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魔女っ子くろちゃんの映画鑑賞記録

映画大好き!わがまま管理人の私的な映画鑑賞記録です。名作・凡作関係なく、好き好き度★★★★★が最高。

Shall We Dance?

2006年05月31日 | 
★★★☆
監督:ピーター・チェルソム
主演:リチャード・ギア、ジェニファー・ロペス、スーザン・サランドン
2004年 アメリカ

 約20年遺言に拘わる弁護士として働き、美しく聡明な妻、年頃の子供たち、順風満帆に生きてきたジョン・クラーク。しかし心の隙間に吹くいかんともしがたい寂寥感。
 そんなある日、いつものように通勤電車から窓の外を眺めていたジョンは「ミス・ミッツィーのダンス教室」の看板に目をとめた。いや、正確にはその窓辺でさみしそうにたたずむ一人の女性に。
 ためらいながらも意を決してジョンはそのダンス教室の門をたたく。女性はそこで働くダンサーのポリーナ。
 妻にも同僚にも内緒で、ジョンは社交ダンスを習い始める。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 日本版のリメイクで、ほぼ完全な焼き直しであるにも拘わらず演じる人間(人種?)の違いで、受ける印象はだいぶ違う。まず、主人公ジョン・クラークは全くうらぶれてなく、十分すぎるほど格好いい。そして西洋人にとって社交ダンスは不釣り合いな恥ずかしいものではないので、日本版に漂っていた「人には言えない気恥ずかしさ」は表現されていなかった。
 草刈民代のいらだちは、自身の苦い過去によるものの他に、「習いに来ながらどこか後ろめたさを感じている」=「動機が不純」な主人公に向けられていたように思う。社交ダンスを恥ずかしがるなよ、みたいな。しかしポリーナの怒りはクラークの下心のみにあり、加えてそんなに適役でもないロペス嬢であるから、意識過剰なお高い女の域を出ないのであった。やはりロペスはかなりの大根である。

 それもあってか、映画はクラークとその妻との関係が中心。日本版にアイデアを借りた夫婦再生物語となったようだ。でもそれはそれでいいじゃないかという気もする。

 (好きじゃないが)リチャード・ギアは年を重ねて本当に魅力的になった。芝居はうまいとは思わないけれど、ダンス・シーンはほれぼれする。赤いバラ一輪携えてエスカレーターを上がってくるあたりは、見せ所なのだろうがアホらしくて笑っちゃったが、これが許されるのもギアならではなんだろう。まわりの従業員が感激のあまり泣いてしまうって演出はどうにも理解しがたいが、私はこんなこっぱずかしいことをされたら(または見せられたら)恥ずかしくて泣いて逃げ出すに違いない。でもいいのだ。外人なんだから。ギアなんだから。

 電車から見る路面の流れる風景がとても美しかった。日本版とはもう、その空気からして違うのだ。

ジョー・ブラックをよろしく 

2005年09月29日 | 
★★★☆
監督:マーティン・ブレスト
主演:ブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンス、クレア・フォーラニ
1998年 アメリカ

 65歳の誕生日を間近に控えた実業家パリッシュは、ここ数日自分だけに聞こえる不思議な声に悩まされていた。
 彼には誕生会の成功に情熱を燃やす長女アリソンとその夫、研修医をしている次女スーザンがいた。スーザンにはパリッシュの部下でやり手のドリューという恋人がいたが、父はイマイチ娘に熱情を感じないことを案じていた。
 ある日スーザンはカフェで青年と出会う。互いに惹かれながら次ぎに会う約束もなく別れる二人。ところが別れた直後青年は車にはねられ事故死してしまう。そんなこととは知らぬスーザンの前に突然、かの青年が父親の知人として現れる。
 ジョー・ブラックと名乗るその男は、実は死んだ青年の体を借りて、パリッシュを迎えに来た死神だった。死神はお迎えのしばしの猶予を与える変わりに、人間社会の案内役をパリッシュに依頼していたのだ。
 ジョーをかつての青年と疑わないスーザン。死神であるジョーも次第にスーザンに惹かれ、パリッシュの心配をよそに二人は恋に落ちてしまう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ブラビのラブ・ロマンスものということで長い間敬遠していたが、まさに喰わず嫌いだった。3時間は長いようだが、まずまず。

 なによりも良かったのはアンソニー・ホプキンス。レクター教授に代表されるようなクセのある役が多いが、こんな穏やかなホプキンスは大好き。家族を愛し、愛され、情愛に満ちあふれた人生を送る幸せと悲哀の表情を持つ人格者。こんな役をもっと見たいと素直に思う。
 そして本人は不本意かもしれないが、このブラビも一番好きな彼だ。役者魂とは相反するかもしれないが、ハンサムにはハンサムな役がふさわしいと、これまた素直に思う。

 日本人受けしにくいクレア・フォーラニも笑った顔がかわいらしい。しかしブラビと彼女のラブロマンスは実はどうでもよく、この作品の魅力は、登場する人々がそれぞれに交わす情愛にある。

 妹ほど自分は愛されていないと思いこみながら、愛する父親のためにパーティー成功に奔走するアリシア。そのからまわりの愛情表現を最後には受け入れ感謝する父。
 ドリューの画策に利用されるが、義父に対する忠誠を持ち続けるクインスなどなど、パリッシュを愛してやまない人々の存在が、それでも逝くことを変えられない運命を切ないものにする。
 しかし沢山のいい思いでをみやげに、花火に送られながらあの世に旅立てるパリッシュは、紛れもなくごく限られた幸運な人間である。

 ジョーとパリシュが去ったまま終わってほしかったが、心配していた通り事故死したはずのブラビ青年がスーザンの前に現れてしまったのが残念。怪訝な表情を浮かべながらも彼を受け入れるスーザンに、果たして人はその魂に愛情を感じるのか、それとも外見なのか・・という余計な疑問が生じてしまった。

シークレット・ウィンドウ 

2005年06月15日 | 
★★★
監督 デヴィッド・コープ 
出演 ジョニー・デップ、ジョン・タトゥーロ、マリア・ベロ、ティモシー・ハットン

 売れっ子作家モートは妻と離婚、新作を執筆中。そこに突然現れた謎の男シューター。彼はモートの作品が自分の盗作だと言い張り、彼につきまとう。
 恐怖に駆られたモートはシューターの素姓を探ろうとするが、関係した人間が次々に何者かに殺害される。・・一体シューターとは何者なのか。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 キング原作は相手が宇宙人だったりすることが多々あるので、冷や冷やしながら観た。私は謎解きに疎いので、種あかしされるまでオチが全く分からず、そういう点では面白かったと思う。

 タトゥーロは年をとってやせて、ますます不気味になった。ストーカーのようにその行為がどんどんエスカレートしていく様は怖い。途中まではとてもハラハラしてしまった。ところが真相が分かってしまってからが面白くない。シューター(タトゥーロ)は消え、真犯人がその後の犯行をやってのける訳なのだが・・・・あまりにもその切り口がありきたりで、せっかくデップが出ているのにもったいない。

 監督のインタビューでは、これは妻にも見放された作家が人と隔離された状況で狂気に捕らわれていく話だと語っていた。ならば種ばらしをメインにせずに、いかに彼が狂っているか、または狂っていく様子にポイントを絞った方が良かったと思う。早い段階でシューターの正体を明かし、シューターがどんどんデップをそそのかしていく様を見せるとか、あるいはデップは最後までシューターの正体に気づかずにもがくとか・・・・・・。デップ映画なのだから、ひと味違う演出観たかった。

 デップでなければもっとつまらなかっただろう。その小さな仕草や表情ひとつひとつにぽ~。最近ますますいい男になっている。デップ観るだけで満足。あとすぐ殺されちゃった犬がかわいかった。

SIN 凶気の果て 

2005年06月07日 | 
★★★
監督 マイケル・スティーブンス 
出演 ゲイリー・オールドマン、ヴィング・レイムス、アリシア・コッポラ
2002年 アメリカ

 すでに警官を引退したエディ。彼には妹がいたが何者かに連れ去られてしまう。犯人はチャーリー(オールドマン)と名乗る男。彼は明らかに復讐のためにキャシーに麻薬をうち、レイプさせ、エディを挑発する。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 チャーリーが復讐のためということが早くから明白なので、「なぜ、ここまで」というサスペンス色は薄く、ひたすらエディとチャーリーの対決に焦点が絞られるのだが、この二人、犯人と元警官でありながら同じ穴のムジナ同志。というよりも、エディなかなかの悪い奴で段々チャーリーの方が小物に思えてくる。(そのあたりの立場が逆転していく感じ、ゲーリー・オールドマンがうまい!)
 
 同じように復讐に燃えながら、片や犯人=悪役、片や元警官=善人(?)とは誰も思わないだろうが、そうは言ってもあんなにばんばん人を殺し、過失とはいえ元相棒まで射殺して「すまん」ですますエディ。おまけに最後自首します、なんて言いながら元上司の「まあ良きに計らえ」的なもみ消し。これって有りなんだそうか?・・・これじゃあチャーリーも浮かばれまい。同じ穴のムジナ同志、仲良く地獄に堕ちるべし!・・でチャーリーに同情させる魂胆なのか?

 人種には関係なく、最近とある理由でずんぐり体系のおっさんがトラウマになっているせいもあって、エディに全く肩入れできなかった私。それにしてもオールドマン、老けました。「ドラキュラ」がそのうち地でできるかも・・。最後はかなりイメージがだぶってしまった。(苦笑) 

真珠の耳飾りの少女 ★★★

2005年02月11日 | 
監督 ピーター・ウェーバー 
出演 コリン・ファース、スカーレット・ヨハンソン、トム・ウィルキンソン

 とにかくスカーレット・ヨハンソンが透き通るように白く、やわらかな光を取り入れた映像は絵画そのもの。単調な展開でありながら、あきることなくその美しさに浸れた。

 少女と女の狭間がメイドグリートの魅力。特別目鼻立ちが整っているわけではない。しかし成熟してしまった女には決して手に入らない魔力、その怪しい美しさをヨハンソンは完璧に表現していた。
  フェルメールの妻をあえて美貌の持ち主に描かなかったのもそのあたりを強調したかったのか、実際がそうだったのかは分からないが、美人だった方がより哀しさが増したように思うがどうだろう。家族としての愛、性欲の愛は得られても、芸術にまで高められた魂の欲求の相手は自分ではだめなのだという絶望感。妻の「汚らわしい!」という叫びは痛々しい。フェルメールとグリードの間には決して入り込めないのが(勝ち目などない)分かり切っているから、ああ罵るほか術がない。

 そして何食わぬ顔をして少女は残酷、男の視線の中で女になっていく。心に沸き立つ性への欲求を自分を慕う男で満たし、画家とは男の目で凝視され続けることで交わる。
  生身のグリードは戸惑いすら浮かべた表情でいるのに対し、絵の中の彼女は誇らしげに幸せの笑みを浮かべている。その内面を 見事にフェルメールが描いた、といったら考えすぎだろうか?

しあわせな孤独 ★★

2005年02月08日 | 
監督 リシャール・ベリ 
出演 ジュール・シトリュック、ジョセフィーヌ・ベリ、アンナ・カリーナ

 これは好き嫌いが分かれる映画だなと思った。登場人物たちに同情できるかできないか、感情移入できるかできないかでまっぷたつに分かれるだろう。私は後者。デンマーク映画ということもあって、雰囲気はそれらしく作ってはあるが、なにしろ出てくるのは腹立たしい人間ばかり。

 結婚直前だったセシリとヨアヒムの幸せを一瞬で壊したのは一台の暴走車。ヨアヒムは下半身不随になり心を固く閉ざす。加害者の夫が婚約者セシリの慰め役を妻に頼まれてするのだが、いつしか彼女に本気になってしまい彼らの家庭は崩壊する。
  誰もが心に傷をもち、孤独な魂をかかえもがく。ここでも偶然出てきた「人生は続けなければならない」というセリフ。しかし・・それは自己弁護の詭弁である。

 見ていて非常に腹立たしくなるのは、みんながみんな「自分勝手」なこと。その最たるも加害者の夫ではなかろうか。妻の事故は「君のせいじゃない」と言い切り(そっかな~、誰が見ても妻のせいだけど)浮気が発覚しても、「悪いのは自分ではない、慰めろと言ったのは君だ」と開き直る。確かに沢山いるだろう、世の中にはこういう男は。人間の弱さと言ってしまえばそうだが、でもわざわざ映画にするほどのキャラクターなのだろうか?(主格級という意味で)
 加害者の妻もあきれる。明らかに事故の原因は彼女の過失。しかし警察でもそう言われた(どんな警察?)と、事故後に笑って子供の誕生会、被害者への中途半端な同情は、加害者という立場を忘れてまるでボラティアのような口ぶり。一体この国の法律はどうなっているのだろう?なぜ彼女が無罪放免で変わらぬ生活を平然と送れるのかはなはだ疑問。

 自分勝手ながらまだ理解できるのが被害者側のヨアヒムとセシリ。特に下半身不随の我が身を呪い、自分ではもう彼女を幸せにしてはあげられない現実に苦しみ、変わらぬ愛を語るセシリに憎しみに近い感情まで抱いてしまう心情は理解できる。(それにしても度を超えているが)どうしていいか困惑するセシリが慰めとして加害者の夫である医師にすがったのも分かる。(しかしどちらにも愛を注ぐ姿は、これまた悪女のようであるが)この中で唯一まともなのは蚊帳の外の男の子たちと、父の不倫を許さない、しかしセシリの人格も肯定する反抗期の長女だけだろう。

 みんなが孤独をかかえ、傷ついた心ををさらけ出しながら生きていく姿を描こうとしたのか。でもここに出てくる人は他人の心の痛みに鈍感で、「自分が一番かわいそう」と思っている人たちばかり。いくら何でも現実はこんなにひどくないだろう、常識ってやっぱり大切なものなんだと思わずにはいられない。
 人間の弱さを中途半端に肯定するような映画、きらいです。

白いカラス ★★

2005年01月14日 | 
監督 ロバート・ベントン
出演 アンソニー・ホプキンス、ニコール・キッドマン、エド・ハリス

 エド・ハリスが出ているので楽しみにしていたが、ちょい役のようだった。もっと彼が見たい!
ごま塩のお髭と頭に被った毛糸の帽子は「めぐりあう時間たち」を思い起こさせる。(そういえば共演はキッドマン)
 
 見終わって、重い映画だったが、なんだかよくわからないというのが率直な感想。DVD特典の予告を見て、「白人の皮膚をもった黒人男の苦悩」を描いていたのだと認識。
  なぜだろう、映画ではちゃんと若き日の彼の苦悩は描かれていたのに。

 老いたホプキンスと若きシルクが全く結びつかないという外観の致命的な事実(ホクロだけ同じでも)もさることながら、両者の苦悩の接点が全く結びついていないことが最大の原因だと思う。ホプキンスの苦悩はただひたすら、キッドマンとの情事の継続。老人が若い女性をいかにつなぎ止められるだろうかという俗っぽさ。これはもう、ミスキャストに違いない。彼のどこをどうとって見ても、「実は黒人」は無理がある。

 互いに心に傷を持つ人間たちを描きながら、視点がばらばらなせいで、それらが絡み合わない。それ故、彼らの行動や心情が理解できずに(例えばホプキンスがキッドマンに惹かれるのは分かるとしても、なぜキッドマンがホプキンスに惹かれるのかが謎。老人趣味?な印象)破滅に至る結末もなんら心に響かなかった。

 どこかで見聞きした意見だが、エド・ハリスが主人公を演じていれば大分違っていたのではないだろうか。キッドマンは美貌に凄みが加わっていい感じになってきた。「アザーズ」と同じくらい良かったかも。あのふわふわの巻き毛は柔らかそう・・

シービスケット ★★★★

2004年11月17日 | 
監督 ゲイリー・ロス
出演 トビー・マグワイア、ジェフ・ブリッジス、クリス・クーパー

 片目の悪い大きすぎる騎手レッド、負けん気ノ強い小さすぎる馬シービスケット、子供を亡くした成り上がりの男、老いた調教師。勝負の切り札は「ハート」のみ。みんなの希望の星「シービスケット」は足の怪我を乗り越え、同じく再起不能と言われるほどの重傷を負ったレッドと共に奇跡の優勝を遂げる。
 この感動的な実話を、くさくなりそうな数歩手前で抑えた演出が素晴らしい。
  この映画で何度となく語られる「ちょっとの怪我で命あるものを殺してしまうことはない」、この精神がうれしかった。常々、怪我をしたら射殺するしか道はないのかと疑問だったサラブレットの安楽死。走れなければ内臓にダメージがきて、結局は生きていられないと聞いたことがあったが、そうではなかった。

 株暴落、世界恐慌、愛する家族の死、別離、怪我。生きている者はそれぞれなにかしらの傷を負っている。壊滅的なダメージを負っても、生きていさえすれば、チャレンジをあきらめなければ、必ず立ち直れるのだというポジティブなメッセージ。感動話を上品に描いた傑作だと思う。

 公開当時、散々迷ってこの映画は見送った。トビー・マグワイアがあまりスキでなかったのと、感動話に警戒してしまったせいかもしれない。しかし今は後悔でいっぱい。シービスケットにと共に走り向ける馬場を、野原を大画面で感じたかった。一緒にレースで思いっきり興奮したかった。

 すっかりいいおじいさんになりつつあるジェフ・ブリッジスがどことなく義父に似ていたのでよけい感傷的になってしまったが、彼の良心に何度も救われた。心に悲しみを背負った人は強く温かい。ラスト、個人的な気持ちで、どんじりのシービスケットに付き合ってしまっていいのかな~と思った騎手仲間のジョージも涙が出るほどいい人で、たまにはこんなに心洗われる映画もいいな

死ぬまでにしたい10のこと ★★

2004年11月14日 | 
監督 イザベル・コヘット
出演 サラ・ポリー、スコット・スピードマン、デボラ・ハリー



 原作、脚本、監督が女性と知ってなるほどと思った。これは一種のおとぎ話だ。

 妊娠かと思って検診してみたら、実はガンで余命数ヶ月と宣告されたアン。彼女には若くして生んだ二人の娘と、求職中のやさしい夫がいる。トレーラー暮らしの貧しい生活だったが、幸せな毎日だったはず。そこに突然の死の宣告。
 アンがノートにつづった「死ぬまでにしたい10のこと」は若くして母になってしまったために、手に入れることができなかったことへの渇望。特にファーストキスの相手=夫なのだから、夫以外の男性と関係持ってみたいという思いは当然の事かも知れない。これはよく分かる。この本音の部分を中心に話を膨らませてくれれば、いい感じになったかもと思う。

 ところがこの映画のアンは欲張りすぎた。アバンチュールを望みながら、良き母親として娘を愛し、残される夫と子供達のために新しい母親も物色する。自分の病気のことは誰にも打ち明けず、全てを一人で抱えて悲劇のヒロインまっしぐら。もうこのあたりで馬鹿らしくなってしまった。これは幼い女の願望なのだ。浮気もしてみたいが、不幸は全部自分が抱えて、家族を愛しながら死んでいく。家族や恋人の心に自分は生き続けるだろう。なんて素晴らしい女性だったのかと・・・。

 死んでいく者にとっての理想?願望で終われば良かったのに、映画はそれをあっさりと現実にしていく。そのあたりがなんだかいやだった。せめておとぎ話として捉えないとばからしくなる。
  そういえば制作総指揮のアルモドバルはこういう自己中心的愛を描くのが好きなようだ。「Talk To Her」は主人公が男性だったせいか嫌悪感はなかったが。こんな偽善的な女性は同情を差し引いても一番勘弁願いたい。死を前にした浮気は本気でしてほしい。男と密会したその手で未来の手紙をしたためたり、愛を口にしたり、ましてや旦那と娘のためにと新しい女性をあてがうなんて、人を馬鹿にしてると私は思うのだが、そのあたり、どう受け取るかで評価が分かれるところだろう。

 ブロンディのデボラ・ハリーと最近よくお見かけするモリーナさんが見られて良かった。

シャンプー台のむこうに ★★★

2004年09月03日 | 
監督 パディ・プレスナック
出演 アラン・リックマン、ジョシュ・ハートネット、ビル・ナイフィー 

 ヘアーメイクアーティストたちのコンテストとある家族の人間模様を描いた半コメディ。ご贔屓の役者を楽しむか(この場合はアラン・リックマン)、それともストーリーを重視するかで評価が分かれるところだろう。ストーリーとしては愛する妻がこともあろうに女のモデルと大会前に駆け落ちしてしまったという設定はなかなか面白いが、壊れた絆を(自分がそもそも壊したのに)不治の病を理由に取り戻そうというのが今時安易な禁じ手。(しかも死にそうに見えないし)ただ、悲惨な状況もやけにさらっと明るく描いてしまうのもイギリス映画っぽい。(でもやっぱり余命いくばくもないっていうのはずるいな)
 ここはディテールと俳優の演技を楽しみたい。
 ういういしい若いカップル、ジョシュ・ハートネットとレイチェル・リー・クック(すごくかわいい)二人が遺体をシド・ビシャス並の頭に変えてしまうのはおかしいし、それに対して寛容に許してあげる(女の方だけだけど)羊飼いのおじさんとのエピソードもかわいい。
  実力派あるのにうさんくさいカリスマ美容師レイモンド、妻に逃げられてニヒリストになったしまった夫リックマン。(個人的には怪しいレイモンドをリックマンにやってほしかったなあ)そのリックマンから妻を奪ったモデルとの和解など、登場人物は愛すべき人たちばかり。
 
 山場のコンテストは競争だから盛り上がるし、出来上がった作品はどれもなかなかなもので見ているだけで楽しい。ラウンド毎にヒートアップし、最後にはエルビスになってしまう開催地の町長も見物。
 ストーリーの甘さはこの際目をつぶろう

司祭 ★★★★

2004年08月09日 | 
監督 アントニア・バード
出演 ライナス・ローチ、トム・ウイルキンソン、ロバート・カーライル

 非常に重たいテーマを扱っている。聖職者が主人公だけにアメリカで非難されたのも分かる。最後グレッグを許せず、教会を後にした人々がそのまま現実に沢山いるということだ。進歩的に見えてほとんどの人間は保守的、閉鎖的なのはなにもアメリカに限ったことではない。

 神父がゲイではいけないのか。いい・悪いではかたづけられない性癖。神の御心にお互い背いた行為であることには変わりはないのだろうか、ゲイの神父と近親相姦を繰り返す父親の対比は強烈だ。
 むろん、父親は神父の性癖を知らないのだが、不敵なその笑みの奥には「誰も俺を非難できない、お前もまた俺と同じさ」といった 開き直りが見てとれる。時代をさかのぼれば近親相姦も許されていた時もあるし、背信行為としては神に従事している分、神父の方が罪は重いのだろうか。普通に考えれば、ゲイはそうではなくても、近親相姦(まして強要)は犯罪である。しかし父親は語る、「お前に俺は裁けない」と。
 グレッグの苦悩はゲイであることよりも神を捨てられないこと。神父をやめられればどれほど楽だかしれないが、彼の信仰は深い。自ら重い十字架を背負って生きていかざる負えない、これもまた性なのかな。
 ライナス・ローチが真摯な神父を好演している。そう、人間て弱いんだよね。今はお互いキズを持ったもの同士の少女との抱擁も、やがて多くの人たちと出来るだろう。許し、受け入れることから始めたいと、この映画を見た人なら思うはず。

シェルタリング・スカイ ★★★★

2004年01月08日 | 
監督  ベルナルド・ベルトルッチ
出演  デボラ・ウインガー、ジョン・マルコビッチ

 お互い愛し合いながらも心満たされない芸術家の夫婦。精神性、文明が高くなればなるほどプリミティブな愛から遠のいてしまう。何かを求めて旅する異国の地サハラ。しかし夫は外で女を買い、妻は同行した年下の男との情事を重ねる。しかし愛してるのは、求めているのは夫であり、妻なのだ。行き違う思い。そんな不器用になった、愛の本質を見失った男女の不毛の旅は理解できた。
 そして旅先での夫の死。愛する夫を失った妻は同時に心も失ったかのように、一人砂漠に中をさまよう。そこで出会う駱駝隊の一行に拾われた妻のとる行動。この後半部分が実はよくわからない。夫が死んだすぐ後で抜け殻となったのか、リーダーのアラブ人にその体を与える女。
  わからないので感じることにしよう。夫のいないサハラの砂漠はどこまでも果てしなく終わりのない非現実的な世界。夫のいない世界で妻は思考を止め、生きる屍となってしまったのだろうか。

 デボラ・ウインガーもマルコビッチもこの映画まではなんとも思っていなかった俳優さんたち。坂本龍一のテーマも耳に残るせるなさ。虚構の世界に生きている、西洋人夫婦の虚無感と、ただただ果てしなく広がるサハラの砂漠が重なり合う。重いむなしさ。でもなぜか心に残る。