くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十話

2020-09-10 14:17:41 | はらだおさむ氏コーナー

あなたと旅立とう

♪コンテ、パル、ティーロ♪

     

 地震後の再開発で隣の駅前にできたビルの5階に、全国でも珍しい公立民営のシネマPがある。100シートの観覧室が二つあり、独立系で「洋・日」自在の選択で話題作を比較的早く上映している。

 二十年ほど前の開館当時はわたしも若く(60代)、このシネマの会員になって毎月のように話題作は見に出かけていたが、このところチラシはよく見るがシートに座ることは少ない。いつぞやの猛暑の折は、昼寝タイムに利用するなどと不心得なこともしたことがあるが、このところ感度が鈍くなったのか涙腺の緩む場面に出会うような映画にも出くわさない。それでも見かけるチラシだけは手に取っては、眺めている。

                              

先日の午後 三時間ほど空いたので「アンドレア・ボチェッリ~奇跡のテノール歌手~」のチケットを購入(予約番号11)、昼食の後上映十数分前ロビーに行くとかなりの人出、婦人が多いが、そうか、わたしとおなじ、ボチェッリの「コンテ・パルティ―ロ」(あなたと旅立とう)に魅せられた人たちかと何か安心感を覚える。チラシで見るかぎり、これは、ボチェッリの生い立ちから舞台に立つまでの物語で、音楽映画ではないが、シートの周辺を70代の女性に囲まれるとなにか、二十年ほど前の気分になる。

 

 あのころ 昼食時にはビルの七階にあった事務所から地上に出て、ここかしこの食堂に首を突っ込んでいたが、食後のおしゃべりがまた楽しかった。女性たちの話題にはなかなかついていけなかったが、あるときCDが話題になり、サラ・ブライトマンだの、ボチェッリだのが出てきた。わたしはちんぷんかんぷん、ご講義を受けることになり、後ほどそのCDを拝借して耳にすることに。

 そのころ上海でお目にかかったのが機縁に加古 隆のフアン会のメンバーとなり、近在でのコンサートに出かけてはCDにサインをいただいたりしていたので、よく楽器店のCDコーナーなどにも立ち寄っていた。

 女性たちの話によると、中国ではボチェッリなどの海賊版CDがすでに出回っている、音質もかなりよく価格は日本より半額以下で手に入るがどうでしょうかということになり・・・その後の出張時に、上海の人民公園の近く、いまはあるかどうかわからないが、南京東路/福州路の楽器店のCDコーナーを覗いたことがある。中国もその後国際協議を経て海賊版の規制に努めたので、いまはもう出回っていないはずである。

 いま手持ちのCDをチェックした。

 「アンドレア・ボチェッリ」二枚(版権江西・・・出版社)、(貴州・・・、中国大陸限定販売)

 「サラ・ブライトマン」日本製(東芝EM)二枚、中国製四枚 莎拉・布莱曼

「重回失楽園」(権利取得)、「月光女神」(中国唱片・・・出版)、「再見」(福建・・・出版)、「安徳魯・葺伯 作品選」(雲南民族・・・出版)

 よくぞ買ったものだが、当時聴いたのでは不備はなかったはずである。

 

 さて映画―。

 ボチェッリの自伝に基づく作品。

生まれた時からの弱視で両親の悩みを叔父がカバー、ピアノなどで音感教育を進め、少年時代は歌唱にも才能を発揮するが声変わりで落ち込み、その上12歳のときサッカーの練習で顔面にボールが当たり、完全に失明。

両親などに励まされ、点字で勉学に励んで法学博士の資格を取り、弁護士開業後、夜はジャズバーで歌っている。そこで誕生日パーティーを開いていた女性と出会い、のちに結婚。その前後、かれの歌を聴いていたピアノ調律師の紹介でオペラの指導者のレッスンを受け、そのつてでオペラ歌手と会うが、パートナーとしての出番がなかなか回ってこない。

待つこと二年、ついにステージに立ったかれのバリトンの歌声は、全ヨーロッパに響き、イギリスのソプラノ歌手サラ・ブライトマンの申し出によるデユエットは全世界に響く。

映画は世界各地での舞台を早送りしながら、この「コンテ・パルティ―ロ」(きみと旅立とう)を流し続ける。

わたしもここで二十年ほどのむかしを思い出し、すこし鼻がツンとした。

 

歌詞の一部を拾い出してみる。

コンテ・パルティーロ(タイム・トゥセイ・グッバイ)

 

   一人でいるとき 水平線を夢見て 言葉を失ってしまう

   太陽のない部屋は暗くて あなたが傍にいないと

   太陽は消えてしまうの(中略)

 

       **************

 

   別れの時が来たわ 

   あなたが一度も見たことも 行ったこともない場所

   いま私はそこに あなたと共に旅たとう(中略)

   ♪コンテ・パルティ―ロ…   あなたと共に旅立とう♪ (後略)

                         日訳By Maria Karen

                                (完)

                2021年2月9日 記 (2020年?)

 

 PS 前29号の海南島の「白毛女」について、一読者から「『白毛女』の話の元は河北省の『白毛仙姑』の伝説が元となっておるようです。海南島の革命的な女性は、『紅色娘子軍』(日本名「女性第2中隊長」)の主人公・呉瓊花のことないでしょうか」とご指摘がありました。

 再調査の結果、海南島のはなしは1930年代の悪徳地主に手向かう女性の物語を謝晋監督が1960年に映画化(「紅色娘子軍」)、文革中バレー化されたものでした。

 わたしの記憶間違いをご指摘いただき、ありがとうございました。



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