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リートリンの覚書

参拝日記・増上寺


増上寺
(ぞうじょうじ)

 

概要


増上寺は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の寺院です。

浄土宗の七大本山の一つです。

将軍徳川家の菩提寺です。


本尊


阿弥陀如来


創建


明徳4年
(1393年)


正式名


三縁山広度院増上寺
(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)


略縁起


9世紀、空海の弟子・宗叡(しゅうえい)が武蔵国貝塚(現・千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身と言われています。

室町時代の明徳4年(1393年)に、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めました。

貝塚から、一時、日比谷に移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)に徳川家康により、現在地の芝へ移されました。

風水的に江戸の鬼門に寛永寺を配し、裏鬼門である芝に増上寺を移したと考えられています。
 
増上寺掲示板

増上寺
沿革
浄土宗の七大本山の一つ。三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)が正式の呼称です。
開山は明徳四年(一三九三年)、浄土宗第八祖 酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建され、慶長三年(一五九八年)に現在の地に移転しました。
文明二年(一四七〇年)には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与し大きく発展してきてました。
江戸時代初期、増上寺法主十二世 源誉存応上人、後の「観智国師」は徳川家康公から深く帰依を受け、手厚い保護もあり増上寺は大隆盛へと向かって行きました。
徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆し、浄土宗の統制機関となりました。
その大きさは、寺領一万石余、二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が修学する大寺院でした。
現在でも浄土宗大本山として格式を保ち、宗教活動の他文化活動にも幅広く行われ、建造物、古文書、経典など多数の重要文化財を保管しています。
掲示板より引用
 

境内


大殿本堂

 
安国殿

 
三解脱門(三門)



大門

 


住所

東京都港区芝公園4-7-35

アクセス


都営地下鉄三田線
御成門駅・芝公園駅
徒歩3分

都営地下鉄浅草線・大江戸線
大門駅
徒歩5分

JR京浜東北線・山手線・東京モノレール
浜松町駅
徒歩10分

都営地下鉄大江戸線
赤羽橋駅
徒歩7分

東京メトロ日比谷線
神谷町駅
徒歩10分



最後に

東京タワーより増上寺を撮影してみました。
境内の広さがよくわかります。



参考
Wikipedia



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