東京公演『よだかの星 わが子よ賢治』が終わって、二週間がたちました。
へえ、二週間たったんだ、と今思いながら書いています。
私は、この公演班についていて、まったく自分のことで余裕がなくなり、
九条の会のことは他の人にまかせっきりでした。公演が終わると、今度は
『チャレンジド 遠い水の記憶』という旅公演の稽古が始まりました。
口では、またすぐ旅だあ、なんて文句言っていたけれど心の中では
なんてありがたいことではないか!と思っています。
さて、旅公演もスタートし、今日は休みなので、少し心に余裕が
戻った私は九条の会ブログに何か書こうと思いたちました。
宮澤賢治の芝居をやっていて思ったこと。人は求め続けなければいけないの
かなということ。なにか一つの正しいものがぼんとあり、それさえやっていれば安
心というものはこの世界にはないのではないか。昨日までこの方法でやっていれば良かったが、
今日にはそのやり方はもう正しくなくて、また考えなおさなければいけない、とい
うこともあるかもって。逆に、今、正しくなくなったからと言って過去の分まで一緒くたにして批判してはいけないのではないかということ。
これは今回の芝居のテーマというわけではなく、ふと私が思ったことを九条
の会に結びつけて書こうとしているということをご了承ください。
例えば賢治は、冷害に苦しむ農民を救いたくて、肥料のことを考える。肥料をよくしよう、
という研究をずっと続けて今に至ったとする。今は農業は発展し、肥料や農薬、機
械のおかげで食べるものがたくさんとれるようになった。なのにみんなが幸せにな
ったかというと色々な問題も生じ、例えば農薬の害で幸せでない事態が起きてきたりする。
それでまた有機農法なんて言葉も出てきたけれど、だからと言って純粋に有機農法
だった時代、つまり冷害におびえていた時代に戻りたいわけではない。
九条の会は
これさえやっていれば安心というものはない、という考えに基づいてつくられた
のではないかしら。九条の会は一つの手段だから。
それなのに私は、大げさに言えば、ですが、東京芸術座九条の会というものが存在する限り
、すくなくとも日本は、今現在レベルの平和は保たれるような勘違いをしていた気がします。
でも。昨日と今日は違うし、今日とあしたも違うのですよね。
佐藤アズサ
へえ、二週間たったんだ、と今思いながら書いています。
私は、この公演班についていて、まったく自分のことで余裕がなくなり、
九条の会のことは他の人にまかせっきりでした。公演が終わると、今度は
『チャレンジド 遠い水の記憶』という旅公演の稽古が始まりました。
口では、またすぐ旅だあ、なんて文句言っていたけれど心の中では
なんてありがたいことではないか!と思っています。
さて、旅公演もスタートし、今日は休みなので、少し心に余裕が
戻った私は九条の会ブログに何か書こうと思いたちました。
宮澤賢治の芝居をやっていて思ったこと。人は求め続けなければいけないの
かなということ。なにか一つの正しいものがぼんとあり、それさえやっていれば安
心というものはこの世界にはないのではないか。昨日までこの方法でやっていれば良かったが、
今日にはそのやり方はもう正しくなくて、また考えなおさなければいけない、とい
うこともあるかもって。逆に、今、正しくなくなったからと言って過去の分まで一緒くたにして批判してはいけないのではないかということ。
これは今回の芝居のテーマというわけではなく、ふと私が思ったことを九条
の会に結びつけて書こうとしているということをご了承ください。
例えば賢治は、冷害に苦しむ農民を救いたくて、肥料のことを考える。肥料をよくしよう、
という研究をずっと続けて今に至ったとする。今は農業は発展し、肥料や農薬、機
械のおかげで食べるものがたくさんとれるようになった。なのにみんなが幸せにな
ったかというと色々な問題も生じ、例えば農薬の害で幸せでない事態が起きてきたりする。
それでまた有機農法なんて言葉も出てきたけれど、だからと言って純粋に有機農法
だった時代、つまり冷害におびえていた時代に戻りたいわけではない。
九条の会は
これさえやっていれば安心というものはない、という考えに基づいてつくられた
のではないかしら。九条の会は一つの手段だから。
それなのに私は、大げさに言えば、ですが、東京芸術座九条の会というものが存在する限り
、すくなくとも日本は、今現在レベルの平和は保たれるような勘違いをしていた気がします。
でも。昨日と今日は違うし、今日とあしたも違うのですよね。
佐藤アズサ