新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

人生最悪のクリスマスイブの思い出

2023年07月02日 | 日記
今日は暑かったですね。

暑いのに、今日は最高気温ピークの昼から摩耶山でした。
当日の様子は、またれんちゃんのハイキング日誌をご覧いただくとして……。


前夜飲み過ぎで、登り始めたのは14時過ぎ。真夏の援農に向けて暑さ慣れしておきかったし、夕方の青谷道を歩きたいというれんちゃんのリクエスト……というのは建前で、お酒が抜けるまで寝ていました。

そんな時間帯だと、すれ違うのは下山してくる人ばかりでした。今日の神戸の最高気温は29℃だったようで、32℃の大阪よりはマシですが、暑さが堪えました。途中で休憩を取りつつのんびり登りました。そんな誰もいない時間帯だから、れんちゃんは珍客たちに会えて、山登りを満喫していたようです。

自然観察園を歩いたりして、下山を始めたのは17時過ぎですが、元気に登ってくる若い人たちがいて、少し驚きました。若い人の足でも、ピークを踏んで、下山までギリギリ日没に間に合うかどうかの時間帯でした。摩耶山にはロープウェイとケーブルがありますが、強風だと運休になるので、あまり当てにしてはいけません。軽装でヘッドライトなどの装備を持っている風にも見えず、5月24日に大文字山に入山したまま行方を断った吉田啓くんのことが頭をよぎりました。

今日の夕飯は、いつものお店が満員で、この間見つけたお店もお休みでした。こんなことなら掬星台のカフェで摩耶山カレーを食べて帰ってきたらよかったなあと思いました。スパイシーでとてもおいしいんですよ。




とりあえず4月から毎週摩耶山に登って、今日が14回めです。

六甲山も好きなのですが、人多すぎ! 摩耶山は自分のペースでのんびり登れるところがいいのです。

さて、山登りといえば吉田秋生の『詩歌川(うたがわ)百景』の新刊第三巻が出ていました。本作は、山に入って行方不明になった登山部の学生の父親が、息子を探すうちに、山麓の河鹿温泉の宿の常連になっていたというエピソードから始まります。

今回は、前作『海街Diary』の四姉妹の三女千佳と結婚した登山家の浜田が、河鹿温泉に登場。アウトドア・スポーツのメーカー勤務で、登山と温泉を組み合わせたコラボ企画があるようです。

浜田に同行した部下の西野が、こんなことを語ります。
このことばは、胸に刻もうと思います。


〈浜田が校長を務める登山スクールでは、二つのことを厳守しています。
「せっかく来たんだから」と「多数決」 これはNGだということ〉

〈せっかく来たんだから天候が悪くても
体調に不安があっても 計画どおりに山行してしまう〉
議論するのはいいですが
多数決で方針が 決まってしまう
これはとっても 危険なことです〉

〈山登りは すばらしい経験ですが 危険がひそむことも また事実です
登山チームのリーダーは メンバーの生命を守る責任があります〉

〈リーダーが下山を決断したら すみやかに従うこと
これが守れない方は ツアーにご参加いただけません〉

この作品を読んで思い出したのは、会社の後輩で社会人登山家だったKくんのこと。八ヶ岳で恋人とともに遭難死しました。

会社の人間で、Kくんと最後に出会い、最後の言葉を交わしたのは、私でした。

金曜の夜、階段からKくんがものすごい勢いで降りてきて、ぶつかりかけたのですね。

「すみません!」

「いやいや、まあまあ。お疲れ様!」

と、会話を交わしたのです。たしかもう20時を回っていて、八ヶ岳に車で出かける約束の時間に、タイムリミットが迫っていたようで、かなり慌てていたようです。

あのとき、なぜ私は避けたのか。ぶつかっていたらよかった。捻挫でも骨折でもさせて、登山計画をぶち壊しにしたらよかった。今でもそう思います。

登山計画では土曜昼頃には山頂を踏み、日曜には下山予定でした。しかし、月曜になっても連絡がつきません。

会社から報告を受けてからは、ただただ心配で、仕事が手に付きませんでした。

食事をすれば、食料は足りているだろうか。温かいお茶やコーヒーを飲めば、燃料は足りているだろうか。そんなことばかり気になりました。

Kくんが山仲間の恋人と一緒に発見されたのは、クリスマス・イブでした。

訃報を聞いた私は、Kくんのデスクに行きました。だれもが無事帰還を信じて、仕事の書類を山積みにしています。

労組の代表だった私には、どうしようもない悔恨がこみあがってきたものです。。葬儀では、みんな泣いていたけれど、私には泣くことは許されていませんでした。大事な後輩を死に追いやったのは、私かもしれないからです。

山に登れば天候の急変もあるはずです。どうして予備日として月曜にも有給休暇を申請していなかったのか。あすは仕事だからと、判断ミスをさせてしまったのではないか。結果として、Kくんを死に追いやった、有給休暇取得促進の不徹底は、労組指導部の私の敗北であり、私の責任でした。

その日帰宅すると、マンションの一階のローソンで、サンタガールの女の子たちが、クリスマスケーキとチキンのセール中でした。

「いかがですかー!」

そういわれて、悔恨の底に沈んでいた私はわれに返り、ふと、彼女たちを見やりました。

そんなつもりはなかったのですが、私はものすごく恐ろしい顔をしていたようです。私は自分の人相の悪さを忘れていました。彼女たちは凍りつき、全員、言葉を失っていたようです。

「ごめんね」と、私は彼女たちに謝りました。熱く煮えたぎった血が冷えるまで、私は2時間ほどそこらを歩き回ったものでした。人生最悪のクリスマスイブの思い出でした。

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