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魔女っ子くろちゃんの映画鑑賞記録

映画大好き!わがまま管理人の私的な映画鑑賞記録です。名作・凡作関係なく、好き好き度★★★★★が最高。

プルートで朝食を

2007年05月21日 | 
★★★☆
監督:ニール・ジョーダン
主演:キリアン・マーフィー、リーアム・ニースン、バーティ・ヴォーン
2005年 アイルランド・英

 アイルランドの田舎町。パトリックは赤ん坊の時、実の母に教会の前に捨てられた。
彼を見つけた神父はパトリックを近所のおばさんに預け、影でその成長を見守っていた。
 パトリックに女装癖が始まったのはまだ少年の頃。綺麗な物が好きで夢見がちな青年は学校ではいつも問題を起こす困った存在に。しかし彼を理解する幼なじみらと楽しく過ごしていたパトリック。だが、ダウン症の友人が爆発によって死んでしまう事故がおこる。
 その事件はパトリックに衝撃を与え、田舎町を出て一人母親捜しのロンドンへ向かう。
旅の途中、様々な人に出会い、恋に落ち、何度も挫折と哀しみを味わいながら、パトリックの自分捜しの旅は続いていく。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「麦の穂をゆらす風」を見たばかりだったので
オネエキャラのキリアンがとても見たかった。
ドラッグ・クイーンのように弾けているのかと思ったら全く違っていた。
同じくIRAが背景にあるのも驚き。

赤ん坊の頃に母に捨てられ、性同一障害を抱え
「自分は生まれてくるべきではなかったかも」とどこかで捨て鉢になり
それでも自分のルーツ・アイデンティティを捜し求めるパトリック。
ふわふわと吹く風に流されてしまいそうな
降ろすべき錨を持たないボヘミアン。

愛してくれる男を愛していると思いこみ
尽くすだけ尽くして傷ついて。
女以上に女らしい?
本当の女はもっとしたたか。

重さを感じさせない羽のようなパトリックでも
愛を求めて、それでも明るい明日を信じて生きていく
未来はずっしりと重たい手応え。

不思議な映画でした。

ハリー・ポッターと炎のゴブレット

2006年12月16日 | 
★★★
監督
主演:ダニエル・ラドクリフ、レイフ・ファインズ・ミランダ・ジョーンズ
2005年 英・米

 ホグワーツ魔法魔術学校の4回生となったハリーたち。魔術学校では恒例の対抗試合が開催されることになったが、命がけの危険な試合であるため、応募資格は17才以上に限定された。
 「炎のゴブレット」に投じられた参加票から3校の代表選手が全員の前で決まったが、なぜか投票していないはずのハリーも選ばれてしまった。規定外であったが、魔法契約によりハリーは出場を辞退することはできない。ぬけがけと友人から非難され、親友のロンさえもハリーを軽蔑した。
 見えない何かの力によって、あることに引き寄せられてしまうハリー。対抗試合はその布石だった。第一、第2課題を終え、2位の成績を収めたハリーは仲間たちの信頼を取り戻していったが、最後の課題の先には、ハリーの血によって復活を狙うヴォルデモートが待ち受けていたのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 小説からめげてしまったハリー・ポッター。どうも世の評判ほどには、のめり込めない。勝手な思いこみ違いだったのだが、予想以上にハリーの世界は暗く、いじいじと思い悩む子に見えてならないのだ。その当初のベクトルの違いが、結局のところずーっと尾を引いてしまっている。私の場合。
 映画として面白くないわけではないのだろうが、ファンタジースペクタクルとでも言うのか、エンターテイメント的な部分と話の確信に触れる闇の部分がちぐはぐで、とってつけたような違和感が常にある。あとなんといっても、主役をはじめ、子役(もう青年になりつつある?)たちに魅力を感じないのが大きいかも。ハリー自身も狂言回しのようで存在感薄いし。

 だからいつも食指は彼らを取り巻く成人俳優たちにあり、前回で言うならゲーリー・オールドマンだった。今回も声だけ出演(だよね、あの顔は違うでしょ)してましたが。軽~くこなしてるアラン・リックマンもしかり。本作ではなんといってもレイフ・ファインズであったのだが、その登場までの長さといったら、思わず違う俳優さんをそうなのか?と勘違いしてしまうところだった。う~ん、鼻ないし。ヴォルデモートか・・・・。まあ、次回作からの活躍に期待ということで。

灰とダイヤモンド

2006年11月21日 | 
★★★★☆
監督:アンジェイ・ワイダ
主演:ズビグニエフ・チブルスキー、エヴァ・クジイジェフスカ、アダム・パウリコフスキー
1959年 ポーランド

 1945年5月、ドイツから解放されたものの、ポーランドは今度はソ連と英・米・仏側の対立に巻き込まれる。かつては同胞であったソ連系共産党地区委員長シチュカを暗殺しようと奔走していたのは、戦中対ナチスのレジスタンスであり、今はイギリス亡命政府から指示を受けるマチェックやアンジェイだった。
 一度は誤殺により失敗したものの、解放を祝う市長のパーティーが行われるホテルにシチュカが宿泊することを知り、マチェックも隣の部屋をとった。
 家族もなく、戦友もなくし孤独なマチェックは、その身を祖国の解放のために捧げようとしていた。しかしホテルの酒場でクリスティナと出会い、恋に落ちた彼は、初めてテロリストになった自分に疑問を持ち、普通に家庭を持って幸せに生きる道を夢見た。
 しかし時すでに遅く、マチェックに後戻りは許されなかった。クリスティナに別れを告げたマチェックは恨みのないままシチュカを殺害する。そのまま逃亡を図ったマチェックだったが、保安隊に銃を所持しているのが見つかり、狙撃されてしまう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ポーランドという国が戦後置かれた状況など、本当に無知なことが多くて、映画を見終わってささっと調べたりした程度なのだが、そんな背景を知るにつけ、いやたとえ知らないにしても、切ない。全てが切ない。
 行きずりのバーで知り合った女性に恋したと(思い)、そこで初めて生きたい!普通に生きたい!と願うマチェックの幼さは、それまでの彼の人生に、そう思える瞬間がなかったわけで、それを思うとなんとも哀れである。自身も暗殺に疑問を持ちながら、軍人として命令を遂行せざる得ないアンジェイ。だが、友人として同士としてマチェックを解放してやろうとの一瞬の思い。暗殺されるシチュカにしても、かつては対ナチとして一緒に闘った同士。個人的な恨みはない。彼もまた、私生活では生き別れた息子の身を案じる一人の父親である。
 マチェックの素姓を知らずに2度、シチュカはマチェックから火をもらう。そのわずかなふれあいは、「なぜこの男を殺すのか」という疑問がかすめるのに十分な時間であった。明確な理由もなく人を殺すことに疑問を抱いたとき、それはマチェックの中で、人として普通の幸せな人生を送りたいという欲望が生まれた瞬間だった。彼は本来の敵ではない。今の彼は対ナチのレジスタンスではなく、もっと巨大な国と国との陰謀に利用されている捨てごまなのだ。
 哀れなのはそのことに彼が気づくでもなく、なんのための人殺しか納得しないまま実行し、普通の人生を夢見たままゴミくずの中でその若い命を終わらせてしまったことだ。そしてマチェックの人生がそのままポーランドという国の悲劇を投影しているようでならない。英仏米とソ連に利用され、ナチから解放されても訪れない平和と普通の幸せ。闘うことの真の目的も意義も見いだせないまま、自国のために闘った地下水道、ワルシャワ蜂起で散った戦友を懐かしむ。

 人間としてまっとうな生活を送るために闘うことは当然だと思う。しかし国家レベルの思惑が、血の通った人間一人一人の幸せを思うことはない。こんな切ない話はない。こんな切ない現実はいつの時代も繰り返されている。

反撥

2006年10月20日 | 
★★★☆
監督:ロマン・ポランスキー
主演:カトリーヌ・ドヌーヴ、イヴォンヌ・フルノー、ジョン・フレイザー
1964年 イギリス

 キャロルはエステサロンに勤めている。コリンという恋人がいるが、熱心なのはコリンの方で、キャロルは正直気がないばかりか接吻するのさえイヤなのだ。
 一緒にアパートに住む姉のヘレンはマイケルという恋人と不倫中。しょっちゅうアパートに来ては泊まり、キャロルの歯ブラシで歯を磨く。潔癖性のキャロルにはそれが耐えられない。
 ある日姉とマイケルは旅行に出かけてしまった。キャロルは勤め先でも身が入らず、アパートで一人ぼんやりと過ごすようになった。満足に食事もとらないキャロルは、男に襲われる夢を見る。悪夢は次第に幻覚になり、キャロルの精神はぼろぼろになった。
 全く会ってくれなくなったキャロルを案じて、コリンが部屋に尋ねてきた。狂い始めたキャロルはコリンを殺し、浴槽に運んだ。次にやってきたのは家主だった。家主はキャロルに欲情し襲いかかると、カミソリを持ったキャロルにめった切りにされて死んだ。
 家に戻った姉とマイケルが見たものは、二つの死体とソファーの下で放心状態になり、衰弱したキャロルの姿だった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ポランスキーが描く狂気の世界。まず冒頭のドヌーヴの瞳のアップが凄い。人間の一部である「目」というよりも、なんだか爬虫類のような、意志をもった独立した生物に見える。ただそれだけが、オープニングに延々と映し出されるのだ。それだけで、これは普通ではない、ちょっとやばい映画なのではないかと匂わせる。事実気持ちのいい映画ではない。

 ドヌーヴの無表情で冷たいほどの美しさは、こんな異常人格者がよく似合う。彼女の映画から暖かみを感じたことがないかもしれない。だから「シェルブールの雨傘」などの普通の役は、どうも違和感が残ってしまう。逆に「哀しみのトリスターナ」や「昼顔」のような冷酷だったり、何を考えているか分からない女で、その持ち味を最大限に発揮する。・・・「8人の女たち」もものすごい貫禄である意味怖かった。

 キャロルは時折少年のような顔を見せる。少女とはもう言えないかもしれないが、非常に危うい。内面は砕け散りそうなほど脆いのに、他人に見せる顔は無表情で冷たい。
 性への嫌悪は密かな欲望であり、生身の男を拒絶しながら、虚構ではあこがれ夢想する。そんな気持ち、そんな経験は私にもあった。心で異性を求めても、現実では拒絶の方が強いそんな時期が。

 これは完全なるポランスキーとドヌーヴだけの映画。あの瞳の度アップと冷たい表情とは結びつかないかわいらしい声のアンバランスさえも恐ろしい。

ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ

2006年10月09日 | 
★★☆
監督:ジョン・ポルソン
主演:ロバート・デ・ニーロ、ダコダ・ファニング、エリザベス・シュー
2005年 アメリカ

 エイミーはやさしい母と父デビッドと3人で幸せな日々を過ごしていた。母が浴室で自殺してしまうその日までは・・・。
 自分の殻に閉じこもるようになったエイミーを連れて、父は人里離れた家に越して行った。最近娘を失ったばかりの夫婦が隣人である。
 母の自殺を父のせいと思うのか、エイミーはデビッドに心を閉ざしたままだった。ある日散歩に出かけたエイミーはそこで謎の友人「チャーリー」と出会う。友だちはチャーリーだけ、とその後もエイミーは孤独を愛し、父や他人を受け入れない。しかしチャーリーはただの友だちではなかった。
 最初の犠牲者は、父に好意を持ち時々家に訪れる若き女性エリザベスだ。エリザベスの惨死体を浴槽で見つけたデビッドはエイミーを問いつめる。「チャーリーがやった・・」と涙ながらに訴えるエイミー。
 果たして姿を見せないチャーリーは存在するのか。一体何者なのか・・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 犯人さがしとかオチを読むのがとっても苦手なので(たんにアホ?)、正直チャーリーの正体もその瞬間まで分からなかった。チャーリーという語感からなぜか”チャッキー”を連想して、あんなへんてこ人形がいつか現れたりして、それにしては一向にその気配もないなあ・・・とおめでたくも思っていたのだが、正体ばれたり!の瞬間は「え~!そういうことか!!」ではなく、「なんだ、またか・・・」な落胆。これって私が見ただけでも、「シックス・センス」「アザーズ」「シークレット・ウィンドウ」と同じではないの。
 その存在自体がすでに不気味なダコダちゃんはともかくとして、デ・ニーロはなんでまたこのような映画に出たんでしょう。謎だ。
 しかもある時点まではエイミーはチャーリーだけが友だち!とけっこう楽しそう(?)だったんだから、そこのところはどーなの?な答えが、やまたのおろちならぬ、ふた頭エイミーというわけで。二重人格同士の波長が合った時が蜜月だったの?

 デ・ニーロはどう見ても父親というよりはおじいちゃん。エリザベス・シューがとっても普通の人っぽくなっていたのでびっくり。ダコダちゃんについては・・・やはり安達祐実にしか見えない。

パイレーツ・オブ・カビリアン デッドマンズ・チェスト

2006年07月26日 | 
★★★
監督:ゴア・ヴァービンスキー
主演:ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ、ビル・ナイ
2006年 アメリカ
 
 バルボッサからブラックパール号を奪い返したジャックであったが、さらなる試練が待ち受けていた。13年前、ブラックパール号の船長になることの引き替えに、デイビー・ジョーンズという深海の悪霊とある契約を交わしていたのだ。その実行の時が迫っていた。ジャックにそのことを伝えに来たのは、今やジョーンズの手下となった、ウィルの父ビル・ターナーだった。
 ウィルとエリザベスはまさに結婚式をあげようとしていた。しかし二人はジャックを逃がした罪により、絞首刑を言い渡されてしまう。これはジャックのコンパスを狙った、東インド貿易会社のベケット卿の陰謀によるものだった。釈放されたウィルは、エリザベスの命と引き替えに、ジャックのコンパスを持ち帰ることを命じられる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 長かった。
退屈にはほど遠かったが、充実した時間だったかというと疑問が残る。まず、話がよく分からない。展開がすごく不親切。納得できないままどんどん話がめぐりめぐってしまうので、ドタバタなシーンを見せられハラハラどきどきしながら、「え~と、あれは誰だっけ。なにがどうなってこうっているんだ」と頭の中で整理を余儀なくされる。無駄に神経を使わされ、その疲れで長いと感じてしまうのだ。

 ジャックがジョーンズと交わした契約というのも分かりにくいし、島に難破した次の瞬間ジャックが長になっていると思ったら、実は追いかけられているしでもう何がなにやら。こういうのを独りよがりな映画というのだろう。
 なまじストーリーを追うからいけないのだな。単純にアクションシーンを楽しんでいた子供たちは堪能したようだ。


 子供と見たので不本意ながら吹き替え版だった。ジャックはERのカーター先生で微妙。元バルボッサの手下の海賊の一人が「チャングム~」のカンドックなので笑ってしまった。原語でなくて残念だったが、こんなわかりにくい話は吹き替えで正解だったかもと思う。

 ジョニデ=ジャックのはじけっぷりは、だいぶ板についてきて最早余裕。惜しむらくは他の共演者がついて来られないこと。エリザベスもウィルもいなくてもいい感じ。
 グロイがなかなかナイスなデザインのジョーンズ。あんなに特殊メイクなのに、その素顔が投影されているビル・ナイって・・・!

バッド・エデュケーション

2006年07月26日 | 
★★★
監督:ペドロ・アルモドバル
主演:ガエル・ガルシア・ベルナル、フェレ・マルティネス、ハビエル・カマラ
2004年 スペイン

 新鋭の映画監督エンリケの元にイグナシオと名乗る青年が訪れた。彼は自作の映画脚本「訪れ」を持参し、これを映画化し、自分を役者として使ってくれとエンリケに申し出た。
 エンリケとイグナシオは寄宿舎での同級生で、親友であり初恋の相手であった。
 イグナシオの面影を持たない青年ではあったが、自伝だというその物語には、確かに幼き日の寄宿舎での出来事が書かれている。「訪れ」には、互いに惹かれ合うエンリケとイグナシオが、横恋慕した教師であるマロノ神父によって引き裂かれた事実が克明に記されていた。マロノはイグナシオに性的虐待を加え、邪魔なエンリケを退学処分にしてしまったのだ。
 しかしどうしても疑問の残るエンリケはイグナシオの実家を尋ね、彼がすでに亡くなっている事実を知る。イグナシオを名乗った青年は、実は弟だったのだ。
 彼はなぜイグナシオの名を語り、エンリケの前に現れたのだろうか・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 これで3作目だが、アルモドバルの作品は濃い。内容がというよりも(それも濃いのだが)毛むくじゃらで眉毛が濃くて暑苦しいラテンの外見(顔とか)のような濃さである。・・・そう暑苦しい・・苦しいのだ。
 あるひとつの事や思いに執拗にこだわり、ねちねちねっとりこれでもかと傷口を拡げていく。本作もイグナシオの悲惨な性の虐待がそこまでいくか、という展開である。半自伝映画なのだから事実は事実であろうが、それをもう独自のスパイスで味付けし料理しているのだから、どなたのお口にも合いますなわけにはいかない。
 ところが私はこんなエスニックが嫌いではない。嫌いじゃないがちょっと違和感ある感じは、スペイン料理よりペルシャ料理に似ている。でも嫌いじゃないの。

 ゲバラを演じたあの少年は何処に・・・・なガエル君。太ったウェンツにしか見えなかった。(涙)残念ながらイグナシオとその弟の思いがうまくリンクしなかった。ちょっと監督と感性がずれているんだと思う。でもまあまあおいしかった・・てところでしょうか。


バタフライはフリー

2006年06月26日 | 
★★★☆
監督:ミルトン・カトセラス
主演:ゴールディー・ホーン、エドワード・アルバート、マイケル・クレイザー
1972年 アメリカ

 サンフランシスコの安アパートに引っ越してきたジルは若くして離婚歴ある、ヒッピー風な娘。隣の部屋に住む盲目の歌手志望の青年ドンとはすぐさまうち解けた。
 生まれつき目の不自由なドンは、ずっと母の手で大事に育てられてきたが、ある女性との恋をきっかけに自立したい気持ちが生まれていた。このアパート生活も2ヶ月間は絶対観賞しないという約束で、いわば実験的独立生活を送っていたのだ。
 ドンの作った歌に心を洗われたジルは、ドンに惹かれるままにベットを共にする。
 翌朝、突然やってきたドンの母は二人の淫らな関係を察し、下着姿のジルがドンを誑かしているのだろうと思った。母の言葉や態度に反発するジョンだったが、母はジルに遊びでのことなら息子と別れて欲しいとジルに告げる。
 ドンは素晴らしい才能を秘めているのに、ドンの未来を妨害しているのはあなたの方だとジルは主張するが、その思いとは裏腹に、演劇関係の男を連れてドンの前に現れ、この男と暮らすつもりだとドンに告げるのだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 大きなお目々、くるんくるんの金髪が本当に愛らしい、ゴールディー・ホーン。年を重ねても驚くほど若くいつまでも愛らしいが(今ではケイト・ハドソンのお母さんと言った方がいい?)、若い時はお人形さんのようである。しかもばた臭くてアメリカ人好みの大作り!
 下着姿のぱっぱらぱーなヒッピー娘が実に様になっているけど、こんな裏表のない純なキャラは切ないくなるほどいじらしい。ドンとジル、二人ともピュアな魂で惹かれ合うが、方や母の庇護下の世間知らずのおぼっちゃま。世間にもまれた分だけ、ジルの器が勝る。
 互いにドンを思う気持ちがあるので、言い争った後に心でジルを認めた母の気持ちも痛いほど分かるな。
ドンとジルの関係より、ジルとドンの母との関係がより深く心に残った。女のサガは男を包み込むものなんだ。この映画の女たちは聖母マリアのような母性で男を愛している。

 ジルの同性相手になる男にスタさんのマイケル・クレイザー。アクがあるけど、結構いい男ではないですか。

バットマン・リターンズ

2005年12月12日 | 
★★★☆
監督:ティム・バートン
主演:マイケル・キートン、ミシェル・ファイファー、クリストファー・ウォーケン
1992年 アメリカ

 30年ほど前、オズワルド家に誕生した男の子は奇形児だったため、後に実の両親の手によって川に捨てられた。その子は地下の下水道でひっそりと育ち、世間を憎むペンギン男になり復讐を画策していた。
 ゴッサムシティではクリスマスを迎えている。デパートももつマックス・シュレックは市長をたらし込み、このゴッサム・シティの電力を我が者にしようとしていたが、偶然にも秘書のセリーナの知るところとなり、窓から突き落とし彼女を殺害した。
しかしセリーヌはキャット・ウーマンとして蘇る。
 ペンギン男に弱みを握られたシュレックは、彼と結託し市長になるように持ちかける。彼らは邪魔者バットマンを悪役にしたてあげようとする。一方、セリーヌがキャット・ウーマンと知らないブルースは彼女に好意をいだきはじめるが・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 バートン演出、マイケル・キートン=バットマン、この組み合わせがやはりベストだ。ただ完成度は、悪役ジョーカーが強烈なこともあり第一作目にはかなわない。今回はバットマンにからむ敵キャラが、ペンギン男、シュレック、キャット・ウーマンと盛りだくさんで、そのためにバットマンは完全に脇に回ってしまった。バットマン、いてもいなくてもいい感じ。
 中でもロマンスの相手にもなったセリーナ=キャト・ウーマンの存在が中途半端で、せっかくファイファーを配しているのにもったいない。
 唯一スッピンで演じたクリストファー・ウォーケン。こういう血の通わない悪役がよく似合う。できればペンギン男とキャット・ウーマンはそれぞれ単独で見たかった。
 

 

バットマン・ビギンズ 

2005年06月20日 | 
★★★☆
監督 クリストファー・ノーラン 
出演 クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン
2005年 アメリカ

 バットマンことブルース・ウェインの少年時代から描き、両親の死を経て、いかに彼が悪を憎む影のヒーロー、バットマンになったのかを描いた作品。息子に付き合ってみたので、吹き替えでの観賞というハンデ付き。(オーマイガ!)

 アメコミヒーローは暗いのが相場。この映画も類にもれず。暗いのはOKだが精神的にネチネチしているのは好きではない。今回のバットマンは両親の死に対して罪悪感とトラウマを持ち続け、自ら悪の修行をしバットマンとして生きる道を選ぶ。その過程でうつうつと悩み苦しむ様が重要ポイントなのだが、どうなんでしょう。
 
  出演俳優には「おお、あの人が!」な楽しみがある。初代バットモービルも無骨な感じが微笑ましく、無数に飛び交うこうもりが幻想的な良いシーンもあるのだが、やはり私にとってのバットマンはティム・バートンの2作がベスト。(この2作はシリアスながら、アメコミならではの遊びがある)
  ジョーカーやペンギン男、キャット・ウーマンなどのいかにもマンガチックな悪役こそがアメコミの真髄だと思っている。本作のように相手も本人も生身の人間だと楽しいんだけどなんか違うぞ~な感強し。バートンのバットマンも暗いが、暗さが生々しくない、あくまでもマンガチック。またベールも根暗な印象で拍車をかけていた。

 話題の渡辺謙はよく分からないほんの脇役だったが、ゲイリー・オールドマンとルドガー・ハウアーのおじいちゃんぶりがうれしい。めずらしくいい人に終始したゲイリー。ハリー・ポッターもいい人だったので最近路線変更したのかも?悪役キリアン・マーフィーはひろいもの。性悪な感じが良く出ていて期待大。リーアム・ニースンは貫禄がありすぎてちょっと邪魔だった。リーアムというより彼の役自体がよく分からなくて邪魔?ヒロインのケーティ・ホームズはどこがかわいいのか分からない。しかもあのトム・クルーズのフィアンセという枕詞はマイナスではなかろうか。終始「へ~、トムのね~」という色眼鏡がはずせず。

 第3作以降のバットマンはどんどんちゃちになっていったので、レベルアップは確実にしたとは思うが、このテイストが好きかというと限りなく微妙だ。


薔薇の名前 

2005年05月27日 | 
★★★★
監督 ジャン=ジャック・アノー 
出演 ショーン・コネリー、クリスチャン・スレーター、フランク・マーレイ・エイブラハム
1986年 仏・伊・西独

 ショーン・コネリーが渋く思慮深いキャラクターを確立した作品。実際の彼はそんなイメージとは遠く、本作品出演中も文句言いっぱなしだったというエピソードが聞こえてくる。つくづく役者である。

 舞台はイタリアのベネディクト会修道院。ここで起きた不可解な殺人(?)事件を解明していくウィリアム修道士。バスカヴィルというからにはウィリアム=ホームズ、アドソ=ワトソンな図式が楽しい。ホームズが中世に舞台を移し、独特のおどろおどろしい世界を作り上げている。登場する修道士たちもスターウォーズに出てきそうな盲目の尊士だったり、ロン・パールマン演ずるサルヴァトーレだったり、肥えたつるんつるんだったり、まともな人間は一人も存在しないかのような怪しさ。
 
 あまりにも濃いキャラクター ばかりだったので、事件の真相については「そんなことなの?」な印象は免れないが、ここは映画ならではの異様な世界をたっぷり堪能して楽しみたい。荘厳な印象を与えながら、実は軽い・・っていうのもご愛敬。
 
 10代の若きスレーターも初々しい。ワトソンみたいにもう少し真相解明に寄与してほしかったが、あの怪物集団の中にあって唯一の目の保養的存在だった。

 原作はウンベルト・エーコ。本の方が数倍も面白いというのはこの作品でも言われているが、映画はイメージを具現化してしまうので、ある意味不利なのは仕方ない。映画は映画で楽しみたいから、原作は読まない主義(?)

パッション ★★★

2005年02月02日 | 
監督 メル・ギブソン 
出演 ジム・バヴィーゼル、モニカ・ベルッチ、セルジオ・ルビーニ

 原題「キリストの受難」通り、磔にされるまでの正視できない拷問に次ぐ拷問を描いた映画。そして信念を持ってこの作品を世に出したメル・ギブソンの情熱=パッション。
 しかしながらギブソンの情熱と私は相性が悪い。世間的評価の高い「ブレイブハート」はとても苦手な映画だ。本作品もそれに通じるものを感じるが、救いはメル自身が主役を演じていないこと。

 非常に真摯で真面目な映画であるし、今世間に問うことの意味も理解できる。これが誰に向けた映画なのか、信仰によって受け取り方の相違が著しい映画なのもわかる。描かれている事に対しての善し悪し=映画の評価にならない複雑さ、しかしメッセージは案外単純。
 
 ロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター」しかり、このキリストの受難を見ると、いつも宗教とはなんだろう、人々の救済をするのになぜこれほどまでに苦しまなければならぬのか、これほどまでの血を流さねばならぬのかと思う。近年まで途絶えることのない流血の歴史は、キリストの血の怨念なのかとさえ。そして神の名の下に自己の命や他人の命までもいとわないとする宗教の恐ろしさ、その原点を見せられたような気がした。(←無神論者としての感想)

 なんにせよ、これからは十字架に磔にされたキリスト像を見る目が明らかに変わると思う。

<補足>
 後から思うに、布教中のキリストっていうのは客観的に見てやはり鼻持ちならないタイプだと思う。だから政治的思惑は別にしても、愛される一方で憎まれたという状況は とても理解できる。そんな彼が救世主になるためにはあの試練は必要だったのだろう。
 試練というのはもちろん肉体的なダメージばかりでなく、むしろ精神的なもの。人間ならば誰でも持ち合わせるであろう心の悪魔。(映画ではなんとも不気味な黒装束の 男で現れる)キリストは問う。「なぜこんな試練を、役目を自分に与えるのか」「なぜおろかな民を救うために自分は死ななければならないのか」
 ここに清廉潔白ではない生身の人間キリストの姿がある。それに打ち勝ち、人間を超えるためにあの試練は必要だったのだな。ただ教えを布教していた時のうさんくささも打ち消し、絶対的に 崇高されるためには必要不可欠であった受難。

 (信者ではない身としては)神になるという宿命を負わされた「人間キリスト」として見ると、また違った思いにかられる。

ハルク ★★★

2005年01月24日 | 
監督 アン・リー 
出演 エリック・バナ、ジェニファー・コネリー、ニック・ノルティ

 監督が「グリーン・デスティニー」なので、ぴょんぴょん跳ねる跳ねるハルク。段々かわいく思えるから不思議。

 初めから全く期待していなかったせいか、前に「デアデビル」や「スパイダーマン2」などのアミコメ映画を見ていたせいか、バナもその前に「トロイ」でお目にかかっているので、そんなに悪くないと思った。(個人的には大好きなものも沢山でてくるし)

 バナの困ったちゃんな表情はいいのだが、イマイチ父親との確執、苦悩が伝わらなかったのが残念。バナ、困っているだけで何を考えているか分からない・・。
  お父さんも結局は父親としての愛情よりも科学者としての欲が勝ってしまったのだろうか。子供のブルースに接している頃の表情を思うと哀れ。また、望まないのに変身してしまうブルースも哀れ、彼を愛しながらも結局は父親の庇護のもとでしか行動できないヒロインも哀れ、テーマはそう「哀れ」ですね。

 同じ緑の怪物でもシュレックとは随分違うなあと当たり前の事を思いながら、ハルク同様伸び縮みする パンツの秘密が気になって仕方なかった。Tシャツは破けてしまうのに・・・なぜ?

はじまりはキッスから ★★★

2004年10月13日 | 
監督 フィッシャー・スティーヴンス
出演 ロン・エルダード、マリサ・トメイ、キラ・セジウィック

 都会に住む男女の数カップルたちが入り乱れ浮気し合うなんとも変わった映画。お目当てロン・エルダードは気はいいが浮気性のダグ。ドロンドロンに入り乱れる男女関係は彼と親友の恋人との火遊びから。
 浮気が浮気を呼び、あれよあれよと手のつけられない状態になって、気がつけばダグを始めとして3人が死亡。残されたそれぞれの片割れたちは遺体を前におよよと泣き崩れる。
 
 不思議なテイストのコメディで非常にばかばかしくもあるが、後味は悪くない。出演者が堅実なせいだろうか?ロン・エルダードがほぼ主演といってもいいほどでずっぱりなのもうれしい。尻軽な男女達の、成敗役のような謎の女マリサ・トメイもよくわからない役どころだが妙に納得の存在感がある。

 しっかし、外人って(言い回しが古っ!)こんな風に見つめ合っただけでメイク・ラブ!なんですかね~。ERとかでもそんな感じだしな。
  はじまりはキッスから?そういえばロンとマリサのカップルはキスしましたっけ?死体へのキス、一ドルあげてのキス、キス、キス、キス。

バートン・フィンク ★★★★

2004年10月03日 | 
監督 ジョエル・コーエン
出演 ジョン・タトゥーロ、ジョン・グッドマン、スティーブ・ブシェーミ

 どこまでが夢なのか、現実なのか。ちょっと分かりづらいコーエン兄弟の映画であるが、印象は強烈。バートンのオオアリクイのような容姿。チャーリーの笑顔の裏に隠された狂気。暑さでねっとりと接着材が溶け、はがれ落ちる壁紙や壁の染み。執拗な蚊。
 それら全てが書けないシナリオ・ライターの苦悩の象徴だ。創作することを生業とするものにとって、作品を生み出すことが出来ない生き地獄。連続殺人鬼チャーリーの存在はバートンが生み出した現実逃避の想像の人物なのか、救世主なのか。
 ホテルの火事によってフィンクはスランプから脱出、傑作を書き上げる。(映画会社の社長からは全く理解されなかったが)あの火事のシーンはちょっと唐突で、それまでのねっとり感がなんともいえず不気味だっただけに残念。あれでチャーリーは架空の人物?なオチが読めたんだけど。
  
 チャーリーのジョン・グッドマンはベーブ・ルースを演じた人。この手の人なつっこい笑顔はくせものだ。