★★★★☆
監督:ケン・ローチ
主演:キリアン・マーフィー、リーアム・カニンガム、ポードリック・ディレーニー
2006年 アイルランド、英、独、伊、スペイン、仏
1920年、アイルランドはイギリスの支配下の元、人間らしい生活を送ることさえできないでいた。
デミアンは医者をめざす前途有望な若者だった。ロンドンでの仕事が決まり、仲間とハーリングを楽しんでいたが、イギリスから送られた武装警察隊に尋問を受け、仲間のミホールが英語で話さず、名前をゲール語で言ったために拷問を受け殺されてしまった。仲間たちはイギリスへの抵抗、アイルランド独立を一緒に目指そうとデミアンを誘った。一度はその手を振り切りロンドンへ行こうとしたデミアンではあったが、駅で再びイギリス兵の横暴を目にし、故郷で兄たちと独立への戦いに実を投じる決心をする。
ゲリラとしての戦いは激しくまた厳しいものだった。多くの仲間を失い、裏切りのために同胞を処刑することも余儀なくされた。デミアンはかつての幼なじみをその手で殺した。デミアンの中でなにかが崩れた瞬間だった。
ゲリラ戦はイギリスに打撃を与え、ついにイギリスは停戦を申し出てきた。喜ぶ村に人びと。しかしその講和条約の内容は、真のアイルランド独立とはほど遠いものだった。これでは貧しい人びとが救われることはない。
この講和条件をめぐり、対立はアイルランド同胞同士が戦う内戦へと向かう。かつての同胞は敵となった。兄テディは政府軍として、反勢力のデミアンと戦うようになる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
戦争を肯定することは、あってはならないことと重々承知しても、それでも戦うことが許されるとしたら、それは自分の国で人間らしく生きる権利を理不尽に奪われることではないか。
冒頭のイギリス武装警察にミホールが惨殺されるシーンは、ゲリラとしての戦いを容認できるものだった。それはもう自然に心の底から湧いてくる憎しみに近い。人は憎しみによって戦うのだ。肉親や友を奪われた憎しみ、人間としての尊厳を踏みにじるモノへの憎しみ。
しかし人間誰しもが同じ気持ちとは限らない。たとえ始めの思いが一緒だったとしても、戦う気持ちの温度差はどうしもようもなく、その足並みが揃わぬことが同胞同士の戦いという悲劇を生んでいく。一度戦争という麻薬に触れてしまったら、どちらかが壊滅的な負けを経験しない限り、終わらせることは不可能ではないか。中途半端に手を引いたイギリスによって、アイルランドはその後ずっと戦争の泥沼から抜け出せなかったのではないかと、よく知りもしないくせにそんな風に映画を観ながら思っていた。
ダミアンが同胞のクリスに弾いた引き金は、尊厳を取り戻すための戦争から、名目を失った殺し合いに成り下がった瞬間だった。彼が言うように、「越えてはいけない一線を越えてしまった」のだ。幼なじみを奪われた憎しみで手にした銃で、なぜ別の幼なじみを処刑するのか。その矛盾を抱えたまま、その銃は巡りめぐって血を分けた兄弟に向けられる。
戦いはいつだって始めてしまったら後戻りができない。たとえ始まりに正当性があろうとも、過ちに気がついたとしても。それが昔も今も変わらぬ真実であるからこそ、ケン・ローチはこの映画を作ったのだと思う。
監督:ケン・ローチ
主演:キリアン・マーフィー、リーアム・カニンガム、ポードリック・ディレーニー
2006年 アイルランド、英、独、伊、スペイン、仏
1920年、アイルランドはイギリスの支配下の元、人間らしい生活を送ることさえできないでいた。
デミアンは医者をめざす前途有望な若者だった。ロンドンでの仕事が決まり、仲間とハーリングを楽しんでいたが、イギリスから送られた武装警察隊に尋問を受け、仲間のミホールが英語で話さず、名前をゲール語で言ったために拷問を受け殺されてしまった。仲間たちはイギリスへの抵抗、アイルランド独立を一緒に目指そうとデミアンを誘った。一度はその手を振り切りロンドンへ行こうとしたデミアンではあったが、駅で再びイギリス兵の横暴を目にし、故郷で兄たちと独立への戦いに実を投じる決心をする。
ゲリラとしての戦いは激しくまた厳しいものだった。多くの仲間を失い、裏切りのために同胞を処刑することも余儀なくされた。デミアンはかつての幼なじみをその手で殺した。デミアンの中でなにかが崩れた瞬間だった。
ゲリラ戦はイギリスに打撃を与え、ついにイギリスは停戦を申し出てきた。喜ぶ村に人びと。しかしその講和条約の内容は、真のアイルランド独立とはほど遠いものだった。これでは貧しい人びとが救われることはない。
この講和条件をめぐり、対立はアイルランド同胞同士が戦う内戦へと向かう。かつての同胞は敵となった。兄テディは政府軍として、反勢力のデミアンと戦うようになる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
戦争を肯定することは、あってはならないことと重々承知しても、それでも戦うことが許されるとしたら、それは自分の国で人間らしく生きる権利を理不尽に奪われることではないか。
冒頭のイギリス武装警察にミホールが惨殺されるシーンは、ゲリラとしての戦いを容認できるものだった。それはもう自然に心の底から湧いてくる憎しみに近い。人は憎しみによって戦うのだ。肉親や友を奪われた憎しみ、人間としての尊厳を踏みにじるモノへの憎しみ。
しかし人間誰しもが同じ気持ちとは限らない。たとえ始めの思いが一緒だったとしても、戦う気持ちの温度差はどうしもようもなく、その足並みが揃わぬことが同胞同士の戦いという悲劇を生んでいく。一度戦争という麻薬に触れてしまったら、どちらかが壊滅的な負けを経験しない限り、終わらせることは不可能ではないか。中途半端に手を引いたイギリスによって、アイルランドはその後ずっと戦争の泥沼から抜け出せなかったのではないかと、よく知りもしないくせにそんな風に映画を観ながら思っていた。
ダミアンが同胞のクリスに弾いた引き金は、尊厳を取り戻すための戦争から、名目を失った殺し合いに成り下がった瞬間だった。彼が言うように、「越えてはいけない一線を越えてしまった」のだ。幼なじみを奪われた憎しみで手にした銃で、なぜ別の幼なじみを処刑するのか。その矛盾を抱えたまま、その銃は巡りめぐって血を分けた兄弟に向けられる。
戦いはいつだって始めてしまったら後戻りができない。たとえ始まりに正当性があろうとも、過ちに気がついたとしても。それが昔も今も変わらぬ真実であるからこそ、ケン・ローチはこの映画を作ったのだと思う。