新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

花冷えの公園にて

2004年10月04日 | 習作
 花冷えの公園に、とつぜん女の悲鳴が響いた。

 事件?

 事件ではないが、確かに事故ではあった。公園の駐車場の出口。半狂乱で泣き崩れる30代後半の女性。引きつった表情の運転席の若いカップル。困惑する警備員。
 その視線の先では、鎖に繋がれた黒い子犬が仰向けになり、痙攣を起こしていた。

 鉄柱に鎖でつながれていた子犬が、飼い主の女性を見た瞬間飛び出して、自動車と接触事故を起こしたようだった。

 警備員は運転席のカップルに「行ってください」と促した。顔を見合わせためらうカップルに、もう一度、道路を指差して、早く立ち去るように無言で強く促す。一礼すると、カップルは逃げるように車を出した。関わり合いになりたくなかっただけだろう。
 それでも、警備員の判断は正しい。事故の責任は、駐車場の出口に犬をつないだ飼い主のネグレクトにある。トラブルが長引くことは、悲しみを増すだけだ。

 私は子犬に近づいた。黒い小さなボクサーの子犬だった。かわいそうに。おまえはもう助からない。脳漿が耳からこぼれている。

 私は半狂乱になっている飼い主の女性に声をかけた。

 「お母さん」

 奥さんであるかどうかはわからないし、この場ではそう呼びかけるのが、一番自然であるように思われた。

 「そばにいてあげてください。あなたを待っていますよ」

 彼女は髪をかき乱して、激しく首を振るばかりで、私の言葉はほとんど耳に入らないようだった。その姿は少女時代からの愛犬のコロが死んだ時の、若いころの母とそっくりだった。
 彼女を責めても仕方ない。大切なのは眼前の子犬である。
 私は連れの仲間に声をかけた。

 「先に行っていてくれないか」

 前にも同じようなことがあった気がする。私は苦しげに呼吸する子犬を右手でさすり続けた。手のひらのなかで、子犬の小さな心臓が生きようと爆発していた。その熱い血潮は、生命そのものであり、私を感動させた。そうだ、生きろ。私は心のなかで、呼びかけ続けた。

 一瞬、子犬が苦痛から抜けて、安らいだような表情になった。持ち直すかもしれない・・・そう期待した瞬間に、子犬は眼を閉じ、心臓も停止した。

 「ごめんなさい・・・・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい」

 女の泣き声が聞こえる。掌のなかで、子犬は体温を失い、急速に冷たくなっていった。それは驚くほどの速さだった。「最後までよくがんばったな」と、そっと私は語りかけた。子犬の頭をなでてやると、泣きじゃくっている女性に告げた。

 「眠っているようです。顔を見てあげてください」

 彼女はもう動かなくなった子犬を見ると、「わあ!」と大声をあげ、両手で顔を覆ってその場にまたうずくまった。私はもう何もいわなかった。警備員に一礼してから、その場を離れた。

 仲間たちは義理堅く、子犬の死を看取った私のことをまだ待っていた。

 「映画のようには、うまくいかないもんだね」

 「グリーン・マイルみたいに? あなたばかね」

 私は役立たずの両手を眺めながら、肩をすくめた。

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