夏さん、コメントありがとう。
寂しいブログでも、もう大丈夫、と決意して始めたのに、このまま誰もコメントしてくれないのかな、なんて、また寂しがりやが復活しかけてました。
小田実さんのこの言葉。
確かに、昨日の内容にぴったりですね。
コメントもらって思い出したので、自分の確認作業として、その言葉を探してウロウロしてみました。
見付けたのは小田実「巻き返しのよりどころとなる敗戦体験」(思索と発言1『市民の文(ロゴス)』岩波書店、2005年)の104頁です。
もともとは、『世直しの倫理と論理』(岩波新書、1972年)で、ベ平連の活動中、病気になって、療養中のベッドの上で書いた言葉だったようですね。このころは、ちょっと弱気になっていた、というような話を、どこかで聞いたことがあるような。それでも、こんなに力強い言葉を残してくれたんですね。
以下、関係のあるところを抜粋します。
(この本で)書いたことは、無力な市民は力ある長いものに必ず巻かれる、これは仕方がない、ただひとつできることは、巻かれながら巻き返すことだ、これに自らのありよう、役割を徹すること、それしかない-
(中略)
巻き返す手だてはさまざまです。…志をもつ市民が自分で考え出すことにして、…巻き返すことにあたってのよりどころです。
私の場合は、敗戦です。
(小田実「巻き返しのよりどころとなる敗戦体験」(思索と発言1『市民の文(ロゴス)』岩波書店、2005年、104~105頁)
昨日の私が恐れていたのは、巻かれること、かもしれない。でも、巻かれても、巻き返す、んですね。そして、この文章の最後で小田さんが提案されている、巻き返しの手だて。
①「平和主義」と民主主義、自由を両輪にして、「良心的軍事拒否国家」を目指す
②「日米安保条約」をやめ、「日米平和友好条約」を基本とした関係を形づくる。
③こうしたことの実現をめざして、市民の政策作りを行う。
④市民の「人権」「民権」を基本として、「市民安全法」を作りだして、「有事法制」に対抗できる市民のありようを形づくる。
なるほど。さすがに実践的ですね。私が昨日書いた後半部分は、どちらかというと、アマルティア・センの『人間の安全保障』(東郷えりか訳、集英社新書、2006年)に影響を受けて書いたこと、だったようです。
1月6日の記事で、「民主主義の矛盾」と、筆が滑って書いてしまいましたが、これは私の勘違いで、ロバート・J・C・ヤング『ポストコロニアリズム』(本橋哲也訳、岩波書店、2005年)の中の「資本主義の矛盾」と、ごっちゃにしていました。
が、これについては長くなるので、また明日。
暑苦し~いブログ主とナイショ話がしたい方はkuutamo@mail.goo.ne.jpにどうぞ。
拍手してくれたら、こっそりメッセージも送れますよ。うふっ
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寂しいブログでも、もう大丈夫、と決意して始めたのに、このまま誰もコメントしてくれないのかな、なんて、また寂しがりやが復活しかけてました。
小田実さんのこの言葉。
確かに、昨日の内容にぴったりですね。
コメントもらって思い出したので、自分の確認作業として、その言葉を探してウロウロしてみました。
見付けたのは小田実「巻き返しのよりどころとなる敗戦体験」(思索と発言1『市民の文(ロゴス)』岩波書店、2005年)の104頁です。
もともとは、『世直しの倫理と論理』(岩波新書、1972年)で、ベ平連の活動中、病気になって、療養中のベッドの上で書いた言葉だったようですね。このころは、ちょっと弱気になっていた、というような話を、どこかで聞いたことがあるような。それでも、こんなに力強い言葉を残してくれたんですね。
以下、関係のあるところを抜粋します。
(この本で)書いたことは、無力な市民は力ある長いものに必ず巻かれる、これは仕方がない、ただひとつできることは、巻かれながら巻き返すことだ、これに自らのありよう、役割を徹すること、それしかない-
(中略)
巻き返す手だてはさまざまです。…志をもつ市民が自分で考え出すことにして、…巻き返すことにあたってのよりどころです。
私の場合は、敗戦です。
(小田実「巻き返しのよりどころとなる敗戦体験」(思索と発言1『市民の文(ロゴス)』岩波書店、2005年、104~105頁)
昨日の私が恐れていたのは、巻かれること、かもしれない。でも、巻かれても、巻き返す、んですね。そして、この文章の最後で小田さんが提案されている、巻き返しの手だて。
①「平和主義」と民主主義、自由を両輪にして、「良心的軍事拒否国家」を目指す
②「日米安保条約」をやめ、「日米平和友好条約」を基本とした関係を形づくる。
③こうしたことの実現をめざして、市民の政策作りを行う。
④市民の「人権」「民権」を基本として、「市民安全法」を作りだして、「有事法制」に対抗できる市民のありようを形づくる。
なるほど。さすがに実践的ですね。私が昨日書いた後半部分は、どちらかというと、アマルティア・センの『人間の安全保障』(東郷えりか訳、集英社新書、2006年)に影響を受けて書いたこと、だったようです。
1月6日の記事で、「民主主義の矛盾」と、筆が滑って書いてしまいましたが、これは私の勘違いで、ロバート・J・C・ヤング『ポストコロニアリズム』(本橋哲也訳、岩波書店、2005年)の中の「資本主義の矛盾」と、ごっちゃにしていました。
が、これについては長くなるので、また明日。
暑苦し~いブログ主とナイショ話がしたい方はkuutamo@mail.goo.ne.jpにどうぞ。
拍手してくれたら、こっそりメッセージも送れますよ。うふっ
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「世直しの倫理と論理」だったんですね。岩波新書。読んだのははるか昔……タイトルもかなりゴツイですが、とても読みやすくわかりやすくてユーモアもある本だったと思います。小田さんの本はみなそうですね。だから好きで読めてたんです。
そして内容は、おかたくてよりつけないような理想論じゃなくて、実践的なんですよね。
「自らのありよう、役割を徹すること」。これは「特権を使え」というような言葉で私は覚えていました。若い人は若いという特権を使えと。仕事をもつ人はそれぞれの職種・得意技という特権を使っていこうと。自分の全部を改革しろ壊せ、なんてことは言われなかったですね。
小田さんが「キモイリ」でおこなったデモにしても、普段、普通に会社勤めなどしていて生活も考え方もまちまちの市民が、休みの日にばらばらと集まって歩いて、またそれぞれの生活に戻っていく、というようなかたち。それでいいのだと書かれてたと思います。
過激でもかたよってもいない、自然で受け入れやすい「流儀」でした。
とこんなことを書きながら、日々、考え無しの、流されるだけの暮らしをしている私です。おはずかしい。
くぅさんのように、きちんと勉強・研究されている若い方がおられると思うととても心強いです。
どうかがんばってください。
確かに小田さんはそのようなことを書いてらっしゃったように、私も思い出しました。
本当なら、私は論文でこの思いを伝えるべきなんでしょう。爆笑問題の太田さんが書いてました。お笑いはお笑いで伝えるべきだ。その意味で、私はまだまだです。
ただ、多少なりとも文章を書くトレーニングを受けた自分が、それほど訪れてくれる人も多いとは言えないけれど、この小さな場所を使って思いを発していくこと。まずはそこから始めてみようと思っています。