近江国御家人井口中原系図をもう一度見直してみた。
天武天皇から始まり、国司・権介・介に注目してみると、
弘宗王…讃岐権守・丹後守・大和守・越前守
長谷…讃岐権守
時正…大和守
正基…越中守
是信…佐渡守
月雄…越前介・讃岐権掾
俊行…近江権介
成経…丹後守
経行…越前権介
などなど、註の記載があった。
つまり、伊勢守の中原経重ならば、系図の註にその記載があるはずである。
しかし、経久の息の経重についている註は「九里左衛門」だけである→別人であろういう事に至った。
この系図の年代が書かれている部分を信じると、
俊興が近江国伊香郡に住み始めたのが、天慶二年(939年)となり、だいたい900年あたりに生まれた人物としておおよその計算をしてみた。
やはり九里太郎の経久は1160-1180年の間に生まれた人物となりそうなのである。
やや安堵した。
もう一人、同系図内に1060年代の「経重」を見つけたが、やはり註は無かった。