ひたきのつぶやき(8年ぶりの再開)

山野草、樹木、虫、鳥、魚 などなど 身近な自然についてのつぶやきです

そろそろ再開しようかと思うのですが

2006-03-09 09:50:08 | ごあいさつ
うーん、再開再開といいながら、いまだに前振りと過去記事の再掲載ばかりですみませーん。
前振りは、ちゃちゃっと終わりにしようかと思いつつ書き出すとなかなか終わらないんです。ハイ。もう少しご辛抱を。

ちなみに写真は自生のミヤマウズラ。クロはここしか自生地を知りません。増やしたいのはやまやまですが、結実するどころか挿し木できるほどの株もない息絶え絶え状態で、我慢して見守るしかないようです。
えーっと、前振りで鳥見の話を大分しましたが、その主旨は、バードウォッチングをしている人(最近はきどってバーダーとかいうらしい)は、必ずしも自然保護的活動をしているとは限らないということです。クロが興味を示した頃は、あまりこの趣味に関する本もなく、あるとすれば、必ずといっていいほど、なぜ、飼ったり、捕ったりせずに見るという趣味なのかということの解説があって、それを意識しないでこの趣味に入る人の方が少なかったと思うので、なんとなく、みんな、環境負荷を与えてはならないという潜在意識が働いてはいたと思います。
でも、どちらかというとブーム的に広がってからは、少し様相が変わった感じもします。
・自分が見たことのある鳥(ライファーとかいう呼び名まで定着している)の種類数を競う。その多さを自慢する。
・何種類見たかというのは自己申告なので、その気になればいくらでも増やせる。それに珍しい鳥がいたという情報を得たら、すぐに飛んでいける時間とお金がある人にはかなわない。ゆえに、ライファーの多さではなく、いかに鳥の識別能力が高いかを誇示する。
・見たというだけでは自分のコレクションとして物足りないので、何種類もしくは珍しい鳥の写真をどれだけ撮影したかに走る。(鳥の世界では、いわゆるセミプロと呼ばれる人がたくさんいて、珍鳥を含めた識別重視の図鑑の発刊にはこれらの人の写真が欠かせないほどです。)
・中には、いい写真をとりたくて、鳥を追い掛け回したり、昼間寝ているフクロウを無理やり起こそうとしたりして、顰蹙を買う人間も出てくる。 等々
というわけで、バーダーみんなが、それはそれは人間的にすごくできているかというと少し違って、自然保護的な思想を全員が備えているかというとこれもちょっと疑問です。
でも、結果として、バードウォッチングはそれほどの大きな環境負荷を与えない趣味かとは思います。(そうすることを半ば目的に始まった趣味だから当然といえば当然ですが。)
いくら、鳥の種類をコレクションしたり、自慢してもそれは、見るだけ写真に撮るだけですし。そのコレクションの対象も在来種に限られ(正確にいうとコジュケイ、シラコバト、カササギなど明治以前に帰化した種も含む)、たまに、ペリカンなんかが湖にいたりすると、それが動物園から逃げ出したものか、野生のものが迷って日本に飛来したものかを追及して、野生もものでなければ、篭脱けと称して自分のコレクションには加えません。つまり、なーんか一見非常にくだらないように見える価値観の中で、野生であることがすごく重要視されていたりします。

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1 コメント

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同感です。 (ぶちょうほう)
2006-03-28 15:26:55
クロ様 鳥見の世界のちょっとしたにわか愛好家。

これはいろんなジャンルでも同じようなことがいえるのでしょうね。

山登りの世界でも「日本百名山」を「踏破」するとか、馬鹿なことを言う人たちがたくさんいますね。

もともとは「百名山」なんて有りはしないのです。

身近な山は自分にとっては皆名山なのですから。

「踏破」なんていう言葉も笑ってしまいますよね。

人の作った道をただ忠実に歩いて、小屋に泊めてもらって、他人様に何から何までお世話になっておきながら、わが一人の仕業のように「踏破」したなんて気持ちになるならおこがましい次第です。

鳥見の人たちの、奇鳥、珍鳥に群がる様も、「他人様に迷惑をかけないのならまぁ仕方がないか・・・」といったレベルでしかないですね。

たかが趣味の世界のことですが、もっと人それぞれで自由な拡がりを持って欲しいですね。
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