新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

尾辻氏への脅迫を許すな

2022年11月30日 | コミック/アニメ/ゲーム
週明けの朝、せわしないTLに、尾辻かな子氏のツイートが流れてきた。



2006年から連載されている麻雀漫画の『咲-saki-』と麻雀ゲームのコラボらしい。

この尾辻氏のツイートを引用RTされた方も、ただゾーニングを考えてほしいということだった。私も異存はない。

私はこの二人のキャラを見て、「かわいいね」「東山奈央さんは、こんな仕事をしているのか」と思ったが、それは私がオタクカルチャーに日頃から触れていて、この手のイラストに慣れていることを差し引いて考える必要があるだろう。男女に限らず不快に思う人もいるだろうし、こどもに見せたくないと思う人もいるのは理解できる。

基本的に、イベント、同人誌即売会場、ネットのコミュニティのスペースでやっていたらいいと思う。尾辻かな子さんに殺害予告を送るなど言語道断である。

私の見た限りだが、尾辻氏を攻撃するツイートには、いわゆるツイフェミへの反感・憎悪があるだけで、『咲』という作品への愛やリスペクト、このキャラクターをデザインした絵師さんや、「中の人」(声優)の素晴らしさについて触れたものは皆無であった。

自称「表現の自由」の戦士は、統一教会・宗教右派と癒着し表現規制を推し進める自民党の尖兵になっていることを知らねばならない。自民党・公明党政権と警察権力にとって、男女平等、ジェンダー平等を訴えるフェミニストは五月蝿い「ハエ」にすぎまいが、おまえらネトウヨもそれを叩き潰す人間のくず以前の「紙くず」にすぎないのだ。役割を終えたおまえらは用済みで、そのままゴミ箱行きだ。



私は、フェミニズム思想の普及に、アニメ『赤毛のアン』(1979年)が果たした役割は無視できないと思う。女の子は男子が無礼を働いたら、問答無用に殴り倒してよろしい。この価値観は、「女の子だって暴れたい」という『ふたりはプリキュア』(2004年)のコンセプト、そして『SPY×FAMILY』のあるエピソードに引き継がれている。


近年のプリキュアシリーズはジェンダー問題を積極的に取り上げているが、ジェンダー平等に漫画・アニメが与えた影響は大きい。『ストップ!ひばりくん』に救われたというトランスジェンダーの方のつぶやきを見かけたことがある。1981年に連載開始された本作で、性自認が女性のひばりちゃんは、「ヘンタイ」という扱いだったけれど、自分の存在が認められたようでうれしかったのだ、と。『パタリロ!』というボーイズラブの名作もあった……いや、今も連載中である。


『氷菓』の古典部シリーズで、学園祭のカンヤ祭を描いた『クドリャフカの順番』で、萩尾望都作品のキャラに扮した摩耶花に、里志が「コスプレ」といいかけると、「カタギ」の前でそういう言葉を使うなとたしなめるシーンがある。2000年前後までのオタクには、こういう節度やたしなみがあった。

本音を言わせてもらうと、私は「(エロ絵限定)表現の自由」戦士も、いわゆる「(エロ絵限定)ツイフェミ」のみなさんも、どちらも仲良く殺し合っていただき、消えていただけたら何よりだと思っている。

しかしお互い嫌いでも、共存を図るしかあるまい。冒頭で述べたように、ゾーニングしかない。見たくないものを見ないでいる権利だってある。


AppStoreで『咲』のコラボ先の『雀魂』の対象年齢を見ると、12歳以上だった。御堂筋口は12歳未満も利用するだろう。その意味では不適切な広告であるともいえる。

Appleという一企業の基準に準拠するのはどうかと思うが、「ポルノを見たければAndroidを使え」というわけで、今後はAppleの意向も交通広告の審査基準に影響を与えていくことになるのかもしれない。

私の経験からいうと、阪急電鉄系列の広告代理店の阪急アドなら、このビジュアルに許可を出さなかったはずである(今回はJR西日本系列)。小林一三の「清く正しく美しく」を社是とする阪急の広告審査は厳しい。阪急電車に乗るときのすがすがしさは、週刊誌の中吊りや、イタコ芸人やコスプレイヤー教祖の著作の広告を見なくて済むことが大きい。サラ金の広告は、消費者金融の規制が厳しくなる以前から、規制の厳しい阪急では見かけることはなかった。


しかしその阪急も、この夏には、梅田駅で『彼女お借りします』の待ち合わせ広告をやっていた。本作のヒロイン千鶴は、「かりカノ」すなわちレンタル彼女で、フェミニズムの見地に立てば、性的消費そのものである。しかしこの待ち合わせ広告まで否定されたのなら、私も「ちょっと待て」といわねばならないと思う(4人のヒロインたちは全員、デートで待ち合わせのお洒落着姿だった)。


『ザ・ファブル』の駅広告で、伝説の天才殺し屋が拳銃のかわりにサンマを構えていたのも、広告規制が理由だったらしい。「こんなん笑う」「ズルいわ」と、逆に受けてしまったようだが。

いまの広告では、拳銃もNG表現らしい。

そういえば、『リコリス・リコイル』のキービジュアルで、千束(ちさと)とたきなは特殊機関のメンバーなのに、拳銃を持っていないのは、こういう事情があったのかもしれないね。

さて、れんちゃんは、どう思う? 

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4 コメント

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Unknown (angeloprotettoretoru)
2022-11-30 21:57:26
こんばんは!
私もゾーニングは必要だと思っています。このケースは個人の見解としてはやはりアウトかなと...。
いずれにせよツイッターに関しては、ガッツリ使っていた時期もありますが、今は入っても足早に出てくる感じです。ネトウヨ、表現の自由戦士等々のツイートやリプを見るのがメンタルヘルスに悪すぎるので、小倉唯さんの情報収集の他はごく数人のアカウントのROMをするだけになりました。
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Unknown (kuro_mac)
2022-11-30 22:27:50
こんばんは! コメントありがとうございます。
私も今回のはアウトだと思います。
ご指摘の今のツイッターの現状、よくわかります。
やはりオタカルチャーが嫌いな人と共存するためにもゾーニングは必要ですよね。
小倉唯さん演じるさなちゃんも参加するマギレコの2部ED「フレッジ」を聞きつつ。
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Unknown (ryuchyun)
2022-11-30 23:06:44
色々と思うところはあるでしょう?
先行きが不透明な今日この頃…正解を追い求めることだけではなく「自分のものの見方」で世界を…或いは作品を見つめ、「自分だけの答え方」を生み出すことの重要度が増えてきている気がします。
なので、色んな意見があって然りだと思う。
ただ作品は、アーティストだけによってつくられるものではなく…見る人による解釈が作品を新しい世界に広げてくれる?みたいな…
「作品をつくるのは誰?」と聞かれたら、ほぼ間違いなく「作者だ」と答えるのでしょうが…
しかし、アート作品としてはそれ自体では完成せず、鑑賞者の解釈があってはじめて成立するものだと思っています。
つまり、作者は「描く」行為を通して作品をつくるけれども、鑑賞者は「解釈する」という行為を通して、やはりその作品を見ていくことで成立すると考える。
なので、回りくどくなってしまったけれど…いくらコラボだとしても、元々のコンセプトを崩してまで世に発信して良いというのには
???があるのも理解できます。
そこには崩してはならないという価値観を持つ人たちへの心根があるからです。
ま、長くなるので これくらいにしとくけれども…
とにかく、わたし自身としては、このような公共の場に出すのはアウトだが…趣味の間は何を描いても良いということにしておきたい(笑)
でも…二次元でも美や可愛らしさを追求すると、こうなるのは理解できるのでねぇ。
(^。^;)すみません…。
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Unknown (kuro_mac)
2022-12-01 12:32:32
こんにちは。
ryuchyunさんも絵をお描きになるので、いろいろお考えになることがおありかと思います。
正解がない以上、最適解がゾーニングになるのかなと思います。

思い返せば、昭和にはビール会社がヌードカレンダーを出していて、酒屋や居酒屋などに貼られていましたね。一般企業でもガテン系だとグラビアイドルのカレンダーとか。
これも女性が声を上げて改善してきたのを、公然と男女平等・ジェンダー平等に反対し敵対する保守派の台頭もあって、揺り戻しが起きているように感じます。やはり時間を逆戻しにさせない、歴史を前進させていくことが大切だと思います。
尾辻さんを執拗に攻撃しているのは、宮崎事件を記憶する40代、50代以上の中年オタクではないかと思うんですよね。
彼らは「ここに十万人の宮崎勤がいるのです」とコミケ会場に取材に来たTVレポーターにいわれた記憶を持っています。まだまだアニメ好きに対する偏見も残っています。自分では被害者意識だと思っているんですね。だから脅迫も、彼らの中では「正当な報復」なのでしょう。
しかしオタクは差別されたからって、女性のように就職や昇進などで実害を被ることは少ない。性風俗の世界では、飛田なんかそうですが、事実上の人身売買が行われています。ここは差別の差、被害の差を考えないといけないはずですね。
しかし現実の女性差別でなく、表現物の「性的警察」になっているいわふるツイフェミも、何も女性全員を代表するわけではなく、いろいろ問題をはらんでいます。これについてはまた独立した記事を立てて考えたいと思います。
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