新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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だめライフについて

2023年07月09日 | 反戦・平和・反差別・さまざまな運動
遠方より友あり。7月末、だめライフ愛好会の学生さんとお会いすることになりました。

私自身がどんな人間か、少し自己紹介しておけば、80年代から90年代にかけての学生運動活動家でした。

今でこそ会社員ですが、社会人の駆け出しは、バイト先にも公安が来るので、仕事が長続きしません。結局、資格も免許も要らないフリーライターとなりました。会社員を長く続けることになったのも、大阪に移り住んでたまたま籍をおいた会社が潰れかけ、労働組合の代表となり、企業再建に携わることになったためです。

今では会社も建て直し、労組も中小でありながら大手並みの年間休日125日を勝ち取り、有効求人倍率も年により3倍から10倍という人気企業(?)です。クライアントにも恵まれ、なかにはだめライフ愛好会のある大学もありますから、表向き、だめライフ愛好会を応援するわけにいかない立場といえるかもしれません。

しかし、学生の自治や自由が否定され、市場原理に組み込まれ、就職機関と化してしまったいまの大学の現状を大いに憂えてきました。私にだめライフ愛好会について教えてくださった方も同じ思いだったと思います。

このブログの読者の方々の大半は、だめライフ愛好会も、そのルーツの一つである「だめ連」についても、ご存知ないでしょうね。興味のある方は、以下の雨宮処凛氏の文章をご参照ください。

「だめ連」が結成されて、31年。
気がつけば、「就職しない、結婚しない」というだめ連の生き方は、長引く経済的停滞によって「就職できない、結婚できない」という問題に変わっていた。



だめ連が結成された 1992年には、私はすでに左翼運動を離れ、フリーランスの編集・ライターとして働き始めていました。

だめ連の登場を知って、当時、どんな印象を抱いたのか、そもそも知っていたのか、記憶が判然としません。

ただ、若いころを振り返れば、だめ連の萌芽は、私の周囲にもたくさんありました。いわゆる学生の特権で、アホなことをやる人たちが大勢いたものです。路上飲みは当然のこと、ゲリラライブ、カラス鍋の会(この世で最も不味いもの、それはカラスの肉です)、猫鍋の会(ナンセンス!)、昆虫食のお料理教室、ヒロヒトの大喪の礼に対抗した体操の礼などなど。私もあるハプニングイベントを企画・主催し、新聞の取材を受けたことがありました。

あの時代は、『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称イカ天)が人気で、本来ならアングラシーンで終わっていたかもしれない、たま、BIGIN、人間椅子などの個性的な実力バンドがメジャーデビューを飾る時代でした。そうした時代の力の後押しもあったでしょう。

『さよなら人類』の大ヒットでブレイクした「たま」は、社会的にも成功を収めた「だめ連」だったといえるのではないでしょうか。

だめライフ愛好会が、全国、全世界(!)の大学に自然発生的に広まるいま、竹中労の遺作となった『「たま」の本』を手放してしまったことを、悔やんでいます(再び入手しようにも、法外な古書値がついています)。

うろ覚えの記憶に基づいて書きますが、たまは「地下生活者通信」というミニコミを出したり、瓶牛乳の蓋を集めるのが趣味のメンバーがいたりしたそうで、「だめライフ愛好会」そのままなのですね。インタビュアーの竹中労に対して、萩原朔太郎はマザコンの社会不適応者だったけれど、それは人間としてだめということとはちがうんだと熱く語るところは、今も印象に残っています。

最近は、「たまのランニングシャツ」でおなじみだった石川浩司氏のこんなツイートが話題になりました。



このツイートを読んでも、石川浩司氏は、今もあの時代と変わらず、こころの命じるままに生きているようで、うれしかったですね。石川氏と面識はありませんが、共通の知人がいて、名前を出せば、「ああ、あの人か」と思い出してくれる程度には、近い場所にいました。

こんなネット記事を見つけました。こちらもご参照に。



だめがだめでいられるために。オリジナルはだめ連ですが、これはほんとうにすばらしいメッセージですね。

しかし、見るところ、だめライフ愛好会に女性が皆無、あるいは少数派そうなところは気になります。

若いころを振り返ると、学生運動のアジトでも、編集プロダクションの現場でも、男女関わりなく雑魚寝することがありました。戦場(!)においては、男とか女とかは関係なくなるんですね。そもそも疲れ切っていて、同志や仲間の女性たちに、よこしまな欲望を抱く余裕なんかありませんでした。

しかし、私が知らなかっただけで、人間解放、女性解放をめざすべき左翼セクトにおいても、許しがたい性暴力事件、性差別事件は相次いできました。私は以前、映画『ミス・マルクス』のレビューで、エリノア・マルクスの死を黙殺し隠蔽してきたマルクス主義左翼を批判したことがあります。


ジェンダー平等教育を受けてきたはずのだめライフ愛好会の学生さんも、この社会の男性中心主義、ホモソーシャルの思考や構造から自由でないかもしれない。そこは気になります。だめライフ愛好会も、女性の支持を受け、女性にも広まるようになれば本物だと思います。

この限界ブログの読者には、学長クラスをはじめ、大学の先生がたもいらっしゃいます。体制側、当局側の方々に、だめライフ愛好会について伝えていくのは、私の社会的責任(!)かとも思っています。

大学の先生が、エッセイなどで学生時代のヤンチャを振り返ることがありますが、今の学生にはそんなの許されていないですよね。大学はこのままでいいんですか、と先生方に問いかけていきたいと思います。

90年代のたまは萩原朔太郎に共感しましたが、いまのだめライフ愛好会のアイコンは、『ぼっち・ざ・ろっく』の山田リョウです(トップ画像の女の子です)。クールビューティでミステリアスな存在でありながら、後輩にお金を借り、浪費癖があるという、お金にだらしない経済観念ゼロのだめ人間です。しかし音楽に対してはピュアで真面目でまっすぐなところが、共感を集めているのでしょう。石川啄木や太宰治と同じタイプですね。彼らの残した文学は素晴らしいものですが、友だちにはなりたくないタイプです。

さて、だめライフ愛好会は、どんな方向に進み、どんなものを残していくのでしょう。

もちろん、若さの特権で、別に進まなくてもいいし、残さなくてもいいのです。人生、寄り道も大切ですよ。

7月終わり、当日お目にかかる人たちには、大阪の「ダメ」「ゆるさ」あふれる、会場から歩いてすぐのお店で、おいしいたこやきをごちそうしたいと思っています。付き合ってくれたらうれしいな。

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