新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

九条と核 あるいはエロスとタナトス ──たんぽぽ娘との対話

2022年03月11日 | 反戦・平和・反差別・さまざまな運動



れんちゃん、たんぽぽを見つけたの? たくさん生い繁った周りの草を押しのけて、ものすごいガッツがあるたんぽぽだね。れんちゃんもそろそろ冬服とはさよならかな?

昼休みのウォーキングの途中、道端で見つけたたんぽぽを見て、スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)に出てくる老婆の話を思い出した。このブログで引用するのは三度めになる。

<私はね、目を閉じて村を歩きまわるんです。彼らに話しかけるんです。「ここに放射能なんかあるもんかね。チョウチョがとんでるし、マルハナバチもぶんぶんいってるよ。うちのワーシカもネズミを捕っているよ」と。(泣く)
 ねえ、私の悲しみがわかってもらえただろうかね? あんたが、みんなにこの話をしてくれるころには、私はもうこの世にいないかもしれないね。土の下、木の根っこの近くにおりますよ。>(ジナイーダ・エフドキモブナ・コワレンカ)

ジナイーダは、ウクライーナで「サマショール」(帰郷者)といわれる人びとのひとり。チェルノブイリ原発事故で強制疎開の対象となった村に帰ってきて、猫のワーシカと一緒に暮らしていた。

彼女の語る「放射能」は、「COVID-19」でも「無差別放火殺人」でも、いま隣の隣の国で起きている「戦争」でも、いろいろ言い換えが効きそうだ。こんなにも世界は美しいのに、こんなにも惨い現実があるなど、どうして信じられるだろうか。戦争は女の顔をしていないし、たんぽぽの顔もしていない。

◆フェミニスト反戦レジスタンス(ロシア)の声明
ロシアのフェミニストは、プーチンの戦争に抗議するために街頭に出ている

http://attackansai.seesaa.net/article/485799445.html

このウクライーナ戦争の危機に乗じて、憲法改正だの、核武装だの核共有などと暴論・妄論を撒き散らし、民衆の不安を煽り、火事場泥棒で焼け太りを狙う者たちを、われわれは心の底から軽蔑し、力のかぎり弾劾する。

憲法九条と核兵器は双子のきょうだいのようなものだ。私はこの基本の原則に立たない一切の憲法論議は、不毛であり無意味だと考える。

護憲論者のいう、憲法九条があるから日本の平和が守られ、日本が戦争に巻き込まれずに済んだというのは、幻想であり欺瞞にすぎない。日帝が朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、イラク戦争で何をしてきたのか忘れたのか。米帝の核の傘に守られた「域内平和」で、米帝の侵略戦争や代理戦争で犠牲になった世界人民の血と肉汁を吸って肥え太ってきたのが、戦後日本の高度経済成長の真実ではないか。あなたがたのいう「平和」など、「一国平和主義」のエゴにすぎない。

改憲派は憲法九条の非現実性、空想性をあざ笑う。しかし憲法九条が非現実的で空想的なのは当然だろう。憲法九条も核兵器も、どちらも一人の「空想科学小説」の作家の頭脳から生まれたものだったのだから。憲法九条も核兵器も、その究極の目標は人類の永遠平和であることには変わらない。ただし、人類の生死は別として。


◆プーチンが「暗殺」されたら即発射か…ロシア「核報復システム」の危ない実態
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93152


この「空想科学小説」の作家とは、フェビアン派の社会主義者でもあったH.G.ウェルズである。今回のエントリは、以下の過去記事の後半部分の焼き直しとなる。


◆レーニン対ウェルズ
https://gold.ap.teacup.com/multitud0/843.html


さて、ウェルズについて語る前に、憲法九条についておさらいしておきたい。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


改憲派は「押しつけ憲法」だというけれど、九条については、幣原喜重郎の発案をマッカーサーが承認したというのが定説、少なくとも通説のようである。しかし幣原が言い出したのであれ、マッカーサーの主導であれ、武力放棄を宣言せざるをえなかったのが、連合軍すなわち国際連合……この両者は別もののように語られがちだけれど、どちらも英語ではUnited Nationsである……に無条件降伏した「敵国」日本の現実である。武力放棄がいやだったのなら、本土決戦で国土を焦土にするまで戦い抜くべきだったのだ。しかし日帝には本土決戦を貫徹する知恵も度胸もなかった。

武力放棄は、国体を護持し、将来国際社会に復帰するために日本に科されたペナルティだった。日帝ブルジョアジーは共産革命に恐怖し、天皇と資本主義体制を守るために屈辱的な無条件降伏、そして武力の放棄を受け入れたのではなかったか。日帝は沖縄を捨て駒にしたばかりか、民衆を無差別爆撃にさらし続け、広島と長崎を犠牲にしておきながら、米帝に自分たちだけは助けてくれた命乞いしたのだ。米帝に憲法を押しつけられたなどと、歴史を自分たちに都合よく改ざんするな!

国連憲章第2章では主権平等の原則をうたっている。しかし「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項を無効に、または排除した場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できないとしている(いわゆる敵国条項)。

この敵国条項は死文化しているとはいえ、いまも削除されておらず、旧ソ連やロシアがいわゆる北方領土を領有する根拠にしてきた。

冷戦の激化のなか、アメリカ帝国主義は、日本帝国主義を反共防波堤とするために再武装させた。九条は空文化してしまった。結局、日帝は米帝のエゴと利害に振り回されてきたというだけだ。

さて、私は憲法九条は核兵器と双子のきょうだいであると述べた。ここでウェルズの話に戻る。

ウェルズは服地屋の店員から身を起し、ロンドンの理科師範学校で T. H.ハクスリーの教えを受けた。ハクスリー(1825-1895)は、イギリスの生物学者、科学啓蒙家で、ダーウィンの進化論を擁護した生物学者にして啓蒙主義者である。ウェルズは、初期のSF作品から、『世界史大観』に至るまで、進化論的社会主義ともいうべきユニークな思想を生涯にわたって貫いた。

『タイムマシン』(1895)で階級社会の未来のディストピアを描き、『解放された世界』(1914年)で核戦争の危機を予見したウェルズは、ヴェルヌのように科学と啓蒙による人類の薔薇色の未来を思い描くことはできなかった。

レーニンとウェルズの二人は、第一次世界大戦(1914~1918)が、世界初めての「世界大戦」であることを正確に見抜いていた数少ない人たちだった。他の人びとはこの戦争が「長い戦争」か「短い戦争」であるかを議論していただけだったが、レーニンは20世紀を「戦争と革命の世紀」、ウェルズは「世界最終戦争の時代」であると予言したのである。

世界最終戦争を防ぐためにはどうしたらいいのか? そこでウェルズは国際連盟の樹立を提唱し、ワシントン会議に出席した。国連憲章も、ウェルズがルーズヴェルト、スターリン、チャーチルらおもだった国の政治家や知識人に送った世界初の世界人権宣言である『サンキー権利宣言』(邦訳、人間の権利、1940年)の影響のうえに成り立ったといわれる。本書の訳者の浜田輝氏は、ウェルズとルーズヴェルトの往復書簡を引いて、憲法九条のルーツはウェルズだとしている。

第二次大戦中、ウェルズはイギリスの対ドイツ宣伝局長として「世界国家か世界の破滅か」というスローガンを唱えた。同じ頃、こんなことも書いている。

「競争的な主権国家や帝国の時代は過ぎ去った、またナチスとファシストは再生した世界にとって最後の絶望的な敵である」(『冒険家の一標本』1943)

しかし、ウェルズが世界平和のために訴えてきた「戦争を廃絶する戦争」というプロパガンダは、予想もしなかった事態を招く。

『解放された世界』に強い衝撃を受け、生物学者の道を捨て核物理学者へと転身したレオ・シラードは、核分裂における「連鎖反応方式」の発明を行い、アインシュタインを口説き落とし、マンハッタン計画をルーズベルトに承認させることに成功する。「戦争を廃絶する戦争」というウェルズのスローガンは、そのまま連合国のスローガンにもなり、広島・長崎への原爆投下はその美名のもとに正当化されたのだ。
 
憲法九条も核兵器も、どちらも一人の空想科学小説の作家の頭脳から生まれた、双子のきょうだいだという話の意味が、おわかりいただけただろうか。どちらもその究極の目的は、戦争の絶滅であり、人類の永遠平和だったということも。

残念ながら、ナチスやファシストはウェルズの望んだように、「人類最後の敵」とはならなかった。アメリカ帝国主義とソ連や中国のスターリン主義は、たんに勝者であったというだけで、共に戦争犯罪者である(ウェルズはジッドの『ソヴェト旅行記』を知らなかったのだろうか? )

おや? 私のたんぽぽ娘が悲しそうな顔をしている。

「憲法九条ももうだめなら、戦争をなくす方法はないの?」

私はこう答えよう。

「だめなんていっていない。憲法九条と核兵器が双子のきょうだいなら、九条の寿命だってプルトニウムの半減期くらいはあるはずだよ?」 

『宇宙戦争』の原作のタイトルは、 "The War of the Worlds"(世界戦争)だった。作品の冒頭では、他の民族に対して侵略と破壊行為を働いてきたヨーロッパ人に対する文明批判が語られている。ヨーロッパがこの野蛮を克服しない限り、世界最終戦争は不可避である。この小説で地球に襲来するのは火星人だったが、世界戦争とは万人が万人にとってのエイリアンになる無秩序とカオスである。ウェルズの思想の射程は、9・11に始まる21世紀の現実にも届いている。

人間が人間を支配する階級社会がある限り、国家はなくならないし、国家が存続する限り、国家どうしの争いである戦争もなくならない。憲法第九条に籠められた、ウェルズが心から願った世界国家の理念は、世界核戦争の脅威が再来したいま、見直す価値がある。世界人民が戦争と差別、搾取と抑圧から解放された世界人民共和国は、われわれの目標でもある。

「戦争をなくすためには、どうしたらいいの?」

パレスチナ、チェチェン、クルド、アフガン、ルワンダ、コソボ、私のたんぽぽ娘は、テレビやSNSをみてずっと泣いてきた。私にも答えはない。しかし、何かヒントを見つけたくて、あるとき手にとったのがフロイトの『エロスとタナトス』である。第二次大戦前、フロイトがアインシュタインに「人はなぜ戦争をするのか」という質問の手紙をもらった。フロイトが、その質問に対する答えとして執筆したのが本書である。

私はこの本の詳しい内容は忘れてしまったし、内容も理解したとはいえない。憲法九条は究極の愛すなわちエロスの力で、核兵器は究極の暴力すなわちタナトスの力で、戦争を廃絶しようとしたといえるかもしれない。他者を愛し生きたいと願うエロスの力も、他者も自分をも破壊し尽くしたいというタナトスの欲動も、共に人間が持って生まれてきたものだ。悪を根絶することもできないが、愛もまた不滅なのである。ライヒ、マルクーゼ、ジョン・レノン、忌野清志郎、愛の力は偉大だ。

しかし中森明菜も歌っていた。すぐに愛を口にするけどそれじゃ何も解決しない。 

たたかいなくして平和はない。街頭でSNSで、職場で学園で、リアルでまたサイバー上で、公然とまた地下で、反戦を訴え続け、レジスタンスを継続していくこと。ロシア軍の厭戦・叛軍意識を高め、ロシア人民の反戦闘争に連帯して、ロシアを撤兵させプーチンを世界から退場させていくこと。その先にどんな未来が待っているかはまだわからない。しかし絶望の入口は常に希望の扉である。ウクライーナ人民、ロシア人民、世界人民に自由と平和を。

愚かなプーチンの起こした戦争のために犠牲になったウクライーナ人民ならびにロシア人民、そして11年前の津波と地震で亡くなった方々のために鎮魂の祈りを捧げたい。



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