この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

死後の世界

2020-09-19 08:07:00 | 人はなぜ生まれ、そして死んでいくのか
体外(幽体)離脱を経験したことがある。
小学校4年生の時だったと思う。昼休みにドッジボールをしていて、投げられたボールを後ずさりしながら受けた時、そのまま転んで後頭部をしたたかに打った。
つぎの瞬間、わたしは3、4メートルの中空に浮かんでいた。なんの感情もなく、音もなく、ただ傍観者という感じで、友人二人に左右を抱えられて階段を上がっていく自分の後ろ姿を見ていた。
3人の姿はほどなく校舎の中に消えていったが、そのまま校舎の方を見ていた。
踊り場から折り返して最上段から2段目手前ぐらいで気がついた。薄く開けた目にホコリで汚れた曇りガラス越しにまぶしい光が見えた。その瞬間、急に体が重くなった。階段に踏み出す足が重くしんどかった。防火戸の段差を乗り越えるのもおっくうだったが、教室に入り自分の席に連れられて突っ伏し、気絶するように眠った。その後授業を受けたのか、早退したのか記憶がない。

臨死体験についてはレイモンド・ムーディやキューブラー・ロス、立花隆の著書などですでに広く知られている。
気がつくとトンネルを猛烈なスピードで上っている。ずっと向こうに光が見える。まぶしいほどの光だが愛に溢れている。そこへ行きたいと強く願うが誰かに呼び止められて、後ろ髪をひかれつつこの世に戻ってくる。
日本人の多くは三途の川に出るようだ。そのあたりはきれいなお花畑で、渡ろうとすると亡くなった身内に止められる。生前親しかったその身内から「まだ来るべき時じゃない」と言われ戻ってくる。
一様に体験者はその後死ぬことが怖くなくなるという。死後の世界がリアルに体験されたからではないだろうか。

同時に体外離脱という現象が付随することがある。
死んだ時というよりは死ぬ間際といった方がいいだろう。魂とでもいうか、別の自分が身体から離れ、ベッドの上に横たわるもう一人の自分や、事故現場に横たわる自分を見ているというのである。ラリー・ドッシーの「魂の再発見」にそのような体験が触れられていて、救急処置をする医師の頭頂部が薄かったことや、ネクタイの柄などを憶えていたり、廊下の端の窓の外のひさしに靴が捨てられていたことなどを見ている。これらはのちに間違いなかったことが確認されたという。

臨死体験や体外離脱について、NHKスペシャルで「臨死体験 死ぬとき心はどうなるか」(2014年9月14日放送)で立花隆は否定も肯定もしない立場にあったが、番組で否定材料としてあげられたものには、ミシガン大学の准教授で脳科学者のジモ・ボルジガンの研究がある。
マウスの脳に電極を埋めて薬物注射により心停止を起こした後脳波を調べてみると、心停止後数十秒後まで微細な脳波が続いていたという。心停止の後数十秒後まで脳の活動が見られたということは、そこで「臨死体験」が行われているという証拠になるのではないかとしていた。
また、その時セロトニンという幸福感を感じさせる神経伝達物質が大量に放出される現象が見られたという。そしてトンネル体験というのも脳の視覚機構を支えるところにある血流が滞って行ったことによるのではないかとしている。

マウスが「臨死体験」をしたかどうかマウスに聞いてみないわからない。脳内物質によって夢のように見るというのはちょっと納得しがたい。
臨死体験者がその後の生き方が変わるというのはその体験がリアルだったからだろう。わたしの体外離脱は58年前のことである。さすがに年月を経ていささかおぼろげになりつつあるが、その体験はリアルだった。当時見た夢は今では跡形もなく記憶から消え去っている。

「人は死ねばゴミになる」伊藤栄樹(元検事総長)のように潔く死を捉える立場もある。それぞれがそれぞれの判断でいいというのはもちろんだが、わたしは死後の世界に期待している。なぜなら死ぬ瞬間まで自分が消えてなくなるということを恐れなくていいからである。
もし死後の世界がなかったとしても、死んだ後に気づいても手遅れだし、がっかりしようにもわたしはもういない。
ちょっと功利的かな?
ただひとつ問題なのは、この自分という意識、自我の継続性が死後もあるかというと望みは薄そうなのだ。なぜなら、この世にたくさんの人間が生まれているが誰も過去性のことを憶えている人はいないからである。ときどき生まれ変わりという事例はあるが、残念ながらまだ信じるに足る報告を知らない。

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