弥陀の本願成就の証拠」の「南無阿弥陀仏」を「彼方に追いやって」
「無常と罪悪」を取り詰めた「わたしの努力」を「たよりにしている」

・・・と申し上げました。。。

 

で!! 「今回」は・・・

「浄土真宗親鸞会」
「機責め教団」の「華X会」
「どちらも共通」の「定番根拠」としている
「善導大師」の「機法二種一具の深信」

を取り上げてみたいと思いマス!! (`・ω・´)ゞ

 

ってコトで、まずは!!

「善導大師」の「機法二種一具の深信」とは何ぞや?」

についてですが、コレは、すでに、、、

「秘事法門の信心」は「他力信心」とは何が違うのか? ・・・の

「秘事法門の信心」は「他力信心」とは何が違うのか?(その1) - 浄土真宗・他力信心の境地

【2022年2月20日更新】にて説明をしていますので、

そちらを引用したいと思います。。。(^▽^;)ノ

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まず!!

「秘事法門の信心」とはいったい何なのか?

・・・というコトの前に、

このお話に入る前段階の「最低限知っておいてね♡」ってコトを書いておきます。。。

 

 

「阿弥陀仏に救われたヒト」は「どんな信心なの?」

・・・ってコトを「浄土真宗親鸞会」では

「「二種深信」が立つコトだ!!」

と教えられました。。。

では次に「「二種深信」とは何ぞや?」

・・・ってコトになるのですが。。。

コレは「善導大師」の「機法二種一具の深信」を言い、

「「機」と「法」が同時に知らされるコト」として次の御文を挙げています。。。

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【観経疏「散善義」】

「深信」といふはすなわちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。
(機の深信)「一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。」
(法の深信)「二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。」

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で!!「高森会長」は「ご法話」の際に、この「二種深信」を・・・

「絶対に助からない私」と「絶対に助かる私」が同時に知らされる

「絶対矛盾の信心だ!」

・・・と説かれましたが、

「高森会長」、コレは間違いです!!(`・ω・´)ゞ

 

(* ̄▽ ̄)フフフッ♪

 

・・・ってなコトを説明しようと思っていろいろと探していたら、

この件について簡潔に書かれている「文節」が、ちょうどタイミングよく!!

「安心論題を学ぶ」(内藤知康著)

にありましたので、「四、二種深信」の一部を抜粋いたします。。。( `ー´)ノ

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信機信法との関係(その一)  (106頁~)

この信機(機の深信)信法(法の深信)を、たとえば、信機を地獄ゆき間違いなしの私と知ること
信法をお浄土まいり間違いなしの私と知ることと見るとします。
『歎異抄』には親鸞聖人のお言葉が示されていますが、第二章には「とても地獄は一定すみかぞかし」とあり、
第九章には「いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ」とあります。
この二つのお言葉について、前者が信機にあたり、後者が信法にあたると見るのです。
このような見方は、二種深信を矛盾の信を表現したものという見方に展開する場合が多いようです。
一方は真っ逆さまに地獄に墜ちる私、一方は真っすぐにお浄土に生まれていく私ということになりますと、これは矛盾です。

(中略)

宗教の世界では、私たちの理論では矛盾としか言いようのないことも成り立つということを根拠にして、
二種深信は宗教の世界のことであるから、
私たちの理論では矛盾としか言いようのないことが成り立っているのだと主張することはできません。
最初の【題意】の項で述べましたように、この二種深信は、信機と信法が矛盾でないと論じるのです。

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そんでもって!!

「安心論題を学ぶ」(内藤知康著)には、さらに・・・

「秘事法門の信心」についてもすこ~しだけ書かれていましたので、

それも抜粋いたします。。。( `ー´)ノ

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信機信法との関係(その二)  (110頁~)

二種深信の関係は、
信機=自力無功=捨機=捨自
信法=他力全託=託法=帰他
このような二種深信の関係は、先輩によって闇去明来とたとえられています。

(中略)

つまり、闇が去るということと明かりが来るということとは一つの出来事です。
一つの出来事ですから、そこに前後関係はありません。
闇去明来のたとえで考えてみますと当たり前のことなのですが、
二種深信の関係を考察する考え方の中には、法の深信の前に機の深信があるという理解があります。
これは、阿弥陀如来の救いにあずかるためには、
まず自分自身が地獄に堕ちきってしまうことが必要だ、という言い方がされたりします。
そればかりか、まず地獄に堕ちきるためにといって、
周囲からの罪の告白や懴悔を迫って責めたてて一種の精神的パニックをおこさせ、
その瞬間に今こそ救いが成立したといって喜ばせるなどする秘密の儀式を行ったりもします。
ここまできますと、さすがに正しい信心でないということは明らかなのですが、
これほど極端ではなくても、二種深信に前後関係をみるのは基本的に間違った見方であります。
これを、二種深信は前後起ではないといいます。

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・・・と、長々と

「真宗学」からみた「異安心の間違いの説明」

を抜き出してみましたが・・・

何を隠そう「れおんタン」は、

「仏教学」も「真宗学」も「くそテキトー」な
「一文不知の尼入道」ですので!!((←って無知を誇るなよ。。。(´・ω・`)ショボーン))

「そういう難しい学問」は、
ぜ~んぶ、すっ飛ばして!!(笑)

どこかに、もうちょっとわかりやすく「解説したおハナシ」はないのかなぁ・・・

「過去のご法話」を「ガサゴソと物色」してみたところ。。。

「2022年7月24日」の「埼玉恵日会」にて

都合よく「二種深信の質問」がありましたので、そちらもご紹介いたします。。。(*^。^*)ノ

 

で!! まぁ、そちらを読むと。。。

「自力心」では、あり得ない「まったく異なる視点の解説」

を聞かせていただくコトができ

「善導大師」の「二種深信」の「違う側面」が味わえマス!!(`・ω・´)ゞ

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【質問】

「二種深信」についてお尋ねします。
「他力の信心の内容」として「二種深信」というコトを聞きます。
「「二種深信」が立たないのは他力の信心ではない」と言われています。
「本願成就のお話」を人にすると「機の深信」が抜けている などと言われるコトもあります。
「本願成就のお話」を「法の深信」「機の深信」に「当てはめて」教えてください。

【それに対する回答】

「二種深信」というコトを最初に言ったのは「善導大師」です。

で、「他力の信心の内容として、二種深信というコトを聞きます。」と。

コレは・・・「宗教」では「信心を言わない宗教はない」し、
仏教の中でも「他力」でなくても「信心というコトは言う」のですが・・・
ココでいう「他力信心」とは「我々がいただく他力の信心を説明するコト」について、
それは「二種深信だ」というコトを言う。

だから「浄土教」もっと言えば「浄土真宗」もっと言えば「善導大師」は、
この「信心」というコトを「二種」で表した。

では「二種」とはどういうコトか・・・と言ったら、
一つには「法の深信」。二つには「機の深信」。それで「機法二種の深信」。

「法の深信」とは何か。「法の深信」とは、
「阿弥陀仏」は、一切衆生、生きとし生ける者を救おうと、願われ誓われて「法を成就」してくださった。
だから「救いの法を成就してくださった」と信ずるのが「法の深信」。

で、その「阿弥陀仏の法」は誰を救うがための法であったかと言ったら、
仏になるコトができない「仏になる縁のない者」。

コレを「善導大師の言葉」で言ったら、
「自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、
出離の縁あることなき身と信ず
これが「機の深信」というコト。

「出離の縁あることなき身と信ず」というコトは、
どんなに逆立ちしても、どんなコトやっても「仏になる道があり得ない者が私なんだ」というコト。
で、「阿弥陀仏」は「どうやっても仏になれない者」を仏にしようとお誓い下さって
「南無阿弥陀仏の法を成就」して下さった。コレが「法の深信」

コレが「機法二種の深信」というコト。

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・・・・・・・・・・・・・。

 ( ╹▽╹ ) えっ!?

 

コレの「何」が「どう」「スゴい」のか?

・・・って聞いちゃいますぅぅぅ???

 

 

( ^ω^)・・・。

 

 

ポイントは「次の2点」!! (`・ω・´)ゞ

「1つ目」は二種の深信」「信機信法との関係」を
」ではなく「」で説明している!

というコト。。。

「2つ目」は「機の深信」は「罪悪深重の私」ではない!

というコト。。。

 

まず1つ目。。。

二種の深信」「信機信法との関係」を
」ではなく「」で説明している!

・・・については、、、

「善導大師」の「二種深信」って言ったら、

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【観経疏「散善義」】

「深信」といふはすなわちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。
(機の深信)「一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。」
(法の深信)「二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。」

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って書いてあるんだから、フツーなら「コレに沿って」、

「機の深信」とは・・・それに対して「法の深信」は・・・。

ってな感じで「機から法に向かって」話しちゃうじゃん!!

でも「コレの向き」って、じつは、

「他力信心」とは「逆」なんだよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン

ってか、コレを「サラっと」「逆向きで説明しちゃう」あたりが、

「脈々と受け継がれる」「浄土真宗のご法義」を「正しく伝えてくださる先生」

・・・ってコトだと思います。。。(*^。^*)ノ

「れおん」はコレが、ピタリと「ハマって」、正直、聞いていて笑いました!!

「他力に出遇う」ってコトは、

つまるところ、こういうコトなんでしょうねぇ。。。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ

 

つぎ2つ目。。。

「機の深信」は「罪悪深重の私」ではない!

・・・については、

「機の深信」が抜けている
と、言っているヒトと「絶望的に噛み合わない」のがココ!!

なぜなら!!

「機の深信」は・・・
「罪悪生死の凡夫」ではなく
「出離の縁あることなし」だからさ!!

ってか、「善導大師」の「二種深信」って「原文が2つ」あってさ。。。

「機の深信の部分」のみを「ピックアップ」してみると・・・

【観経疏「散善義」】
「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず」
【往生礼讃「前序」】
「自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し」

・・・って、てコレを見るとさ。。。

【観経疏「散善義」】には「罪悪生死の凡夫」があるけれど、

【往生礼讃「前序」】の両方を見比べると「罪悪生死」がナイじゃない?

・・・ってコトはさ、、、

結論」は「迷いの世界から出られない自分」ってコトになるんじゃないの?

ってか、むしろ

「罪悪生死の凡夫」ってのは
「迷いの世界から出られない私」の「補足説明」

に見えるけれど・・・違うかな???

 

 

((続く。。。))


「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(5/13)【「機だのみ」根拠の「御文章」】

2023-11-21 05:05:05 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

・・・ってコトで、引き続き進めてまいります!! (*`・ω・)ゞビシッ!!

 


え~っと。。。前回までは、、、

「機責め教団」の「たのむ対象」が「いったい何」
になっているのか・・・について!!

「華X会前代表の著書」「今回依頼の会報誌」

「段落のタイトル」を抜粋して「全体の構成」を見てみた ところ

 

「弥陀」を一心一向にたのみたてまつりて」
が、
「我が機」のありさま」を一心一向にたのみたてまつりて」
に、
「完全にすり替わっていた」のですが。。。

 

・・・・・・・・・・・・・。

 

 

じつは。。。

 

この「華X会前代表」の「念仏のX叫X」をひととおり読んでみると。。。

「何をたのむのか?」については、、、

なんと!!!!

「蓮如上人」の「御文章」を根拠に挙げて

説明をしているんですよねぇ。。。

 


工エー=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)!?

 

((しかも、その解説が、、、なんか、なんというか・・・。( ꒪Д꒪)ヤバいっス…))

 

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ここ一つが、ハッキリと、変わり目のある教えです。
そこをぼやかすから、変わらぬ心を変えようという、大うぬぼれが働いてくる。
仏さまは廻向してくださるのだから、
私は、何もせんでもよいというのではない。

廻向に遇うと、私の心は、ひっくり返される。
ひっくり返すのは仏力だが、ひっくり返るのは私。
私の力では不可能だが、私がひっくり返らねば、お救いに遇えない。
話だけ聞いとっては駄目なの。

「今こそ、あきらかに知られたり。ヘェー、そうでございましたか」と、
まことの塊のお念仏さまが、私を完全に占領してくださる。
無条件降伏するのです。

「雑行雑修、自力の心を(私が)ふり捨てて、後生たすけたまえと弥陀をたのめ」
と、なんと短い言葉の中に、こんな御親切なお救いを、
ゴッソリと入れ込んでお示しくださったお言葉は、ほかにはないでしょう。

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・・・ってコトで。。。( ;∀;)ノ

もうコレ、、、「言及するのも面倒」なのですが。。。

 

 

「れおん」が言いたいコトは次の2点!!

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🔶「1点目」は、、、

まことの塊のお念仏さまが、私を完全に占領してくださる。
無条件降伏するのです。

について。。。

🔶「2点目」は、、、

私の力では不可能だが、私がひっくり返らねば、お救いに遇えない。
話だけ聞いとっては駄目なの。

「雑行雑修、自力の心をふり捨てて、後生たすけたまえと弥陀をたのめ」と、
なんと短い言葉の中に、こんな御親切なお救いを、
ゴッソリと入れ込んでお示しくださったお言葉は、ほかにはないでしょう。

について。。。

 


「上記2点」について、、、「面倒くさい」ながらも、

「れおん」の「昔の記事」を引っ張り出して説明すると

こんな感じになりますデス・・・ハイ・・・。(´・ω・`)ショボーン

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🔶まず「1点目」の、、、

まことの塊のお念仏さまが、私を完全に占領してくださる。
無条件降伏するのです。

については。。。

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これは以前、

「従わない」し「返事も要らない」 - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

(2022年7月31日更新)・・・のなかで。。。

以下、引用。。。】

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拝 啓

「弥陀の仰せに無条件に従う」のが「他力の信心だ」と説かれる「えら~い先生」

 

「弥陀の仰せに無条件降伏させる」その「支配欲」は「どなたの心」でしょうか?

 

((「仰せに従う」は「仰せのまま」で。。。))

((「本願召喚の勅命」は「逃げ場がない」とか「いつでもどこでも誰にでも届いている弥陀の本願力」とか。。。))

そ~んな感じで「れおん」は「他力信心」を味わっております。。。(*^。^*)ノ

なので。。。

((「弥陀の仰せ」に「無条件降伏」とか「無条件服従」だなんて、

スゴイ「支配欲のカタマリ」・・・。ฅฅ°́Д°̀))ギャァァァ))

「無分別智」の「南無阿弥陀仏」が、私たちの身体を通って、口から出てくると、

「命令系(分別智)」の「南無阿弥陀仏」に様変わりしてしまう。。。

「上下関系(分別智)」の「南無阿弥陀仏」に様変わりしてしまう。。。

じつは、、、それが「自力心」なんですよね。。。(´・ω・`)ショボーン

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・・・と申し上げたとおりです。。。(´・ω・`)ショボーン

 


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🔶そんでもって「2点目」の、、、

私の力では不可能だが、私がひっくり返らねば、お救いに遇えない。
話だけ聞いとっては駄目なの。

「雑行雑修、自力の心をふり捨てて、後生たすけたまえと弥陀をたのめ」と、
なんと短い言葉の中に、こんな御親切なお救いを、
ゴッソリと入れ込んでお示しくださったお言葉は、ほかにはないでしょう。

については。。。

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これは以前、

「御文章」の「そんな事情」までわかりません。(^▽^;) - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

(2021年9月9日更新)・・・のなかで。。。

以下、引用。。。】

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【2021年8月9日】の「神奈川県横須賀市 信誠寺 教行信証勉強会」の一部。。。

((「阿部信幾先生」が「現代語訳の御文章【機法一体章】」をご覧になって。。。))

チラっと見せてもらったんだけど。。。
「たのむ一念」の「たのむ」を、ぜんぶ「まかせる」「まかせる」って、
なんかこっち(我々)に「まかせる仕事」があるような書きぶりで、
「御文章」を現代語訳すれば、当然「そういう「訳」」にしかならないワケで。。。

【聖人一流章】の原文
「もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば」って、
「もろもろの雑行を投げ捨てよう」ってコトが「雑行」じゃん。。。(笑)

「雑行」の「雑」は「自力」のこと。。。

だから「雑行をなげすてること自体」が、もう「自力」でしょう?(笑)

 

そうしたら「この文章」は、おかしくないですか?

 

「額面通り」読んだら・・・。
「もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば」は、
(自力なんだから)救われないじゃん!(笑)

 

・・・というコトは、何を言っているのか?

 

あれは「たのむ一念」の内容を言葉にすると
(どうしても)「あーいうコト」になるんです。。。

 

それを「南無阿弥陀仏」と「御文章」を「セット」にして
「ご名号の前」で「御文章」を読むコトで!!

「(弥陀の)本願成就」「南無阿弥陀仏」の「おいわれ」を聞いたら」
「私の側」で「アレコレやって助かろう!」は「一切要らない!」
という話になっている。。。

 

だから。。。

「目の前」に「南無阿弥陀仏のご名号」があるうえで、
「もろもろの雑行雑修自力の心をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば」
・・・と「拝読する」コトは、
「(弥陀の)本願成就」を前にして、
「われわれが、これから何を持ちだす必要があるんですか?」

・・・というコト。。。

「ご名号」と「御文章」は「セット」なんです。。。
「御文章」だけ読むから、ワケがわからなくなるんです。。。

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・・・と申し上げたとおりです。。。(´・ω・`)ショボーン

 

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・・・ってコトで、

結論は以下のとおりです!! (`・ω・´)ゞ

 


🔶まず「1点目」の無条件降伏」は、、、

度が過ぎた弥陀擬人化」による
「自分の中」に「神仏(弥陀)が宿っている」

・・・かのような「自己暗示」。。。

((「弥陀同体のさとりを得る」を拗らせちゃった・・・かな???))

 

🔶「2点目」の「話だけ聞いとっては駄目」
  「雑行雑修、自力の心をふり捨てて、後生たすけたまえと弥陀をたのめ」
  「蓮如上人の御文章」を「機責め」の根拠にしている

 コトについては、、、

「雑行雑修、自力の心をふり捨てて」「額面通り」読んで!!

「わたし」がまず「雑行雑修、自力の心を(機責めで)ふり捨てて
(そのうえで)後生たすけたまえと弥陀をたのむ」・・・と、
「南無阿弥陀仏のご名号」を「ふり捨て」た「領解」。。。

((やっぱり「往生浄土の証拠」の「南無阿弥陀仏」が「遠く彼方」に「行っちゃって」いる。。。))

((・・・ってコトは、
結局は「努力するわたし(機のありさま)」に「酔っちゃっている」んだねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン))

 

 

 

・・・って、

それだから、こういうコトになるのかなぁ・・・

と、思ってみたりもします。。。(^▽^;)ノ

 

 

 

(´・ω・`)ショボーン

 

 

「自力心」はてごわいなぁ。。。(^▽^;)ノ

 

(  ´・ω・)━━(  ´・ω)━━ ( ー○ー ) =3 ハァ

 

 

((つづく・・・。))


「機責め教団へのツッコミ」と「仏法の結論」(4/13)【「タノム」の領解がなんか「ヘン」②】

2023-11-16 04:04:04 | 【親鸞会教義のここがヘン!】

・・・ってコトで、続きを再開いたします!! (`・ω・´)ゞ

 


本日は、、、

「機責め教団」の「たのむ対象」は「いったい何」になっているのか。。。

というコトについて「一番最初の記事」で出した

「華X会 前代表の著書」と「今回依頼の会報誌」の
「段落のタイトル」を抜粋して「全体の構成を見る!」

という「切り口」で進めていきたいと思います。。。(¯―¯٥)ノノ

 

 

 

ってコトで!

🔶まずは「華X会前代表の著書」から抜粋を。。。


え~と。。。

前にも書きましたが、この本って「最終ページ」が「236ページ」もあり、

「段落ごとのタイトルを拾う」だけでも「相当な量」になってしまうので。。。

「れおん」の「独断」と「偏見」で!!

下の「目次」の中から・・・

今回のテーマになっている「機責め」の主体にっている

🔶「罪悪観と無常観」の章

🔶「本のタイトル」と同じ「X仏のX叫X」の章

の「段落のタイトルを抜粋」してみたいと思います。。。(*^。^*)ノ

 


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それでは【「罪悪観」と「無常観」の章】から。。。

 


🔶 「この章」は全部で「21コ」の「タイトル」がありました。。。

1.求道の具体化 ((←って「求道」が、初っ端イキナリ「浄土真宗」じゃねーし!!ヾノ´-ω-`)アゥトアゥト))
2.仏法の入門
3.地獄に落ちるしかない
4.二つの人生観
5.地獄極楽の存在

6.善と悪について
7.仏道修行が善
8.罪福について
9.信と疑について
10.黒い心と暗い心
11.二つの心の関係

12.殺生について
13.心の中の表現
14.言葉から反省
15.刹那無常と一期無常
16.無常観の実際

17.なれを斬る
18.他人の死に転化する
19.敵の白刃を奪う
20.無常観・罪悪観を支えるもの
21.求道の具体的方法論 ((←って「最後」も「浄土真宗」じゃねーし!!(ノ-_-)ノ~┻━┻ちゃぶ台返し!)

 

 

・・・ってコトで!!

「すべての者」の「後生を救う」「阿弥陀仏の本願が成就」しました!!

じゃぁ、その「救われる対象」っていったい「どんな者」なの??

って、それを説いたのが「大無量寿経」の「下巻の部分」なんだよねぇ。。。(*^。^*)ノ

で!!

この「罪悪観と無常観」という章が、それに該当するのなら、

「阿弥陀仏のお救い」のお話が「まったくなかった」としても特段おかしくないんだけれど。。。

でもさ!!

「この章」は、、、全体の構成が!!

(わたしの)「求道の具体化」で始まって

(わたしの)「求道の具体的方法論」で終わってんだよ。。。

・・・ってコトはさ。。。言い換えれば!!

「わたしの求道」が「タノムの対象」なんだよ。。。

 

・・・って。。。

((「犯沢さん」、マジでシャレになんねーよ!! (;゚ロ゚ノ)ノ アウッ!!))

 

 

・・・・・・・・・・・。

 


本当はね。。。浄土真宗にはね。。。

「求道」って言葉はないんだよ。。。

【雑記(その16)】「求道」って言葉はないんだよ - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

【2021年9月17日更新】より抜粋。。。

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「他力本願」といいながら、なぜか「わたしの行為(求道)」で「救われちゃった」。。。

「わたしの行為(求道)」が「正因」の「条件付き」のご信心。。。

「わたしの行為(求道)」が「当てになる」「能力差」のあるご信心。。。

 


あれれ~? おじさ~ん! なんかヘンだよ~?

「凡夫の迷智は当てにならない」のに。。。

このヒト「自分の努力」で救われちゃったよ~。。。

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ま、まさか!!?

に、ニセモノ!!????

 

 

( ^ω^)・・・。

 

 

な~んてね。。。(^▽^;)ノ

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ハイ!!

気を取り直して、次に行きます!! ( ̄^ ̄)ゞビシッ

 

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おつぎは「本のタイトル」と同じ【X仏のX叫Xの章】っス!

 


🔶 こちらも全部で「21コ」の「タイトル」がありました。。。

1.仏法に明日はなし
2.自分の死
3.鬼との問答 ((←この段落から7.まで、釈尊の過去世物語「求法太子」のお話が続きます。。。))
4.朝に道を聞かば ((←これって、たしか「孔子の言葉」だよね。。。(^▽^;)ノ))
5.今越えるのだ

6.人にも伝えたいこの喜び
7.高らかな叫び ((←ここまでが「求法太子」のお話。。。「親鸞会」でもよく聞かされましたね。。。(^▽^;)ノ))
8.魂の道しるべ ((←「親鸞会」も「華X会」も「魂」をモンダイにしています。。。(´・ω・`)ショボーン))
9.遠くを探すのではない
10.独生独死の人生
11.先手の南無阿弥陀仏 ((←「法の話」かと思いきや「求法太子」のお話の「鬼(機)」の説明です。。。(¯―¯٥)ノノ))

12.「私」一人に聞く
13.地獄行きの種つくり
14.共食いの生活
15.非常なる喜び ((←「救われた喜び」らしいけれど、コレ「親鸞会」でも聞いた「懺悔を伴った狂喜乱舞」なんだよなぁ。。。(¯―¯٥)ノノ))
16.呼び声の出場所 ((←????))
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((「本文を引用」すると
「悪業煩悩のわたしの(腹)底」から「汚い口をこじあけて」
 「ナンマンダブ」と「飛び出してくださる」
・この堕地獄の「罪造りの五体」の中から「噴火山の大爆発」のように、
 止めようとしても止まらない「大願業力が吹き出してくださる」
だそうで。。。((((;゚Д゚))))ガクブル))

って、ソレ、いったい何の「ホラー映画」だよ!??

マジで「コワい」っつーの!! ฅฅ°́Д°̀))ギャァァァ

17.何が不足か! ((←ってか「南無阿弥陀仏」の他に何の不足があるのよ?逆にコッチが聞きたいわ。。。))
18.いいものを探すな ((←「命令系」。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))
19.現世信仰を恥じよ ((←コレも「命令系」。。。(ー∀ー;)ズガーン))
20.仏敵は自分だ ((←いったい何と戦っているのよ?(´・ω・`)ショボーン))
21.業魂の底からの呼び声 ((←「魂」やら「業魂の底」やら、いちいち言うコトが「コワい」んだってば!!))

 

 

・・・ってか、コレ。。。

そもそも・・・

「記事のサブタイトル」の「趣旨」
「「タノムたすけたまへ」の「領解」云々・・・」

・・・の前に。。。

完全な「オカルト信心」やん。。。((((;゚Д゚))))ガクブル

 

((ってか、色々「情報量多すぎ」な「まるこ」に、コッチもビックリだよ!! <(゚ロ゚;)>ノォオオオオオ!!))

 

そもそも、コレって。。。

ココまで来ると「浄土真宗ではない」よなぁ~と。。。(ー∀ー;)

まぁ、なんつーか、

「機責め」で「精神を錯乱状態」にした「ヒステリック信心」

の「たぐい」なんだよなぁ~と。。。((((_ _|||))))

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・・・ってコトで!!

 

「合理的な性格」の「れおんタン」は、

「オカルト信仰」に触れると「非常に気が滅入る」

ので、これ以上は言及せず、サッサと次に進みま~~~す。。。(¯―¯٥)ノノ

 

 

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🔶おつぎは「今回依頼の会報誌」です。。。

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・・・って!!

本当はコッチが「本題だった!!」のですが。。。

「上段」の「華X会」の本「念仏のX叫X」が「キョーレツ」すぎて・・・

おそらく・・・「コッチの内容」が「霞んでしまう」かもしれません。。。(´・ω・`)ショボーン

 

ゴメンナサイ。。。( ;∀;)ノ

 

 

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【「誌上法話」「聞き心が払われる」

 


🔶 ってコトで、コチラは全部で「16コ」の「タイトル」がありました。。。

1.「妙好人物種吉兵衛」 ((←まずは「例話」で使う「和泉の吉兵衛」さんの紹介です。。。))

 


2.私は死んでいけませぬ ←「わたし(機)のありさま」
3.聞き心が払われた ←「わたし(機)のありさま」
4.獲信しようとはからう心 ←「わたし(機)のありさま」

 


5.南無阿弥陀仏がとどろきわたる ←「信後の味わい」
6.自力で自力は廃らない ←「教義内容」かと思いきや内容は「わたし(機)のありさま」
7.獲信したいのあさましさ ←「わたし(機)のありさま」

 


8.聞きにかかるような偉い者 ←「わたし(機)のありさま」
9.思える思えぬに用事なし ←「信後の味わい」かと思いきや内容は「わたし(機)のありさま」

 


10.三つの心 ←「教義内容」かと思いきや内容は「わたし(機)のありさま」
11.我が方は何にもならぬ、間に合わなんだ ←「わたし(機)のありさま」
12.ポキンと折れました ←「わたし(機)のありさま」
13.この爺は知りませんが ←「吉兵衛さんの例話解説」かと思いきや内容は「わたし(機)のありさま」

 


14.我が心に見切りをつける ←「わたし(機)のありさま」
15.御主人様は死んでいた ←「吉兵衛さんの例話解説」かと思いきや内容は「わたし(機)のありさま」

 


16.独生独死 ←「わたし(機)のありさま」

 

 

・・・・・・・・・・・・・。

 

 

・・・って。。。

「誌上法話」「全13ページ」を使って!!

「文字数約13,000字」を使って!!

「原稿用紙約32~3枚」を使って!!

「最初から最後まで」

「機のありさま」を問題にして「高みから𠮟りつけて」

「あさましい」「あさましい」「あさましい」

の連呼って。。。

「すべての者」の「後生を救う」

「阿弥陀如来」はどこへ行ったぁぁぁ~!!

 

 

「蓮如上人」「御文章」の・・・

「阿弥陀如来」をたのみ(後生は弥陀の受け持ち)

が、完全に!!

「わたし(機)のありさま」をたのみ

になってんじゃん!! (°∇°;)ノノ 

 


そんでもって!!

「サイコーにおかしい」のが、この「誌上法話」のタイトルよ。。。

「聞き心が払われる」・・・って!!

本当に弥陀のお救いに出遇ったヒトなら、

まずコレをタイトルになんかしないよ 。。。(´・ω・`)ショボーン

 


この「聞き心が払われる」ってさ。。。

「機責め説法」特有の!!

みんなで寄ってたかって「心を萎縮させて」「さらに萎縮させて」・・・。

あるとき「緩めて開放した」ときに起こる、

「開放感」「喜び」や「楽しみ」に変化したー!!

・・・ってだけの「ただの自己暗示」。。。

そ~んな「安直な人工信心」なんだ。。。( ;∀;)ノ

それだから!!

「救われた」「一番最初」の「味わい」が!!

(やれやれ、やっと)「聞き心が払われる」

・・・になるんだよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

 

まぁ、そういうカラクリなのさ。。。

 

・・・ってコトで、

以上ですが、、、おわかりいただけたでしょうか??? (^▽^;)ノ

 


次回は。。。

「機責め教団」が

「機のありさま」を問題とする「お聖教の根拠」

をテーマに「のたりくたり」と書いていこうかと思います。。。

 

 

((つづく・・・。))