月明かりの下の独り言

こちらに舞い戻って参りました。
こちらで、ちょっくら暑苦しく真面目な話題に、取り組んでいきたいと思います。

巻かれながら、巻き返す

2008-01-10 | 平和について
夏さん、コメントありがとう。
寂しいブログでも、もう大丈夫、と決意して始めたのに、このまま誰もコメントしてくれないのかな、なんて、また寂しがりやが復活しかけてました。

小田実さんのこの言葉。
確かに、昨日の内容にぴったりですね。
コメントもらって思い出したので、自分の確認作業として、その言葉を探してウロウロしてみました。

 見付けたのは小田実「巻き返しのよりどころとなる敗戦体験」(思索と発言1『市民の文(ロゴス)』岩波書店、2005年)の104頁です。
 もともとは、『世直しの倫理と論理』(岩波新書、1972年)で、ベ平連の活動中、病気になって、療養中のベッドの上で書いた言葉だったようですね。このころは、ちょっと弱気になっていた、というような話を、どこかで聞いたことがあるような。それでも、こんなに力強い言葉を残してくれたんですね。
 以下、関係のあるところを抜粋します。
(この本で)書いたことは、無力な市民は力ある長いものに必ず巻かれる、これは仕方がない、ただひとつできることは、巻かれながら巻き返すことだ、これに自らのありよう、役割を徹すること、それしかない-
(中略)
 巻き返す手だてはさまざまです。…志をもつ市民が自分で考え出すことにして、…巻き返すことにあたってのよりどころです。
 私の場合は、敗戦です。
(小田実「巻き返しのよりどころとなる敗戦体験」(思索と発言1『市民の文(ロゴス)』岩波書店、2005年、104~105頁)
 
 昨日の私が恐れていたのは、巻かれること、かもしれない。でも、巻かれても、巻き返す、んですね。そして、この文章の最後で小田さんが提案されている、巻き返しの手だて。

①「平和主義」と民主主義、自由を両輪にして、「良心的軍事拒否国家」を目指す
②「日米安保条約」をやめ、「日米平和友好条約」を基本とした関係を形づくる。
③こうしたことの実現をめざして、市民の政策作りを行う。
④市民の「人権」「民権」を基本として、「市民安全法」を作りだして、「有事法制」に対抗できる市民のありようを形づくる。

 なるほど。さすがに実践的ですね。私が昨日書いた後半部分は、どちらかというと、アマルティア・センの『人間の安全保障』(東郷えりか訳、集英社新書、2006年)に影響を受けて書いたこと、だったようです。
 1月6日の記事で、「民主主義の矛盾」と、筆が滑って書いてしまいましたが、これは私の勘違いで、ロバート・J・C・ヤング『ポストコロニアリズム』(本橋哲也訳、岩波書店、2005年)の中の「資本主義の矛盾」と、ごっちゃにしていました。
 が、これについては長くなるので、また明日。

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2 コメント

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こちらこそ、 ()
2008-01-10 19:50:20
うろ覚えのまま書いてしまった言葉を、きちんと出典と意味内容まで調べてくださってありがとうございました。
「世直しの倫理と論理」だったんですね。岩波新書。読んだのははるか昔……タイトルもかなりゴツイですが、とても読みやすくわかりやすくてユーモアもある本だったと思います。小田さんの本はみなそうですね。だから好きで読めてたんです。
そして内容は、おかたくてよりつけないような理想論じゃなくて、実践的なんですよね。
「自らのありよう、役割を徹すること」。これは「特権を使え」というような言葉で私は覚えていました。若い人は若いという特権を使えと。仕事をもつ人はそれぞれの職種・得意技という特権を使っていこうと。自分の全部を改革しろ壊せ、なんてことは言われなかったですね。
小田さんが「キモイリ」でおこなったデモにしても、普段、普通に会社勤めなどしていて生活も考え方もまちまちの市民が、休みの日にばらばらと集まって歩いて、またそれぞれの生活に戻っていく、というようなかたち。それでいいのだと書かれてたと思います。
過激でもかたよってもいない、自然で受け入れやすい「流儀」でした。

とこんなことを書きながら、日々、考え無しの、流されるだけの暮らしをしている私です。おはずかしい。
くぅさんのように、きちんと勉強・研究されている若い方がおられると思うととても心強いです。
どうかがんばってください。
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>夏さん (くぅ)
2008-01-12 01:07:26
無理なく、自分の特権を使って…

確かに小田さんはそのようなことを書いてらっしゃったように、私も思い出しました。

本当なら、私は論文でこの思いを伝えるべきなんでしょう。爆笑問題の太田さんが書いてました。お笑いはお笑いで伝えるべきだ。その意味で、私はまだまだです。

ただ、多少なりとも文章を書くトレーニングを受けた自分が、それほど訪れてくれる人も多いとは言えないけれど、この小さな場所を使って思いを発していくこと。まずはそこから始めてみようと思っています。

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