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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

ジョージィの住環境と略歴(3)

2006年08月25日 20時21分26秒 | Weblog
(( 政治ネタより個人の記録に集中しなければ...))

小学校4年のときに、市営団地の入居権が当たった。
いまで云うニュータウンみたいなものだ。近くには始めての汚水処理場が建設され全戸水洗トイレなのだ。
私の住宅は2階屋棟で一階の居間と2階に二部屋の標準仕様で一棟には六戸ほどが連なっていた。
各戸には奥行き5mほどの庭があり、花壇にしたり子供の遊び場にしていた。
それだけではない。
玄関前の2m幅ほどの部分は隣との行き来に使う通路にして砂利が敷かれており、さらにその先の道路に至るまでの4~5mほどのあいだには物置小屋と空きスペースが並んでいた。
車を持つ人には駐車場にもなるのだ。 一戸に割り当てられたスペースはとても広かった。

団地への転居は、私にとって始めての「引っ越し」であり始めての「転校」であった。
小学校への通学は、
アパート住まいの時は 小学校敷地を取り巻く幅1m強ほどのどぶ川を飛び越えれば3分以内で教室に飛び込めたが、転校後は市街地にある小学校までバスで行かなければならない。
たんぼの中の道路を歩き、SLの走る線路を渡って国道へ出ると10棟ほどの平屋造りの初期の団地があり、その中ほどにバス停があった。

線路に沿って用水路が流れ、踏切横が私の釣りの遊び場だった。
踏切には遮断機は無く、線路を隔てる柵もない。
天気の良い夏の日は学校が終わるとすぐに釣りに行き、すぐそばをSLが走るので間近に見て遊んでいた。
線路に柵が無いのは、
例えば線路を歩いて居ても、汽車が来れば線路から離れて汽車をやり過ごせば良いだけだ。とういうのが当時の共通の世間常識である。
事故が起これば 線路を歩いて避けなかった者が悪いだけだ。(自己責任感覚が当然だった)
だから線路では自殺者や踏切で足が抜けなくなっての事故以外、線路を歩いての事故はほとんど無かったはずだ。

(続く)

ポスト小泉、改革路線継承の愚

2006年08月25日 17時10分53秒 | 格差社会と政治
安倍氏は次期総裁候補として「靖国参拝」を含め、小泉改革路線の継承を表明している。
自民党内には若手議員を中心に安倍氏を応援している模様である。

若手と言っても団塊ジュニア世代のような実年齢の若さなのか、議員経験の浅さ(若さ)なのかは私自身もはっきり判らない。
しかし、靖国参拝支持者が国民の若年齢層に最も多いことを考えれば、若者の共感を得やすい団塊ジュニア層の議員が票採りには優位と考えても不思議ではない。

靖国神社を冷静に考える (Blog.Yahoo) と、
近隣諸国からの批判を浴びている靖国参拝は、若者達に対して強国日本を象徴するには都合がよく、多くの批判を受けても強引に突き進む姿はヒーローそのものに映るのであろう。

しかし、
昨年の郵政解散となった衆院選挙では、郵政民営化の反対票が半数を超えており、自民党圧勝後の小泉政権下では、年金支給額の減額、介護保険料の増額、年金世帯の大増税などが行われ、弱者をより弱者に、強者をより強者にと 不公正な格差社会を政府主導で推進してきたのが小泉改革である。

小泉改革の総決算期である今年、
民営化された(元)道路公団が発表した収支は大幅黒字。
加えて、
年金や社会保険等までが 黒字計上 だと発表された。
(ただし来年(2007年)は赤字見通しというコメント付きでの発表である。)
現在はやりの 粉飾決算 ではないのかと思っている。

氷山の一角(勝ち組)になりたいと望む若者や、自分に都合良く政治を動かしてきた財界大企業。
反して、政治によって弱者に仕立て上げられた多くの底辺層。

改革と名付けた 財閥復活などの勝ち組に優位な日本の戦前スタイルへの復古が現実だ。

戦後、財閥解体と合わせて得た 国民の選挙権と民主主義。
改革路線の継承は、戦前戦中と同様に一般国民から選挙権を剥奪でもしなければ、政治生命を危険にさらすかも知れない。