今まで私がこだわっていた説=波多野義通の妻である中河辺清兼の娘の妹(藤原・佐藤清兼女)
以外の説も検証することとした。
再び調べてみると修理大夫範兼女(娘)の説が多かった。
今まで怪しんでいた藤原清兼も「のりかね」と読ませることもできるそうではあるが…
今回は、尊卑分脈 に記載がある「修理大夫範兼女・或いは大膳大夫則兼女」の部分をもう少し調べてみようと思う。
三つの説 修理太夫範兼女・義通娘・義通妹坊門姫 が上の資料から出てきた。
自分の記事からだが、
義通の妻には宇都宮宗綱の娘・伊勢守光定の娘が中河辺清兼の娘他にいた。其の娘たちの義理の妹もアヤシイと思っていたが、上記の系図や資料には「義理」の一文字もない。
宇都宮宗綱の娘の方は、寒河尼本人か姉妹という事になろうと思う。
伊勢守光定のほうは、波多野義職の母と同じか、その姉妹‥‥という事になる。中島氏にちかい。
但し、源朝長の母でもあったので、ソコをはずさないようにしなくてはいけないと思う。という事は、波多野氏関係者となろうと思う。
波多野義通の妻の妹という立場であれば、佐藤清兼の娘と宇都宮宗綱の娘がアヤシイ。
義通の娘であるならば義職の母も含まれるであろうと思う。
さて、義通の実の妹はいただろうか。
この資料によると、実は「さんえいの女」とある。
「さんえい」の女とは、どのような意味となるのだろうか。
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分かりにくくなるため、まずは修理大夫範兼に絞ってみることにする。