日本専門評論

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単位未履修問題は、高校が不要であることを意味する

2006年10月28日 20時48分28秒 | 社会

高校未履修問題 政府が救済策検討 深刻化で方針転換

政府は二十八日、全国の高校で必修科目の未履修が相次いで発覚した問題で、単位不足が懸念される生徒に対する救済策の検討に入った。 安倍晋三首相が二十七日、伊吹文明文部科学相を首相官邸に呼び、指示した。文科省は教育委員会向けに示す対応策の内容を検討するため、 各地の実態把握を急いでいる。

 伊吹文科相は救済に否定的な考えを示していたが、全国の都道府県教育委員会の二十七日時点の集計で、 未履修の高校が四十一都道府県の約四百校に上り、単位不足の恐れのある生徒が七万人以上となる見込みであることが判明。 事態の深刻化を受け政府は方針転換を迫られた。

 文科省初等中等教育局は「(世界史などの履修に必要な)七十時間の授業は、大学入試シーズンが一段落した後、 三月末までに行う補習で十分対応可能」としている。

 ただ、中には盛岡市の私立校のように一部の高校三年生が四科目、三百五十時間分の補習をしなければならないような「想定外」 のケースもあり、未履修の生徒全員が来春の卒業までに指導要領通りの時間数をこなすのは困難。政府はこうしたケースに対し、 どのような救済が可能か検討する。

 安倍首相は二十七日、官邸で記者団に「学校側に原因があり、教育委員会もチェック機能を果たし得なかった」と指摘。その上で 「子どもたちの将来に問題が発生しないよう対応すべきだと考えているし、指示している」と強調した。

 与党内では「もう一度授業を受けさせるようなことは必要ない。世界史の本でも読み、論文を出してもらうなど、 寛大な措置を取るべきだ」(森喜朗元首相)などの声が上がっている。

◆以上引用

(私のコメント)

まず確認ですが、単位未履修は、今年発覚しただけであって、以前からの問題です。昨年度以前の数多くの卒業生もまた、 単位未履修で大学に進学しているのです。

さて今回の単位未履修騒動の論評は、どこもかしこも「単位を履修し、高校を卒業しなければならない」 という前提でなされているように思われます。しかし大学への進学は、 「大学入学に関し高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められる者」(昭和23年文部省告示第47号)なら誰もができるのです。 制度としては、(1)文部科学省の指定校、(2)大学入学資格検定、(3)大学入学個別審査、の三通りあるのです。

ここで取り上げたいのは、(3)大学入学個別審査です。フリースクールや民族学校の問題に絡んで、 喧々諤々の議論があったことは記憶にあるかもしれません。もし大学側が、個別審査で許可したとしたらどうなるでしょうか?  法的には中卒かもしれませんが、大学に入学することは合法です。制度化以後の入学生はもちろん、 制度化以前の入学生もまた追認ということになるかもしれません。

大学は、独立行政法人化され、生き残りを懸けて、トヨタ自動車の豊田工業大学のように、企業と組むようになっています。当然、 優秀な学生の確保は、必要不可欠です。だから大学は、単位未履修で高校を卒業できないとしても、優秀であれば欲しいはずです。 企業もプッシュするはずです。そして、これを逆手にとって高校側が大学に行脚して、個別審査を経て生徒の大学入学資格を認定させれば、 何一つ問題はなくなるのです。

さて、こうなってくると、高校は予備校と同義になります。そしてまた中学卒業後、即大学入学という新しい道も感じられます。 旧学制の復活を予感させます。結果として、高校の存在意義はなくなるのです。

以上より、高校不要論を唱えたいと思います。