栗田艦隊航海日誌

戦争とプラモと映画で頭が侵されてしまった人のブログ

映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(2014)・「風立ちぬ」(2013)

2017-01-17 22:43:19 | 映画
「グラン・トリノ」(2008)に続いて、映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」と映画「風立ちぬ」のブルーレイを観た。
自分のPCで視聴不可能なのは変わらず、この二本もまたPS3で視聴した。

PS3でBDを視聴していて気がついたのだが、BDの画質はDVDと比べると画質が格段に高い。
もちろん、三本ともに最近になって制作された映画だから画質が高いのは当然なのかもしれないが、タツノコプロのアニメ「決断」(1971)の全25話が
収録されたBD-Boxは、劇画調の繊細な作画も潰さずはっきりと映していて感動を覚えたものだ。
最新の収録媒体が必ずしも良いこと尽くめとは限らないが、こういった面はちゃんと評価しなくてはならない。

以下、内容のネタバレを含めた文章なので未見の方は読まないことを推奨する。

まずは一本目、ダグ・リーマン監督、トム・クルーズ主演のSF映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(2014)。
実は日本の同名ライトノベル(著:桜坂洋)が原作で、ライトノベルが英訳されアメリカで出版された際にプロデューサーの目に留まり、ハリウッドで実写映画化されるに至った
という異色の作品なのである。日本のアニメやゲームがハリウッドで実写化された事例は多く存在するが、ライトノベルがハリウッドで実写化されたという事例は、この映画が初めてなのだという。

物語は「ギタイ」と呼ばれる宇宙からの侵略者によって滅亡の危機に瀕している人類が欧州で大規模な反撃作戦に出るところから始まる。
ギタイとの戦争で、報道官として務めていたウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)は、前線行きの命令を拒否したのを機に、二等兵に降格させられた挙句前線の兵士として反撃作戦に参加することになってしまう。ギタイとの戦いの最中、彼が所属していた分隊は全滅し彼自身も戦死してしまうが、目が覚めると自分が作戦に参加する前の日に戻っていることに気がつく。それ以降、彼は自分が死ぬたびに死ぬ前日に戻ってしまうループに陥るのであった。

私は原作のラノベは未読なのでなんとも言い難いが、原作のライトノベルにあったような萌え要素は削られ、登場人物の設定なども原作を大きく改変しているが、物語の鍵となる「ループ」の設定など、根幹的な部分は変わっていないようだ。
必ずしも原作を全て忠実に再現しなくても良い実写化作品は作れるようだ。

ケイジ少佐を演じるトム・クルーズは、2014年の時点で50歳近くのはずなのに、まだ若く見える上にアクションを華麗にこなす。
「ヴェルダンの女神」という異名で知られるギタイ殲滅作戦の英雄、リタ・ヴラタスキ軍曹(エミリー・ブラント)とも釣り合いの取れる風貌なのである。

ケイジは序盤ではヘタレで臆病な性格なのだが、死んでいくうちに立派な兵士へと成長していく。
ループ経験者であるリタともループを通じて良きパートナーとなっていくのだが、ループの過程で繰り返されるリタの死に葛藤が生じる場面も好きだ。

この映画はアクションの映像美も素晴らしいが、ループの設定を非常に良く練っており、設定を上手く使いこなせていると思う。
終盤のケイジが所属するJ分隊集結の展開は少々強引な気もするが、全体的には概ね自然な展開にまとめられているのではないだろうか。
結末のあのシーンは、様々な解釈ができるのも面白い。そこまで高く期待していなかっただけに、期待以上の映画を観られたと思う。

二本目はスタジオジブリ制作、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」(2013)。
日本海軍の「ゼロ戦」こと零式艦上戦闘機の設計者、堀越二郎の半生と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」を混ぜ合わせた映画。

宮崎駿の長編アニメ監督最後の作品であり、それだけに宮崎駿自身のメッセージ性が強い(ただし本人は何度か引退宣言をしては復帰している)。
劇中で二郎が夢の中で出会うイタリア人の飛行機設計家のカプローニ(実在人物。ジョヴァンニ・バッチスタ・カプロニがモデル)が言う「飛行機は戦争の道具でも金儲けの手立てでもない。飛行機は美しい夢だ」などの台詞は、まさに宮崎駿が思っていることなのだろう。
また、劇中に登場する飛行機も宮崎駿の趣味が存分に出ており、ドイツの四発巨人旅客機ユンカースG.38や、カプローニが大西洋横断旅客機として設計したが初飛行に失敗したカプロニCa.60、イタリア軍の爆撃機として作ったカプロニCa.90など、マニアックな機体が大量に出演している。

作画もやはり素晴らしいもので、飛行機の金属的かつ有機的な質感や、大空や軽井沢の山並みの美しさ、戦前日本の雑多で貧しくて不安とノスタルジーに満ちた街並みの描写は見事なものだ。

そんな私も、最初劇場で観たときは作画の良さに感心しつつも作品全体の印象は平凡なものであった。
主人公の二郎と菜穂子の恋がどうも感情移入できずにいたのかもしれない。
しかし重ねて観ていくうちに、段々その評価が覆っていったのである。

自分の夢をひたすら追い求め続け、ついにその夢を叶えた二郎と、結核で弱っていく身でありつつも彼の夢を支え続け、二郎と一緒の幸せな時間をできる限り長く過ごすが、自分の美しい姿だけを見せたまま二郎の元を去っていく菜穂子の対比は、重ねて観てきたことでようやくその悲しさに気がついたのだった。
ラスト、夢の中で二郎は飛行機の残骸だらけの草原を歩き、カプローニと共に自身が設計した零戦の大編隊が飛び立っていくのを見届けた後、菜穂子と再会を果たす。
菜穂子は二郎に「あなた、生きて…」と語った後、大空に消えていくのだった。

「風立ちぬ」は、まさに宮崎駿の思想がこめられた映画であった。

宮崎駿にはできれば「宮崎駿の雑想ノート」に収録されている「ハンスの帰還」や「泥まみれの虎」といったエピソードも映像化もしてほしかったが、引退宣言してしまった以上その望みは無さそうだ。

ところで、「風立ちぬ」の二郎の声の出演は庵野秀明が担当しているが、初めて声を聴くと多少は違和感を感じるものの、聴いていくと次第に慣れていくというか、二郎の声として自然に馴染んでしまうのが不思議なものだ。
ひたすら頭の中に夢を詰め込んだ二郎の姿は、もしかすると庵野そのものなのかもしれない。庵野はあんなにハンサムじゃないけれど。