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支援物資、薩摩街道より

2016-04-22 22:18:09 | 復興支援関連
津奈木太郎峠、
赤松太郎峠、
佐敷太郎峠、
総じて、
三太郎峠と呼ばれる熊本から薩摩への、
薩摩街道、

今回の熊本地震、
支援物資をこの三太郎峠を越えて運ばれた

話が逸れる。

くねくね、くねくね、
登る登る、下る下る、
回る、回る、目が回る、
昔の人はこれを一日で歩いたんだろうかな、

西南戦争では
この峠を越えて薩摩私学党が攻めて来た、
もし、あの時、
熊本鎮台の長官。谷干城が籠城に専念せず、
迎え打つ戦術を採用したなら、
第一の迎撃場所としては最適、
峠の上に大砲を据えて、
ドカンドカン、

出鼻を挫くには最高のロケーション
当時は道幅も狭かったろうし、

この3ヶ所の峠で先ずは足止めを喰らわせるが正解、

1ヶ月間持ち堪えたら、
その間に、
中央政府から大砲をどんどん運んで貰う、
迎え撃つ場所をどんどん引きながら、
次は
水俣、日奈久で、
そして、球磨川を防御線として、
迎え撃つ、
ストロング砲を並べ、
どかん、どかん、
川を超えさせない。

熊本鎮台長官、
谷干城は高知県出身、
この峠の事など思いもよらなかっただろうし、
当時世界一剽悍な薩摩武士、

もう、薩摩軍挙兵の一報で

『ビビリまくり』
難攻不落の熊本城に籠城と決め、
敵からの目印になる
天守閣を炎上させてしまった。

要はそんなに急いで炎上させる事は無かった。
徳川幕府は肥後熊本藩に特例として、
一国二城の許可をしている。
それは薩摩藩が挙兵した時の為に二城とした、

今回の熊本地震、
支援物資を
この三太郎峠を越えて運ばれた。

さつま揚げも美味しい、
届いた物資に
泣いて喜んで頂きました。

物資支援を提供して頂いた
鹿児島の人に感謝


因みに、
西南戦争の西郷さんは勝つ為に戦ったのではない。
皆と死ぬ為に、
日本を変える為に死んで行った。
その後、
中央政府では汚職が全くなくなった。

『せごさ~ん』
敬天愛人を座右の銘としたその一貫した人生観、
『素晴らしかあ』

地震落ち着いたらあの日奈久温泉へでも
種田山頭火の碑が有る、
『温泉はよいほんたうによい 
ここは山もよし海もよし出来ることなら滞在したいのだが 一生動きたくないのだが』と 刻まれてある。


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