Rain Rain Drops

夢のような星の夜に

故郷想vol.25 群馬

2017-01-18 19:15:04 | 佐藤竹善 SING LIKE TALKING

 

vol.25 群馬
1月15日 TAKASAKI club FLEEZ

寒波襲来の日。よく雪が降らずに持ちこたえてくれた高崎!
「外は0度になりましたよ。記念すべき日になりました」
と竹善さん。

またまた凄いものを観せてもらいました。ほんとうに。
歌も、ギターも、歌も、キーボードも、歌も・・・もう、言葉もありません。

特に後半、オーケストラのカラオケでの「アフリカ」。
ギター弾き語りの「Change The World」「風に吹かれて」そして「Seasons Of Change」
あんまり感動すると口元がゆるんで半開きになってきてしまう。
これらの曲の間、そんなになってる自分を充分に自覚しながら、立て直すことなどできませんでした。
これらを、このコンパクトな場所でこんな至近距離で聴けてしまっていいものなんだろうか、、ああほんとに。ほとんど大儲けじゃないか。
どんな大ステージでも竹善さんは今日と同じ熱量・同じクオリティを繰り出して歌うのでしょう。で大観衆を酔わせることだってできる。
そう思うにつけ、殊更感じる、なんてラッキーな大寒波の高崎、今日の私!


「遠野物語」の作者あんべ光俊さんはケルトミュージックにも造詣があり、ここにそれが、という部分を「わかる?」と言いながら何度か歌ってみせてくれました。
他にも、ギターのシックスというコードが入るとこう変わる、ということをビートルズの曲を弾いて説明してくれたり。
・・・・やばい、こーゆーの。ツボすぎるたまらない。授業料が2400円とか、ちょっと高度だから2700円だとか言っておられたけども(笑)。

日本の四畳半フォークの例をあげようとして歌ったのは「やけに真っ白な雪がふわふわ・・」NSP。「知らない?」
皆さん知らないようで、歳がバレる、と私も知らない顔をしていたが、NSPなんて途中までソラで歌えるほど実は知ってる。LPレコード買いましたから。
アタマのとこだけとはいえ、竹善さんのNSPとはまたレアな。
レアといえば、ギターをチューニングしながら、その音に合わせてハミング! はじめて観たこんなシーン。何気にファンには垂涎でございます。だってあなた、ステージで、竹善さんが、チューニングしながら、ハミングするなんて!



アンコールの「What A Wonderful World」は、ネイティブ津軽弁で始まって終盤に英語が入る、特別バージョン。その美しく柔らかい流れの中で、そっと入る “Ilove you” がずるい。
そしてオフコースの「私の願い」。美しかったです、ただただ。

最後の「Spirit Of Love」で、キーボードのイントロが間違ってやり直し。
あれは、あまりに完璧で美しいものには少しキズをつけてバランスをとる、そんな無意識の所作じゃないのか? なんてね。それとも確信犯、まさか。

そして、あろうことかズボンの内股の部分が突然裂けた竹善さん。。それだってそれくらいのことがないと、突き抜けまくる演奏のクオリティに天秤が傾きすぎるから。
そうだそうに違いない。(*^^)

そんなこんなで極端な振り幅に揺れながら、やはり超ハイレベルにバランスとれた。外は0度の高崎の素敵な素敵な「故郷想」でした。



kumamoto surprise film  「くまもとで、まってる。」








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コンビニ人間

2017-01-17 21:15:14 | 



 なんというか、対人間に疲弊してるときなどには読まない方がいい本だと思う。
 この主人公の造形、、ある意味オカルトより怖いと私は思う。
 オカルトじゃない、SFでもない、不条理な小説というのでもない。つまり暗喩ではなく、この内容が私小説のように淡々と書き連ねられていく、そのリアルさが怖い。
 なにしろ主人公の「私」の欠落ぶりはただごとじゃないのだから。
 
 「私」は36歳で、アルバイトで、結婚もしてなくて、あろうことか交際経験もない。「普通」の人々が彼女に集中砲火を浴びせてくるのはひたすらそこ。
 だけどほんとの問題はそんなことではなく、ほとんどアンドロイド化していると思えるほどの、「私」の感情の欠落さかげんだと思う。

 子供の頃、死んでる小鳥を見て「焼いて食べよう」と言ったり、男子生徒の喧嘩を止めようとスコップで殴ったり。何か言ったり行動すると必ず問題になった「私」。

 父も母も、困惑してはいたものの、私を可愛がってくれた。父と母が悲しんだり、いろんな人に謝ったりしなくてはいけないのは本意ではないので、私は家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。

 家族は私を大切に、愛してくれていて、だからこそ、いつも私のこと心配していた。
「どうすれば『治る』のかしらね」
 母と父が相談しているのを聞き、自分は何かを修正しなければならないのだなあ、と思ったのを覚えている。


 親の育て方に問題があった、というような納得しやすい帰結はこの小説にはない。

 生まれ持った異端の因子というものがどうしようもなくあって、それは「治る」ようなものじゃない。最後までそのシビアな認識で貫いてる。
 「私」に愛情を注ぐ家族と、コンビニがこの世にあって本当に良かったと胸をなでおろしたくなる。
 もしも「私」にその二つがなかったら、、想像するだにおそろしいじゃないか。

 異端は異端でもただの卑小なバカ男・白羽君の、世界に対する野卑な攻撃性。もし愛情を注がれていなければこっちの方向に「私」も向かったんだろうか。
 
 成長して大人になっても「私」は変わらず、自分というカラの容器に、近くにいる人たちの態度や喋り方や嗜好などをとことん入れ込んで構成し、普通の人間としての体裁を保つ。
 この主人公が特殊なのは、そんな自分の中に怒りもなければ苦悩もないというところだと思う。
 食事は餌としての認識しかないし、味がする液体を飲む必要性も感じず白湯を飲む。我が身の快にさえ興味が無いのだ。

 当然他人に対する愛着などあろうはずも無く、妹の赤ん坊は「私にとっては野良猫のようなもので、少しの違いはあっても「赤ん坊」という種類の同じ動物にしか見えない」。

 きわめてゾッとする一節が以下。。。

 赤ん坊が泣き始めている。妹が慌ててあやして静かにさせようとしている。
 テーブルの上のケーキを半分にする時に使った小さなナイフを見ながら、静かにさせるだけでいいならとても簡単なのに、大変だなあと思った。
  ・・ここだけで、サスペンス短編になりそう。


 この本は、コンビニという場所のイメージの明るさと清潔さ、そして「私」の情の欠落ゆえの爽やかさに支えられて、一気に読んでしまう。
 しかし深読みすればそれはそれは不穏。
 わかり合うだの、暖かい人間の絆だの、今どきそんなものどこにある、それが前提。
 「私」にとって世界で唯一の規範はコンビニのマニュアル。それがあったからこそ生きられている。

 外から人が入ってくるチャイム音が、教会の鐘の音に聞こえる。ドアをあければ、光の箱が私を待っている。いつも回転し続ける、ゆるぎない正常な世界。私は、この光に満ちた箱の中の世界を信じている。

 
 とことんいく「私」。
 あぶねー。

 たとえばこの「箱」がコンビニじゃなく、あくどい宗教なら。あくどい国家だったなら。どうなる。
 規範が無い「箱」の外の世界・規範がなければ生きられない情の欠落した私。
 どうなる。
 ひとごとじゃないなと思う。




 「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてものたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」

 「・・私はコンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません」

 でも、ラストまでくると、なんだかんだと深読みするのもどうでもよくなるくらい、そこはかとなく面白くなってきて笑ってしまう。
 口汚く人をののしるしか能の無い男を振り捨てて、自分が本当に生きられるコンビニ人間になる道を行く「私」がいっそすがすがくて。
 
 怖い、でも笑える。
 共感できない、でも否定できない。不思議な説得力をもつ不思議な小説だなあと思う。

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Saltish Night vol.20 その2

2016-12-26 15:01:02 | 塩谷哲 SALT&SUGAR



今回の座席はおどろきのゼロ列。
竹善さんが高音を出す時、ふわっと紅潮する顔がまのあたりに見え、かつ又SALTさんが演奏しながら、歌う竹善さんを何度も何度も見る、その高揚した表情もよく見えた。ピアノのペダル踏む足元、床を踏み鳴らす音、時にもれる「ハッ」というような声、、
ああ、中野におわす「お塩ひかえめ」の神が、私をあわれに思い、めぐんでくださったか、この席は。。。涙

竹善さんの『CORNERSTONES6』・「Symphonic Concert」の衝撃の余波のただなかにあった私、今年は特に、取り乱すほどSALT&SUGARに特化・集中してしまったのですが、もちろん他にすごいゲストの音楽もあったのです。



0列、正面から少し右寄りの席で、真正面には大儀見元さん!

あんなにまじかで大儀見さんのパーカッションを浴びられるなんて。もったいのうございます。
これぞ僥倖というものでありましょう。
加えて今回は歌と、なんとお話しもいっぱい! 
ソルト演出という、スタンドマイクで歌う姿も観られて。「はやく戻りたかった、前におもちゃ(パーカッションのこと)が無いと。。」と歌い終って定位置にもどった大儀見さん。
ひじょうに涼やかな歌声に端正なその表情。
「おもちゃ」か。大儀見さん、ステキすぎる。



そしてさん。
バラードからロック、ジャズまでイケる万能選手!
なんといっても声が良くて、ちょこっとハスキーがかるところなどたまりません。
何年か前、7月7日の品川のイベントでSALT&SUGARと共演されていて、私ひとめぼれでした。
The TIMELESS Collection』という洋楽カバーアルバムは最高に好きで何回聴いたことか。
今回ピアノ弾き語りの「ファースト・クリスマス」の最後では、静寂のなかに「メリークリスマス…」の囁き声のサービスショット。ごちそうさまでした。

でKさん、竹善さんと並ぶとより際立つスレンダーさ(笑)。
「俺の半分しかないのに黒着て」よけい細くみえる、と竹善さん。

この日竹善さんはクリスマスカラーで、はっきりと上は赤、下は緑。
「(二人が並ぶと)同じ人間とは思えない」「赤が目にささる。面積広いし」と、逆襲も恐れず攻撃しまくるsaltさん。
『 Let Love Lead Me 』の曲後も、「目を閉じて聴くお客さんがたくさんいた」と言う竹善さんに、
背後からSALT「ビジュアルが邪魔、ビジュアルが邪魔」。
竹善「うるさいよ」

....笑った。(^^♪




salyu
この人にハマるとどこまでもいってしまいそう。
深い詩性。
名曲中の名曲「to U」で、SALTさんのピアノはごく控え目で、歌を聴いて。と言ってるような気がした。
すばらしかったです。



飛び入り参加の八神純子さん。
歌の女神か、魔女か。ずっとアメリカにいて歌っていなかったというのがとても信じられない。
あの人のノドには透明なバネか何かが入ってるんじゃないだろうか、と思う。ノドか横隔膜か、どこか体の中に、美しいバネが。
そうでなくてどうしてあのように美しく強靭なビブラートが出てくる?
いったいどうなってるのでしょうか???

八神さんは3年前出演の時もSALTピアノを絶賛、誉めまくりでしたが、今回SALTさんのおしゃべりを「うんうん」と頷きながら聞きてるさまも、優しいお姉さんみたいでとてもいい感じなのでした。(^.^)





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Saltish Night vol.20 その1

2016-12-24 23:05:32 | 塩谷哲 SALT&SUGAR

Saltish Night vol.20
“20周年は、SALT & SUGAR をたっぷり!”



2016年12月23日

 

 1  Diary    SALT&SUGAR
 2  ココロ スタート   SALT&SUGAR
 3  Let Love Lead Me  SALT&SUGAR
 4  This Christmas SALT&SUGAR+K
 5  ファースト・クリスマス K
 6  Music in My Life K+大儀見+SALT
 7  Summertime    Salyu+SALT

 8  to U  Salyu+SALT
 9  Baby's in Black SALT&SUGAR+大儀見
10  I Saw Her Standing There 
                                      SALT&SUGAR+大儀見

11  Nowhere Man SALT&SUGAR+大儀見
12 Hey Jude SALT&SUGAR+大儀見+K
13 Wait for The Magic  SALT&SUGAR
14 All I Wanna Do   SALT&SUGAR
15 PIANOMAN    SALT&SUGAR
16 もみの木 SALT&SUGAR

EN-01 愛があたためる SALT+八神純子
EN-02 星の夜  全員

EN-03 The Christmas Song SALT solo




vol.20。
昨年(vol.XIX)、ローマ数字はわかりにくいと竹善さんが言っていたので今年から算用数字になったんですね。

20周年を迎えたことが嬉しくてたまらない、なんとか感謝を伝えたい、と最初から最後まで饒舌だったSALTさん。
本人もおっしゃるとおり、年々MCが上手になり長くなる一方だったとはいえ、おそらく今回はSALT史上最高の饒舌ぶりだったことでしょう。
よくしゃべるな。もうマイク持たなくていいから。(←発言・もちろん竹善さん)とまで言われても、楽しそうにおしゃべりは止まらない。
で、最後まで喜びをなんのてらいもなく表現し続けてた。ピアノとおしゃべりで。
なんかもう、、いい人! SALTさん。
いつまでも若く、50歳になったというのが信じられない。「暗譜してない曲」では老眼鏡をかけておられるというのに。Saltish Nightではお初メガネ?

中野サンプラザ。
今年も音響すばらしく、ピアノの音は澄んでこもらず、キレて、とどろく。
曲が終わって、残響が完全に消えるまで誰一人拍手をしないSaltish Night。
全部残らず聴きたいから、もったいなくて。時には手拍子すらしたくない。
そんな雰囲気も心地良くて最高。

……ここに来ればいい音楽が聴けると思ってお客さんが来てくれるんだと思う。そのことに責任を感じながらずっとやってきた。お客さんと一緒に作り上げてきたと思う。本当にうれしい。
とSALTさん。
その通りでございます! 
毎年、もれなく間違いなくいい音楽が聴ける。恍惚となれる。絶対、信頼してる。
そんなことはそうはないのではないかと思えます。

ましてや今年はSALT&SUGARたっぷり
万難排してでも行こう。雨、雪、嵐、槍等降ろうが、追いすがる子ども・夫などを振り払ってでも。
そういうファンは決して私だけではなかったはず。

、、そこでひそかに私は案ずるのですが、SALT&SUGARのお二人は、このユニットへの思いといえば結構淡々としていて、執着をあまり表現しない。これがなんとも不安。
ファンがここまで執着をきわめているというのに。
今回のSaltish Nightでも「出たCDが20年で4枚、普通なら解散してますよね」。こともなげにおっしゃる竹善さん。
ユニットを作ったという意識は特になかった、とまで言う。なんとなくできて、続いてる。みたいな。
SALTさんはSALTさんで「もう忘れられてるかと思った」とかおっしゃる。
何を言うの。
そりゃ大人だから。そんな「ポーズ」なんだとわかってはいても、ワタクシは不安なんです。お願い止めないで。

ああ天才たちは、、
いつまでも同じ場所で動かず執着を続ける私などしり目に、どんどん先へ行ってしまう。
追いついたかと思ったときには、また先へ行ってる。



そして今年もSALT&SUGARは凄かった。
いつでも凄い。
毎年圧倒され、もう完璧。もうこれ以上はないだろう、私は想像もできないと思う。
なのに、それを超えてくる。
私なんかが推し量るのは不遜を承知で。
もう、驚愕。
なにか、次元が違う。
何と比べるということもないんだけど。


「Wait for The Magic」「All I Wanna Do」「PIANOMAN」の3曲のすさまじさ。
あまりのことに、現実から地続きの夢の中に入りこんでしまうような気がして、自分が恐かった私。

無邪気でおしゃべりな音楽の天才たちが創りだす奇跡を観せてもらった、と確かに思った。

そんな20周年の「Saltish Night」でした。




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君の名は。

2016-12-09 19:22:49 | 映画

 

 感動した。
 思えば劇場でアニメ映画を観たのは初めてで(もっと観るべきだったと今更思う)、押しも押されもせぬ中高年としてはちょっと気恥ずかしいようなミスマッチなような感じがしてたわけだけど、観はじめるなりそんなのはフッ飛んだ。
 ミスマッチ感を感じてまだ観てないという中高年の方がもしいらしたなら、もったいないのですぐ観に行った方が良いかと。
 壮絶に残酷で、なのに美しく流れ落ちる「彗星」をぜひ劇場のスクリーンで。。

 ヒトの中身が入れ替わるのはフツーじゃないとはいえ、ごくフツーの日常の話から始まって、どんどんスケールは壮大となり、時空を飛び越えていく。とにかくその展開にあらがいようもなく引き込まれてしまう。一番のクライマックス、カタワレ時に二人が出逢うシーンは私などが申すまでもなく、語り継がれる名シーンとなることは必至でございましょう。

 感動の勢いで新海監督が書いた小説版を買って読んでみました。
 時間があっちこっち行き交うようなストーリーは、頭の弱い私は基本的に苦手なため文章での確認が必要でもあって。

 で、小説の中で、映画ではわからなったことが二つわかった。

 かつて集落に落ちて集落を滅ぼした隕石「人はそれを記憶に留めようとする。なんとか後の世に伝えようとする。文字よりも長く残る方法で。彗星を龍として。彗星を紐として。割れる彗星を、舞いのしぐさに。」
 つまりあの組紐は彗星を表してたと。

 で、巫女さんの舞いの手のかたちは彗星が割れるのを表わしているのだと。
 いにしえの人が、祈る思いで危険を伝えようとしたということ。人間はいやおうなく、忘れてしまうものだから。

 中高年として最も共感を覚え、ここだっと思うのはここ。

 忘れてしまう


 やろうとしてたこと、やらないといけなかったこと。アッというまに忘れてる。
買い物に行って買い忘れたものの一つや二つあるのがフツーだし、昨日も灯油缶を忘れて灯油を買いに出た。人の名前なんて最たるもの。その人の顔、言った言葉やった事、それらは覚えているのになんでだか名前は真っ先に忘れて出てこない。

 ・・・でもこの映画での忘れる、そんな中高年の脳のおとろえなどという卑近な話ではもちろんなくて。もっと哀しくせつなく普遍的なものなのでしょう。


小説から……
 
  消えていく。あんなにも大切だったものが、消えていく。

  こぼれ落ちていく。あったはずの感情までが、なくなっていく。

  悲しさも愛おしさも、すべて等しく消えていく。なぜ自分が泣いているのかも、俺はもう分からない。砂の城を崩すように、感情がさらさらと消えていく。



これ以後の文章はもう、監督自身の強い思いが噴出してるようで。

 砂が崩れた後に、しかし一つだけ消えない塊がある。これは寂しさだと、俺は知る。その瞬間に俺には分かる。この先の俺に残るのは、この感情だけなのだと。誰かに無理矢理持たされた荷物のように、寂しさだけを俺は抱えるのだと。
 ーーいいだろう。ふと俺は、強くつよく思う。世界がこれほどまでに酷い場所ならば、俺はこの寂しさだけを携えて、それでも全身全霊で生き続けてみせる。この感情だけでもがき続けてみせる。ばらばらでも、もう二度と逢えなくても、俺はもがくのだ。

 つまりは、表現するということはそういうこと、新海監督はアニメーションという媒体を通してそれをやっているのかもと思う。
 いやおうなく消えていってしまう記憶、意味。それをなんとか刻みこみ、伝えるために表現する、「神さまにけんかを売るような気持ちで」。
 美しくもがく」



 あとこの映画、音楽がやっぱり凄い。
 ここだここしかない!という鉄壁のタイミングで出てくる劇中歌たち!
 普通に考えるとこれだけ壮大なストーリー、つい壮大なクラシックなど使ってしまいたくなるものじゃないんだろうか。

 それはせずにあえてポップスに徹してる、潔さ。なんか若い人たちとこのポップ感を共有してるみたいで嬉しくもあるのです。
 何より美しいし、気持ちいいし。



 しかし、、、しかしです。

 映画の結末、これだけは私には納得できないのです。
 忘れてしまっている、でもなにか寂しさだけは残っている。忘れてしまってるけど、確実に何かがあった。
 ……もうそれだけでいいじゃないすか。

 甚大な被害を及ぼした隕石が一方でとても美しく目に映ったように、この世界には表と裏がある。目に見えるものだけがすべてじゃない。そう思うことが時には救いになるし、本質でもありそれが深みということだと思う。
 


 そこで終わって欲しい。現実に引き戻すのはやめて欲しいのよ。アタシは。 
 。。。と、二人のこの先に夢を描くことができないほど、現実にアレルギー的にくたびれている中高年はハスッパな心持で思うのでした。

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惑溺 『CORNERSTONES 6』

2016-12-02 22:38:21 | 佐藤竹善 SING LIKE TALKING

佐藤竹善『CORNERSTONES 6』及び『The Best of Cornerstones 1 to 5』


衝撃作 『CORNERSTONES 6』 に夢中になるあまり、ファンクラブ仕様の特典DVDも観てなかったと思い、秋の夜長に観てみました。淡麗など飲みながら。


まず冒頭の竹善さんのインタビューから。。

このアルバムは画期的なものにしたかったとの言葉に、「そのとおり、画期的!」と激しく同意。
 ……オーケストラの雰囲気を借りてポップな歌を表現するというところをまずとっぱらいたかったんですね。もちろんポップスとの融合というのが僕の中にあるので、その部分は大事にしつつも交響楽とポップスという対照的にあるものの魅力を削らずに表現するアレンジだったりとか、そういうアレンジができる選曲をした

 ……僕らのファン層の中心の世代だけに訴えるのではない、その意味でも画期的・・・






そして新日本フィルの指揮者・岩村力さんのインタビュー。これが素敵なのです。

………僕はいつもオペラとかシンフォニーとか多いんですけど、その密度の濃い音楽をやっているのとなんら変わらない音楽がそこにあって、竹善さんの歌声がそこに絡んでくる。


………声からの投げかけがあって、すぐにそれに管楽器が反応してるとか、あるいは弦楽器が全員で反応してる。オペラなんかもまさしくそういうことで、何か問いかけたらオーケストラがフワッと反応するということがあるんですけど、各曲にそういう場面・瞬間が必ずあると思うんですね。よく聴くといろんな楽器の音色が竹善さんに絡みながら、へんな話、まとわりつきながら彼をカバーしている。弦楽器だったり、ホルンだったり、トランペットだったり。楽しんでいただきたいと思いますね。

こう読んだだけで、「音楽無しでは生きていけない症候群」の歌声フェチ楽器フェチにはもう、よだれを押さえることなどできません。


私は『CORNERSTONES 6 』 に関してひそかに、一抹の不安を感じているのです。
それは、このアルバムが日本のみならず海外でも賛辞を浴びいきなり大ブレイクとなり(海外で、の方が可能性が高い気がちょっするのはなぜか…)、それはもちろん素晴らしいことなんだけど、そのためにコンサートのチケットが取りにくくなるとヤダな、という非常に卑小な不安。
ありえる・・・ありえる。
何にも迎合していないのに、超ハイレベルなのに、音楽執着愛好家でもそうでない人でもきっと皆喜べる、感動できる広がりをもった稀有な音楽だと思うから。
ポップスと交響楽がこのように高次元で融合した、画期的な。
なまいきなシロオト考えを承知であえて書いてしまえば、竹善さんの無尽蔵の才能と努力、これまでのいろいろな道のりのすべては、このアルバムを作るためにあったんじゃないか。とさえ思える。
とんでもないアルバムが出来てしまったと思えてなりません。

  
         



DVDの続きに収録されている
『CORNERSTONES 2002 LIVE』
この映像はワタクシ過去に堪能し尽くしております。それこそ舐めるように。
問答無用、むちゃカッコいいです。
竹善さんのビジュアル最高ですし。過呼吸?と思われるような苦し気な表情と流れ落ちる汗など。見どころは満載。
若いSALTさんがまたかっこ良すぎで。突き指しないのかと思われるような凄い鍵盤の連打など。


これはオフレコで。。。
最後の「インストアマラソン2007」、、、これはいったい………? なに。
なにゆえの企画なんだろうか。
特にライブ映像中の歌がほとんど「万里の河」。これがいまひとつ納得いかないというかなんというか。。万里の河」はaskaでよくないか?(昔のaskaで)。それじゃカバーの意味がないか。いや別に、、すみません。好みの問題でした。




なにしろ『CORNERSTONES 6』 から離れられず、一緒になっている 『The Best of Cornerstones 1 to 5』 をまだほとんど聴いてない。。

ただSALT&SUGARの新曲「Losing You」はまっ先に聴き、又私の宝ものが一つ増えたという思いがしたし、「Change the World」を聴いてその完璧感に脳がくらっときたけど(過去数百回は聴いてるのに)、後はまだ。(ベスト盤だから曲は全部持ってる、はず)。これ、老後の楽しみにとっておくというのもいいな。など思ってニヤニヤしています。

もう音楽が無いと生きていけない症候群のわが身に、この上もない特効薬をもらった気分で。

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佐藤竹善 CORNERSTONES Symphonic Concert その2 変形ツーショット

2016-11-28 17:45:15 | 佐藤竹善 SING LIKE TALKING

私はいまだ腰がぬけたまま。
ただごとでない執着で『CORNERSTONES6』をエンドレス聴きまくりなのです。


アルバムの中の竹善さん自らの解説文がまた面白く、すごい読み応えで。
一番驚いたのは、アルバムのコンセプトとして、カバー曲の元曲の作者が持つそれぞれの音楽性の源にまで遡り、そこにあるクラシック的な要素を表現してるのだということ。

例えばフィル・コリンズ「Against All Odds」。「彼は元々はUKプログレですから、ヨーロッパのクラシックや、そしてアメリカ音楽のルーツ的な要素にも造詣が深い。そういうことがメロディーや曲調にもよく表れていて、特にこの曲など当時のアメリカ人には書けないメロディーだと思います。ヨーロッパ人の世界観ですよね。だから、トラックをオーケストラに入れ替えても、そのまま成立する世界観だと思っていました」

アヴィーチー「Hey Brother」、「あの曲調自体が実はカントリー&ウェスタンなんです。で、そのルーツをさらに掘り下げていくと、西部劇の音楽に行き着くわけです」「ヨーロッパのものであったオーケストラやクラシック音楽といった要素がアメリカの音楽としてしっかりと表現され、体現されたものが西部劇の音楽だと思います」「アヴィーチーはほとんどデジタルの楽器で大胆に作ってるけど、弾いてるメロディーは往年西部劇時代のオーケストラのフレーズを抽出して、それをラジカルに表現している」
なるほど。それで西部劇的にオーケストラで。。。こんなに壮大に。いきなり聴いて一番ビックリするのがこの曲かもしれない。

シカゴ「Will You Still Love Me?」(デヴィット・フォスターは)クラシックの曲として元もとあったかのような和音構成、そして全体が構成されている楽曲をロック・バンドでやったらどうなるかというような曲、アレンジになっていきます。だから、僕のAOR的なルーツとして今回の交響楽というコンセプトがクロスする表現としていちばんわかりやすい1曲だと思います」


「このアルバムは、軽音楽クラシックにはしたくないと思っていました。交響楽、シンフォニーという形で原曲の良さを伝えるというのが基本的な考え方で、しかも各曲のルーツ的な要素もしっかりとコンセプトに含める。そしてまた同時に、ただクラシック的な雰囲気だけで世界観を作るようなこともしない、というようなことは4人のアレンジャー全員と共有しました」

なるほど、、でした。

TOTO「Africaにいたっては、もう何も、解説すらも要らない感じ。タイトル見て、聴けばわかる。うんわかるのです。
竹善さんとオーケストラとパーカッションそして村上佳佑さんの、奇跡みたいな融合で作り上げる空想の大陸「アフリカ」がそこにある。
すばらしいです。

このアルバム「そんじょそこらのとは違うはず! な、はず」←竹善さん本人のコメントらしい。

納得。頭ハゲるくらい。


当分私はこの『CORNERSTONES6ショックから抜けられそうにないです。


                


オーチャードホール・シンフォニックコンサート当日は、54年ぶりの11月の大雪だったわけだけど、54年前というのはちょうど竹善さんが生まれた年だとか。(昭和38年生まれですから。と言っておられたが、大雪は昭和37年でぴみょーに違う気もするが、まあそんなびみょうなことはどちらでもいいし私の聞き間違いかも)「持ってるでしょう?」と竹善さん。
持ってますね。


私はその日、竹善さんが降らせたらしい時ならぬ雪のため、電車遅延をおそれて早々に家を出たわけですが、なんとか無事会場の座席に着きやれやれと開演前のステージを眺めたりなどしながら呆けてたその時! 近くの出入口からふいに現れた、それがなんとソルトさん。 
幻っ…?( ゚Д゚) そんなものが見えてとうとう私もキタ
?( ゚Д゚)
息を呑む私の目の前をその人はゆっくり横切ると、なんということ、私の前の列、斜め数人横にお座りなったのでした。
あったかそうなグレーのカーディガン。内容まではわからないものの楽しげな話し声、笑い声。横顔。。。。いや間違いない、あれはまごうかたなきソルトさん。(´;ω;`)ウゥゥ
ラ ッ キー。。

SALT&SUGARの偏執的ファンでもあるこのワタクシ、ステージでも映像でも、おふたりがツーショットになるのを見ると、それだけで人知れず胸がギュインとなってしまうのだ。
そんな私に、ステージで歌う竹善さんを客席で観ているソルトさんという、超レアな変形
ツーショットを拝めるチャンスがふいにきた。

竹善さんのステージを見てる私の視界の中にソルトさんがいる、そういうラッキーな角度だったのだから。私は狂喜し、シアワセの金縛り状態。
結局ソルトさんは頭3曲の後、席を移動してしまったけど。。。
あの3曲の間の幸福は忘れません。今年の運はすべて使い果たした感あり。
オープニング、竹善さんがアルバムジャケットと同じ衣装で登場した時、お客さんと同じように楽しそうに笑っていらしたのもワタクシは見逃しませんでした。
ステージが始まる前、チェロの柏木広樹さんがソルトさんのそばに来て何か話をしているのも見てしまったし。
S席の値段にびびってA席にしたんだけど、なんの。極上チケットでございました!



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佐藤竹善 CORNERSTONES Symphonic Concert その1 歌うオーケストラ

2016-11-28 12:20:47 | 佐藤竹善 SING LIKE TALKING


■セットリスト(●は収録曲)
演奏:東京フィルハーモーニー交響楽団(指揮:大友直人)
01 Story Of My Life(One Direction)●
02 This Love(Maroon 5)●
03 Against All Odds(Phil Collins)●
04 Hey Brother(Avicii)
05 Africa (Toto)
06 Momento
07 生まれ来る子供たちのために
08 I.Need You (with平原綾香
-休憩-
09 O Holy Night
10 Will You Still Love Me?  (Chicago)●
11 The A Team (Ed Sheeran)●
12 Come On (Ben Jelen)●
13 The Lost Treasure
14 Human  
15 明日へ(For Kumamoto Version)●
アンコール Amazing Grace ←ノーマイク・アカペラ!



54年ぶりという11月の大雪の中、行ってきました。オーチャードホール。
全曲オーケストラでのカバーアルバムCORNERSTONES 6』。
これは
筆舌に尽くしがたく素晴らしいアルバムで、好きすぎて寒気がしてるほど。
今回はそのアルバム全曲をフルオーケストラの生演奏で聴くことができた、まさに奇跡のコンサートと申せましょう。


・・・はっきりいって私は壊れました。

1部では、1音たりと聴き逃したくなくて肩に力が入り過ぎ、2曲目ですでに肩凝りバリバリ状態。
2部では、あまりの美しさに朦朧となり、拍手をする手の力も抜けちゃって、かぼそい拍手に。
異常です。


正直申しまして、竹善さんがオーケストラとやるというのを知った時、オーケストラ? 要る? アコースティックなら竹善さんならばギター一本でも。ピアノだけでも。薄い伴奏だけでも十分イケるのに。なにもオーケストラじゃなくても竹善さんなら。などと思ってたあさはかさ
美しく迫力あるオケの伴奏に、美しいボーカルがのる。そんな
ありきたりな想像しかできなかった自分の不遜を思い知る。
もちろんそれでも素晴らしかったには違いないですが。
でも 『CORNERSTONES 6』 の方向性は、貧しい私の想像などはるかに超えてた。オケが竹善さんと1対1でコラボ、完全にセッションしてる。オーケストラがまるで語るように歌ってる!、物語ってる。
それもあくまでクラシックの文脈で。
素晴らしい・・・・

オケにしてもバンドにしても、伴奏をバックにボーカルだけがとりわけ突出する、そういった音楽じゃ無い。ボーカルが楽器の音とスッと溶け合って、生かしあう高めあう。
これがまさしく竹善さんの音楽の魅力なのでした。
オタク的歌声フェチでもあるが、オタク的楽器フェチでもある身にはいつだって、こたえられないものがある竹善さんの音楽の魔法。

『CORNERSTONES 6』 はその魔法が爆裂してる。破格だと思う。




そしてコンサート。
東フィルの演奏の素晴らしさはもちろん、ゲストの平原綾香さんの年々凄味を増す胸打つ歌声。村上佳佑さんの超ハイトーンボイスの圧倒的存在感。
そして大儀見元さんとセネガルのパーカッショニスト(シングライクの東京国際フォーラムライブ時から私は大ファン)の突き抜けるパーカッションの音は、オーケストラにかまえてた私の気持ちをほぐし昂揚させてくれました。かっこよかった!

一層深みを増したような竹善さんの歌声は・・・もう私の比喩などではとても追いつかない。
魅惑の倍音をおしげもなく響かせまくり。
相も変わらない美しい英語の発音の快感。


特にO Holy Nightから始まった2部の美しさ、えもいわれず。
ああ神様・・・・思わず手を合わせてしまいそうになる。
ああ神様・・・・と十字すら切ってしまいそう。(こんな比喩しかできない自分が本当につらい)


中でも最も心揺さぶられたのはThe A Team」 「Come Onの連なり。
The A Teamはとことんきれいなメロディなのに、実は悲惨な歌詞。それを語りかけるように優しく軽やかに歌う。
その歌声とかもす雰囲気たるや、もはやこの世のものとは思われず。

MCで「ホープ、というところを歌うと泣きそうなってしまう」と言われてたような気がするんだけど、「Hoping for a better life」のところのことだろうか。(違うかも)
這いあがれず、薬に溺れる少女たち。angels to fly・・angels to die・・・繰り返される「angels」 がずっと耳に残ります。
格差地獄の今の世界の抜き差しならない側面をえぐり取った歌だと思う。淡々と明るい曲調に「慈愛」という言葉が浮かんでもきて

このThe A Team」、
竹善さんはハンドマイクを両手を重ねて持って歌っていて、曲が終わり次Come Onを歌い出すまでのあいだ、そして歌い出してからもずっとそのままの手のかたちでいたので、何か祈っているように見えたのでした。このシーンが今回のコンサートでの私のハイライトでございます。圧巻でした。
素敵でした。

コンサートだと、どうしてもこのように竹善さんの歌と姿に気が行き、CDで聴いてる時のようにはオーケストラの表現を味わえない、しゃぶりつくせなかった。それが残念。

やはりこれはもう一度、もう二度、同じコンサートを開催してほしいです。中身の濃すぎるコンサートだからこそ、そう思うのでしょう。味わいたいところがありすぎてあれもこれも。
どんくさい私なんかイッペンではどうしても無理。

それと微妙にですがなぜか竹善さんの歌とオーケストラがズレて聴こえた部分もあって。それも次回は必ず修正されることでしょう。ぜひぜひもう一度、お願いしたいです。



かねてから墓場まで持っていきたいものだと思っていた曲Momentoも聴け、死ぬまでに1度はノーマイクで聴きたいと思っていたAmazing Graceもノーマイクで聴けた。
私は今弛緩してもう何もしたくない。現実に戻りたくない。くたばっていたい。。。。(-_-)

・・・・いや、そんな覇気のないことは言ってるのはヨシにして、元気を出していこう。
明日への勇気を束ねて生きていこう!


佐藤竹善「My Symphonic Visions ~CORNERSTONES 6~」全曲ダイジェストムービー

 

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SING LIKE TALKING 『The Sonic Boom Tour 2015』

2015-05-24 11:03:36 | 佐藤竹善 SING LIKE TALKING

 
『The Sonic Boom Tour 2015』
5月22日(金) NHKホール

待ちに待ったSING LIKE TALKINGのバンドツアー、最終日です。
燃え上がりました!
おととしの東京国際フォーラムでのライブで私は、あのアフリカンパーカス隊とバンドとの怒涛の演奏に飲み込まれ、ほとんど朦朧状態に陥ってしまったわけですが、
今回もまた、あの時を上回るほどの客席の盛り上がりの中で、

   虚ろになった意識にも 平気で責めてくる~


・・・状態で、またしても高揚度はたいへんなものでした。
それはもう、責める、あおる、のみこむ。
聴かせる、聴かせる。ひたすら聴かせる・・・・・音楽の高みを見せてくれる。

つまりこれがSING LIKE TALKING。

しかし今回は2階席だったこともあってそこはそれ、私はなんとか正気を保ちつつ、燃え上がるライブをきっちりと最後まで堪能することが出来ました。
良かった。
まったく長さを感じなかったけど、終わってみればなんと3時間半!
内容みっちり、量も美味しさもアンバイは完璧、大満足のフルコースを食べさせてもらったような気分。

01. Ordinary
02. Hold On
03. 月への階段
04. (How High The Moon/Ella Fitzgerald)~Together
05. Will
06. Flame
07. One Day
08. 無名の王 -A Wonderer’s Story-
09. 離れずに暖めて
10. 祈り
11. Memory Of Your Smile
12. Human
13. みつめる愛で
14. 眩暈 ~Don’t Blame It On The Summertime~
15. Rise
16. La La La
17. Seasons Of Change
18. Spirit Of Love

【アンコール】
19. きっと何時の日か
20. 心の Evergreen
21. I’ll Be Over You(TOTOカバー)
22. My Desire
23. Utopia



正気を保っていたなどとはいうものの、思わず くらぁ~・・とくるシーンは何度も何度も。

そのトップは、後半山場での「眩暈」。
この新曲のかっこ良さったら、まさにメマイ。
そこから続く「Rise」
どうしてこれが平静でいられましょう。もうスパークしよう、解放されるときは今、壊れる時は今よ!みたいな。
ステージ前に出てきた露崎春女さんの品のいい壊れっぷり、壊しっぷり。最高でした。ヽ(^o^)丿


メマイするといえば、もちろん竹善さんの美声は相も変わらず衰えなど知らず、ますます艶も深みも増しているようで、ほとんど神がかりと言いたいほどだ。
特にバラードで聴かせてくれるシーンとなるたび、もれなく くらっくら してしまった
MCの中でほんのワンフレーズを口にする時、たとえばオフコースの「さよなら」の「もう、終わりだね」とか。それだけで、そのあまりの美声にズッキューン。
「小田さんはそう言ってもなかなか終わらない」という落ちのジョークなだけだったんですが。

今回ワタシはかねてから特に念願だった「Flame」が聴けて、幸せの絶頂でございました。

TOTOの「I’ll Be Over You」
も素晴らしかった。
そんなことを言いだすなら、どの曲もどの曲もなのであって書ききれやしないのですが。

なかでもきわめつけはアンコール最後の
Utopia」。
竹善さんの得も言われぬ歌声に、美しい千章さんのシンセと西村さんの泣きのギター、これらが相まって、身も心も浄化されようかという美しさ、、鎮静効果の絶大さ・・・ため息です。



そしてそして。
SING LIKE TALKINGのツアーにはSALTさんがいる。必ずいる。
この喜びはまさに筆舌に尽くしがたいのです。
なんというおトク感でしょう。
SING LIKE ライブ仕様の、でもまぎれもないSALTさんのピアノ。

いつもCDで聴くたぴときめくピアノのフレーズを生で聴ける、あのすっばらしいキレと芯のある音で。
・・・感動という他はございません。(T_T)

月への階段」のイントロ、胸打ち抜かれました。思わず「うおぉ」と脳内で叫ぶ私。
「祈り」は、少しジャズっぽいひねりが入ってCDと違ってた。そのひかえめなアレンジ変え、たまりません。
「Together」の前の
「How High The Moon」では露崎春女さんとがっつりジャズを聴かせてくれました。

そして、なんといっても
無名の王」。
この曲演奏されるだろうかと、一番期待してた曲。
ひょっとするとステージ演奏はむずかしいという曲なんじゃないかとか、まったくのシロオト考えで根拠もなく思っていたが、、、すんなり自然に演奏され、あまりに自然で、あやうくすんなり通りすぎていってしまいそうですらあった。
けど、やはりこれは大変なことなんじゃないだろうか?? 
あのメンバーの技術あればこそのできごとだったんでは。。。
それに居ない管楽器のパートをどうやるんだろうかと思ったら、ほとんどSALTさんが担っていたようだった。すごい。
今回のステージはDVDになるというので(やった!)、まずは熟聴しなければなるまいと思う

「無名の王」に気をつけろ(笑)要チェックだと思います。

というか、ただただDVD化、嬉しいです!


その他の曲でも随所でSALT色をちりばめて聴かせてくれて、もう惑溺。
オープニングから、いつもながらピアノに頭がぶつかるんじゃないかと心配になるほどの激弾きで、ステージ上で一人だけ汗を拭いていたSALTさん。
SALTさんのあの感じがSING LIKE のステージをいやが上にも盛り上げるんだよなあ。
いつも西村さんに次ぐいじられ役で、今回も、竹善さんの暴走下ネタに巻き込まれ、ピアノのところにあった(何故そんなところにあったのか)ニップレスのシールをほっぺに貼り付けられてしまった。あの困ったさまが忘れられません。(笑)




今回復活の大儀見元さんのパーカッションもやはり素晴らしくて、東京国際フォーラムのあのライブの怒涛が思いだされて鼓動が早まってしまいました。
「La La La」のイントロ、竹善さんのあのおたけびというかシャウトに合わせたパーカッションは圧巻。
ステージの空気があっという間にアフリカの森林に。
そしてパーカッションソロ演奏。これは経験のない不思議な感動で、とても胸に残りました。
あれを30分聴き続けていたら、、大儀見さんの書いた一冊の本を読んだような気がするんじゃないだろうか。そんな気がした。
それほど物語る、つまり魂こもっている音だという気がしたから。





「ファンの人たちが聴きたい曲は書かない。」
竹善さんが笑顔で言った言葉なのです。
こんなセリフを言い放つアーティストっているんだろうか。。
でもたぶん、こういうSLTの頑固一徹なスタンスがファンの強い信頼をよんでいて、今回のようなすごい盛り上がりをよんでいるのだと思う。
私もそうです。
もちろん音楽が比類なく上質でかっこいい。それが一番の理由なのですが。
過去の名曲たちはもちろん、「眩暈」みたいな新曲でもまた眩暈、幻惑、、、。これからも音楽性の高みへと私たちを引っぱり上げてくれるのでしょう。



今回のライブにあたって募集したリクエスト曲は、「僕ら幸か不幸かヒット曲が無いので、ものすごくバラけた」そうで、
1位は
「心のEvergreen」
2位は「きっと何時の日か」だったそうです。

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風立ちぬ

2015-03-06 16:57:49 | 映画

先月テレビで、ジブリ映画の『風立ちぬ』を観ました。
おととしの公開当時、そうとうな異色作だといって話題になってたのは知ってたが。
まさに・・・「そうとう」でありました。衝撃でした。
「感動した」というのとも違う。なんというかゾクッとするような、いたたまれない感じ。
その日の夜中は、ヘンな時間に目が覚めてしまい、映画を思い返して目が冴えてしまった。
いつも何があったって寝る、イギタナいこの私が。。。そうとうなことなのでした。

まったく多くを語らない主人公。人によってどんなふうにも読みとれてしまうような設定。
その上で「ゼロ戦」を設計した主人公を、ものすごくストイックに描いてる。
これって、、ただごとでない大胆さで、世間の「タブー」に触れてしまってるんじゃないだろうか。
世界に名だたるジブリの最新映画、しかも宮崎監督の最後の作品という王冠をかぶってる作品なのです。当然世界中のファンが観る、子どもも観る。
それでも作った。だからこそ作ったというんだろうか。
その大胆さが怖いくらいだ。ゾクッとする。。


主人公・堀越二郎は、美への執着と想像力が、狂気と紙一重なほど強かった人。
夢みるだけでなく、空想を現実の形にできる才能をも持っていた。そんな天才・二郎を、暗い時代が後押しした。
もし違う時代に生まれていれば、日の丸をつけない純白の機体を空に飛ばすことが出来たのかもしれないが。。が、そうはいかず。
美と隣合わせに、悪と死という呪いがかかっていても、夢に描いた「美しい飛行機」を作らずにはいられなかった二郎と、あらゆる誤解を招くかもしれないリスクを背負ってでも、二郎と二郎の「美しい飛行機」を描かずにはいられなかった宮崎駿監督。
2人がとてもオーバーラップする気がします。

二郎の作った美しい飛行機=戦闘機を、映像上で美しく描くというタブー。(ほんとに美しかった。アッ、かっこいいと正直思ってしまった)
そして、それを作り上げた二郎の感情の一部の欠落ぶり。(殺戮の武器に携わる逡巡、懺悔や痛苦の言葉はみごとに無い)
そこをかばうことなく、ストイックに描くというタブー。
・・・もう、キケン。
危険信号バクレツしてる気がする。
今や映像上で観ることはめったにないタバコのシーンだけど、この映画ではそんなタブーをせせら笑うかのように、紫煙がひきもきらずモクモクと描かれてもいるのです。
不敵だ。。

アニメの技術的なことは全くわからないこの私のシロオト目にも、美しい色彩と奥行きと驚異的な動き(風、、映像に命が吹きこまれる)のこの映画。
きっと類を見ない最高峰の技量なのでしょう。
その技量を駆使して、危険な地雷ものともせず、主人公とその時代を描いた。
ただ空を見上げ「美しい飛行機」を作りたい、その夢に突っ走った「天才」と呼ばれた人のことを。
以上。
あとはすべて観た人にゆだねる。おそるべき冷徹さで。
そういう映画なのだと思います。


二郎が戦闘機の設計を本格的に依頼されて、葛藤の表現もなく引き受けるシーンは、最もショッキングでした。
最初に観た時は、その驚きが胸にわだかまりすぎて、そののちの濃密な恋愛ストーリーに、なかなかはいり込むことが出来なかったほど。
そのように、観てる側が普通に期待するキモの部分をいくつも、この映画ははずしていくのです。
安直な感動や予定調和の安心など、もう虫唾が走ると言ってるかのように。
・・こんなことってあるだろうか。
安心して観られる、大人でもトベる、ジブリの心強いファンタジーは、どこ、どこなのぉ、、、、と涙目になってみても、作品も主人公も何も答えはくれない。
自分で考えるしかないということなのでしょう。
まるで強力にストイックな純文学のように。
イデオロギーとかそんなこんなとか、それよりも、もっと飛翔した高い空にある知の舞台の作品として、人間てものを表現する物語が描かれたということなのかもしれません。
予定調和から常識から、あえてかい離させた「作品」なのだから。私なんかがいつものようにボワ~ンと、甘酒かなんか飲みながら観ていても何もわからないのも道理かも。

もしかしたら主人公が口にしない逡巡を、後悔や懺悔、痛苦を想像で補わないといけないのかもしれないし。

いや。反対に、天才に葛藤などなく、凡人にははかりしれない狂気スレスレの熱情と才気をもって、美しく機能性に長けた物を作りだそうとする。そういうものだということなのかもしれない。
主題歌でユーミンが高らかに歌うように「わからない。他の人にはわからない」。そうなのかも。

そうなると確かにもうわからない。アタシには。
そういう世界もあるんだ。そういう人もいるんだ。そう教えられ、スゴスゴと引き下がるのみ。。

内容は混沌と矛盾、違和感の渦。なのに素晴らしくテンポよく、スッキリと映画は流れていって、飽きることなくのめり込ませてしまうという、この手腕は本当に凄いと思う。こういうのを傑作というのかもしれないと思います。

二郎の愛する人菜穂子は重篤な結核を患っていて、余命いくばくもない。
臥せってる菜穂子の隣で、二郎は左手で彼女の手を握り、右手でタバコを吸い戦闘機の設計をします。
キスしたりもする。二郎は魅かれてやまない対象には命を注ぎ、愛し、死をもいとわないのです。
「僕たちにはもう時間がない」と言うとおり、個人的にも社会的にも死が蔓延してる、すぐ隣にある。
その中でこそのせつない熱情、ということなのかもしれない。

喀血の連絡を受けて菜穂子の許へ急ぐ汽車の中で、恋しい菜穂子を思って泣きながら、手では計算尺を持って飛行機の設計を続ける二郎。
菜穂子を失うかもしれない恐怖から自分を支えるために、必死で夢の飛行機の設計しているのかもしれず。
しかしそれが戦闘機なのだから、事態は深刻、混沌をきわめるのです。

菜穂子への愛と夢とがないまぜになっての混乱。矛盾。
むちゃくちゃなのに、その二郎の姿になぜかこれが人間というものなんだ、とシンとした心で納得する。愛おしさすら感じてしまう。
この映画で一番胸に残ったシーンでした。


関東大震災のシーンや、ゼロ戦の墓場・残骸のガレキを二郎が歩くシーンを観れば、どうしたって3.11の震災・原発事故を思い出しもします。
育ちが良く正義感も持ち、夢見る賢い特別な少年だった、それがために最後には地獄を見る二郎さんの姿に、豊かすぎる時代に守られて育った後、大事故に遭遇した日本の私たちが重なって見えてきたりもする。
人間として何より怖ろしいのは、ある種の感情の欠落かもしれない。二郎さんも私たちも、地獄が眼前に広がる前に引き返すことができなかった、が、肝心な感情が欠落したままでいれば、また同じことを繰り返してしまうのかもしれず。。

そんなことまで考えたらば、いろいろ気になり、2回も3回も4回も通して観ては(しつこい)、無い頭を絞ってアレコレ考えてまた混乱する。
・・・これではいくらイギタたなく鈍感な私でも眠れなくなるというものだ。
私にとって「風立ちぬ」はそういう映画なのでした。


しかし3回も4回もしつこく通して観、理解したい納得したいと思いながらアレコレ考えてみた結果、わかってきた部分もありながら、ひとつの違和感は意に反してつのっていきました。
以下、まったく個人的な感想にすぎないのですが。。(というなら下記も上記ももともと超個人的だけど。)

やっぱ。どうみても二郎さん。戦闘機にかかわる葛藤の表現が、感情が希薄すぎではあるまいか。

最後にたどり着いた地獄にもすぐに日は射し、カプローニが髭を揺らしてなんだかお気楽に聞こえることを言って救い上げてくれる。
もちろん救われたい。私だって。が、あまりにもあっさり感がすぎるじゃないか? 
時代背景に比して、イメージ的に軽やかすぎやしないだろうか? 
ストイックにもほどがあるってものじゃないだろうか? ここまでやる?

ちょっと暴走して言うなら、もはやこの世のものならぬ菜穂子の「あなた、生きて。」だけで終わってたら。その方が良かった気がする。二郎の懊悩と救い、両方に私の妄想が拙いながらも膨らんで、納得できるような気がする。

映画中ごろで、二郎の「機関銃を乗せなければ、(機体が)もっと軽くなるんだが」と言うセリフが笑い話のように語られるシーンがありますが、どろどろの戦闘シーンの血みどろが描かれてないこの映画は、その分、ずいぶんと軽く爽やかなイメージを残して飛翔したようにも思えます。
カプローニの言葉、「飛行機は美しくも呪われた夢だ、大空はみな飲みこんでしまう」。
・・・と言われてもどうしてもムリがある。戦闘機は決して空想上の空へ飲み込まれたりせず、現実に人を殺すことを私たちは知ってしまってるから。

勢いで書いてしまえば、エンドロールの堀辰雄・堀越二郎に「敬意を表して」。
これもどうなんだろう。
これこそ一番の、本当のタブーじゃないだろうか。と感じてしまうのです。
堀辰雄はともかく、堀越二郎という、生涯を描くのに困難な側面を持つ人物に対しての思いを、「敬意」という言葉ひとつに集約させてしまうことこそ、あらゆる曲解を生むモトになるのでは。。。
「敬礼」と似た語感をいやおうなく持つ「敬意」という思いの意味を曲解なく伝えるためにこそ、この「風立ちぬ」という入魂の「物語」が必要だったんではないんだろうか。
それを、あえて最後につけたすように「敬意」という言葉をポンとおくのは、、、蛇足だし、あまりにフテキすぎるという気がしてしまうのですが。。

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