くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之九拾六

2016-03-28 13:45:04 | 日々の出来事
あのときと、これからと・・・


 四月から、電力の小売全面自由化がはじまる。
 いよいよだ、これからだという思いがこみあげる。

 五年前のあのとき、わたしは武庫川大橋のたもとにある市役所で所用をすませての帰途、立ち寄ったクリニックのテレビで揺れ動く映像を見た。東北大地震の発生であった。時刻はちょうどあの大橋を渡っていたころか、わたしはなにも感じずに、海かもめの舞い上がるすがたを見ていたが、あれはなにかのシグナルであったのか・・・。
 阪神淡路の大震災のとき、わが家の猫が数日前から姿が見えなくなっていたが、それは動物の本能か、災害の予告であったのだろうか・・・。
帰宅すると、家内はかすかな震動を感じてテレビをつけた、という。

 あの震災でわが家は倒壊、近在の小学校の体育館で数日寝泊りのあと、東大阪市の解体予定の木造府営住宅に移り住み、十ヶ月ほどの避難生活を送った。酒屋の御用聞きは“避難民、避難民”といいながらも、販促用の品々を届けてくれた。
 爾来二十余年、なまずのひげのかすかなゆれにも、からだが敏感に反応する。

 その夜から、中国など友人たちの見舞いのメールが殺到、翌朝には上海の友人からの電話が入った。わたしは“日本沈没、や!”とつぶやきながら、友人の励ましに涙した。
 北京在住の山田さんは『北京彷徨』(みずのわ出版刊)で、当時のことをつぎのように記している。
 「地震発生当日の三月十一日、中国では日本の国会に相当する全国人民代表大会が開催中だったが、中央テレビ国際チャンネルは地震発生直後から被害情報を詳報し、翌日から新聞各紙は連日一面トップ、テレビは大津波で家屋が流される衝撃的な映像を繰り返し流した。アナウンサーは『今こそ隣人に手を差し伸べよう!』と呼び掛け、『日本は孤独ではない!』と何度も叫んだ」
「しかし、三月十五日を境に状況は一変する。福島第一原発で爆発が相次ぐと、テレビの震災特集は原発特集に切り替わり、爆発の瞬間や焼け焦げた原子炉の映像が何度も流れた」・・・「四月四日、東京電力が低濃度の汚染水を海に排出すると、世論の対日感情の悪化は決定的となった」

 わたしもそのころ、当事者能力を喪失した東電と取り巻き御用学者や専門家の「想定外発言」を耳にして、怒り心頭に達していた。
 『徒然中国』其之五拾弐「風が招(よ)ぶ」はそうした思いを述べているが、そのときの西域のたびは、わたし個人にとっては中学の友人がくれた暑中見舞い「サロベツ原野の風車群」の写真がそのきっかけになった。
 のちに東京都知事選の大きな争点となった「原発問題」、それは「使用済み核燃料」のリサイクル技術の確立が見込めないままに増設・運用されてきたこの「欠陥発電装置」をどうするのかという、世論喚起でもあった。
「原発」は、安くて・安全で・クリーンな発電装置でないことは、大多数の人は理解しているが、いまだにその再稼動を求めようとする動きも強い。

「3・11」から五年が経ち、未だ東電原発の後遺症回復のメドが立たぬなかで、政府は早くも四基の原発の再稼動を認めた。関電の二基には、大津地裁で稼動中止の仮処分が出たが、関電は上訴、再稼動の審判を求めている。そして、6月からの電気料金引き下げを取りやめると、消費者をも巻き込んだ争いにしようとしているが、それはかえって消費者の反発を招くことになるだろう。
 毎日新聞(電子版)3月7日の社説「大震災から五年 原発事故から何を学んだか」では、政府がとった原発維持政策をクドクドと書き連ねているが、末尾で次のように述べてなんとか、かたをなしているのであろうか。
 それは、つぎのような一文である。
 「原発依存への回帰を防ぐもう一つの望みは、電力会社の地域独占を排するシステム改革かもしれない」
 もっとはっきり言ってほしい、「電力の小売全面自由化」は4月1日から施行される、みなさんは原発稼動を求める電力会社からの電力の受給をやめましょう!と。

 阪神淡路大震災で被災したときの経験から、ライフラインの水道・ガス・電気はやはり三分しておきたい、あのときの修復には三社三様のタイムラグがあった。
ガス会社からの供電は、そういう意味で避けたいと、4月からの電力小売に参加する業者の選別をはじめた。ある携帯電話ルートの供電会社に、非原発電力の供給の可否を訊ねると、電気にその発生源の色分けは出来ないとの回答であったので、これはダメ。しかし、関電からの供電なのに10%ほどの値下げは可能とのこと。関電から従来どおりの契約を続けていると値下げはできないとは、どういうことか・・・消費者を原発再稼動の裁判に巻きこもうとしているのであろうか。

 ネットサーフィンして、「サミットエナジー」という供電会社を見つけた。
 同社のホームページの「自然エネルギーの電力」には、つぎのような解説がある。

 太陽光、風力、木質資源などのバイオマス、水力(小規模なもの)、
地熱などの地球環境の中で発生するエネルギー資源を「自然エネルギー」と呼びます。
これら自然のエネルギーを利用して発電したものがグリーン電力です。

 いま、この「サミットエナジー」の小売会社と4月からの供電契約の相談をはじめたばかり、かなり混んでいるようだが営業担当者が近く来訪するまで話は進んできた。
 ネット情報では、四月からの電力小売自由化で消費者の20%が従来の電力会社から離れるという。あと10%ふえれば、原子力発電を求める電力会社の供電は不要になるとか・・・。

 いま、コーラスで練習をはじめた「『聞こえる』(作詞 岩間芳樹 作曲 新実徳英)}に、つぎのようなフレーズがある。わたしは、この歌のメロディは好きだが、作詞はいささか気に入らない。

 ♪・・・時代が話しかけている
世界が問いかけている・・・(中略)
・・・教えてください なにができるか 
光っている道を心ひらいて歩いていきたい(後略)♪

 自力更生、道を切り開いていくのは自分自身である。

                (2016年3月25日記) 

我が家のお雛様

2016-03-12 14:43:10 | 日々の出来事
我が家は行事はできる限り旧暦で行う

雛飾りも3月初めに飾り4月初めまで飾る

花も桃の花が開くまで庭にある花を飾っている







頂き物の『お雛様』たちと主人からのプレゼントの雛の絵

そろそろ庭の桃の花が色づいてきた

徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之九拾五

2016-03-07 15:47:20 | はらだおさむ氏コーナー
どこから、読むか・・・

 
一昨年末出版した小著『「徒然中国」~みてきた半世紀の中国』は、一篇平均三千字ほどのコラムをまとめたもので、内容的に「第一部 あのとき・あのころ」「第二部 旅に出て・・・」「第三部 映像の世界」と分類していたが、それぞれは執筆の時系列に編集していた。
ある読者は「自分の日誌を読み返しているよう」と時系列的にはじめから読んでいただいたようだが、旅の話や映画についての感想を述べた方や「はじめに」と目次だけを見て、あとでゆっくり読ませていただきます、とのメールをいただいた方もあった。
この本は残念ながら書店の店頭には積み上げられず、主としてオンライン・ショップか取り寄せのかたちで読者の手に届いているようだが、著者としてはどこから読んでいただいてもありがたい、それぞれのコラムが読みきり、となっている。

いま北京在住二十余年の日本人専家・山田晃三さんの『北京彷徨1989-2015』(みずのわ出版)を手にして、今度は読者としてこの本に面している。
著者の山田さんについては、四年前の『徒然中国』四拾九号「みずのわ放送局」でつぎのようにご紹介している。
「山田さんはすでに北京滞在二十年、中国人社会の『中国語圏』のなかで生活しておられる。この『みずのわ放送局』は一回が数千字、キチッとテーマを掘り下げて、政治の難しいテーマも双方の理解のプロセスを明らかにして説得力がある。とりわけその映画時評は、裏話も含めて興味がそそられる」
この本はサイト「みずのわ放送局」で連載されていたものを軸に書き下ろしを含めてまとめられたもので、わたしの『徒然中国』の読者でこのサイトをその後も熱心に読み続けて来られたひともおられる。それはこの本の序章「中国人の心は統計や数字では測れない」で書かれている「・・・中国に長く暮らせば中国を語れるというわけではない・・・中国を理解したければ中国人のものさしで考えることが欠かせない・・・客人の立場で中国と接していては、本当の中国は見えてこない」とする著者の姿勢に共鳴されているからであろう。

昨秋 駅前の図書館でコーラス仲間のKさんとぱったり出会った。
立ち話のあと、勇を鼓してわたしの本を紹介した。前作『ひねもすチャイナ 徒然中国』は中国関連の書棚にあるが、こんどの『徒然中国』はなぜか
 「日本のエッセイ」のところにおかれている。Kさんに中国がらみのエッセイになるんでしょうかねぇ~といいながら、書棚から取り出してページを繰った。かれは、わたしとわたしの手元にある本を見比べながら、いま借りている本を読み終えたら、読ましてもらいます、と語った。
  先日 コーラスの練習が終わった帰り道、Kさんはあの本は正月に息子たちといい酒のサカナにさしてもらいましたよ、と話し出した。なんでも、奥さんに湯冷めしますよ、といわれながら毎夜わたしの本を1~2話ずつ読みついで来られていたらしい。その薀蓄が、息子さんたちとの正月の酒のサカナになった、というのだ。うれしい、話であった。

いま、わたしは自分流で、山田さんの本に面している。
目次と序章、終章「飛躍する中国、彷徨う中国」は、すでに読んだ。
各篇は、わたしのものより字数は倍以上あるが、年度別になっている。
直近の、昨2015年は、三つの話題が取り上げられている。
「第31景 日中首脳会談とメンツ―国内問題が直結する対日政策」
「第32景 爆買いから考える日中関係―爆買いしなければならない国内事情」
「第33景 戦勝七十周年記念式典―抗日の国際化を狙う中国」
  「爆買い」のレポート執筆は、昨年の四月である。
その話題の対象は、昨年の春節の時期となる。
コラム「中国で爆買いはどう報じられたか」を読むと、春節前の国営・政府系メディアの現象面の報道がネット上の議論をよび、三月の全人代における李克強首相の「政府活動報告」、モノづくりの質の向上へとの政策転換に至る、その過程が詳細に綴られている。
そして、このレポートの結語とも言うべきコラム「爆買いが日中関係を変える」で紹介されている中国人観光客の意識の変化のさまざま、その重要性を山田さんは、つぎのように指摘している。
  「いま中国では、戦後の日中関係の歴史を覆すほどの変化が静かに始まっている。一方の私たちはどうだろうか。爆買いの表層的な現象を追うだけではなく、もっと深く中国を考え理解する努力が今こそ求められている、と私は感じている」。同感である。

  さぁ、つぎはどこを読むか、と目次をひろっている。
  2013年には「陝北遊記」と題するレポートが三本あるが、次の楽しみに残しておこう。
  詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/mizunowa/ をご覧下さい。

  最後に、この本の出版元「みずのわ出版」にふれておきたい。
  同社は、わたしの好きな民俗学者宮本常一のふるさと・周防大島にある。
 まだ訪れたことはないが、宮本常一の随想を読みながら何度かネットでこの島を周遊したことがある。「みずのわ出版」も当然、宮本常一の本や関連の写真集などを出版している。出版社の代表と著者の山田さんは高校時代の朋友とか、何かの縁(えにし)を覚える次第である。
                (2016年2月16日 記)