九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

畠山重忠の曽祖父 平武綱 妻は源有光長女 

2022-09-23 | 畠山氏

平武綱 息・娘 ↓

  秩父重綱渋谷重家児玉経行室、武時

この武綱は、源頼義から「奧先陣譜代ノ勇士」に選ばれ、白旗を賜った人物でもあるそうだ。(wikipedia記事より)

 

曾孫であった畠山重忠が源頼朝に先陣を任されたわけが、ここで分かる。

けしてドラマのように「見栄えが良い」という理由からではない!

 

平家は一旦の恩、源氏は重代の恩」と述べて武綱の白旗・白弓袋を差し上げて頼朝の陣営に赴き、秩父一族の参陣を許した頼朝は、先祖の故事にならって重忠に先陣を命じている。(wikipedia)

 

この武綱は秩父武綱のことで、息の秩父重綱とその妻小野(横山党)も気になる人物である。

この重綱が「武蔵国留守所総検校職」を任され、代々続いて 

それが重忠の時代に北条時政に脅かされそうになり、結局その職を守るがために畠山氏が戦う羽目になったようである。

 

九里(その当時は中原氏)は、どこと接点があるのだろう。

まず、中原経久の息経重は九里となり、また一名(息か甥で、共に因幡国にいた。)は富木となった。

 

畠山重忠の娘と富木常忍の母とは縁戚である。(説…下記に詳細あり)

秩父重弘の娘が千葉常胤の室になり、息胤正を産んでいる。

その胤正の娘が富木常忍の母という説がある。

 

秩父重弘の兄弟江戸重継の母が関政家の娘であり、秀郷流太田氏一族となっている。

姉妹に太田行光の室がいる。

その富木常忍の一人目の妻は太田乗明の姉である。この秀郷流の太田氏とも関係があるのだろうか。

それとも三善氏系の太田氏であろうか。

 

また、秩父重綱の周辺人と中原富木九里とはいろいろと接点が見つかる。

小山氏も、児玉氏(有道氏)も しかりである。

 

秩父重綱ー重弘ー重能ー重忠(1164年生)

重忠の息 重秀(母は足立遠元娘)23歳没 1183年生

重忠の息 重保(母は北条時政娘)…と云う事は、時政の孫!

 

中原経久(蓮忍入道・九里氏の祖)が1257年に83歳で歿している片岡経久本人とすると、1174年生まれであり、畠山重忠より10歳年下となる。

富木常忍の母も同じ年か、1175年生まれと思う。

千葉胤正と畠山重忠が従兄弟となると、胤正の娘と重忠の娘はいとこ同士のこどもである。(年は20歳ほど違うが。)

 

その重忠の娘が日蓮の母となる梅菊という説がある。↓

https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho42-16.pdf&type=G&prt=1078

 

このような関係があって、常忍は船の上で出会った日蓮の支援者となったのかもしれない。(1250年前後)

 

梅菊は1194年に生まれたとして、畠山重忠が1164年生まれなので30歳の時の子どもとなる。

そして、梅菊の義理の母となりそうな「ぬきなの局」という方と、常忍の母(千葉胤正娘)も旧知の間柄であったようなのだ。

そこは、こちら ↓ 私もまだすべてに理解したわけではないのであるが、比企氏とも関係を感じるので、そうかもしれないと思う。

http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index289.html

 

貫名氏が井伊氏、元の井氏とすれば、中原氏と同じく近江国にいた人であったかもしれない。

しかし、貫名氏と結婚する以前かもしれないが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする