新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

ウクライーナに自由を! プーチンは侵略を止めよ!

2022年03月09日 | 反戦・平和・反差別・さまざまな運動

10年ちょっと前、ドイツの展示会に出かけた。研修と称したお偉方のご大名ツアーに同道させられたのだ。二度目のドイツだった。機内テレビでフライトマップを見るたび、足元に冷気を感じながら、ロシアは広いなあと思ったものだ。ポーランドに入ったのを見て、東海道新幹線なら東京行の小田原、大阪行の彦根を通過したような安堵感があった。その機中で読みふけっていたのが、デヴィッド・ハーヴェイの『〈資本〉の謎』である。

過去記事
https://gold.ap.teacup.com/multitud0/1116.html

相互フォロー中のSuzukiさんに、ウクライナ情勢に関するデヴィッド・ハーヴェイの論考をご教示いただいた。多謝。

ウクライナにおける最近の事件について――暫定的な声明
デヴィッド・ハーヴェイ
2022年2月25日
https://pegasus1.blog.ss-blog.jp/2022-03-02

〈冷戦の終焉とともに、ロシア人は、資本主義のダイナミズムと自由市場経済の恩恵がトリクルダウンによって国中に広がるという、バラ色の未来を約束された。しかし、かつてボリス・カガリツキー〔ロシアの社会主義左派知識人〕による表現に従えば、その現実は次のようなものだった。冷戦が終わり、ロシア人はパリ行きのジェット機に乗っていると信じていたのに、飛行中に「ブルキノ・ファソ〔アフリカの国で貧困と内戦に苦しんでいる〕へようこそ」と言われたようなものだと。〉

この一節を私はなんともいえない気持ちで読んだ。

最初のドイツでは、お偉方と一緒に2000年のハノーヴァー万博に行った。そのときに起きた、ある事件を思い出した。

その旅では、高校時代に大好きだった人が、留学中のドイツからくれた、エアメールをスーツケースに忍ばせていた。ベルリンの壁崩壊の瞬間に立ち会った彼女の手紙は、歓喜と感動に満ちていた。ツアーにはベルリン訪問の行程も組まれており、ベルリンの壁の跡に立って、もう会うこともない彼女の思い出に耽るのが、恋愛よりは闘争を選んだ愚か者のささやかな目的だった。

当時の朝鮮は南北首脳会談が実現したばかりで、万博のコリアン館は南北共催だった。日本帝国主義に侵略され民族の主権を奪われたばかりか、その後大国の都合で分断された民族の悲劇の歴史、そして大いなる和解へ。ナレーションは一切なかったが、朝鮮人民の歴史を伝えるコンセプトムービーは圧巻で、私も危うく和解と統一を信じそうになった。
いまから思えば夢のようだ。飛行機の機内ではタバコが吸えたし、免税店で買ったワインやウィスキーも手荷物で持ち込めた。アメリカ帝国主義のアフガン侵攻やイラク侵攻、アメリカ帝国主義とロシア帝国主義の蛮行と、人民のレジスタンスとテロルの応酬、世界は翌2001年の9・11を境に一変してしまったかのようだ。

しかしアルカイーダが、たまたまアメリカ一極集中の世界支配体制のクリティカルポイントを正確に突いたというだけで、この戦争と紛争とテロルの連鎖は不可避だったと思う。80年代にネグリとガタリが主張したとおり、第三次世界大戦はとうの昔に始まっていたのだ。


前置きが長くなった。ささやかな事件はベルリン動物園からほど近いホテルから出て、ブタペスター通りを歩いているときに起きた。

黒塗りのリムジンが列をなして猛スピードで走っていったかと思うと、自動小銃で武装した国境警備隊が私たちの行く手を阻んだ。ガイドさんからプーチンがドイツに来ていると聞いた、昼からお神酒の入った平和ボケの日本人一行は、「北方領土を返せ」とか「チェンチェンを弾圧するな」と兵士たちにヤジを飛ばした。しかし当時の上司が、私を指差し、ふざけて「This is Japanese Red Army」(こいつは日本赤軍だ)と冗談をいったのをきっかけに、隊員たちに緊張感が走った。「赤軍はブント系列で、おれのいたのは別系列の組織だと何度いえば」と心のなかで舌打ちしながら、銃を向ける目の前の若い兵士を、「Yes, I Came to Stop the War. Down with Putin! Shoot Putin with Your Fucking Gun!」と、中学英語で罵った。一行の誰かが指差す方向を見上げると、ビルの屋上ではスナイパーが私に狙いを定めていた。「危険ですから離れてください」と一行の人たちが2、3メートル離れたのを確認してから、私は歌舞伎の大見得の要領で、右手の親指で、頭、左胸、腹を指差しながら、「Go Ahead, Make My Day!」とダーティー・ハリーの決め台詞で雄叫びを上げた。

全く、アオハルの感傷に浸るつもりが、何をしているのだとわれながら呆れずにはいられなかった。

ガイドさんのとりなしで何事もなく終わり、プーチンが目的地に着いたらしい5分後か10分後には兵士たちは私たちを通過させた。

チェチェン戦争で民衆を虐殺している現代のヒトラーともいうべきプーチンを、ドイツが特殊部隊まで投入して守っている現実は、私には少しショックだった。ナチスの罪を反省するドイツは平和的で民主的な国家という幻想を、心のどこかで抱いていたのだ。しかしドイツも所詮は日本帝国主義と同じ敗北帝国主義ではないのか。そんな基本を忘れていた自分を、私は深く愧じた。組織を離れたのは、労働者として一からやり直すためだったはずなのに、正業に就いてからすっかり小市民化し、なまくらになっていた。小西誠氏の新左翼の再生と左翼統一戦線の提起に賛同し、イラク反戦闘争に飛び込んでいったのも、この日の反省が大きい。

ここでハーヴェイの論考に戻る。

満州から命からがら避難してきた人々や、シベリア抑留体験のある人たちのい話を聞いて育った私は、ソ連並びにロシアに対する嫌悪がある。だからといって、ロシア人やロシア文化が嫌いなわけではない。だから途中には留保したい部分があるけれど、結論部には全く同意する。

〈ウクライナの人々が戦争を望んでいないこと、ロシアの人々も戦争を望んでいないこと、〈ヨーロッパの人々も戦争を望んでいないこと、そしてまた北米の人々も新たな戦争を望んでいないこと、このことは明らかである。平和を求める民衆の運動に新たに火をつけ、再活性化させる必要がある。世界中の人々が、競争、強制、激しい対立ではなく、平和、協力、協調に基づく新しい世界秩序の創造に参加する権利を主張する必要がある〉

これには、全く異論の余地がない。私もウクライーとロシアと日本と世界の人民と一緒に、その未来のために、あくまでたたかうまでだ

以下はBoothでゲットしたプラカード。





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