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魔女っ子くろちゃんの映画鑑賞記録

映画大好き!わがまま管理人の私的な映画鑑賞記録です。名作・凡作関係なく、好き好き度★★★★★が最高。

ホテル・ルワンダ

2007年01月17日 | へ~ほ
★★★★
監督:テリー・ジョージ
主演:ドン・チードル、ソフィー・オコネドー、ニック・ノルティ
2004年 英・加・南アフリカ、伊

 1994年、ルワンダの首都キガリ。ポールはベルギー系の高級ホテル「ミル・コリン」の支配人だった。彼は自分の仕事ぶり、境遇に満足していた。
 しかし最近のルワンダ情勢は、フツ族とツチ族の内戦が終わったとはいえ一触即発の様相。ラジオはツチ族抹殺を呼びかけ、市内ではフツの民兵が横行していた。
 ポールはフツ族だったが、妻はツチ族。同じホテルの従業員にもツチ族は大勢いる。
 ある番、フツ族の大統領がツチに暗殺されたというラジオ報道に端を発し、ついにフツ族によるツチ族虐殺が始まった。ポールの身内及び近隣のツチ族の者は、ポールを頼ってミル・コリンへと避難する。悪化する一方の情勢に困惑しながらも、ポールは海外メディアの報道によって、援助の手がくるはずだと信じていた。しかし実際は国連軍の力も及ばず、ルワンダになんら利点を見いだせない欧米諸国が、国際援助をすることはなかった。
 難民キャンプと化したミル・コリン。なんとかポールは家族の国外救出を画策するが・・・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 単一民族(一応)の日本人としては、民族間の内戦・虐殺は正直ピントこないのであろうが、それにしてもオクラ入り寸前であったとは・・・・。映画としても分かり易く、実にしっかりと作ってあるのに。ホアキン・カメラマンの言う「かわいそうといってディナーを続けるだけ・・」以前な日本。TVをつけて、そのニュースを見ることもない。
 でもこの状態を外国は見捨てないはず。きっとなんとかしてくれる!というポールの思いは、まさしく今の日本人と同じでそら恐ろしくなる。だからといって武装しろというのではないが、自国の危機についてあまりにも他国まかせ、他国頼りではないか。
 頼る方が甘いのさ、と言われても、「ルワンダにはなんの興味もない、君たちは二グロでさえない」と言われた時のポールの絶望。そして憎しみだけを煽りたてられて、同胞(少なくとも同じルワンダ人として)を虐殺することになんの躊躇もなくなった大衆の愚かさ。

 映画はポールに焦点をあてて、彼一人奮闘した英雄のように進行するが、ポールはルワンダの代表である。彼の絶望が騒動を起こしているフツ族よりも、むしろ「見捨てた」欧米社会に向いているのが興味深い。諸悪の根源は、自国の勝ってな都合で振り回す先進国であり、自立してないことに甘んじていたルワンダである。そしてその相関関係はルワンダに限らず、今だ尚世界に存在する。

 自国を他人任せにしてはいけない。この国でもそれを一人一人が真剣に考えなければならないんだと、映画を観ながらずーと思っていた。


ぼくの伯父さん

2006年12月04日 | へ~ほ
★★★★
監督:ジャック・タチ
主演:ジャック・タチ、ジャン・ピエール・ゾラ、アドリエンヌ・セルヴァンチ
1956年 フランス

 アルペル氏の新築邸宅は、超モダンであらゆるところが電気化した近代住宅。しかし見栄っ張りのアルベル夫人は、お客が来ると電動のスイッチを押し自慢してうれしそうだ。息子のジェラールはそんな生活より、同級生の悪ガキ仲間と帰り道いたずらを楽しむ普通の小学生。
 彼は母親の兄であるユロー伯父さんが大好きだ。伯父さんは下町のアパートに気ままに住んでいる。アルペル氏はそのボヘミアンのような生活を心配して、職業を斡旋したり、お見合いパーティを開いたりしてみるが、どれもうまくゆかない。
 自分の会社に入れてみるも、失敗ばかりの伯父さんを持てあましたアスベル氏は自社の田舎の支店に転勤させることにした。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 サイレント映画か?と錯覚するような、冒頭のわんちゃん達のショットだけで、この感じは好きかもと予感する。レトロモダンは邸宅は確かに古さを感じるが、この映画全体を流れる空気は色あせた古さではない。50年代のファッション雑誌を眺めているような、アンティーク(100年経っていないのでまちがった使い方かもしれないが)、ビンテージ、コレクターズアイテムな価値がある。実際ちょい昔、70~80年モノの方が(流行が終わった)古さを感じるものだ。

 価値観のまったく違う兄妹&そのつれ合い。ユロー伯父さんのレインコートにパイプ姿はヨーロッパの異国の風景。しちめんどくさい造りのおじさんのアパートと真逆のアルベル氏の邸宅。住むんだったらやっぱりあの無駄に複雑なアパートだろう。

 でも幸せなんて人それぞれ。邸宅の掃除に余念がないアルベル夫人だって、それが生き甲斐ならいいじゃない。どっちがよりいいかなんてお仕着せはいらない。押し付けの手前で終わっているところがこの映画の最大の良さ。結局伯父さんはなにをしたわけでもなく、父と子は自然とその手をつないだのだから。


炎のメモリアル

2006年09月05日 | へ~ほ
★★☆
監督:ジェイ・ラッセル
主演;ホアキン・フェニックス、ジョン・トラボルタ、ロバート・パトリック
2004年 アメリカ

 ジャックは新米消防士だった。仕事は危険を伴っていたが、気のいい仲間や信頼できる上司マイクにも恵まれ、命を助ける日々に充実感を覚えていた。
 ジャックと親友デニスはスーパーで女性2人をナンパし、一目で心奪われたジャックはリンダと恋に落ち結婚した。幸せな日々は突然一変する。デニスが消火中に転落し死亡した。初めて身近に死と直面したジャックは、まるで挑むように危険なハシゴ班への転属をマイクに申し出る。
 命をはったジャックの救助活動に身重の妻リンダは不安を隠せない。常に危険と隣り合わせでありながら、ジャックはこの仕事に生き甲斐を感じていたが、それでも友人の事故があるたびに動揺は隠せなかった。
 そんなジャックに危険が迫っている。消火活動に当たり、逃げ遅れた最後の一人を無事救助させた後建物が爆発し、ジャックは階下に転落してしまった。燃えさかる炎の中、建物はいつ崩壊してもおかしくない。まわりを炎に囲まれ、重傷のジャックをマイクたちは必死で救助しようとするが・・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 映画の出来も悪くない。俳優陣もよろしい。感動作でもある。・・・でも私はこういう英雄伝なお話は苦手なのだ。確かに消防士の仕事は命に危険も顧みずに他人を救助するという尊敬に値する仕事ではあるが、こうもストレートに私生活での葛藤や仲間の殉死・ケガ、主人公の英雄的な死を「そのまんま」見せられるとなあ・・・・。つまらないわけでもないけれど、感動の涙を狙った感じがあまりにもみえみえで、なんか芸がないというか。(結局涙はでちゃったりするのだが)比較しては失礼だが、昨今の日本戦争映画のような、若き兵士や特攻隊の描き方に似た感じがする。要するにベタ。

 ホアキンはこんな役がよく似合うけれど、個人的にはもっとアクの強い役を演じてほしい。小さくまとまらないでね。トラボルタは「サタデー・ナイト~」とは比べようもないほど肥えちゃいましたが、無難ないい上司。最も印象に残ったのは、ターミネーター/ロバート・パトリックである。もうどこまでも、何をやってもターミネーター!

ボルチモアの光

2006年09月03日 | へ~ほ
★★★☆
監督:ジョセフ・サージェント
主演:アラン・リックマン、モス・デフ、メアリー・スチュアート・マスター
2004年 アメリカ

 1930年、ナッシュビル。貧しい黒人青年トーマスは、大工仕事をしていたが解雇されてしまう。結婚を約束した女性もあり、職を探すトーマス。そんな折り、大学の外科研究所で働くブラロック教授が研究室の雑務係を募集していることを知る。トーマスはもともと医学に興味があった。
 仕事は実験用の犬の世話と雑用であったが、仕事の合間をみては医学書を読みふける。そんなトーマスを見て、ブラロックは研究を手伝わせてみると、器用なトーマスは期待以上の仕事をこなした。やがて彼は教授の助手に昇格するが、周囲の黒人偏見はまだなかなか根強かった時代である。
 1943年、ボルチモアの病院に移籍したブラロックは、難病“ブルーベビー症候群”の乳児の治療を依頼される。心臓は人間が手をつけてはいけないとされる聖域だった。誰もが躊躇し断念している領域に、ブラロック教授だけが意欲を燃やしていた。かつて大病し死にかけたことのある教授には、それが自分の使命であると感じていたのだ。
 研究に多大な功績を残したのはトーマスであった。教授も彼なしでは手術ができないほどの信頼を寄せていた。差別を忘れ、トーマスを認める医師も現れ始めた。そして手術は成功。医学が神の領域に手を触れ、奇跡を起こした瞬間だった。
 ブラロック教授は今や時代の寵児ともてはやされていた。彼の成功を喜びながらも、教授の口から一言も自分の名前が発せられないことに失望したトーマスは教授のもとを去った。ブラロックもトーマスの心をついぞ理解することなく引き留めようとはしなかった。
 しかし医学が忘れられないトーマスは数年後、再び教授を尋ねた。「あなたは嫌いだが、医学は好きだ」というトーマスをブラロックは再び招き入れる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 そんな映画かの予備知識もなく、ただリックマンが出ているので見てみたのだが、なかな見応えがあった。もともと映画ではなくTVドラマだったそうだが、世界で初めてタブー視されていた心臓手術に成功したブラロック教授と、その黒人助手ビビエン・トーマスの実在のドラマである。

 技術的には、誰にも負けない腕と熱心さを持ち、ラブロック教授さえも並々ならぬ信頼を寄せていたビビエン。しかし彼は黒人というだけで差別を受け、貧しさに医大への道もたたれ、信頼されていると信じていた教授にさえビビエン・トーマスという 人間としてのアイデンティティーを無視される。教授が欲していたのは、あくまでも研究を成功させるための「手助け」としてのトーマスの技量であり、トーマスという人間に対しての配慮は欠落していた。
 成した功績は偉大であり、悪気はないが、人間に対するデリカシーの欠如・研究者バカな、人格者とはいえないブラロック教授を、あの独特なリックマンのが見事に描きだす。あの手術の成功の後、みんながトーマスへの賛辞を口にした時に、一瞬見せたブラロックの嫉妬にも似た表情を見逃すことはないだろう。
 ブラロックは他の教授のように、黒人だからとトーマスをあからさまに差別はしなかったし、かと言って偽善的に理解あるふりもしなかった。医療に対する真摯な姿勢、決して諦めることをしない情熱と、心のどこかで黒人を見下す気持ちは相反するものではない。人間はそんな単純ではないのだ。

 その後トーマスは晩年、医学における彼の功績が称えられ、名誉博士の称号が大学から与えられる。教授はすでにいない。
生前は研究という目標で結ばれながら、人間同士としては交流し合えない二人ではあったが、隣同士に飾られた自分と教授の肖像画を見て、やはり教授あっての自分だったとトーマスは思ったことだろう。

 最後に、医学の進歩のためとはいえ、実験台に次々使われて行く犬たちを思うと胸が痛んだ。しかし動物実験は紛れもない事実であり、それが監督の意図かどうかは分からないが、そのことに目を向けさせた功績も見逃せない。

炎のランナー

2006年08月08日 | へ~ほ
★★★☆
監督:ヒュー・ハドソン
主演:ベン・クロス、イアン・チャールソン、イアン・ホルム
1981年 イギリス

 1919年、ケンブリッジ大学に入学したハロルド・エイブラハムズは、イギリスにおけるユダヤ人差別に対して内なる怒りを持っていた。彼はまた天性の走る才能に恵まれていたが、彼の走りはユダヤ人差別への不満のはけ口でもあった。
 スコットランドの宣教師エリック・リデルもまた天性の俊足の持ち主であった。彼の将来は神に捧げたものであったが、妹の反対をよそに走る事への喜びも謳歌していた。
 そんな二人が初めてレースで争った。結果はリデルの勝利であった。失意の底にあったハロルドだったが、恋人のはげましとプロ・コーチのムサビーニの力を得て、パリで開催されるオリンピックにその雪辱をはたそうと誓う。
 オリンピックには彼ら以外にも世界の強豪達が名を連ねる。なかでも強敵はパドック、ショルツらを配するアメリカ勢。ハロルドの的はリデルだけではない。
 そんな折、100Mの予選が日曜日開催ということが分かり、安息日には走らない・・というリデルは、母国の名誉よりも信仰を選び、出場を辞退するのであった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

まだ戦争に突入する前の古き良き時代のイギリスが舞台で、あまりにも有名なヴァン・ゲリスの音楽をバックに男たちが砂浜を走り抜ける。このオープニングにしびれる。
 男たちはそれぞれの思いで走る。それはプライドであったり、意地であったり、信念であったり。国籍も立場も目的も違う男たちが同じ土俵に立ち、走る。願わくばオリンピックでのハロルドとリデルの対決が見たかったが、実話では仕方ない。

 科学とは無縁の、それこそ身体一つで勝負する時代。今から見るとちっとも速くはないが、心地よい風を感じることができる。イギリスの明るいグリーンの草の匂い。

 アメリカチームでデニス・クリストファーや今は亡きブラット・デイビスの姿を見つけてうれしかった。

僕はラジオ

2006年01月27日 | へ~ほ
★★★★
監督:マイケル・トーリン
主演:エド・ハリス、キューバ・グッディング・Jr、デボラ・ウィンガー
2003年 アメリカ

サウスカロライナ州ハナ高校。高校の教師でフットボールのコーチ、ジョーンズはある日部員らに監禁されいじめられていた黒人の知的障害者(ジェームズ)に出会う。彼はなにも言葉を発しなかったが、ラジオに興味を示したために「ラジオ」と呼ばれるようになった。
 その後もジョーンズはラジオを見かけてはまめに声をかけ、練習に誘った。はじめは警戒していたラジオの母も、ラジオの喜ぶ姿にそれを許すようになった。
 ジョーンズの計らいで高校生活に参加するようになったラジオだが、当然好ましく思わない意見がなくはない。しかし外野よりもラジオを心から受け入れていたのは、実際にラジオの接していた学生や高校の職員たち。新聞にも載ったラジオはやがて町の顔となる。
 ところが、ラジオの最愛の母が急死。保護者のいなくなったラジオをしかるべく場所で保護するような圧力がかかる。自分の思いだけではどうにもならない限界を感じたジョーンズを励ましたのは、忙しさにかまけておざなりにしてしまった、妻と娘だった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 障害者を扱った映画は苦手だったが、最後現在の「ラジオ」とジョーンズの登場にどかーんとやられてしまった。とても「ザ・エージェント」の彼とは思えないほどの熱演だったグッティング・Jr.には申し訳ないけれど、あの本物のラジオの存在感に勝るものなし。
 
 特にこれといった大事件が起こらないだけに、心を描いていなければ映画としては苦しい。障害者と接して、心底親身に接することができる人もいれば、理解しようとしながらも、その足並み揃わない行動につい苛立ってしまう人もいるだろう。(ちなみに私はこの部類だと思う)鼻から邪魔者に思う人がいても当然。
 大多数と思われる、偽善的な人たちが(理解したふりして本心は邪魔に思う)ほとんど出てこないから、いい話だなとは思いながらも少し匂ううさんくささが、最後のご本人登場で見事に消え去った。これは奇跡と言っていいのかもしれない。

 少なからずバランスがとれているのが普通の人間だ。良い心を持つ反面、暗い闇も併せ持つ。障害者であった「ラジオ」にはその闇の部分がない。ある意味、それ故彼は「障害者」であるのかもしれない。(悲しいかな、逆の意味での障害者も存在するが)
 普通なら邪魔な存在として扱われそうな「ラジオ」が、あんなにもハナ高校に、町の人に指示されたのは、(人を癒すという)彼の特性のおかげではあるには違いないが、日陰にいた「ラジオ」を日向に導いたジョーンズ氏のおかげ。原石は磨かなければ光らない。悔いる過去を持ったジョーンズとラジオの出会いこそ奇跡。中途半端な同情ではなく、最後まで責任を持ってラジオに接したジョーンズこそ尊敬に値する。

 真の交友は、互いの尊敬の念から生まれる。そんなことをきちんと描いてくれたからこの映画は素晴らしい。花形選手の態度も、ラジオへの尊敬の芽生えから変わった。同情だけではこの関係は長続きしないだろう。
 ラジオはもちろん、ジョーンズ、そして彼を見守った家族たち。高校や、町の人たち。とてつもない宝物を持ち続ける人たちがいることを羨ましく、かつ誇りに思う。
 人間っていいもんだなと。
 

ベスト・フレンズ・ウェディング 

2005年08月22日 | へ~ほ
★★☆
監督 P.J.ホーガン  
出演 ジュリア・ロバーツ、キャメロン・ディアス、ルパート・エヴァレット
1997年 アメリカ

 かつては恋人同士だった親友の突然の結婚話に動揺し、彼を愛していたのにプライドが邪魔をして言い出せなかったジュリアン。自分の気持ちに気づいた彼女はその結婚話を壊そうと画策する。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 この自信過剰の自他共に認める格好いい女ジュリアン、演ずるジュリア・ロバーツが好きか否かでこの女性が許せるかどうか変わるだろう。残念ながら後者の私は到底許せず、話自体はアホらしいの一言。ジュリアンの姑息な画策は格好いい女を気どっているが故に鼻につく。映画全体が、そうは言ってもかわいいじゃないの、と擁護しているのも気に入らない。二人の女に愛されるマイケルも優柔不断な上に魅力に乏しく、そこまで固執するほどの器でないのがつらい。

  ・・と肝心な部分が共感できない致命傷がありながら、なかなかいい味を出していたのがジュリアンのNYでの親友エヴァレット。(容姿的にはこんなになっちゃったのね~な感があるが)こんないい男はざらにはおりません、ジュリアンにはもったいないと思っていたら納得のゲイ。このあたりは洒落ている。
 そしてある意味したたかだが、天真爛漫な魅力全開のキャメロンもかわいいと思う。私はどうしてもジュリア・ロバーツの下品な大口笑いが格好いいと思えないので、対比して好印象だった。

 そしてこの映画の最大のチャーミング・ポイントは「恋人に捧げる歌」(歌そのものの善し悪し、上手いヘタではなく)心を込めて誰かに歌を捧げる行為そのもの・(そこらの日本人がやったら逃げて聞かなかったことにしたい行為だが)にジーンときた。キャメロン扮するキミーの超オンチな歌声も、ジュリアンの嘘につきあったエヴァレットの歌もステキだった。(主役二人のシーンはちょとポイント低いが)歌を捧げる気持ちは相手に伝わり、感動を呼ぶのだと改めて気づかされたいいシーンだった。

ホーンテッド・マンション 

2005年06月05日 | へ~ほ
★★☆
監督 ロブ・ミンコフ 
出演 エディー・マーフィー、テレンス・スタンプ、マーシャ・トムソン 
2003年 アメリカ

 カリブの海賊に続く、ディズニーランドのアトラクションの映画化。
 「パイレーツオブ・カリビアン」が大人の観賞に耐えたのに比べると、こちらは ぐっとお子様向け、そういう意味ではディズニー映画にふさわしいかも。(監督も「スチュアート・リトル」の人だし)そう思えば微笑ましい。実際家の子どもたちは面白いと言っていた。

 普通に映画としてみると、おどろおどろしさが足りなさすぎ!で物足りない。・・つまりお子ちゃまテイスト。その中でテレンス・スタンプが不気味に頑張っていた。でもやっぱり怖さから言ったらこれよりまだ数分のアトラクションの方が雰囲気ある。これはもしかしたら映画に不向きな題材だったのかもしれない。

 子どもが大うけしていた歌う彫像、このばからしさは好き!コメディ・テイスト狙うならこんな感じでもっと弾けていたら楽しかっただろう。

ベン・ハー 

2005年05月06日 | へ~ほ
★★★★
監督 ウィリアム・ワイラー 
出演 チャールストン・ヘストン、ジャック・ホーキンス、スティーブン・ボイド
1959年 アメリカ

 時はキリストがちょうど生誕した頃。ユダヤの由緒正しい富豪の青年ジュダ・ベン・ハーは幼なじみの親友、ローマのメッサラと再会を喜び合う。しかし立場の違いは二人の心を引き裂き、ローマへの協力を拒否したベン・ハーをメッサラは追放。復習に燃えたベン・ハーの過酷な戦いの日々が始まる・・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 アカデミー賞の度にその名が上がる不朽の名作(最多11部門受賞)を初めて観賞。いや~見やすくって面白い。これこそ映画、の典型と言えるだろう。

「ボーリング・フォー・コロンバイン」であっという間に嫌われ者になってしまったヘストン。もとからスキではない俳優さんなので率直=バカ なベン・ハーには肩入れできないが、それでも映画は面白い。
  秀逸なのは(語り尽くされているが)「ガレー船」とクライマックスの馬車馬競技のシーン。特にガレー船では半裸の男たちの体臭までもがむんむん臭ってきそうな迫力。対比してアリアス将軍のどこか寂しげな瞳が印象的。

 馬車馬競技に勝利し、憎きメッサラも倒し、正直ここで終わって欲しかったほど、その後のキリストとのエピソードは余計に感じた。日本人だからそう思うのかもしれないが、映画的には長すぎる。ジュダ=ユダ・ベン・ハーはユダヤの英雄。生身の彼の生き様が、神懸かりのキリストの奇跡で終わっては「なんだよ~」と脱力感ひしひし。

 聞くところによると、本作品はリメイクだそうで、1926年にサイレントで映画化されているという。スケールには欠けるものの、映画としてはそっちの方がまとまっているとの声もあるので、ちょっと見てみたい。


ポロック ★★★★

2005年03月27日 | へ~ほ
監督 エド・ハリス 
出演 エド・ハリス、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジェニファー・コネリー

 監督もこなし、エド・ハリス懇親の演技。終始どうしてもエドが画家?なギャップがついて回ったが(あくまでもイメージの問題)、現代アートの寵児、ジャクソン・ポロックにかける情熱は素晴らしい。内面の演技には定評があるエドだが私がなにより驚いたのがその筆さばき。なんの小細工もなくポロックさながらにエドが生み出していく絵は圧巻。イメージ的にはしっくりいかなかった画家役であったが、ここまで徹底してなりきったエド・ハリス、その思い入れの深さにポロックの絵同様の感動を受けた。

 そもそも芸術家に限らず、ある著名な人物の伝記的映画というのは苦手である。彼らは一応に生きるのに不器用で、常軌を逸し、エキセントリックでユーモアのはいる隙もなく、見ていると非常につらくなってくるからだ。ポロックも例外ではない。絵画に対する内なる情熱と世間的評価に苦しみ、常なる精神不安定を強いられアルコール依存に陥っていく。成功しても消えることのない孤独。まわりにいる誰一人としてその不安を解消できない。多かれ少なかれ誰しもが抱く絶望が濃縮されて見せつけられるのでつらい。
  この世で自分はただ一人・・・そんな思いで心を痛める日が私にもある。自分で自分を攻撃して破滅していく彼らの姿は、それが表現者の宿命だとしても救いがなさ過ぎる。特にポロックが兄弟家族の中でぽつねんとはじき出されていく様は見ていられなかった。

 芸術家の映画だけあって、映像は美しい。しかし雰囲気に頼らず、このあたりかなり配慮していると感じた。また40年代のアメリカン・クラシック・カーが多数出てくるのでこれも堪能できた。隅々までエドの思いが伝わってくる。
 
 お恥ずかしながら現代アートに疎くてポロックなる存在を初めて知ったのだが、彼の作品を見るとその奥深い力強さは、人間としての幸せを引き替えに生み出されたものであろうと想像に足る。「決して偶然ではない」、陳腐な表現だがポロックの魂そのもの。

 道にひかれた犬を抱き上げるポロックのやさしさ、やさしさだけでは生きていけないこの世の難しさ。

ぼくセザール10歳半1m39cm ★★★

2005年02月10日 | へ~ほ
監督 リシャール・ベリ 
出演 ジュール・シトリュック、ジョセフィーヌ・ベリ、アンナ・カリーナ

 セザール10歳半。息子よりも微妙に年上、まだまだおこちゃま。でも女の子への関心、アプローチは進んでいるぞ。(親が知らないだけ?)映像がきれいでかわいい。子供が生き生きしていて、おしゃま。大人は子供の視点から描かれる典型的なフランスの子供が主役の映画のよう。
 同じ世代の子のやることなすことがおかしいのか、息子は興味津々で観ていた。でも最後の強引なまとめ方といい、セザール中心の描写だったはずがモルガンの父親探しが主流になってくる中盤あたりからちょっと散漫な印象。もっとさりげない日常、小さな事件程度でいった方が小粋な映画になったのではないか。中盤以降は太っている男の子である設定、セザールの存在がどんどん希薄になってしまった。父親が囚人であると妙に同情してやさしい大人(校長先生)は愉快だが、子供から見た大人像もちょっと描き方がありきたり。
 (頼もしいおばはんグロリアがかのアンナ・カリーナだとは正直かなりのショックです。)

 特典DVD映像をチェックすると、実際の子供たちはもっと大人びてしたたかでしっかりしている。大人が考えた子供、または記憶にある子供の頃、といった感じ。(ちょっと辛め)

ホワイト・オランダー ★★★

2004年11月15日 | へ~ほ
監督 ピーター・コズミンスキー
出演 アリソン・ローマン、ミシェル・ファイファー、レニー・ゼルウィガー 

 自らはアーティストとして、ばりばり現役の女としてスキなように生きながら、一人娘を勝手は許さないと自分の支配下に置く母、ミシェル。その欲求は刑務所に拘留されてからより加速する。美しく憧れであった母の束縛から次第に自立していこうとする娘の苦悩とあがき。自らも持っている魔性によって里親を転々としていくうちに、絶対的な母が、実はただの身勝手な女であったことに気がついてしまう。

 ミシェル演じるイングリットはとてつもなくエキセントリックだが、この母娘の関係は少なからず誰にでもあてはまるものかもしれない。母は女である時に子供を産み、そこから母親としての人生が始まるわけだが、子供に対してはまるで生まれながらに母親であったかのように振る舞う。子供にしても、母親が実は以前はただの愚かな女にすぎなかったことをある時期までは考えもしない。
  アストリッドにとって母親との決別は、実際の育ての親がいたことを思い出した時だろう。そこで、母が子供よりも自分の欲求を優先させた愚かしい女であったという事実と、母親の傘下から離れて経験した事で知った、もう子供ではない女としての自分。母親を崇拝し、憎む目はやがて同じ女という性を見つめる目に変わっていく。

 女性は誰しも毒を持ちながら美しく輝こうとするホワイト・オランダーなのだ。毒を失えばスターやクレアのように枯れていくか死んでしまうのみ。母はこれからも毒を保ちながら輝いていくだろうし、自分の中にある毒に気づいているアストリッドもまた母親のように美しい花を咲かせるに違いない。

 豪華出演のこの映画。クレアの夫役でERのカーター先生が登場していたが、なにをどうみてもカーター先生にしか見えなかった。やはりERと心中するしかなさそう?

ぼくは怖くない ★★★★

2004年09月17日 | へ~ほ
監督 ガブリエル・サルヴァトレス
出演 ジョゼッペ・クリスティアーノ、アーティーア・ディ・ピエッロ

 いい、ということだけでなんの予備知識もなくみたおかげで、途中まで穴の中の謎の人物にミケーレ同様どきどきし、「怖かった」。ただ、私には再度確認しに行ったり、ついには穴の中に入って確かめてみるなどというミケーレのような度胸はない。「わたしは怖い」。

 謎の人物の正体が明かされた以降、映画はぐんと違う側面を見せ始める。ここからが本題だ。

 ミケーレたちの住む南イタリアの村は一面の麦畑の風にたなびく黄金の穂、草花や空までが美しく、しかしそれ故に貧しい。ミケーレは妹と共に友だちとその風景の中で遅くまで遊びほうける毎日を送っているが(その遊びの中身は生やさしくはない)、村の大人たちが抱えている問題などは知るよしもない。彼らにとって大人とは父母のように自分たちを愛し、保護してくれる存在、または豚の見張りをするおやじのように意味もなく怖い存在である。「生きていくために」という現実的で逃れることの出来ない重荷を常に背負っているのだと言うことをまだ知らない。知らないが故に無邪気でいられるのだ。

 村ぐるみで犯した事件はいかなる理由があろうとも許されるものではないが、「大人になったらこの村を出ると約束して」という母の悲痛な叫びをどこかで理解するミケーレ。彼が踏み出した大人への一歩は妥協でも迎合でもない。決して逃げることなく「ぼくは怖くない」と踏みだし続けたミケーレの今後は、父や母やその他の村人たちとの人生とは違うものであろう。
 甘くないのに後味さわやか。がんばれ、負けるな!といつまでも応援し続けたい。

ヘヴン ★★★

2004年07月23日 | へ~ほ
監督 トム・ティクヴァ  
出演 ケイト・ブランシェット、ジョヴァンニ・リビシ、レモ・ジローネ

 1996年に他界したK.キェシロフスキの遺稿をもとに映画化された。
麻薬売買で、夫や生徒を死に追いやった男をオフィス爆破で殺そうとした女フィリパ。しかしそれは未遂に終わり、代わりに罪もない4人の親子、掃除婦の命を奪うことに。
  イタリア憲兵の尋問を受けるフィリパに若き刑務官フィリポは恋をする。彼女を信じ、逃亡させ、男の暗殺を手助けし、希望のない逃避行を始める二人。

 復讐を遂げ、もはや死を覚悟していたフィリパだが、若きフィリポに助けられ思いを知り、わずかな希望を夢みたのであろうか。死を覚悟したからこそ、ひとときの安らぎに身をゆだねたかったのか。
 フィリポの父が問う、「息子はあなたを愛している。だが君は?」に長い間をおきながら「愛しています」とフィリパは答える。そう答えれば彼を巻き添えにしてしまうことは明白だ。まだ若く前途ある青年、目の前には彼を愛してやまない父親がいるにも拘わらず。
 友人まで巻き込んで二人は逃亡を続ける。お互いなにもよく知らない間柄。ただ今一緒にいることだけが全てだ。
 道徳も良心もあえて排除して二人で居続ける。友人を巻き込み、父を泣かせ、全てを踏みつけてまでも貫き通すことが真実の愛の形であると映画は静かに語っている。

 フィリパ役のケイトの完璧な美しさ。坊主頭にしてこれほどに気品ある横顔を持つ人がいるだろうか。フィリポ役のリビシも静かないい演技。父親に「おまえらしい」と言わせるまっすぐな青年を好演していて見直してしまった。
 感動的なのは敢えて息子を旅立たせるフィリパの父親。誰よりも息子を理解し、我が子を失いたくないという親のエゴを抑えその意志を尊重する。(母親ではこうはいかないだろう)

 正直う~ん、というところがあるのも事実だが美しい映像、 美しい俳優たち。好きです、こういうの。

ぼくの好きな先生 ★★★★★

2004年05月14日 | へ~ほ
監督  ニコラ・フィリベール
出演  ロペス先生と3歳から11歳までの13人のクラスメイトたち

 すぐれたドキュメンタリーを多く配給するフランス映画(WATARIDORI、ミクロコスモスなど)これまた傑作。扱うのは人間だが。

 監督自身が探しに探した少人数制の小学校。ついにめぐり会えたのはフランス中部オーベルニュ地方の山村の小学校。ここにはちょっとロイ・シェーダー似のロペス先生と3歳から11歳までの13人の子供たちがいる。
 小さな子はまだママが恋しい年頃。大きな子は中学入学を控えそれぞれの家庭の事情、同じ年代の子との確執に揺れている。
 いわば、年少から小学6年生までをたった一人で見るロペス先生であるわけだが、その口調は淡々として、決して怒鳴らず、叩かず、また大げさに褒めそやすこともしない。幼稚園年代の子供に対しても、小さいからと赤ちゃん扱いすることもなく、一個の人格として扱う。静かな静かな熱血先生なのだ。
 
 この映画の主役はなんと言っても子供たち。どちらかというとできのあまり良くない(?)子供たちにじっくり根気よく教えるロペス先生とのやりとりがいい。聞いているのかいないのか、何度言っても同じ間違いを繰り返す。時にカメラを意識しながらありのままの日常を見せてくれる。

 ここは特別でない、世界のどこかにある普通の学校であるはずが、都会にはもう存在しない貴重な文化遺産のような、宝のような存在であるのがちょっと皮肉だ。