日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 四十二
・吉野への行幸
冬十月八日、
山田史御形(やまだのふびとみかた)に
務廣肆を授けました。
前に沙門となり、
新羅で學問をおさめました。
十二日、
吉野宮に幸しました。
十九日、
車駕(しゃが)が宮に還りました。
十一月八日、
新羅が、
級飡(きゅうさん)の
朴億徳(ぼくよくとく)、
金深薩(きんしんさち)等を遣わして、
調(みつき)を進めました。
遣新羅使(けんしらぎし)に
擬(なぞら)えた、
直廣肆の
息長真人老(おきながのまひとおゆ)、
務大弐の
川内忌寸連(かふちのいみきつら)等に
祿を賜りましたが、各々差がありました。
十一日、
新羅の朴憶德を難波館で
饗祿(きょうろく)をしました。
十二月十四日、
音博士(おんはかせ)の
続守言(しょくしゅげん)、
薩弘恪(さつこうかく)に、
水田を賜りました。人ごとに四町。
二十四日、
大夫等を遣わして、
新羅の調(みつき)を、
伊勢、住吉、紀伊、
大倭、菟名足(うなたり)
の五社に奉りました。
・車駕(しゃが)
1 くるま。乗り物。 · 2 天子が行幸の際に乗るくるま。 · 3 天子の敬称
・級飡(きゅうさん)
新羅の官位のひとつ
・遣新羅使(けんしらぎし)
奈良時代、朝鮮半島の新羅の国に、中央政府から国交のために派遣された使者
・饗祿(きょうろく)
饗応して、祿の物を賜ること。また、その物
・音博士(おんはかせ/こえのはかせ)
日本の律令制において置かれた博士の1つ。大学寮に属して、明経道の学生に経書の白読(中国語(漢音)による音読)を教えた
・菟名足(うなたり)
現在の奈良県奈良市法華町にある宇奈多理坐高御魂神社
(感想)
(持統天皇6年)
冬10月8日、
山田史御形に務広肆を授けました。
以前に沙門となり、
新羅で学問をおさめました。
12日、
吉野宮に行幸しました。
19日、
車駕が宮に還りました。
11月8日、
新羅が、
級飡の朴億徳、金深薩らを派遣して、
調(みつき)を献上しました。
遣新羅使に擬えた、
直広肆の息長真人老、
務大弐の川内忌寸連らに、
祿を与えましたが、
各々差がありました。
11日、
新羅の朴憶德を難波館で
饗応して、祿物を与えました。
12月14日、
音博士の続守言、薩弘恪に、
水田を与えました。
人ごとに四町。
24日、
大夫等を派遣して、
新羅の調(みつき)を
伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の
五社に奉りました。
明日に続きます。
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