九里 【九里】を探して三千里

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土岐光行の息 蜂屋定親

2019-09-30 | 土岐氏

どうしても横になってしまう系図で、失礼します。谷口研語氏著の【美濃・土岐一族】の系図の部分です。
ココに「原師親」という名が! 土岐原氏につながっていくと思うのですが、師親という名前は中原っぽい名前です。







~~~*~~~

師親の父蜂屋定親は、美濃国発祥の清和源氏山県氏流の一族で、鎌倉時代後期の頼親(頼俊の子)の代に嗣子がなく、同族の土岐光定の子であった定親が養子となって名跡を継いだことから以降土岐氏の庶流となり、定親の次男・師親の系統からは後の江戸崎氏(常陸土岐氏)、万喜氏(上総土岐氏)へと繋がる原氏(土岐原氏)を輩出した。…とwikipediaにある。

という事は、時代的にも中原師親ではない(寿永1185年の外記補任に記載あり)ということになる。

蜂屋定親の兄弟と言われている「土岐頼貞」は1271年生まれとなっている。




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2 コメント

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蜂屋氏の起源 (小林喜久男)
2019-11-26 09:36:47
蜂屋氏の起源は1180年頃の源平の戦いの平知盛の近江、美濃侵攻にあります。知盛の兵を撃つべく出陣した神地康信は討ち果たされ、首印は京都に持ち帰られました(玉葉)、その後美濃国の源賴清の家では康信の忘れ形見の安丸が誕生しました。そして平氏討伐後 頼朝より安丸は美濃国蜂屋庄司という地頭職を授けられました。しかし安丸は早生しその後を源賴経(多田源氏)が継ぎました。その後承久の乱が起こり一族のほとんどが壊滅しましたが頼親が残り後はご存じのようになったようです。私の想像ですがいかがですか。
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コメントありがとうございます。 (kunorikunori)
2019-11-26 21:21:56
小林様

ご訪問、コメントありがとうございます。
神地康信、忘れ形見の安丸、等、知らない事ばかりです!
後日に、また土岐氏や山縣氏に興味が戻った時には、返事いたしたいと思います。
今、卜部氏に興味が行っており、距離があります。
ごめんなさい。
また、時折ご覧いただけますことを願っております。
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