Vo.1ってしれっと書いてるけど
Vo.1ってしれっと書いてるけど
ハッピー星人にはアンハッピー星人の気持ちは分からないし、
アンハッピー星人にはハッピー星人の気持ちが分からないものだ。
だけど
ハッピー星人がある日突然アンハッピー星人になる時が来るかもしれない。
アンハッピー星人がある日ハッピー星人になる時が来るかもしれない。
自信がある人間は自信のない人間を愚かに感じ、自信がない人間は自信のある人間を鬱陶しく感じる。
だけど
本当に自信がある人間はそもそも人を愚かに感じることもないし、
本当に自信がない人間はそもそも人を気にする余裕がない。
みんな、自分は正しいかのように立っていても逆側から見れば滑稽な時もある。
1番タチが悪いのは"あなたはコレを言って欲しいんでしょ?"という斜めからの見下し。
さも相手を褒めているかに見えて、自分が相手を転がしてる優越感に浸るタイプ。
褒めることも
叱ることも
愛がなければただの嫌味だ。
いつかその日が来たとき
分からなかったものが初めて見えたとき
"ぁあ、あの人が見ていた世界はコレだったのかぁ"と、妙な気持ちになったりして、想像力から経験値がupして、思いやりバロメーターが上昇する。
と、同時に、
"あの時は知らずに傷つけてしまったなぁ、、ぁあ無知だったなぁ。恥ずかしい。情けない"と、ちょっとした反省が生まれたりする。
今見てるものの全て、今あるもの全て
今当たり前だと思ってることの全ては
如何様にも転んでしまうし動かすことができる。"感じる力"は自分にしかない最大の武器である。でも感じた気持ちに素直に生きるのはすごく難しい。
今日の自分と明日の自分が違うのは当たり前。天気ですら毎日違うし。
昨日咲いてた花が枯れてるかもしれない、昨日蕾だった花が咲いているかもしれない。
超絶微妙なバランスで命は成り立っていると思う。
【幹が太くなれば揺れなくなる】
というのが成長において最も必要な軸ですが、幹を太くするために、どれだけの自信をつければいいんだ、、、っていう難しさ。笑
大半が、幹を太く成長させるのではなく、細い小枝に、沢山の重たい油粘土をくっつけてくっつけてくっつけて太く誤魔化す達人である。
達人たちは、誤魔化しのプロであるがゆえ、まわりに大きな影響を与えることができるし、さも本物かのように自らを大きく見せて諭すプロなのだ。
しかし、本物と偽物は全くの別もの。
ちなみに。
ワタシ、ネンド、ヤダ。
ワタシ、ミキ、フトクシタイ。
ワタシ、ニセモノデ、カッコツケルノイヤダ。
ダッテ、ダサイヤン。デモ、ホンモノデカッコツケルノモ、ダサイヨネ(笑)
ここまでの話は人生に当てはまる話だけど、これは音楽でも同じことなんだ。
偽物か本物かは明らかに違う。
だけど、残念なことに本物を見極める力を持つ本物もまた少ない。
むずいねぇ、全く。
であるならば、やはり自分が自分に嘘をつかなければ、それは紛れもない真実であり、その真実の己に対して起きた喜びは、より一層の幸せになる。
だけど、やっぱり
むずいのよねぇ、生きるって。
ヾ(๑╹◡╹)ノ"
・小松菜うすしお炒め
・ナスとしめじの味噌煮
・豚バラキムチ
・もやしのゴマ酢炒め
・オクラの梅おかか
・ナットゥ〜
ちなみに汁物で、
・卵と生姜のスープ
でしたー(๑・̑◡・̑๑)
料理たのちー*(^o^)/*
と、、、、、
ここから、長い長いさゆりマンの独り言が始まるのである。。
#ついて来れるかな
私は自分で自分を良いね!と思うと
"見て見て見て"
"聞いて聴いて聞いて"となる
周りはおそらく、
褒めてあげなきゃ!だの
自分のこと好きだな〜!だの
痛いな〜!だの
色々ザワザワ思ったり
見て見ぬ振りをしてみたりする。
だけど私は
見てほしい&聞いてほしい割には、褒められたいわけでも自慢したいわけでもない。
何故なら、
純粋な直感で褒めたり貶す人は半分もいないと体感してきたからだ。
たとえば少し近い他人に対し
凄いと思っても素直に褒められないとか
嫌いだと思っても好きなふりをするとか
人の感情は恐ろしく複雑で、でも悲しいくらい単純。
羨ましい、ずるい、なんか鼻につく、自分だってできる、自分のほうがすごい、おまえごときが、
という嫉妬や、劣等感は
マジでこじらす。
私は小学生の時から沢山人前に出る場面があり、良くも悪くも沢山の評価で"他人の思う自分"を刷り込まれてきた。
だんだん、人が何故自分を嫌うか、人が何故自分を好くのかを、無意識で頭で考える癖がついた。
でも、私は小学生の時からずっとずっと
人がもたらす捻れた評価への違和感に本当は気づいていた。けど、あまりに苦しいので見て見ぬ振りをしてきたんだなぁ。
人間的に屈折し切っていたと思う。
だけど、ここ数年は
もはやどーでもいいというか(笑)
たとえ他人様に何をされずも、
私は元々自分で自分をどん底まで突き落とす天才であり、自分を持ち上げる天才でもあると気づいたんだ。笑
たとえば歌ならば
自分が小学生で歌手という夢を持ち、ひたすら勉強をし現場を踏み、高1ですでに天狗になってw 鼻をへし折られたこともあれば、プレッシャーでステージに立つたびに嘔吐し続けた時代もあった。
それでも歌うことが幸せすぎて、弱い自分が嫌でずっと闘いながら成長し、今もなお信頼のできる方々たちと音楽で仕事ができている。
ダンスであれば、そもそも小さい時から体が弱く、誰よりも体が硬く、誰よりもふり覚えが悪かったが、できなくても好きだった。
"歌えない曲は踊ればいい""体が弱いなら踊ればいい"という謎の接点作りにより、ご縁があり今もずっと教えの仕事ができている。
文を書くのは、小さい時から作文が好きだったからだし
料理は、沢山の素敵な料理人がいる場所でアルバイトをしたり、食い意地が張ってるから好きなものを作りたいというだけで、人並みにはできる
パソコンは小さい時から家にあったから遊びながらずっと自分でやってたから、ホームページの作成や、動画や音源編集ならできる。
ただし!
勉強は本当に人生でしたことがない(笑)
なぜなら
好きじゃないから。
興味がないから。
だから出来ない。
それ以外のほとんどは
好きだから学んだし、好きだから上手くなることを望んだ。
周りにはあらゆることに関して
"出来なそう"と、見くだされることがほとんどだった。
だから、
証明したかった。
人は見かけじゃないんだぞ!
人は自分の知らない顔を持ってるんだ!
人は人には分からないんだ!
って(笑)
だから、私は誰かに自分の評価をされたいんではなく
"人をどうか偏見で見ないでほしい"
という心の叫びを、何かしらで表現したいんだと思う。
そして自分自身にも日々言い聞かせている。
今は色々自分で証明できたから、チグハグにならないけど、昔はなんなら"出来なそう"の逆ver.で
・泳ぎ早そう→全く泳げない
・育ち良さそう(たまに言われるw)→複雑な家庭
・人並みには勉強できるでしょ?→だから出来ないって
・お前元レディースだべ?→んなわけあるかい!
・男兄弟いそう→姉
・スポーツできそう→なんもできない
とか色々あるww
他人の評価を気にして自分で自分いい感じやん!って思った瞬間を潰すのはもったいなく感じるし、
それで陰口を言うことや、噂話をすること、人のせいにすることがいかに恥ずかしく情けないかを今の自分は少しずつ、自分から生まれる感情として実感している。
それも昔、人を傷つけたことや流された時もあったから反省している。
反省したなら変わらなきゃ。本気で。
反省してないなら、反省したフリするな。マジで。
自分に言い聞かせてるのだ。
ま、人は人に興味がないことも知っているし自分もさほど興味がないんだけどね🤔笑
劣等感なんかよりも先に
自分が失敗したことや反省、自分の特技や能力を、良いも悪いももう少し素直に認め、立ち上がり改め、他人様の前に自分と向き合い、初心に帰るだけで劣等感なんか感じてる暇じゃないと気づくんだとは思う。
ちなみに、教えの仕事に向いていると言われるのも、おそらく、"この人(子)は、自分より優れた〇〇がある"と、常に目に見えない尊敬の念を見出せるからだと思う。
と、かっこつけても、、、ぷっ
って感じですが、ブログだしいいやね。w