湯島聖堂

概要
東京都文京区湯島一丁目にある史跡です。
江戸時代の元禄3年(1960年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって造営された、孔子廟です。
後に幕府直轄の学問所となりました。

・孔子廟、神農廟と昌平坂学問所跡・現在地 東京都文京区湯島一丁目4番25号・敷地面積 13,915㎡・国の史跡指定 大正11年(1922)3月8日・所管 国有財産 文化庁・東京都教育員会・文京区教育委員会・管理者 公益財団法人 斯文会(しぶんかい)■湯島聖堂と孔子孔子は、2500年ほど前、中国の魯の昌平郷(現山東省済寧市曲阜市)に生まれた人で、その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた。儒教に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、元禄3年(1690)この地に「湯島聖堂」と創建、孔子を祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら『論語』の講釈を行うなど学問を奨励した。■昌平坂学問所跡寛政9年(1797)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築して、孔子の生まれた地名をとって「昌平坂学問所」(昌平黌ともいう)を開いた。学問所は、明治維新(1868年)に至るまでの70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たした。学問所教官としては、柴野栗山、岡田寒泉、尾藤二洲、古賀精里、佐藤一齋、安積艮齋、鹽谷宕陰、安井息軒、芳野金陵らがおり、このうち佐藤一齋、安積艮齋らはこの地が終焉の地となっている。■近代教育発祥の地明治維新により聖堂は新政府の所管となり、明治4年(1871)に文部省が置かれたほか、国立博物館(現東京国立博物館・国立科学博物館)、師範学校(現筑波大学)、女子師範学校(現お茶の水女子大学)、初の図書館「書籍館」(現国立国会図書館)などが置かれ、近代教育発祥の地となった。■現在の湯島聖堂もとの聖堂は、4回の江戸大火に遭ってその都度再建を繰り返すも、大正12年(1923)関東大震災で焼失した。その後「假聖堂」を営み、昭和10年(1935)鉄筋コンクリート造で寛政の旧に依って再建され、今日に至っている。入徳門は宝永元年(1704)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっている。掲示板より引用
大成殿

西回廊

入徳門


水屋

杏壇門

最後に
江戸の史跡を巡ると、よく徳川綱吉によって作られたものに出会います。
生類憐みの令を行なったことにより、あまり良いイメージを持たれていない綱吉ですが、
湯島聖堂を創建したり、後々の学問や文化に良い影響を数多く残しています。
彼がいなかったら、江戸の文化は花開かなかったかもしれませんね。
参考
Wikipedia