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魔女っ子くろちゃんの映画鑑賞記録

映画大好き!わがまま管理人の私的な映画鑑賞記録です。名作・凡作関係なく、好き好き度★★★★★が最高。

麦の穂をゆらす風

2006年11月28日 | ま行
★★★★☆
監督:ケン・ローチ
主演:キリアン・マーフィー、リーアム・カニンガム、ポードリック・ディレーニー
2006年 アイルランド、英、独、伊、スペイン、仏

1920年、アイルランドはイギリスの支配下の元、人間らしい生活を送ることさえできないでいた。
 デミアンは医者をめざす前途有望な若者だった。ロンドンでの仕事が決まり、仲間とハーリングを楽しんでいたが、イギリスから送られた武装警察隊に尋問を受け、仲間のミホールが英語で話さず、名前をゲール語で言ったために拷問を受け殺されてしまった。仲間たちはイギリスへの抵抗、アイルランド独立を一緒に目指そうとデミアンを誘った。一度はその手を振り切りロンドンへ行こうとしたデミアンではあったが、駅で再びイギリス兵の横暴を目にし、故郷で兄たちと独立への戦いに実を投じる決心をする。
 ゲリラとしての戦いは激しくまた厳しいものだった。多くの仲間を失い、裏切りのために同胞を処刑することも余儀なくされた。デミアンはかつての幼なじみをその手で殺した。デミアンの中でなにかが崩れた瞬間だった。
 ゲリラ戦はイギリスに打撃を与え、ついにイギリスは停戦を申し出てきた。喜ぶ村に人びと。しかしその講和条約の内容は、真のアイルランド独立とはほど遠いものだった。これでは貧しい人びとが救われることはない。
 この講和条件をめぐり、対立はアイルランド同胞同士が戦う内戦へと向かう。かつての同胞は敵となった。兄テディは政府軍として、反勢力のデミアンと戦うようになる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 戦争を肯定することは、あってはならないことと重々承知しても、それでも戦うことが許されるとしたら、それは自分の国で人間らしく生きる権利を理不尽に奪われることではないか。
 冒頭のイギリス武装警察にミホールが惨殺されるシーンは、ゲリラとしての戦いを容認できるものだった。それはもう自然に心の底から湧いてくる憎しみに近い。人は憎しみによって戦うのだ。肉親や友を奪われた憎しみ、人間としての尊厳を踏みにじるモノへの憎しみ。
 しかし人間誰しもが同じ気持ちとは限らない。たとえ始めの思いが一緒だったとしても、戦う気持ちの温度差はどうしもようもなく、その足並みが揃わぬことが同胞同士の戦いという悲劇を生んでいく。一度戦争という麻薬に触れてしまったら、どちらかが壊滅的な負けを経験しない限り、終わらせることは不可能ではないか。中途半端に手を引いたイギリスによって、アイルランドはその後ずっと戦争の泥沼から抜け出せなかったのではないかと、よく知りもしないくせにそんな風に映画を観ながら思っていた。

 ダミアンが同胞のクリスに弾いた引き金は、尊厳を取り戻すための戦争から、名目を失った殺し合いに成り下がった瞬間だった。彼が言うように、「越えてはいけない一線を越えてしまった」のだ。幼なじみを奪われた憎しみで手にした銃で、なぜ別の幼なじみを処刑するのか。その矛盾を抱えたまま、その銃は巡りめぐって血を分けた兄弟に向けられる。

 戦いはいつだって始めてしまったら後戻りができない。たとえ始まりに正当性があろうとも、過ちに気がついたとしても。それが昔も今も変わらぬ真実であるからこそ、ケン・ローチはこの映画を作ったのだと思う。

マスク・オブ・ゾロ

2006年09月16日 | ま行
★★★☆
監督:マーティン・キャンベル
主演:アントニオ・バンデラス、キャサリン・ゼダ・ジョーンズ、アンソニー・ホプキンス
1998年 米・メキシコ

 スペインから独立を果たしたメキシコであったが、カリフォルニア知事のドン・ラファエルはまだ帰国せず、いまいましい民衆のヒーロー、”ゾロ”を殺そうとしていた。処刑者を囮にしてゾロをおびき出したが、まんまとゾロにしてやられたラファエルだが、ゾロの正体を見破り、ドン・ディエゴ・デ・ラ・ベガ邸へ押し入る。争いの巻き添えでベガの妻が命を落とし、彼女に思いを寄せていたラファエルは二人の間に生まれた愛娘エレナを強奪し、ベガを投獄する。
 20年後、3人の盗賊がラファエルの配下ラブ大尉に襲撃され、そのうちの一人が射殺された。兄を失ったアレハンドロは、必死で逃げ延び、復讐に燃え脱獄したベガと出会う。アレハンドロ兄弟は、幼き日ゾロに憧れ、彼の命を救ったことがあった。
 ラファエルが再びカリフォルニアに戻ったことを知ったベガは、彼を殺そうとするが、美しく育ったエレナが父と呼ぶのを聞いて躊躇する。ベガは老いた自分に変わってアレハンドロを”ゾロ”に仕立てるべく、猛特訓を課す。やがてただのならず者だったアレハンドロは剣術をマスターし、復讐のためラファエルとラブに近づいていく。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 出てきたときは下品でこ汚く、(サッカーの)ラモスのような頭をしたいけてないバンデラスが、品を身につけたとたんにうっとりほれぼれするようなゾロになるのだから、映画って凄いと思う。(爆)

 もともとメキシコの英雄”ゾロ”にバンデラスはうってつけ。マスクをすればホプキンスおじちゃまも悪くはないが、(馬に乗って夕日に映るゾロは格好いい!・・・スタントだろうけど)あの体型ではもはや無理というもの。ちなみにバンデラスはマスク付けない方が数段ステキだった。

 悪い奴は徹底的に悪く、ラファエルは少々小物な感じもしないではないが、ラブ大尉の非情さはなかなかのもの。しかしあんな至近距離で闘って、”ゾロ”の正体が見抜けないのはあり得ないと心配したが、彼の正体は意外とあっさり割れて安堵した。

 続編も作られたようだが、バンデラスとキャサリンの図はやっぱり濃い。お似合いすぎて逆に違和感さえ感じてしまいそうだ。それにしてもキャサリン・ゼダ・ジョーンズは昔も今も変わらぬ貫禄。エレナもいいが、「スパイ・キッズ」のママもやってほしかった。

マシニスト

2006年04月02日 | ま行
★★☆
監督:ブラッド・アンダーソン
主演:クリスチャン・ベール、ジェニファー・ジェイソン・リー。マイケル・アイアンサイド
2004年 米・スペイン

 機械工のトレヴァーは、極度の不眠症ですでに一年眠っていない。体はまるで屍のようにやせ細っているが、その原因は不明である。
 ある日、トレヴァーは工場内でアイヴァンという男に声をかけられた。なぜかその男が頭から離れず、気をとられて同僚のミラーに片腕を失う怪我を負わせてしまった。それ以来トレヴァーは同僚から敬遠されるが、今度は自分も怪我をしそうになる。全ては謎の男アイヴァンのせいなのだが、同僚の誰一人として彼を認識する者はいなかった。
 四面楚歌状態のトレヴァーはお気に入りの空港内のカフェで、ウェイトレスのマリアと出会う。彼女の息子と共に遊園地で楽しく過ごすが、マリアの息子はトレヴァーと居るときに癲癇の発作で倒れてしまった。
 何かがおかしい。あのアイヴァンという男が現れてから・・・・。工場もクビになり、トレヴァーはなにかの陰謀を感じていた。しかし・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 結局は良心の呵責から起こった幻想・・・というオチにはがっくしだった。そういうオチで行くならもっと心理的なアプローチがあったのではないかと思う。この話の展開ではトレヴァーがあそこまでやせ細る理由が分からず、単なる話題作り→そして気持ち悪い・・・という印象しか残らない。
 だいたい顔を変えたり、体型を変えたりとかの、根性の役作りが私はだいっきらいなのだ。
 結局映画を見終わっても、そのストーリーなどなにも心に残らず、ただクリスチャン・ベールのミイラのような姿がつらいだけ。それが狙いならばもっとそれにふさわしいストーリーをせめて用意してほしかった。(だいたい一年も不眠で人は生きていられるのだろうか???)
 例えば「インソムニア」みたいに、その地のもつミステリアスな空気で不眠になった主人公が、気がついたらトレヴァーみたいになっちゃうとか。全編あの姿を通されるときつい。インパクトも弱い。

 実は自分だった・・というオチは「シークレット・ウィンドウ」とか結構あるパターンで、脱力系。
クリスチャン・ベールは、痩せ損だったかも。もっと普通で勝負してほしい。なかなかいい感じではあるのだから。

 

ミュンヘン

2006年02月10日 | ま行
★★★☆
監督:スティーヴン・スピルバーグ
主演;エリック・バナ、
2005年 アメリカ

 1972年、平和の祭典ミュンヘン・オリンピックの最中、パレスチナのテロ組織が、人質時になったイスラエル選手及び関係者11人が殺されてしまうという前代未聞の惨劇が起こった。囚人の解放という目的を達することなく、犯人のパレスチナ人も全員射殺された。
 計画は失敗に終わっても、全世界に対イスラエルの問題を知らしめたパレスチナ側であったが、収まらないのはイスラエル政府である。ドイツを始めとする欧米の無理解とユダヤ人のプライドにかけて、先の事件に拘わった需要人物11人の暗殺を首相の命ににより秘密裏に決定した。
 暗殺には5人の男たちが選ばれ、そのリーダー格に白羽の矢を立てられたのは、妻の出産を数ヶ月後に控えたアブラーであった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 きっかけとなったミュンヘン・オリンピックの惨劇は記憶にある。しかし当時からなんら変わることのない世界情勢の今、かの事件を知らなくてもなんら問題はないと思う。・・それほどもまでに、イスラエル=パレスチナ問題は根深いのだ。

 ミュンヘン事件の全容は子供だったので理解も浅く、ただ平和の祭典であったはずのオリンピックで、あってはならないほどの大事件が起きたとしか記憶していない。ましてその報復としてその後、かような暗殺が実行されていたことなど知る由もなかった。

 政府、国の関与が疑われぬためとはいえ、秘密裏に結成された暗殺チームはアマチュアの寄せ集め。本当にこんな素人たちにやらせたのかと疑問が残るほどだ。

 長きに渡り迫害され続けた歴史を持ち、祖国の地もたないユダヤと、血で血を洗う報復を続けてきたアラブ。単一民族で島国育ちの日本人には到底理解できない、祖国に命を捧げる若き魂たち。すでに正しいとか間違っているとかの次元を超えている救いのなさがつらい。
 彼らのような苦渋の背景を持たない国に生まれた私などは、国や民族という大義名分のために、直接的にはさしたる恨みもない(ちょっと御幣があるかもしれないが)人間を殺すことより、同僚を殺した女を殺すほうが、よほど人間的な感情だと思う。無論こんな私情による勇み足は非難されることになるのは承知だが。

 顔の見えない、知らない相手は殺しやすいのだろう。たとえその思想や立場が相容れないものであっても、互いの思いをぶつけ合ったアラブの青年が目の前で死んだとき、アブラーの心は動かなかっただろうか。

 祖国と民族のためにと、互いに人として向き合うことさえもせずに一種の洗脳によって殺しあう。そしてそこに介在するアメリカやパパのような第三者たち。利権や思惑が渦巻く世界にあって、彼らの純粋な思いは利用され、その死は無駄死にとなる。
 守るべきはなんなのか・・・・。アブラーの選択とラストに映し出されたツイン・タワーを見て思いはきっと同じはず。
 
 イスラエル、アラブと中立な立場でこの映画を撮ったスピルバーグの願いもそこにあるのではないか。両者もっと冷静な目で客観的に事実と現状を受け止めて欲しいと。

ミリオンダラー・ベイビー

2005年12月08日 | ま行
★★★★
監督:クリント・イーストウッド
主演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン
2004年 アメリカ

 フランキーは赤字で苦しみながらも、そこそこ有能なボクサーも抱えるジムの経営者。しかしそのマネージメントは慎重で、タイトルに手の届きそうなボクサー、ビルも他のマネージャーに引き抜かれてしまった。
 フランキーが、タイトル戦に消極的なのには理由があった。彼の今では相棒のような存在の、ジムの雑用係スクラップ。彼との一件以来、フランキーの最大の教えは「自分を守れ」。彼はボクサーが無理な試合をすることによって、その後の人生が終台無しになってしまうのを何よりも恐れていたのだった。
 そんなフランキーのもとに、志願してきたのはマギーという女性だった。彼女は貧しい境遇に育ち、なんとかボクシングで一花咲かせたいとなみなみならぬ決意を持っていた。
 女性ということと、マギーの31才という年齢で、トレーナーになることを断固拒否したフランキーだったが、彼女の情熱とスクラップの進言もあって、ついにマギーを指導するようになる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 今年度のアカデミー賞を総なめ(?)状態にしたのもうなずけるほど、こんなに力を持ち、観るものにずっしりとした「何か」を残していく映画はそうそうない。やはり映画として、イーストウッドの力量を感じないわけにはいかない。

 好きか嫌いかとなると大きく分かれる作品だと思う。それだけ扱っているテーマが重く、苦しいからだ。
 私個人とすれば、前作「ミスティック・リバー」は良くできてはいるものの二度とは見たくない苦手な映画だ。しかし本作はイーストウッドおじいちゃまとスワンク嬢のラブ・ストーリーとして捉えると、それはそれで極上のドラマに仕上がっている。いや、そういう映画であると思いたい。
 年齢差や立場の違いがあるからこそ、限りなく師弟愛を貫く二人。でもやっぱり男と女だもの、そこに男女のLOVEが生まれてくるのは至極自然。ラスト「モ・クシュラ」の意味を告げた告白を待つまでもなく、二人の間に存在した愛が全てだったと思う。
 だからマギーはフランキーに命を託したのだし、フランキーも彼女のリングにタオルを投げ込んだんだと思う。尊厳死の是非云々というのは、こういう媒体においては議論されてしまうのも致し方ないだろうけど、私でもやはり愛する人が望むなら、そのようにしてあげたいと思うだろう。それは素直な感情ではないのかな。

 ただこの映画が深入りしすぎたのは、そこに神の存在をちらつかせた点にある。「神は人を救わない」「祈っているだけでは何も解決しない」「世の中には一生懸命生きていても、それを押しつぶそうとする不条理なことが沢山存在する」
 これらの前作から続くイーストウッドのメッセージは明確で、その通り!なだけにまた多くの疑問を呼ぶところでもあるのだ。

 あんな神父など登場せずに、そして地味でも静かなハッピーエンドを望んだとしても、そんな映画は作らないんだろうな、イーストウッド爺ちゃまは。
 「メッセージを持たない映画は作らない!」な発言をしたショーン・ペンを思い出してしまった。

モンスター

2005年12月08日 | ま行
★★★
監督:パティ・ジェンキンス
主演:シャーリーズ・セロン、クリスチーナ・リッチ、ブルース・ダーン
2003年 米・独

 アイリーンは不幸な生い立ちを背負った女性。幼い頃から売春をして暮らしていた。それでもいつかは花開く夢をずっと持ち続けていたが、そんな日は永久のこないのだと悟った時、わずか5ドルの所持金を使い切ったところで自殺しようと思い詰めていた。
 そんな彼女がとあるバーで出会ったのは、同性愛者のセルビー。アイリーンに興味をもったセルビーを、最初は突っぱねてはみたものの、孤独な魂はたちまち強く惹かれ合ってしまった。
 二人で暮らそうと、売春で資金をかせごうしたアイリーンのその日の客が悪かった。サディストのレイプ魔の男はリーを半殺しの目に遭わせ犯そうとした。彼女の最初の殺人は正当防衛によるものだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 アメリカ史上初の女性連続殺人で死刑に処せられた実在の女性アイリーン・ウォーノスを美人女優シャーリーズ・セロンが増量+メイクで体当たり演技、見事アカデミー賞を受賞したと話題になった。

 アイリーンは幼い頃から幼児虐待、兄からの性的暴力、14才での妊娠・・とかなり悲惨な生い立ち。自身も過酷な過去を持つセロンがこの役を熱望し、情熱を捧げたのはうなずける。そしてアイリーンの悲惨な体験に、その容姿が少なからず起因していたとすれば、美人のまま演ずるわけにもいかず、可能な限り似せてリアルに描こうとしたのも・・・理解できなくはない。

 でも、一体リアルってなんなのだろう?演じるってなんだろう?そんなことをずっと思いながら見続けていた。
 この映画はハッキリ言って不快だった。内容からしても2度見る気にはなれない暗い素材を扱っている。どんな理由があろうとも、アイリーンが哀れであろうとも、連続殺人においては同情の余地はない。

 でもこの不快さは、アイリーンに対してというよりもこの映画に対して感じてしまう感覚なのかもしれない。リアルという点においては、事件の全容も事実とは違うようだし、アイリーンの相手であったセルビー(本当はティリア・ムーア)の容姿もリッチとはかけ離れている。そもそもドキュメンタリーでもないのだから、as isである必要性はないのにも拘わらず、セロンだけがその美貌をかなぐり捨てての役作り・・・それがあまりにも強烈すぎてバランスは大いに崩され、なんだかイヤなものを見せられた気分になってしまった。
 セロンに関しては賛否両論ではあるものの、ここまで女を捨てちゃった役作りをしなければいけないなら、この役はセロンじゃない方がいいなどと極論に走ったりして。なりふりかまわまないってのは、いくら情熱があったとしてもだめなんだよ。美しい人は美しい人を演じるべきと思っている私は、こういったイメージチェンジ的役作りは見ていてつらい。見ていて痛々しいのは不快。

 役でいえば、実物よりも何倍も可憐なリッチは、実は極悪なセルビーを見事に演じていた。実際のティリアはアイリーンの映画権を売るようないやらしさであるが(実際一緒に強盗行為をしていたようだし)、リッチ演じるセルビーもさもありなんと思わせる。この映画で真に輝いていたのはリッチだと思う。

 不快だが、映画はとても力がある。苦手だったと言っておこう。



マッドマックス

2005年12月07日 | ま行
★★★☆
監督:ジョージ・ミラー
主演:メル・ギブソン、ジョアン・サミュエル、ヒュー・キース・バーン
1979年 オーストラリア

 時は今より数年先・・・。暴走族のナイトライダーは、追撃してくる警官達を荒っぽく振り切り負傷させながら暴走し続けたが、待ち受けていたマックスによって事故死してしまった。
 とある町に集まってきたバイクの集団。彼らはトッカッター率いる暴走族で、駅に着いたナイトライダーの遺体を引き取りにきたのだ。その住人を乱暴した後、彼らの仲間であるジョニーを逮捕したマックスたちだが、ジョニーは不起訴になり釈放されてしまう。マックスの友人グースは逆上し、ジョニーに手を出したためにその後トッカーターらの手にかかり、焼死してしまった。
 ショックを受けたマックスは一旦は辞職しようと上司に願い出るが、考え直すよう諭され、休暇をもらい普段一緒にいてやれなかった家族と旅に出かけた。しかしその途中でマックスの妻ジェシーがトッカーターらと出会い、その怒りを買う出来事が起こってしまった。トッカーターはしつこく彼らを追い回し、ついにはマックスの目前でジェシーは瀕死の重傷を負い、子供は死んでしまった。
 復讐に燃えたマックスは、改造されたインターセプターに乗って、トッカーターらを追いつめる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 公開当時やれカーアクションが凄いとか、スタントマンが2人死亡したとか話題にことかかなかったが、今見ると非常にあっさりとした印象を受ける。こういったバイオレンスに感覚が麻痺してきているのか、古くさいというのとは違う。
 
 映画は実に淡々としていてよけいなウェットな演出はない。描くはただ一つラストにむけたマックスの復讐劇、そしてマシンがひたすら暴走する姿なのだ。よってここによけいな善悪感は無用。トッカーター率いる暴走族はひたすら非情な悪漢達だが、マックスら警官においても暴走に魅入られたという点、復讐のためには情けもかけず執念で追いつめるという点で、全くの同類。見事なまでの公平なスタンス、そういう意味でなかなかない映画だと思う。
 唯一違うのは、トッカーターらは仕掛けるが、マックスはやられたらやりかえす、ということだろうか。しかしそこに警官だからとか、うさんくさい(?)正義がひとかけらも存在しないことに妙に清々しさを覚え、ハリウッドが作ったらこうはならないだろう、やっぱりオーストラリア映画だと納得してしまうのだ。

 若い、血の気がたぎるメル・ギブソンはすごくチャーミングだ。年と共に分別くさくなってしまったのが残念。上司フィフィとの関係は微笑ましく清涼剤。
 音楽があのブライアン・メイということだが、特に彼だからということはない。それよりも公開当時日本版のみで流れた(確か家族とドライブするシーン)惣領泰則の限定主題歌がとてつもなく格好良かったのだが、DVDには収録されていなくて残念だ。(あと、この DVD音悪すぎ!)

モーターサイクル・ダイアリーズ 

2005年10月21日 | ま行
★★★☆ 
監督:ウォルター・サレス
主演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、ミア・マエストロ
2004年 米・独・英・アルゼンチン・ペルー

 23歳のアルゼンチンの医学生エルネストは大学を休学して、親友アルベルトと共に南米大陸横断の旅(最終目的地はベネズエラ)に出かける。二人の足は今にも壊れそうなおんぼろバイク、ポテローサ。
 喘息という持病を抱えるエルネスト。途中何度もバイクが壊れ、予定を大幅に遅れながらも二人の旅は続いた。チリでついにポテローサを手放し、歩きとヒッチハイクで旅する二人は、次第に自分たちの知らなかった南米の姿を垣間見ることになる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 偉大なるキューバ革命の士、チェ・ゲバラ若き日の冒険旅行物語。死後発見され、遺族によって発表された日記が元になっているという。

 何不自由なく裕福で愛に溢れた家庭に育ったエルネスト。そんな彼がカリスマ革命家になるきっかけ、もしくはその種が蒔かれたかもしれない南米の旅。題名とは裏腹に、彼らの本当の旅はバイクを捨て、その足で歩いてから始まった。
 そう、真実は上の方から眺めていたのでは見えてこない。あのオンボロバイクの旅もかなり悲惨なものだったが、それを捨てて過酷な状況になってから、エルネストは変貌する。目に映るのは、おぼっちゃま育ちの彼からは想像できない「生きていくこと」が困難な人びと。おそらくそれまでの彼は多少の挫折こそあれ、人生を謳歌していたに違いない。
 ただ貧しいだけじゃない。自分の土地で人間らしく生きていくことを奪われた人びとと接し、資本主義への不信感が生まれたとしても不思議ではないだろう。以後いかに彼がマルクス主義に傾倒していくのかは知るところではないが、この旅こそが原点だったと、きっと本人も思っていたんだろうな。

 恩人の私小説を酷評してしまう馬鹿正直な若者。そのまっすぐな気性と熱き心で信望を集めたのだろうが、あの人なつっこい笑顔に虜になった人も多いに違いない。実在のゲバラに負けず劣らず、くしゃくしゃの笑顔がかわいいガエル。
 軽くて楽天的に描かれたアルベルトもまた立派な人物。演じたロドリコ・ラ・デ・セルナはゲバラのはとこだったそうだ。
 ハンセン病の患者たちとのふれあいもいいけれど、未知の国南米大陸の風景、そしてラストの主題歌に表れる、気負わないどこかふわっとした前半部分も好き。

目撃者  

2005年10月17日 | ま行
★★☆
監督:ピーター・イエーツ
主演:ウィリアム・ハート、シガニー・ウィーバー、ジェームズ・ウッズ
1981年 アメリカ

 ベトナム帰還兵のダリルは友人アルドと共に、ビルの清掃員として働いていた。ある日同ビル内で自称ダイヤ輸入業者のロンが殺害され、その時居合わせたダリルが第一発見者となった。
 アルドとロンの間には小さなトラブルがあり、警察は容疑者として二人をマークしていた。一方、人気TVリポーターのトニーは、ダリルが事件の日ビルにいたことを知り、接近してきた彼の誘いにのる。熱烈なトニーの大ファンだったダリルは事件を利用し、なんとかトニーと懇意になろうと画策する。
 ユダヤ系ロシア移民の大富豪の娘トニーは、ジョセフという年の離れた婚約者がいたが、境遇の違いを懸念しながらも次第にダリルニ惹かれていく。しかし二人の知らないところで事件は動き、ダリルとトニーは何者かに襲われてしまう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 監督はイエーツ。そしてキャストが凄い。この他に若いパーマ頭がちょっと笑える今や大御所モーガン・フリーマンが刑事役で出演。モーガンだけでなく、みんな若くて初々しい。その中で一人場違いなアクションでがんばるクリストファー・プラマー・・・・。

 豪華俳優陣のわりに、映画はB級の香り。良い意味ではない。ミステリー感も乏しく、一体犯人は?のハラハラどきどきがないのだ。きめ細やかな伏線もなくて雑な印象。
 各俳優が個性的過ぎて、キャラ立ちしてしまったためか。ウッズは明らかに人間としてやばい感じだし、お嬢様役のシガニーは違和感が先立ち、存在感も役も中途半端なクリストファー・プラマーは笑えるほどお気の毒。
 
 一番恐かったのは、ストーリーそのものではなく、憧れのトニーに接近するウィリアム・ハート扮するダリル。その求愛ぶりが変質者ぎりぎりで恐い。てっきりその愛がエスカレートし悲惨な結果に・・・てな展開になるのかと期待していたのに、意外に平凡な結末にはがっかりだった。

モナリザ・スマイル 

2005年10月06日 | ま行
★★★
監督:マイク・ニューウェル
主演:ジュリア・ロバーツ、キルスティン・ダンスト、マギー・ギレンホール
2003年 アメリカ

1953年、女性教師キャサリン・ワトソンは期待に胸膨らませてニューイングランドの名門ウェズリー大学に着任した。しかしアメリカ一保守的な女性の大学で彼女を待ち受けていたのは、エリート男性との結婚生活こそが女性の幸せと目的であるという、伝統に凝り固まった校風だった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 恋愛と結婚、家庭と仕事に揺れる女子大生たちの心の揺れ、その群像劇は悪くない。50年代もファッションもかわいらしく、映画のムードは好きなタイプだった。
 しかし残念なのは、物語の中心となるロバーツ扮するキャサリンのキャラクターが弱いこと。
 ジュリア・ロバーツは苦手な役者さんだが、もう若くなくなった彼女にはふさわしい役であると思うが、見終わった後「一体このキャサリンという女性はこの映画の何だったんだろう?」という疑問が残った。
 エキセントリックにその主張を押しつけ貫くことも無かったが、つまりはただ一瞬この大学を通り過ぎた風のような存在に過ぎなかったのではないか。キャサリンが学生たちの心に響かせたものは結局なんだったのだろう・・・・・?

 学生たちは彼女なしでも充分に魅力的だった。
夫の愛がないのを感じ、ジゼルに悪態をついて八つ当たりをするベティ。その心の内を知るジゼルが彼女をやさしく抱きしめる姿にジーンとする。

 ステキな映画だと思う反面、狙いは外れているな~と。

 

ミラーズ・クロシング 

2005年09月21日 | ま行
★★★★
監督:ジョエル・コーエン
主演:ガブリエル・バーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、アルバート・フィーニー
1990年 アメリカ

 1920年代のアメリカ東部。この町をしきるアイルランド系のボス、レオ。最近のしてきたイタリア系のボス、キャスパーとの間に面倒が持ち上がる。レースの八百長情報を垂れ流ししている裏切り者バーニーを始末することを打診してきたキャスパーに、レオは彼は自分が擁護する者と断固許可を与えなかった。
 バーニーは実はレオが入れあげているヴァーナーの弟。彼女の手前、バーニーを見殺しにはできない。
 
 キャスパーはレオの片腕となっているクールで頭の切れるトムを自分の方に抱き込もうと打診するが、彼は実はレオの恋人ヴァーナーの浮気相手でもあった・・・。
 トム、バーニーを巡り、市長・警察署長をも抱き込んで、レオとキャスパーのボスの座をかけた争いがくり広げられる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 下から木々をなめるように捉えたカメラ、ふわっと飛んでいくトムの黒い帽子。オープニングから漂う、「これは期待できる映画」の予感。

 ちょっとニヒルで格好良すぎるバーンも勿論良かったが、今の体型からは想像できないほどセクシーなマーシャ・ゲイ・ハーデンの色香。コーエン映画の常連、ビシェーミとタトゥーロ。威厳があるが人間味のあるアルバート・フィーニー、そのタフ立ち回り。
 個性的な俳優が、個性的なキャラクターを見事に演じ、それがコーエン独特の調理方法で丁寧に味付けされている。

 特にこの映画で目を見張ったのは美術。コスチュームはもちろんのこと、渋く淡いピンクを配したインテリア、窓際で風になびくアンティークなレース、繊細な壁紙・・・・派手さはないが、どれもが懲りに凝っている。それだけでも、この映画が思い入れたっぷりに作られたことが分かる。

 「俺は飛んでいく帽子を追いかけない男」とうそぶくトム。しかしその黒い帽子は彼のダンディズムの象徴であり、周囲にはポーカーフェイスを通すが、実は激しく動揺している心のうちを隠してくれる大切な相棒。

 こんな不器用な男がいたら、やっぱり惚れてしまいそう・・・・。

マイ・ライフ 

2005年07月02日 | ま行
★★★★
監督 ブルース・ジョエル・ルービン 
出演 マイケル・キートン、ニコール・キッドマン、クィーン・ラティファ
1993年 アメリカ

 ガンに冒され、余命いくばくもないボブ。東欧系移民の本名を変え、広告代理店の仕事ではそこそこ成功を収めているが、家族との関係に根深いわだかまりを抱えている。そんな彼はやがて生まれてくる我が子のためにビデオで生前の自分の姿を記録していた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 ストーリー的には苦手なジャンル。なのになぜか引き込まれうるうるしてしまったのは、そのきめ細やかなエピソードの描写、演出、魅力的な俳優陣のおかげ。・・・それと父と息子の話に弱いせいかもしれない。

 冒頭、子どものボブが一番星にお願いする姿のかわいいこと!(結局彼はその願いが叶えられないことがずっとトラウマになっている)捨てた故郷に戻り、今は別の人が住むかつての我が家の庭先で見つけるおもちゃ・・・など丁寧な描写にほろりとさせられる。

 ボブを演ずるのは、あくどい顔なのになぜか好きなマイケル・キートン。この顔の濃さはくせになる。とても「ビートル・ジュース」と同じ人とは思えないが、ガンでやつれた顔にその面影がチラリ。
 なにより良かったのはニコール・キッドマン。献身的な良妻を演じているのだが、彼女特有のケンがなく、こんなにきれいなキッドマンは初めて見た気がする。キートンよりも背が高いのも良い感じ。遊園地で心通わせる二人の姿も微笑ましい。

 そしてテーマは父と息子の関係。息子に精一杯の愛情を注ぐボブ。自分が父親になったことでぎくしゃくしていると感じていた家族・父親との関係が次第に修復されていく。いくつになっても父にとって息子は息子。和解した親子の姿には「ビッグ・フィッシュ」に通じる熱いものが・・・・。
 サーカスのシーンなくてもベッドサイドの二人の姿だけで充分泣けてしまった。

マッチスティク・メン 

2005年06月11日 | ま行
★★★☆
監督 リドリー・スコット 
出演 ニコラス・ケイジ、サム・ロックウェル、アリソン・ローマン
2003年 アメリカ

 詐欺師のロイは異常な潔癖性。相棒フランクと組み、詐欺をはたらいていた。(潔癖症治療のため)ロイはフランクの勧めで、精神分析医に相談する。そのカウンセリングにより、ロイには前妻との間に娘がいるかもしれない事が判明、そして娘だという14歳のアンジェラと会う。彼女の存在に戸惑うロイだが、やがて徐々に心を通わせ、彼の精神も安定するのだが・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 監督はリドリー・スコット。どうりでショット・ショットが小気味よくて、これは名のある監督だな、と思いながら見ていたが。

 前半部分、ロイの潔癖性描写が面白く、これはちょっとひと味違った映画かも・・と思わせていたのに、後半はロイとアンジェラの父娘物語になり、(それはそれで面白かったが)なにかちぐはぐな印象になってしまった。潔癖性が思ったほど重要なファクターにならなかったのは、演出の仕方につながりが欠けていたせいか?(潔癖性の描写は非常にクールでスマート、父娘の描写はウェットでベタ)

 華麗な詐欺師が実はみんなに騙されていたというお話。私は全然気がつかなかったが、確かにサム・ロックウェルだもの、ただの相棒のはずがない。納得。ただ、伏線がなさ過ぎ(?)で、オチの持って行き方があまりにも唐突に感じたのは私だけだろうか?してやられた~という思いは薄かった。「へ?何が起こったの?」という置いてきぼり感。にぶいのかな。

 年齢不詳のアリソン・ローマンがまたまたびっくりの演技。登場シーンはどうみても14歳そのもの。凄すぎる。


M★A★S★H 

2005年06月02日 | ま行
★★★★
監督 ロバート・アルトマン  
出演 ドナルド・サザーランド、エリオット・グールド、サリー・ケラーマン
1970年 アメリカ

 朝鮮戦争下の米軍移動外科病院を舞台にし、戦争をブラック・ユーモアで茶化したアルトマンの傑作映画。

 戦争を当時こういった形で描くのは異例中の異例。実際映画会社には極秘で撮影したとか、ほとんどセリフをアドリブにしたために、脚本家は激怒、しかし皮肉にもアカデミー脚色賞を受賞してしまったとか、話題には事欠かない。

 当時では珍しかった手術シーンのリアルさも、今では(ERなどもあるし)さほどの驚きもないし、ブラック・ユーモアで戦争批判した斬新さも、(ベトナム戦争に疲れ果てたアメリカ人ではないので)これが大当たりした!というのも最初は実感がわかなかった。

 ただ単純に、本作でスターダムにのし上がったドナルド・サザーランドやエリオット・グールド、トム・スケットをはじめとする面々たちのひょうひょうとした演技が楽しかった。
 楽しんでいる彼らを見ると、生真面目に戦争の悲惨さを訴える映画ばかりじゃない、こういった切り口もあるんだということがすんなり納得できる。
  戦争映画のアメリカ万歳精神が鼻について仕方ないこの頃、いや~、待ってました(昔の映画だけど)な気分にさせてくれて、段々と好きになってくる映画だ。

 ドナルド・サザーランドはすごく個性的でセクシー。やはり私はなんといってもお父さん派!

みんなのうた 

2005年04月22日 | ま行
★★★☆
監督 クリストファー・ゲスト 
出演 ユージン・レヴィ、キャサリン・オハラ、ボブ・バラバン
2003年 アメリカ

 ある有名な音楽プロデューサーの死をきっかけに、その遺児たちの発案でかつて一世を風靡した往年のフォーク・グループを再結成した番組が制作される。そのグループとは「ザ・フォークスメン」「新MSシンガーズ」「ミッチ&ミッキー」の三組。
 突然招集された各グループメンバーたちのとまどいと、再結成の喜び・不安などをインタビュー風なドキュメンタリー形式で展開し、後半一気にステージでクライマックスを迎える。

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 アカデミー賞が発表で「ミッチ&ミッキー」(ユージン・レヴィ&キャサリン・オハラ)の歌が主題歌賞にノミネートされたことぐらいしか予備知識がなく、主にインタビューで構成された前半部分は「いったいどんな映画?」な不安もあった。しかし、クライマックスのコンサートへの流れは流石。往年の栄光と現在のギャップ、不安が渦巻く中、それぞれの歌手たちが再びステージをこなしていく感動が時にコミカルに時にじんわりと描かれ、重くなくさらっとしているのが気にいった。