≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

身体に空いた穴

2011年08月31日 | 家族
「人体には九穴ある」と聞いたことがある。
正確には覚えていないが、思いつくままに書いてみる。
 
目、耳、鼻、口、肛門、膣、へそも入れても良いかもしれない。
これらの場所に共通するものは「粘膜」
粘膜は刺激されることで、「快、不快」を感じるものらしい。
目は光や色彩(これも光のなせることだけど)などの視覚、鼻は嗅覚、耳は音や声などの聴覚
口は味覚と語る声、肛門は便柱、膣は子どもなどの出入口となる。
 
これらの穴を通過するもの(有形、無形)によって粘膜や縁(ふち)を刺激される。
穴は空洞、空無のものとしてある。
言い方を変えれば「無いけど無いものとしてある」
縁取りされることによって存在するもの。
 
考えて見れば、人間の体ってまるでドーナツのように中は空洞だとも言える。
その中を、飲食物や光、音、匂い(臭い)が駆け抜け、どこかの穴から出て行く。
時には便柱や尿となって。
その穴を通り抜けたそのもの自体は、時間差はあるものの留まることなく消え出てゆく。
残るのは、穴の縁を刺激した痕跡だけ。
 
赤ちゃんにとっては、母の乳房から与えられた乳は、便と言う母への贈り物として返される。
この観点からすれば
便秘は贈り物の拒否、
あるいは、次にはいつ与えられるかもしれない乳だから失いたくないとの保持
だと言えるのではないだろうか?
 
とまれ、
身体に空いた穴は人間にとって【無でありながら何ものでも埋められる代理可能なもの】
とも言えるだろう。
これをラカンは「対象a」と言った
好きな音楽を聴き、好きな映像を見、アロマやお香を嗅ぎ、美味しい食やアルコールを求める。
時には、指やタバコが入ることもある。
このようにして、人は空無の穴を自分にとって心地良い何かで埋めることによって
心癒され、元気を回復する。
それは粘膜を刺激することによって、
かつて心地良いと感じた穴の記憶に立ち戻ったかのように夢想している。
 
子どもが叱られたとき、押入れやダンボール箱や暗くて狭い空間に逃げこむ姿は
母の子宮内を連想させるだろう。
柔らかい若い女性の肉体を求める時、
それは若い頃の母の感触を思い出して一体化しようとしているのかもしれない。
車のあのなだらかなラインは、母の体のラインかもしれない。
家も大きな穴(空間)だと言える。
 
このように、穴は人の関心を集め、探検してみたい誘惑に駆られるものだと言える。
あなたはどの穴の刺激が心地良いと感じるだろうか?
そして、その穴をどのようなもので刺激、埋めているだろうか?
 
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