新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

お好み焼きの記憶

2023年01月12日 | 毒男のグルメ
足立区のある病院の仕事で、日暮里発の舎人ライナーの話が出てきた。ちょうど日暮里界隈の文献を読んでいたところなので、これもシンクロニシティというやつ? 私が関東にいた頃には、この路線、まだなかったなあ。『リコリコ』の千束とたきなが乗っていたあの電車……は、東武東上線だった。関係なかった。

帰宅すると、足立区舎人から素敵な贈り物が届いていた。なんという偶然。お礼のメールを差し上げるついでに、『リコリコ』や舎人ライナーについても語りたかったけれど、自粛。

今日は表題のとおり、お好み焼きのはなし。

正月のおせち料理のおかずを賭けて、塀の中のワルたちがうまいモン話を競い合う『極道めし』は、以前このブログでも取り上げた。舞台は浪花南刑務所である。

裏口入学の口利き、教材会社からの賄賂や積立金の横領などで懲役2年を食らった名古屋人の中学校の元教師は、お好み焼きの話で勝負に出る。

しかし予想に反して、大阪人の同房の仲間たちからは一切反応がない。

上層部のトカゲの尻尾きりで警察を追われた元刑事の闇金屋の丈治がこんな助言をする。残念やな。大阪人ならお好み焼きの話が受けると思たんやろうが、それは間違いや。小さなころからずっと食べてきた身近な食べ物だけに、みんな好きな店が決まっとる。この丈治のことばに、同房の大阪人たちはうなずき、一人ひとり自分の行きつけの店を語るのだった。

わかる。大阪人ではないけれどね。

お好み焼きを初めて食べたのは、小学生の頃に住んでいた名古屋郊外のスーパーのフードコートだった。寒空の下、熱せられた卵とキャベツとソースの味はよく覚えている。豚もイカも入っていなかった……と書いたが、いま思い出すと、メニュー名は「豚玉」「イカ玉」だった。たしか豚玉を頼み、口にしてみて、「玉」は卵のことだと気がついた。お好み焼というより、豚平焼きに近い食感だった。

あfろ『MONO』の駄菓子屋さんでは、もやしと紅しょうがだけのお好み焼きが80円だった。なぜか目玉焼き50円というメニューがあり、シンプルなお好みにも玉子は入るのだろう。スーパーの豚玉も、とりあえず、学校をサボり、図書館と自宅を往復していた小学生が、お小遣いで買える値段だった。

関東に移り住んでから、お好み焼きを食べたことがあるかどうか記憶がはっきりしない。広島のお好み村で食べたのは今もよく覚えているが、お好み焼き屋は自宅の近所にも学校や仕事場の近くにもなかった。学園祭やお祭りで食べたことはあったかもしれない。もしかすると、関西に来るまでお好みを食べることはなかったかもしれない。

さて、われわれがお世話になっているお母さんの店も、今週、創業以来30年ぶり以上に、値上げに踏み切った。

「でも、ほんまに値上げ、これでいいの? あんま変わってへんやん。豚玉もいか玉も600円のままでええのん?」

来月来客があり、本当はこのお店に招待したいのだけれど、遠回りになるので、代わりに行こうとしているお店は豚玉900円である。いかに良心経営か。お母さんの願いは、地元の若い人たち、年金生活者の人たちにおいしい食を提供することである。特売デーではさらに値引きする。肝っ玉かあさんなのである。


関東に帰り、愚父の古希のお祝いをしたときは、先代の卯一相談役もご健在で、美々卯を利用した。しかし愚父は、大阪出張のたびに、接待のメニューが毎回「美々卯」のうどんすきだったのが、「美々卯はうめえんだけどよ!」と不満だったようだ。「おめえは何もわかってねえ!」と叱られることになった。古希の祝いをしたことそのものは意外で、喜んでいたけれどね。大阪なら、新食道街に移転を余儀なくされた松葉の串カツが好きだそうで、大阪に来る元気があるなら連れて行きたい。

そういう意味では、関東から来客があるたび、粉もんで接応しなければならない私も、だいぶ粉もんに飽きている、というか、『極道めし』のワルたちのように地元の店以外は定番の店しか知らない。

れんちゃん、うちのお好み焼きはお母さんのお店の豚玉だよね。



れんちゃん、お母さんのミックス焼き、おいしかったね。

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