聖書と翻訳 ア・レ・コレト

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(000)ロバの首を折る? 出エジプト記13章ほか

2018年05月22日 | ことばの解釈

ロバの首を折る?


モーセ率いるイスラエル民族がエジプトを出発したあと、シナイ山で神さまから律法を受け取ります。次の一文は律法の一節です。

出エジプト13:13(34:20) 新改訳
ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、その首を折らなければならない・・・

『ロバの首を折る?』どうやってロバの首を折るのでしょうね?筋骨たくましい男性が、ロバの首を締め上げると、ロバは悲鳴を上げ、バタバタともがきます。更に力を加え締め上げると、バキバキッと音を立てながら首の骨が折れ、ロバは苦しみながら完全に絶命するまで、10分、20分という時間が掛かることでしょう。神さまは本当に『ロバの首を折れ!』と命じたのでしょうか?従来の日本語訳聖書は、עָרַף アーラーフを『首を折る、首をねじる』と訳出していますが、これは誤訳で、正しくは『(けがれた動物の)首を切り落とす』という意味になります。


この記事の目次

・従来の日本語訳
・輪郭を描く
・屠殺のやり方と血液
・家畜への思いやり
・輪郭を設定する まとめ
・アーラーフ 英語の解説
・なぜ誤訳が起こるのか


~従来の日本語訳~

従来の日本語訳は全て『首を折る』と翻訳しています。

出エジプト13:13 文語訳
又(また)驢馬(ろば)の初子(うひご)は 皆(みな)羔羊(こひつじ)をもて 贖(あがな)ふべし もし贖(あがな)はずばその頸(くび)を折るべし ・・・

出エジプト13:13 口語訳
また、すべて、ろばの、初めて胎を開いたものは、小羊をもって、あがなわなければならない。もし、あがなわないならば、その首を折らなければならない。・・・

出エジプト13:13 新共同訳
ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。・・・

どの訳文も『首を折る』と訳出しているので、『首を折る』で正しい解釈なんだと思ってしまいますよね。ご注意願いたいのは、従来の日本語訳がいずれも同様の解釈をしている場合、二つのことが考えられます。一つは、いずれも正しく解釈されている場合、もう一つは、解釈が困難であるため、訂正されることなく誤訳が踏襲(とうしゅう)されてしまっている場合です。文語訳、口語訳、新共同訳、新改訳がどれも同じ解釈になっているからといって、正しく翻訳されているとは限らないのです。眉にたっぷりつばを塗って読まなければなりません。


~輪郭を描く~

『首を折る』と訳出されたのは、ヘブライ語『アーラーフ』という動詞ですが、どのような意味で使われているのか、ことばの輪郭を描いてみます。アーラーフは、次の箇所で使われています。それぞれの文を見ると、共通する点が見えてきますよ!

出エジ13:13
出エジ34:20
申命記21:4
申命記21:6
イザヤ66:3
ホセア10:2

出エジプト13:13 新改訳
ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、その首を折らなければならない・・・

出エジプト34:20 新改訳
ただし、ろばの初子は羊で贖わなければならない。もし、贖わないなら、その首を折らなければならない・・・

申命記21:4 新改訳
長老たちは・・・いつも水の流れている谷へ連れて下り・・・子牛の首を折りなさい

申命記21:6 新改訳
・・・その町の長老たちはみな、谷で首を折られた雌の子牛の上で手を洗い、

イザヤ66:3 新改訳
・・・犬をくびり殺す者・・・その心は忌むべき物を喜ぶ。

ホセア10:2 新改訳
10:2 ・・・主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。

アーラーフは、聖書全体で6回しか使われない特殊なことばになります。使用頻度(ひんど)が少ないことばを翻訳する場合、細心の注意が必要です。上記で、ロバ、犬という動物が出てきますが、律法によると、ロバ、犬は『けがれた動物』と判断されます(レビ11章、申命記14章)。ユダヤ教では、清い動物と、けがれた動物とでは取り扱い方が異なるということが分かります。次に、ホセア書を見ると、偶像をけがれた動物に見立て、『けがれた動物の首を切り落とすように、偶像神の柱を切り落とせ!』と、嫌悪感(モダリティ)を含んだ表現になっていることが分かりますよね。ヘブライ語『アーラーフ』は、けがれた動物を屠殺(とさつ)する場合に使われることばです。

清い動物を屠殺する場合『アーラーフ』ということばは使われませんが、唯一の例外が申命記21章子牛(清い動物)の屠殺です。申命記21章の儀式は、特殊な儀式で、野山で殺人事件が起こり、その事件が迷宮入りした場合におこなわれるものです。牛は清い動物で、神殿で犠牲に使われますが、ここでは、忌まわしい殺人事件の清算として使われているため、通常とは異なった屠殺方法、アーラーフがとられている、そのように見えます。


~屠殺のやり方と血液~

ユダヤ教で動物が犠牲として捧げられる場合、必ずその血液が儀式の中で使われます。動物を犠牲にする儀式の中で、血液は重要な意味を持ちます。

レビ記17:11
なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。

仮に『首を折る』という屠殺方法がおこなわれた場合、動物の血が流されない屠殺になります。血が流されない儀式が、神との和解、罪の清算として効力を持つのでしょうか?ユダヤ教の考え方からすると、そのような儀式は考えられません。血は命の代償を象徴するもので、儀式の中で血液が使われることは絶対条件であるからです。血が持つ象徴性からして、『首を折って』屠殺するというやり方は、贖(あがな)いの条件を満たさないということが分かります。

イスラム教にハラール(ハラル)という食物規定がありますが、ユダヤ教にはカシュルート(כַּשְׁרוּת Kashrut)と言われる食物規定があって、家畜の屠殺の仕方についてまで細かなルールが決められています。モーセ五書には明示されていませんが、ユダヤ教の考え方からすると、清い動物を屠殺する時のやり方と、けがれた動物を殺す時のやり方は当然違うよね、そういう考えがあって然るべきでしょう。

次に、ユダヤ人がどのように屠殺をするのかについて『ミルトス』と『Chabad.org』の二つのウエブサイトから引用させていただきます。動物を屠殺する場合『絶命するまでの時間が極力短時間であること、動物に苦痛を与えないこと』が基本的な考え方になっています。

ミルトスより引用
「コーシェル」を満たす屠殺の方法
屠殺者は動物を殺す場合、もっとも苦痛の少ない方法で、一瞬に殺さなければいけなません。鋭い刃物を用い、頸動脈を一刀で処置します。

Chabad.orgより引用
Why Shechitah Is Important
(私訳)ユダヤ教の屠殺方法は、短時間で、動物に苦痛を与えないやり方になっています。・・・
動物の肉を食べる習慣は、律法が積極的に認めるものではありませんでした。ノアの時代まで人間が動物の肉を食べることは、律法上認められていません。大洪水がおさまり、ノアは船を出たあと真っ先に動物を屠殺し神に捧げます。この時初めて、神は人間が動物の肉を食べることを認めたのです。また、動物に対し残酷な屠殺方法をおこなわないことを前提に肉食が認められている、私たちユダヤ教徒はそのように理解しています。

This is an effective, swift and pain-free stunning procedure.
The Torah does not regard meat-eating as something to be taken for granted. Before Noah , human beings were not permitted to eat meat. Then, in a law given by G‑d to Noah after the Flood, meat eating became permitted as long as the animal is killed first. We generally understand this law, applying to all humanity, as demanding avoidance of wanton cruelty to animals.


次に、使徒行伝の記述を見てみます。使徒行伝15章は『エルサレム会議』に関する記述があり、『絞め殺した動物の肉』は食べてはいけないという記述があります。

使徒15:20 使徒15:29 使徒21:25 新改訳
・・・絞め殺した物(動物の肉)と血とを避けるように書き送るべきだと思います。

使徒行伝の記述から『絞め殺す』という方法が、ユダヤ人にとってタブーであったことが分かります。『絞め殺した動物の肉』を食べることが容認できなかったのは、動物に苦痛を与えるやり方であるということと、血液が抜かれていないからだと思います。『首の骨を折る』屠殺も、動物に苦痛を与え、かつ血液が抜かれないやり方になります。ユダヤ教の儀式の中で『首の骨を折る』屠殺がおこなわれていたとは考えにくいことです。


~家畜への思いやり~

また、律法には、家畜に対し配慮や思いやりを持った取扱いをしなければならないことが規定されています。

出エジプト20:10
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。

出エジプト23:12
六日間は自分の仕事をし、七日目は休まなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や在留異国人に息をつかせるためである。

出エジプト23:4、5
4 あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。
5 あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない。

出エジプト23:19
・・・子やぎを、その母親の乳で煮てはならない。

申命記22:10
牛とろばとを組にして耕してはならない。

申命記25:4
脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない。

労働する家畜に、週一の休日を与えることなんて、現代日本人よりも恵まれた労働環境ではありませんか!以上の戒めには『家畜だからといってぞんざいな扱いをしてはいけないぞ、十分な配慮をしないさい』という意味が書かれています。首を折って屠殺する方法は、動物に苦痛を与えるやり方ですから、家畜に優しい律法の精神と矛盾しますよね。


~輪郭を設定する まとめ~

これまで検討してきた内容をまとめてみます。

・動物が犠牲として捧げられる儀式において血液は不可欠な要素である。
・律法は動物を清いものと、けがれたものに分けていて、扱い方が異なる。
・動詞アーラーフは、けがれた動物を屠殺する場合に使われている。
・Kosher(コシャー、カシュール、コーシェル)には、極力動物に苦痛を与えることがない屠殺方法とするよう規定されている。
・律法には、家畜に対し配慮や思いやりを持った取扱いをしなければならないことが規定されている。
・首を折るような、動物に苦痛を与える屠殺方法が存在したことを示す資料がどこにも見あたらない。

ユダヤ教の動物犠牲が持つ意味合いから考えると、アーラーフを『首を折る』と解釈するのは不合理で、血液が伴わない儀式は、贖いの意味を持たないのです。アーラーフは、けがれた動物の屠殺方法で、首を切り、出血が伴い、家畜に苦痛を与えることなく、短時間で絶命させるやり方であろう、つまり『首を切り落とす』という意味であろうと予想できます。

ヘブライ語の語学知識や神学的知識に頼ることなく『アーラーフ』の輪郭を掴むことができましたね。


~アーラーフ 英語の解説~

ヘブライ語アーラーフが、英語でどのように定義されているか見てみます。アーラーフは、ズバリ『首を切り落とす』という意味だと説明されています。

Biblehub.com
Strong's Exhaustive Concordance
アーラーフは、首を切り落とす、首を打ち落とす、切りはなす、首をはねるという意味。
that is beheaded, break down, break cut off, strike off neck

Shiurim
Bekhorot, Chapter 1, Mishnah 7
ミシュナーによると、出エジプト13:13の解釈は『・・・大型の刃物(ナタ、斧)を使い、ロバの首を背中側から切断し、死体は土の中に埋める』ということになります。ミシュナー(Mishnah)は、律法を更に細かく解釈した口伝(くでん)律法で、旧約聖書には含まれていませんが、ユダヤ教徒の実生活を規定するものになります。

Biblehub.com
Gill's Exposition of the Entire Bible Exodus 13:13
Gill's Exposition(解説書)にも同様の記述あり。

Chabad.org
Shemot - Exodus - Chapter 13
ユダヤ人が英訳した聖書にも『you shall decapitate it ロバの首をはねなさい』とあります。

Glosbe.com
ヘブライ語-日本語辞書にも、アーラーフは、『斬首する、首をはねる』と解説されています。

清い動物を屠殺するやり方は、大型の包丁を使いのどの側から切り込んで頸動脈を切断します。一方、けがれた動物を屠殺するやり方が『アーラーフ』です。時代劇を見ると侍が切腹するシーンがありますが、この時、介錯人が付き添います。介錯人は、一刀両断で首を切り落としますが、アーラーフは、このようなやり方で、ナタ、斧のような刃物を使い、背中側からひと振りで動物の首を切り落とす、そういう意味になります。


日本の聖書翻訳は、神学者や聖書学者がおこなってきたようですが、ユダヤ教の動物犠牲の儀式についても、長年にわたり学者が研究してきたテーマだと思います。この動物犠牲の儀式こそ、イエス・キリストの十字架刑を予見するもので、人間の贖罪、神との和解を象徴するものです。これはイエス・キリストが救い主であることを示す、キリスト教の中心的テーマです。また、律法にもあるように、儀式の中で流される動物の血液だけが、人の命の代償として認められています。もし、神学者や聖書学者が、翻訳をおこなっているのであれば、ロバの『首を折る』という解釈は間違っていると分かって当然ではないでしょうか?

『break donkey's neck』とGoogle検索をすれば、『(斧を使い)ロバの首を切り落とす』と解説する英語のウエブサイトがたくさん見つかります。英訳聖書の『break its neck』は『首を切り落とす』という意味です。日本語訳聖書で、100年にわたり誤訳が訂正されないのはなぜなのでしょう?


~なぜ誤訳が起こるのか~

『break one's legは、脚(あし)の骨を折るという意味だ』と、中学で教わっていると思います。ですから日本の聖書翻訳者は、英訳聖書で『break its neck』と訳されているのを見て、『首の骨を壊す、首を折る』と直訳で理解したのでしょう。これが誤訳の原因です。『break /one's /neck』これらの単語は、中学1年で教わる基本語彙になります。むつかしい単語は一つもありません。動詞breakには、『壊す』以外に『切る、割る、分ける』という意味もあるのですから『break one's neckは、首を切り落とすという意味だ』と、理解できそうなものです。確かに、英語のbreak one's neckが『首の骨を壊す、首を折る』という意味で使われる場合はありますが、文脈によっては、break one's neckが『首を切り落とす』という意味に変化する、こういう理解ができなきゃダメですよね。本来は、英語入門レベルの知識です。

新改訳はトランスペアレント訳がお好きなようですが、これは、どのような文脈であっても『break one's neck=首を折る』と、一語一訳式に翻訳するやり方になります。原語と目的言語の対応関係を、翻訳者が勝手に固定しているのです。『ことばの意味というものは、文脈と共に変化する』というのが、言語理解の基本になるのですが、トランスペアレント訳は、こうしたことを認めない立場なので、当然意味のズレ、誤訳が生じることになります。

日本の英語教育(学習塾、予備校も含めた大学受験システム)は、文法主義、語彙詰め込み主義、一語一訳主義の上に成り立っていて、こうした学習方法は生徒に直訳思考を植え付けることになります。中学高校で真面目に直訳で英語を学習した人であれば、大学に進学しヘブライ語やギリシャ語を学習する時も、直訳思考で学習します。こうした方が聖書翻訳をおこなうと、直訳で翻訳をするのは当然のなりゆきです。直訳思考が染み付いてしまった方は『break its neck』が『首を折る』という意味だと理解できますが、『首を切り落とす』という別の意味があることを理解できません。文脈が変わればことばの意味も変化する、つまり『言語というものは直訳できない仕組みを持っている』ということを知らないからです。

翻訳委員会の中には翻訳チェッカーがいることと思いますが、チェッカー自身も直訳思考でしか理解できないので『break its neck=首を折る』と直訳されていれば、正しく翻訳されているんだと誤解してしまうのです。委員会の中に翻訳チェッカーがいたとしても、チェッカーとしての役割が果たせていないのです。

リビング・バイブルは、次のように訳出しています。
出エジプト13:13
ただし、ろばの初子の場合は身代わりに子羊や子やぎをささげることができる。そうしない場合はろばは殺す。・・・

現代訳聖書も『・・・そのろばの初子は殺される・・・』と訳出しています。

リビング・バイブルと現代訳の翻訳者は『アーラーフ=首を折ると解釈するのはおかしいなあ』と感じたので『殺す』と訳出したのでしょう。リビング・バイブルと現代訳は、訳語の選択を慎重におこない、誤訳となることを避けたということが見て取れます。直訳主義者からは不評のようですが、リビング・バイブルも現代訳も、翻訳スキルが高いということが分かりますよね。

文語訳、口語訳、新共同訳、新改訳は、個人訳ではなく委員会訳です。一方、リビング・バイブルと現代訳は個人訳です。日本では『個人訳は信用できない。委員会訳が正しい翻訳だ』と言われていますが、実際に出エジプト記13章のアーラーフを検討すると、委員会訳が全て誤訳となり全滅していますが、個人訳の方が良い訳し方になっていることが、お分かりになったことでしょう。委員会訳が正しい翻訳で、個人訳が不正確だというのは、全くいわれのない偏見です。

『聖書が誤訳されているという批判はけしからん』と目くじらを立てるセンセイ、『日本語訳聖書は正しく翻訳されています。問題ありません』とまやかしの安全宣言をだすセンセイ!日本語訳聖書の中で、誤訳が延々と踏襲(とうしゅう)されているという事実に目を向けてはいかがですか?日本語訳聖書を見ると、100年間、誤訳が踏襲されている箇所は少なくありません。この出エジプト13:13『首を折る』、出エジプト15:20『女預言者ミリアム』、ルカ16章『不正な管理人』、箴言12:15、16にも見られます。

目くじらセンセイと、まやかしセンセイが、もし信仰をお持ちであるのであれば、神の前に誠実(pistos)であるということがどういうことなのか、考えていただきたいのです。誤訳されている箇所は、誤訳されていると、事実を素直に受け入れることが、誠実さだと私は思います。誤訳だと分かったら、訂正をすればいいだけのことですよね。ご自分の神学者としてのメンツや、組織(神学者コミュニティ)の体裁(ていさい)を繕(つくろ)うことの方が大切で、誤訳を認めない、誤訳されたままの聖書(神のことば)を出版する。これが神の前に誠実(pistos)だといえますか?ウエブサイトを見ると、誤訳されてる事実をもみ消すかのようなご発言がありますが、これは神さまのみこころに反することではないでしょうか?

『聖書のような文書は直訳で翻訳するのが相応しい』『原語の意味を正確に翻訳するには直訳が良い』とおっしゃる方がいますが、言語学的に見て全く根拠がありません。この記事で示したように『break its neck=首を折る』と直訳したことが、誤訳の原因なんですよね。ことばの意味というのは、文脈が変わるとことばの意味も変化します。原文の意味を正確に訳出するのであれば、文脈に合わせ、訳語を変えてゆかなければならないはずです。

実は、直訳と意訳はコインの裏表のような関係になっています。直訳主義(トランスペアレント)で訳された新改訳聖書を例に挙げると、びっくりするような超意訳をやってる個所があるんです。ギリシャ語を読める方はご確認ください。ルカ16章9~13のギリシャ語と新改訳を見比べると、文法や語彙の解釈からして、あり得ないほどの超意訳で翻訳し、全く意味が異なる誤訳になっています。『聖書と翻訳 ルカによる福音書16章-1~8』をご覧ください。

ヘブライ語を読める方は、イザヤ書8章1~10節、ヘブライ語と新改訳の訳文をご確認ください。ヘブライ語の文法に手を加え、主語の入れ替えまでやる作為的な異訳をおこなっているので、当然の如く誤訳になっています。詳しくは『聖書と翻訳イザヤ書8章-1~9』を参照願います。

『直訳が良い、意訳は相応しくない』と宣言する、新改訳ですが、実際の訳文を見ると、直訳された箇所と意訳された箇所が入り混ざって訳文が作られています。一見すると矛盾しているように見えますが、直訳も意訳も、どちらも直訳主義者が考案した翻訳方法で、直訳と意訳の両方をつぎはぎしながら訳文を作っているのです。原文テクストの意味を、最もふさわしい目的言語に翻訳するには『原文放棄』という方法以外にないと私は思います。『直訳は誤訳 オバマ大統領広島演説より-1~3』に詳しく書かせていただいたので、参照願います。

『聖書のような文書は直訳で翻訳するのが相応しい』『原語の意味を正確に翻訳するには直訳が良い』というご意見は、全くデタラメです。日本の外国語教育が、文法主義、語彙詰め込み主義、一語一訳主義で教育する限り、日本人の直訳思考が変わることありません。そして、直訳で翻訳をする限り、いつまでも誤訳が引き継がれてゆくのです。






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