新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

着てはもらえぬセーターを

2022年10月19日 | 習作
文学少女「くろまっくくん、今日のお題は『レモン』『セーター』『退屈な日常』よ!」


今日はれんちゃんと居酒屋デート。演歌が流れる昭和レトロなお店。
「着てはもらえぬセーターをどうして編んでいるのかな? 遺書みたい…」
「もっと図太い女だよ、この女。男の自宅に送りつけるつもりじゃない?倦怠期の夫婦の退屈な日常をぶち壊す爆弾だね」
「梶井基次郎さんの『檸檬』みたいだね…!」


三題噺、「お昼寝」「今日のメニューは?」に続き、今日も大人梨花・れんストーリーになりました。前作が気になる方は、カテゴリで「習作」をご選択ください。

二人が聞いたのは、昭和世代にはおなじみの都はるみ『北の宿から』。ウィキペディアの解説を読んで、淡谷のり子さんが名指しでこの曲を批判していたことを思い出しました。引用。

作詞家の阿久悠は初めて都はるみに詞を書くにあたって都の元気のいい個性を生かそうと考え、『野郎』というタイトルの詞を作ったがボツになり、急遽イメージを転換して書いたのが本作品だった。「別れた男性のセーターを編む」というのは別れにケリをつける若い女性の儀式であり、「死んでもいいですか」は自嘲気味のひとり芝居というようなイメージだったという[3]。
「演歌撲滅運動」なるキャンペーンを提唱した淡谷のり子が名指しで批判した楽曲でもある。しかし阿久自身が意図したのは失った恋に自らけじめをつけようとする性根の座ったしぶとい女だった。阿久は「僕は強い女を書いたつもりだったのに、怖い女あるいは悲しい女を描いたと受けとられた」と述懐している[4]。「別れた男性のセーターを編む」というのは別れにケリをつける若い女性の儀式であり、「死んでもいいですか」は自嘲気味のひとり芝居というようなイメージだったという。


なるほど。これはリアルタイムでは気づかなかったです。

中上健次が都はるみに傾倒していたというのが、よくわかるエピソードです。

テクニカルライター時代、毎晩帰りが遅いことを心配した彼女さんが、事務所に電話をかけてきたのを思い出しました。冬でした。先輩方は全員帰り、一人居残りの私は、火の気のない部屋でPCに向かっていました。「今は何のお仕事しているの」と問われ、「読んでもらえぬ取説を 寒さこらえて書いています」と節をつけて答えたものでした。

しかし、いまどきの若い人は、編み物すなんかるのでしょうか? 

私と同年代の女性は、ピンクレディーの楽曲で一度は踊ったことがある程度には、編み物を体験していると思いますが……。『マリア様がみてる』で、クラスで編み物が流行るエピソードがありますが、平成の風景というよりは、昭和の風景に感じます。

今は好きな人だけがやっている感じなのでしょうね。だから梨花ちゃんやれんちゃんには、この曲の詞が重く響いたのかもしれません。

『恋は雨上がりのように』には、あきらちゃんが店長に手編みのセーターをプレゼントするエピソードがありました。電車の中で編んでいたら、偶然に隣の席に座った店長の元妻さんが、編み物のアドバイスするシーンが印象的でした。あの話、どうなっちゃうんだろうと心配でしたが、あのラストは太宰治『満願』への限りないオマージュでした。『恋は雨上がりのように』は、当ブログおすすめの漫画です。


梨花ちゃん、れんちゃんの冬服、かわいいですね!

梨花ちゃん視点で書くのは楽しいです。れんちゃんが好きな者同士、気脈を通じるものがある感じです。梨花ちゃんにも娘のような親愛の情を抱いています。大人れんちゃん視点のショートショートの構想があるのですが、それはまたの機会に。


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