くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第五十話

2021-01-07 16:24:54 | はらだおさむ氏コーナー

白 鳥

      

  拙宅の近在に小さな溜池がある。

  むかしはその崖下の田畑への用水池であったが、いまは一区画を残してすべてが宅地化され、防水池に転じている。

  わが家の庭の前後には小さな溝があり、それは丘の上から池まで繋がっているが、いま池に注ぐのはほぼ雨水のみ。このところ雨期を除いて池が満杯になることはなく、えさを求めて飛来する渡り鳥も少なくなった。

  先日は鷺の一種か、一羽だけ飛来してきたが仲間を呼ぶこともできないと三日ほどで姿を消した。下水も流入していたむかしは鶴の親子も姿を見せていたが、どうだろう、池浚いで道端に放りだされた鯉などが跳ねる姿も数年はお目にかかっていない。

  いま コーラスCで『ふるさとの山に向かひて』(詩:石川啄木 作曲:新井 満)と『ひたすらな道/白鳥』(詩:高野喜久雄 作曲:高田三郎)を練習している。

  後者『ひたすらな道』は「姫」「白鳥」「弦」の三曲、同じ作詞・作曲者で組まれている。「姫」は昨秋の演奏会ですでに歌い、この作詞家:高野喜久雄の幻想的な詩にはお目見えしているが、以下に触れる「白鳥」の詩句・作風には、いまだなじめないものがある。

わたしも若いころ作詩に芽生え、その処女詩集『ふくらみ』ではつぎのような詩も書いている。

 

火 山 礫

 

     煙がきなくさく思えた。

     灰も何かいじましかった。

     あつい溶岩はまだ来なかった。

 

      死んだ火山礫を拾い集めた。

      記念は いらないと思った。

      ガラガラと くずれて 散った。

 

      おれの火山は死んだ。

      息の根をとめてやった。

      がれき(・・・)の底で何かが動いた。

                (1968年10月)

 

  自分ではそのときの思いはいまでも沸々とこみあげてくるが、これはひと様に説明するものではない、私家版残部の記念ものだ。

  しかし、いま練習しているのはプロの作詞家のもの。

  すこしネットサーフィンした。

  高野喜久雄(1927~2006)詩人、数学者(仏教徒)。

  「白鳥」はNコン昭和55年(1980)中学、高校(女声)の課題曲。

  作曲家の高田三郎氏はこの作曲集の最後に、以下のような解説をされている。

 

  激しい型の別れの詩である。

  我々は高みからの呼び声により、或いは自らの目標に従い、土地や事物や人から、また、ある精神状態からの別れをしばしば経験しなければならない。

  しかし、血みどろになって飛び去ってゆく白鳥も結局は行為の円環性から離れる事はなく、春の湖にまた戻って来る。

 

  ネットサーフィンしたら、CDでもあったのだろう、2012年投稿のユウチュウブ(山形西高校、女声)があった。

  きれいな声、そして♪切れる、切れる・・・♪の絶叫、最後の折れた足が見つかったときの嬉しそうな響き。

 

  だが、理屈で詩を捉えてはならないと頭でわかっていても、白鳥は「眠り過ぎる」ことはない、そんな鈍感な渡り鳥はいない、とわたしの直感がまたまたネットサーフィンをさせる。

  「渡り鳥は、脳の半分ずつ交互に眠る=半球睡眠」が定説、脳波測定実験で最長数分は眠ることもあるらしいが、それは飛行中。「眠り過ぎ・・・」 「両足は固い氷の中」ということはありえない。

  数学者でもある作詞家が、仏教の輪廻の教えを表現するのに渡り鳥の回帰性に着目、クリスチャンの高田先生もそれを納得されたのか・・・。

 

  歌は理屈ではないと承知しても、これは困った!

  氷ではなく、人間が仕掛けた罠にひっかかったとしたら、これは理屈に合うが、はて、さて・・・・・。

                

 白鳥は、いまでも冬になると伊丹・昆陽池に群れ集い、その美しい群舞はバレー「白鳥の湖」を連想させる。スワン、鴻・・・とたどり、ユン・チュアンの『ワイルド・スワン』に思いつく。

 二階の書棚に土屋京子訳の講談社(上・下)一九九三年四月の、第8刷単行本があった。

 上巻の帯は「『大地』をしのぐ圧倒的なスケール」、下巻には「いつか誰かが言わねばならなかった現代中国の衝撃的な真実」と大きな字が躍っている。

  著者のユン・チュアン(張 戎)はエピローグで次のように語っている。

  「私は、現在ロンドンに住んでいる。中国を離れてから十年のあいだ、過去のことはなるべく考えないようにしてきた。一九八八年になって、母がイギリスに訪ねてきた。そのときはじめて母の口から、母が生きた時代、祖母が生きた時代の話を聞いた。母が成都に帰って行ったあとで、私はひとり部屋にすわって記憶を呼びさまし、残っていた涙で心をぬらした。そして、この本を書こうと思った」(中略)「一九八〇年代の経済改革の結果、中国の人々の生活水準はかってなかったほど向上した。・・・毎日毎日、中国に投資してくれそうな外国人を招いては贅をつくした饗応がくり広げられていた。ある日、そうした宴会を終えて出てきた客人のなかに、母は見おぼえのある顔をみつけた。・・・それは、四十年前に女学生だった母を公安に通報して逮捕させた、国民党スパイの政治主任であった・・・」(一九九一年五月)。

 

  著者のあとがきは、政治の世界でもかたちを変えた「輪廻」~「回帰性」のあることを示している。

  文革の後期 古参党員の父が直訴した毛沢東への手紙が原因で「精神病者」にされ、最後は医師の手当も遅れて“心臓麻痺”で死絶する。

  昨年末 はじめて新型コロナウイルスを告知した武漢の医師は、一時当局に拘束され、かれは若い妻と幼子を残して一月末に死亡した。

 

  歌の「白鳥」に戻ろう。

  詩人高野喜久雄の「世界」に疑念を挟むのは排し、作曲者高田三郎の前掲の「演奏上の注意」に再度留意したい。

  「はげしい型の別れ」と詩人のことばをとらえた作曲者は、それまでPPで流れていた調べを、mf飛び立とうと fもがく もがく と一気に盛り上げる。しかし、それは絶叫であってはならないだろう、苦痛と悲鳴、そして恐怖(そんな声が出せるかどうかわからないが、わたしたちは女学生ではない)。以下この注意を読み返しながら、練習を重ねていきたい。

  自宅待機がいつまで続くか・・・♪春よ来い 早く来い♪である。

                  (2020年3月2日 記)

 



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