え~っと。。。
ココからは「2話」にわたって、
「華X会」と「親鸞会」の「双方」の「信後の味わい」
をすこし取り上げておくと。。。
どうやら「他力信心をいただく」には、、、
「無常」の「わが身」を「取り詰め」て!!
「罪悪」の「わが身」を「懺悔する」コト!!
が「必須条件」で!! ((←「無条件の救い」はどこへやら。。。(ー∀ー;)||| ))
「弥陀のお救い」に「出遇った後」は、
死ぬまで「延々」と「罪悪を懺悔し続ける生活」を送る!!
ようであります。。。(¯―¯٥)ノノ
(( それって・・・なんだか、ゼンゼン楽しくない「他力の世界」だね。。。(lll-ω-)ズーン))
・・・って、何度も言うけれど。。。「れおん」は。。。
「弥陀のお救い」は「無条件」で「そのままのお救い」。。。(*´∇`*)ノ
「仏願の生起本末」を聞いたら「わたしのはからい」に用事がない。。。(*・∀-)☆
「弥陀のお救い」に出遇ったなら。。。
「死生観」が「大転換」。。。
「生」と「死」がドッキング。。。
「後生安心」だから「今が安心」。。。
「死ぬ問題が解決」したら。。。
「生きる問題」が同時に解決!!
「御恩報謝」のお念仏。。。
「すべて」に生かされ生きる日々 ♬ヾ(*´∀`*)ノ
・・・ってワリと「くどい」くらい言っているけれど。。。
それでも、やっぱり。。。
「どう聞いたら」「どうしたら」。。。
「あ~したら」「こ~したら」。。。
「わたしの罪悪」が「深く知らされた」なら。。。
「わたしが死ぬ現実」が取り詰まって「精神的に追い詰められた」なら。。。
「一人でも多くのヒト」を「高森先生まします富山の「二千畳」にお連れした」なら。。。
「一円でも多くの財施」を「真実開顕に使って高森先生のお役に立てた」なら。。。
そうしたら「わたしの「求道(信仰)」が進んで、そのうちに・・・
「高森センセ~~~ぃ!!」
「私は、もう、一歩も進めませ~~~ん!!」
( ^ω^)・・・。
・・・な~んて
「浄土真宗親鸞会」の
「弁論大会の壇上」で絶叫!
するような状況に立たされて。。。(笑)
ついには。。。
「韋提希夫人」の「三品の懺悔」と同じ境地 になって、
「血の涙」を流す懺悔 をしながら「信心決定する」
みたいな。。。(笑)
そういう「心の道程」を「想い描くヒト」が多いようです。。。(´・ω・`)ショボーン
で!!「上述」は「親鸞会」で聞かされてきたコトだけれども。。。
「下記」に引用した「華X会」の「前代表の本」もやっぱり「親鸞会」と似たようなモノで。。。
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「X仏のX叫X」
・・・の「105ページ」には。。。
「人間に生まれて、あさましさ、無慚無愧、自己中心の塊、ええかっこうばかりしていたなあと、
はじめて知らせてもらう。「まこと」の前に「無条件降伏」させてもらうしかありません。
そのことを親鸞さまは、法然さまとの出遇いで知らされた。法然さまは、善導大師のお書物でお遇いになった。」
((ってコレ・・・。「親鸞会制作」「アニメ世界の光親鸞聖人第一部」の「獲信の場面」と同じでさ。。。))
((結局は、どちらも「同じ機責め」の「姉妹教団」なんだよね~。。。(´・ω・`)ショボーン))
「(南無阿弥陀仏の)至徳の尊号が、ボーンと私の心に届いてきたら、
「こんな私を信じてくださったとは、なんともったいないことか。よう信じてくださいました。
私は、信じる心どころか、疑いの塊でございました。仏敵の私は、仏さまの血潮を吸いつくして、
仏さまを地獄に蹴落としても平気なやつ。仏さまを踏み台にして、極楽行きのキップ、
信心を手に入れようとしていた、大うつけ者でございましたーーー!!
その私のためのご本願でございましたーーー!!
人ごとと思って聞いていましたのに、お目当ては、こんな私でございましたか」と、
下がらん頭が、下げんならんようになる。
称えたくない念仏が、口をついて「南無阿弥陀仏」と言わんならんようになってくる。」
((「大うつけ者でございましたーーー!!その私のためのご本願でございましたーーー!!」は、おそらく「彼らの信後」。。。))
((このヒトたちの「救われた後」は、ず~~~っと
「阿弥陀様~~~ぁ!! 済みませなんだ~~~ぁ!!」っつー「寸劇」を死ぬまでやる
んだよねぇ。。。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン))
((それって、考えただけでも「ゾッとする」だろ。。。((((;゚Д゚))))ガクブル))
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・・・ってな感じで、
「「弥陀」を一心一向にたのみたてまつりて」
・・・と「御文章」を拝読していても、
「「我が機」のありさま」を一心一向にたのみたてまつりて」
「後生の一大事」を解決しよう!! ٩( ๑•̀o•́๑ )وムオー!
という「想い」から「離れられないヒト」が多いように思います。。。(^▽^;)ノ
( ^ω^)・・・。
まぁ、なんつーか、
コッチの方が「分別智」の「凡夫の脳」には「しっくりくる」し。。。
逆に「無分別智」の「仏さまの智慧」の、
「はからいは要らない♡」とか「そのままのお助け♡」ってのは、
そういう話を聞いても、
「なら、ど~すりゃイイんだよ!」って「思考停止」しちゃうもんね。。。(^▽^;)ノ
ってコトで、 それだから。。。
【仏願の生起本末のお話を聞く】【お聴聞】
【弥陀の本願成就のお話を聞く】【お聴聞】
が大事になってくるんですよねぇ。。。(*^。^*)ノ
・・・とは言っても。。。
ココでも、や~っぱり「問題アリ」!!なのですが。。。
「仏願の生起本末」を説きながら【私の努力が役に立つ話】
「仏願の生起本末」を説きながら【罪悪を取り詰めて救われる話】
「仏願の生起本末」を説きながら【三願転入で救われる話】
・・・をされちゃうとさ。。。
それだと、どこまで聞いても「他力」に出遇えないんですよねぇ。。。( ;∀;)ノ
以前、「れおん」は。。。
獲信までの道のり(番外編) - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)
(2021年5月26日更新)にも書きましたが。。。
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阿部先生は、常に「私の自力心が廃る」お話をされています。。。
逆に、阿弥陀様のみ心を、正しく話していない先生は、常に「私の自力心を募らせる」お話をされますが、
実は、それだとダメなんです。。。
「自力心を募らせる」お話を聞きながら「機の深信」を探したらどうなるのか?…というと…。
「出離の縁のない私」ではなく、頑張っても頑張っても、
ぜんぜん掘り下げられない「罪悪深重の私」をひたすら探し求めていたと思います。。。
…ということで「自力心を募らせるお話」ではなく
「自力心がなくなるお話」を聞くことがとても重要 です。。。
阿部先生は「助からない「機」」のお話ではなく常に「必ず助ける「法」」のお話をされます。。。
「必ず助ける弥陀がいるから、私のはからい(自分の心を見つめること)は要らないよ。」というお話をされます。。。
「自分の心(機)」を問題にするお話はされません。。。
「阿弥陀仏の本願が成就したかどうか」を問題にします。。。
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コレは・・・
「すでに」「十方衆生の後生」を救う「弥陀」が
「お念仏」となって「この世界に届いている」から
「弥陀の本願成就」を聞いて「他力に出遇う」。。。( ꈍᴗꈍ)ノ♡
言い換えれば・・・
「弥陀の本願成就」を聞いたら「自力心に用事がない」。。。( ꈍᴗꈍ)ノ♡
それは・・・
「わたしが法を聞いて」「後生助かる」のではなく
「後生助かる法」が「いつでも」「どこでも」「誰にでも」
「聞くより先に届けられている」から
それを「聞いたら」「わたしのはからいに用事がない」。。。
そのコトを・・・
「他力に出遇う」とか「他力信心をいただく」と言う
んですよねぇ。。。v(*´罒`*) v ニヒヒヒヒ~♪
ってコトで!!
「上述」を踏まえたうえで「今回依頼の会報誌」は、
「自力心を募らせるお話」なのか?
「自力心がなくなるお話」なのか?
ソコは、いったいどうなっているのか?
・・・を見てみると。。。(´・ω・`)ショボーン
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・・・「会報誌」の「6ページ」には。。。
【サブタイトル】「自力で自力は廃らない」
・・・という「段落」あって、それを引用してみると。。。
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「華X会」でもよく言われますね、
「自分の心の変化を追うのをやめて、阿弥陀さまの方を見なさい」
と。ほんと、その通りなんです。
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・・・と
「いちおう」は「弥陀をたのむ」ように言っている のですが!!
この後が「大モンダイ」でさ・・・。(´・ω・`)ショボーン
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でも、そう言われたからとて、「わかりました。じゃ、やめます」というような調子で止めれるもんじゃない。
そもそも「自分の心の変化を追うような心を捨てる」ことにしたって、自力で捨てるのだったら、
今度は「本当に捨てたのかな」というところが気になってくる。
「あ!こんなことが気になること自体、まだ捨てきってない証拠じゃないか」と気づいても、もう遅いですね。
((・・・と、だんだん「雲行き」が怪しくなって「阿弥陀様」が隅っこに追いやられて。。。(-ω-;)))
ほんとに自力じゃにっちもさっちもいかない。他力によって捨てさせられるのでなきゃいかん。
そう聞くと「じゃ、その他力によって捨てさせられるためにはどうすりゃいいんじゃ?」
という心が出てくるでしょ。それが自力の心。もう取りつく島もない。つらいところです。
((・・・と、「自力心を焚きつけ」「罪悪を煽る」フレーズがでてきて。。。∑( ̄◇ ̄|||)!))
「そうやって、いつも最後の肝心のところで、おいてきぼりになるじゃねーか」
と恨みに思っている求道者がきっとおいででしょう。
ホラ、ちゃーんと仏敵じゃないですか。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))
((・・・って、坊さん! その「悪趣味な煽り」は「アナタの性癖」っスかねー??? ( ̄▽ ̄;)ノ))
自分の獲信のためなら先生をも殺し、お釈迦様も殺す。
その自分の獲信は何のためかというに、決して成仏して衆生を済度するためではない。
これで地獄に落ちずに済むという結構な身になりたいからでしょ。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))
後生に大手を振って出ていける、万歳!
という「絶対の幸福」を獲得したいからでしょ。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))
そのために早く獲信したい、獲信させてくれ、はよ信心よこしてくれ、というわけでしょ。((←ψ(`∇´)ψ ウヒャヒャ♪))
((「悪趣味」な「嬲り殺しMAX」というわけでしょ。(笑)))
((そして「絶対の幸福」は「親鸞会」だけじゃなかった!!!!(笑)ꉂ л̵ʱªʱªʱª (ᕑᗢूᓫ∗)˒˒爆笑!!!))
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・・・っつー、
「たすける弥陀」を投げ捨てた「捨身の機責め」
で、この章がおわり、、、
次の【サブタイトル】の「獲信したいのあさましさ」
その次の【サブタイトル】の「聞きにかかるような偉い者」
・・・と、
延々と「機責め」を「これでもかー!!」と繰り返し。。。
この「機責め」はどこまで続くのかなぁ。。。
・・・と、最後まで読んでみると。。。
( ^ω^)・・・。
( ^ω^)・・・。
( ^ω^)・・・。
な、なんと!!!!
「会報誌最後」の「13ページ目」
まで続きましたとさ!! Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
って、それ・・・
シーー( ̄、 ̄*)ーーン・・・。
((「機責め」は続く~よ~♪ ど~こま~で~も~♪))
((野を越え、山越~え~♪ 「死~も越え」て~♪))
・・・・・・・・・・・。
「生と死」ってのは「紙」の「表と裏」だからさ。。。
このヒトたちの「教義」でいくと、「救われた先」も延々と・・・
「機責めと懺悔のよくばりセット」!?
・・・ってコトはさ、((素朴なギモンなんだけれど・・・))
そのまま「後生も苦」で「今生も苦」!!
ってコトになる・・・んじゃないのかなぁ~。。。(-ω-;)
((・・・と、思うんだけれど・・・。(´・ω・`)ショボーン))
誰もギモンに思わないのかな???
それとも、何か違うかのかな???
もしかして「機責めが快感♡」なのかな???
それとも「れおん」がオカシイのかな???