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宇都宮氏と秀郷流小山氏を繋ぐ【横田頼業】(2)野本基員とその二人の養子

2024-04-26 | 九里バラバラ情報
野本基員に注目してみたい。貞永元年(1232年)に93歳で歿している。
という事は、1140年生まれか。

基員は、二人の養子を迎えている。
笠原親景の息(親景の室は比企能員の娘である。親景は1203年に比企の変で歿している。その息となる。場所も比企に近かった野本)→野本時基(基時)

下河辺政義の息…(政義の室は河越重頼の娘である。)→ 野本時員


比企郡の野本(歴史的行政区域データセットのページより)


野本と下河辺荘のあった野田周辺

オレンジのぼかし〇が下河辺庄である。(千年村プロジェクトさんより)





其の河越重頼の妻は比企尼の次女である。その娘が下河辺政義に嫁いでいることになる。

つまり、野本氏が養子に迎えた二人は、比企氏の影響があったのかも知れない。

時員は、野本氏として活路を肥前国に求め、1221年迄 高来郡東郷・西郷(深江郷も?)の地頭職を務め、その後も務めたかったのだろうと思う。
行員の後は、越中氏の政員へと名前の一字「員」が受け継がれているようなのが不思議である。

宇都宮氏が越中氏と思っている私だが、野本氏と宇都宮氏はどのようにつながる可能性があるのか。
野本氏に入った下河辺氏(小山氏なので、秀郷流)ということなので、もともと秀郷流の中に宇都宮氏(中原氏)は入っている。

宇都宮氏=越中氏
宇都宮氏=横田氏=小山・下河辺氏=野本氏

(イコールの記号は関係あり…と読んで欲しい。)

…という事は、越中氏と野本氏は宇都宮氏経由で繋がるのである。

其の宇都宮氏とは宇都宮頼綱と横田頼業なのだと思う。


下河辺政義妻が(源義経による影響で)河越重頼の娘であったため、政義は下河辺庄を出される。その後に野本の養子となったのかもしれない。



下河辺氏=河越氏
宇都宮氏=稲毛氏…と云う事は、宇都宮氏=下河辺氏(野本氏含む)=河越氏=稲毛氏
…となり、この肥前国高来郡の周辺事情とつながってくる。

ここに、有間経澄・朝澄そして深江蓮忍・蓮仏が加わってくるのである。


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