この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

たとえばボクの人生が、

2010-09-21 19:13:12 | 人はなぜ生まれ、そして死んでいくのか
誰もが競馬で全戦全勝したいと願っている。手当たり次第に買うレース買うレース、ばんばん的中するとしたらどんなに気持ちのいいことか、と思っていることだろう。
しかし、全戦全勝するようになったら、きっと競馬をやらなくなるに違いない。
恋を成就した後の虚しさというか。求める過程に喜びを見出しているというか。
予想するレースがことごとく当たるとしたらおそらく競馬に対する興味を失ってしまうに違いない。
この生きている世界がすべて解明されたら、生きていく意欲を失ってしまうように。

「曰く不可解」と藤村操が華厳の滝から投身自殺をしたのは、不可解ゆえに僕らは生きられるという真理に気づかなかったのだと思う。競馬を知っていたら、彼はきっと自殺しなかっただろう。われわれは求める的中に、つまり不可解の解明に、一喜一憂して人生を織り込んでいるだから。
むしろ、果てのないことが救いなのだ。果てを求めて人生を儚く思うその裏から限りのない深い真理にわれわれは救われているのだ。
本当に不思議だと思うが、神はわたしにどうしてここまで過酷な運命を与えるのだと叫ぶその裏から、深い神の愛情を感じてしまう。

われわれは思った通りの人生を歩めない。何らかのアクシデントに遭遇する。予定しない事故に出遭う。好まない事態に必ず巻き込まれる。
すんなりした人生を歩めたらどんなにいいだろうと誰でも思う。ところがすんなりした人生を歩むとき、なんら心配事を持たない日々を過ごすとき、ひとは必ず躓く。または病む。「実存的虚無」という病気に、またはうつ病に。
それは「あなたが人生の岐路にいますよ」というサインである。今、あなたは右に行くべきなのか左に行くべきなのか思案のしどころですよと語りかけているのである。

人生なかなか思うようにいかないのである。
予測を超えることが起こるから、また、生きられるのでもある。

付録
「厳頭之感」 藤村操
「悠々たる哉天襄、遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て比大をはからむとす。
ホレーショの哲学ついに何等のオーソリチーを価すものぞ。
万有の真相は唯一言にして悉す、曰く『不可解』。
我この恨を懐て煩悶、終に死を決するに至る。
既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを」
(句読点わたし)
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