(( 政治ネタより個人の記録に集中しなければ...))
小学校4年のときに、市営団地の入居権が当たった。
いまで云うニュータウンみたいなものだ。近くには始めての汚水処理場が建設され全戸水洗トイレなのだ。
私の住宅は2階屋棟で一階の居間と2階に二部屋の標準仕様で一棟には六戸ほどが連なっていた。
各戸には奥行き5mほどの庭があり、花壇にしたり子供の遊び場にしていた。
それだけではない。
玄関前の2m幅ほどの部分は隣との行き来に使う通路にして砂利が敷かれており、さらにその先の道路に至るまでの4~5mほどのあいだには物置小屋と空きスペースが並んでいた。
車を持つ人には駐車場にもなるのだ。 一戸に割り当てられたスペースはとても広かった。
団地への転居は、私にとって始めての「引っ越し」であり始めての「転校」であった。
小学校への通学は、
アパート住まいの時は 小学校敷地を取り巻く幅1m強ほどのどぶ川を飛び越えれば3分以内で教室に飛び込めたが、転校後は市街地にある小学校までバスで行かなければならない。
たんぼの中の道路を歩き、SLの走る線路を渡って国道へ出ると10棟ほどの平屋造りの初期の団地があり、その中ほどにバス停があった。
線路に沿って用水路が流れ、踏切横が私の釣りの遊び場だった。
踏切には遮断機は無く、線路を隔てる柵もない。
天気の良い夏の日は学校が終わるとすぐに釣りに行き、すぐそばをSLが走るので間近に見て遊んでいた。
線路に柵が無いのは、
例えば線路を歩いて居ても、汽車が来れば線路から離れて汽車をやり過ごせば良いだけだ。とういうのが当時の共通の世間常識である。
事故が起これば 線路を歩いて避けなかった者が悪いだけだ。(自己責任感覚が当然だった)
だから線路では自殺者や踏切で足が抜けなくなっての事故以外、線路を歩いての事故はほとんど無かったはずだ。
(続く)
小学校4年のときに、市営団地の入居権が当たった。
いまで云うニュータウンみたいなものだ。近くには始めての汚水処理場が建設され全戸水洗トイレなのだ。
私の住宅は2階屋棟で一階の居間と2階に二部屋の標準仕様で一棟には六戸ほどが連なっていた。
各戸には奥行き5mほどの庭があり、花壇にしたり子供の遊び場にしていた。
それだけではない。
玄関前の2m幅ほどの部分は隣との行き来に使う通路にして砂利が敷かれており、さらにその先の道路に至るまでの4~5mほどのあいだには物置小屋と空きスペースが並んでいた。
車を持つ人には駐車場にもなるのだ。 一戸に割り当てられたスペースはとても広かった。
団地への転居は、私にとって始めての「引っ越し」であり始めての「転校」であった。
小学校への通学は、
アパート住まいの時は 小学校敷地を取り巻く幅1m強ほどのどぶ川を飛び越えれば3分以内で教室に飛び込めたが、転校後は市街地にある小学校までバスで行かなければならない。
たんぼの中の道路を歩き、SLの走る線路を渡って国道へ出ると10棟ほどの平屋造りの初期の団地があり、その中ほどにバス停があった。
線路に沿って用水路が流れ、踏切横が私の釣りの遊び場だった。
踏切には遮断機は無く、線路を隔てる柵もない。
天気の良い夏の日は学校が終わるとすぐに釣りに行き、すぐそばをSLが走るので間近に見て遊んでいた。
線路に柵が無いのは、
例えば線路を歩いて居ても、汽車が来れば線路から離れて汽車をやり過ごせば良いだけだ。とういうのが当時の共通の世間常識である。
事故が起これば 線路を歩いて避けなかった者が悪いだけだ。(自己責任感覚が当然だった)
だから線路では自殺者や踏切で足が抜けなくなっての事故以外、線路を歩いての事故はほとんど無かったはずだ。
(続く)