「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

台湾への旅 「八田與一から学ぶ」~その4~

2005年05月17日 | 「台湾への旅」

3回に渡り、李登輝前総統の言葉を借りて八田與一氏の功績を紹介してきました。さて、実際に訪れた鳥山頭ダムはどのような場所だったのでしょうか。

台南から鳥山頭ダム行きのバスは一日2便。最初の便に乗り遅れ、次の便まで相当時間があったため、どうしようかバス停で迷っていたところ、陳さんという60歳の方が声をかけてきました。つたない日本語ですが、車で鳥山頭ダムまで連れて行ってくれるとの事。往復で1000元。高いのか安いのか分かりませんでしたが、お願いする事にしました。

てっきり陳さんはタクシーの運転手さんと思っていたのですが、車を見てビックリ。フィリピンで走ってそうな年季の入った車でした。台南から高速道路を経て50分、鳥山頭ダムに到着です。通常のカイドブックには載っていない場所なので、人も少なくひっそりと佇んでいる場所かと思いきや大きなゲートのある観光地でした。

八田與一氏の銅像はダム全体が見渡せる小高い丘の上にありました。訪れた時は5月8日に行われる八田夫妻の追悼式に向けて芝生の養成中で直接触れる事は出来ませんでしたが、訪問以前に八田氏に関する本を読んでいた私にとっては、それでも十分感動的でした。



写真でも分かるとおり、八田氏の銅像は通常の銅像とは違っています。そう、通常は立っている姿が多いのですが、八田氏の銅像は座っているのです。ダムの完成後、日本人、台湾人の関係者や労働者の方たちが八田氏の銅像を作りたいと願い出ました。

八田氏は「自分だけがこの事業を行ったのではない」として反対します。しかし、皆の熱意に押され、銅像を制作することを許しました。ただし、「立って皆が働いてきたダムを見下ろすほど自分は出来た人間ではない。座っている形で地面に直接置いて欲しい」というのが条件でした。

銅像の八田氏は頭の前部分の髪を右手の人差し指で触っています。髪をぐるぐるひねり回す癖があり、大きくゆっくり回している時は機嫌の良い時で、その時は見計らって仕事の相談をしたそうです。逆に小さく早くひねり回している時は、機嫌の悪い時で、声をかけるのを控えたそうです。

そういった姿を銅像にする八田氏の人間としての温かみと人間らしさを強く感じました。設置された当時はその通りに直接地面に置いてあったそうですが、今は台が付けられています。

銅像のある場所を下ったところには「八田技師記念室」という八田氏とダムに関する展示館があります。八田氏の幼少の頃の写真や、遺品、家族の様子や様々なエピソードが細かく紹介されています。訪れた時には多くの台湾人家族が記念室に訪れていましたし、年配の日本人の方も数名いらっしゃいました。



八田氏の功績はだれも疑う事はありません。現在台湾で使用されている「認識台湾」という歴史の教科書でも八田氏は大きく取り上げられています。八田氏の偉業もさることながら、私が感動したのは他の点にもあります。次回は「八田與一から学ぶ」のまとめをお伝えしたいと思います。

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