新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

いま、希望とは 10年後の9・11

2011年09月11日 | 革命のディスクール・断章
 その日の夜は、いつもの飲み屋さんで、ビールを飲みながらテレビを観ていました。NHKのプロジェクトXか、それに類したスペシャルで、法隆寺や薬師寺の修復に取り組んだ宮大工棟梁・西岡常一さんの話でした。

 どんな分野でも、技術者の話を聞くのは好きです。ビールを焼酎に切り替えて、テレビの最後までねばっていました。番組は夜の10時前に終わり、切りのいいところで引き揚げました。

 あと10分か20分ねばっていたら、ニュース速報に触れることができたのでしょう。

 家ではウイスキーと氷をひっぱりだし、レンタルの返却期限が明日に迫っていたヘップバーン主演の『尼僧物語』を観ました。感動のラスト、信仰を捨てレジスタンスにおもむくヘップバーンに、「よし」と激しく同意。風呂に入って、満ち足りた気持ちで眠りにつきました。

 翌朝は二日酔いもなく快適なめざめ。ビデオをポストに返し、いつもより30分以上、早めに出社しました。クライアントへの最終見積提出日で、もう一度チェックしておきたかったからです。

 出社すると、人の輪がいくつかできて、パソコンをのぞいたり、新聞を広げたりして、何やら熱心に話し込んでいます。仲の良い先輩が、朝のあいさつも抜きに、「大変なことが起きたね!」と興奮気味に話しかけてきました。

 「はあ」

 「はあ、ってまさか知らないの? ネット見てみ」

 よく呆れられますが、自宅にテレビがありません。その日はあいにく新聞もネットもチェックしていませんでした。徒歩圏だから、車内で他人が読んでいる新聞も、週刊誌の吊り広告も目にすることもありません。ときどき、浦島太郎状態に陥ることがあります。

 書類を片付けながら、パソコンが起動するのを待ち、ニュースサイトをのぞいてみました。

 「何だ、テロか」と呟いて、ブラウザを閉じ、通常業務を開始した私に、先輩は少しあきれた様子でした。

 「なんか、いやに落ち着き払ってるやん」

 「いや、驚いてますよ。会社に何かあったんかな、と最初思ったもんで」

 大変なことって、誰かが事故や事件に巻き込まれたとか、大口のお客さんと取引停止になったとか、高齢のオーナーが倒れたとか。思いつくのは、そんなことばかり。すっかりサラリーマン化、一般市民化していたのでしょう。

 事務仕事を片付けると、早々に外回りに出ました。一人で静かに考えたかっただけかもしれません。通りかかった店先の大型テレビで、ニューヨークの崩落していく超高層ビルのニュース映像を流していました。

 旅客機をハイジャックしての特攻作戦そのものは、必ずしも「想定外」「例外状況」ではなかったですね。非戦闘員の一般大衆を犠牲にするやり方を認めるわけにいかないというだけです。ふと、「テロリスト」とやらはどんな顔をしているのか、ショーウインドーに写った顔を見てみました。くたびれきった三十男がいるだけのことでした。

 あの日からもう10年がたちます。
 
 その後、イラク反戦闘争で、昔の名前で〈政治〉に一時復帰しました。イラク派兵阻止には、いわゆる良心的兵役拒否を通じた、叛軍闘争の再建が必要だと考えたのです。もちろん、人生思う通りにはいかないものです。

 当時出入りしていた左派系のネット掲示板では、〈内ゲバ〉や〈暴力主義〉をめぐる議論が続いていました。何がテロで、何がテロではないのか。イラク現地のレジスタンス勢力に、仲間が拘束されたときは、理念ではなく現実の問題として突きつけられました。

 今でも堂々めぐりの議論は続くでしょう、……帝国主義や開発独裁政権の暴力が現にあるにもかかわらず、非暴力主義は暴力に荷担するだけではないのか。いや、暴力の行使は、暴力を悪無限的に拡大するだけだ……。

 どちらも正しいし、どちらも正しくないのでしょう。時と場合によるとしか言いようがありません。

 最晩年のサルトルが語ったように、倫理は不可能であると同時に不可避であるというだけです。「正解がある」という傲慢な意識が、真理を排他的に独占すると称する、あらゆるセクトの根源にあるのでしょう。

 しかしいまは、さまざまなセクトの精神を批判するよりは、はるかに重要なことがあるような気がしますね。

 「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さなければね」(サルトル「いま、希望とは」)

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