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日記(7.13) 本「天才」 石原慎太郎著

2016-07-13 08:49:22 | 日常
7月13日  (水曜日) 雨

涼しい。雨になった。
畑にはお湿りで結構な事ではあるが・・九州方面は集中豪雨に注意が・・
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最近、石原慎太郎氏の書いた天才「田中角栄」の本が売れている。

私も新潟出向中には西山町の実家や記念館にも立ち寄ってみている。

記念館の駐車場わきに角さんの台所というのがある。

記念館には写真などが・・



凄い人だったことがわかる。
ロッキード事件が起きた時、よくは、わからずじまいだったが
首相逮捕というのは衝撃であった。
後々、ある議員さんから・・・あれは
アメリカの仕掛けた罠だと言っていたのを思い出す・その通りだったようだ!
この事件が公になる前に山崎豊子の本で”ラッキード社”という名前で扱われていたのには
驚いた!
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蛇足になるが 本の中身を少し記載「転記」

「週刊現代」2016年5月7日・14日)

今太閤、闇将軍。閉塞する現代日本で田中角栄が空前のブームだ。

かつては「政敵」だった石原慎太郎氏も、実は角さんが好きだった。
近著『天才』で田中角栄を活き活きと描いた石原氏が語る。

なぜ役人をうまく使えたか!
田中角栄は29歳で初当選したとき、地元でこう呼びかけました。
「裏日本といわれている雪国の新潟を表日本にするには
三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばしてやればいい。
そうすれば新潟に雪は降らなくなって、
その土を日本海にもっていけば佐渡島を陸続きにできる。
そうなったら、逆に東京から人が新潟に出稼ぎに来るようになる」と。
むちゃくちゃだけど、これは、殺し文句だと思うね。
こういう郷土愛の延長に国への愛着があって
角さんは日本をより機能的、文明的に改良しようとした。
役人をうまく使ってね。
役人を使うのがうまかったというのは、
言い換えれば役人を馬鹿にしていたということですよ。
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反田中の急先鋒だった石原が、今なぜ「田中角栄」に惹かれるのか。
毀誉褒貶相半ばする男の汗と涙で彩られた生涯!
だって、彼らには発想力というものがない。
僕も長いあいだ都知事をやりましたけど、知事というのは一種の「独裁者」的存在でね。
これは僕じゃなくて橋下(徹)君が言った言葉だけども、
ある意味でそうだと思う。

発想力と権限をもった政治家が指揮しないと、役人は動かない。
国政も同じことですよ。
そういう意味では角さんは官僚出身の政治家を馬鹿にしていたと思う。
福田赳夫もそう。一般には「角福戦争」と呼ばれて、
角さんと福田さんは総理の座を争ったとされているけど、
政治家としては角さんのほうが数段上。
戦う前からすでに角さんが総理になる方向で勝負はついていたと思いますよ。
少なくとも角さんはそう確信していたはずだな。

角さんがもっていた文明史「勘」…
角さんのすごいところは、政治力というよりも、人間の能力ですよ
予見性というのかな、先を見通せるだけの文明史「勘」をもっていた
いまの政治家は発想力がないし、教養もない。
歴史も知らないでしょ。まして文明史「勘」をもった政治家なんていませんよ。
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彼はね、河井継之助に似ているんですよ。
司馬遼太郎さんの『峠』という作品に、
越後長岡藩の家臣だった河井継之助が若い頃、
上越国境の三国峠を雪崩に巻き込まれながら死ぬ思いで越えて江戸に出てくる話がある。

ところが江戸に来てみると、冬空はカラリと晴れてカラっ風が吹いていて、
越後と江戸の風土の違いを痛感する。と同時に中央に対する反感が生まれ、
戊辰戦争で明治新政府に楯ついて最後は自滅してしまうわけだけど、
角さんにも継之助と重なるところがある。

角さんの場合、雪の峠道を越えてきたわけじゃないかもしれないが、
東京に対する憧れと反感というか、鬱屈した感情があったんでしょうね。
それは郷土愛の裏返しといってもいい。
あれだけ骨身を削って故郷のために尽くせば、
そりゃ新潟の人たちは角さんのことを絶対に忘れませんよ。
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いま上越新幹線や関越道を利用している人たちがみんな、
今日こんなに便利になったのは田中角栄のおかげだと思っているわけではないでしょう。
けれど、新潟の人たちにとって、田中角栄はいまも記憶から拭いがたい
存在であることに変わりはない。

人を見る天才だった

たしかに私は、田中角栄の金権主義を最初に批判し、
真っ向から弓を引いた人間でした。
いまさらこんなものを書いて世に出すことで「政治的な背信」と言われるかもしれませんが、
政治を離れたいまこそ、政治に関わった者としての責任でこれを記しました。

歴史というものの重みを知ってもらいたいと思ったし、
ヘーゲルが言うように、歴史とは人間にとって何よりも大事な現実ですからね。
私自身は商売に携わったことはないし、人からカネをもらったこともない。
選挙も自分のカネでやりましたけども、
一方で自民党の戦後の歴史というのは、要するに金権主義なんですよ。
そういう自民党の中でのしあがっていくには、
金権という方法論しかなかったんでね。
だから金権そのものは角さんのというよりは、自民党の体質だったわけです
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ロッキードは気の毒だった

ただ、あの人が商売の天才だったことは間違いないね。
戦争中に25歳で田中土建工業を設立して、
短期間で業界50社以内の売り上げにしている。すごい話ですよ。

たんなるカネ儲けの才能だけじゃなくて、人を見る目、人間観も鋭い。
僕が角さんはすごいなと思うのは、
ニクソン元米大統領やキッシンジャー元米国務長官がベタ褒めした周恩来元首相のことを
彼はまったく評価していないことでね。

周恩来は毛沢東の足元にじゃれている「チンコロ」だと。
そんなことを言ったのは田中角栄ただ一人ですよ。
周恩来は役人として優れていただけで、
毛沢東の下で生きながらえた。
何度も失脚の危機を乗り越え、「不倒翁」と呼ばれたのは、
彼が小物だったからだと角さんは見抜いた。
結局、役人を馬鹿にしていたということです。

そんな田中角栄にてこずったのが米国でした。
米国に頼らない角さんの資源外交が彼らの逆鱗に触れて
それでロッキード事件によって彼を葬ったわけです。
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ロッキードは気の毒だった
ロッキード事件当時、私は国会議員のなかで、
一人だけ外国人記者クラブのメンバーでね。
古参の米国人記者がロッキード裁判を傍聴して驚いていました。
ロッキード社副会長が日本で起訴されないことを条件に証言し、
それが裁判の証拠として採用された。
しかも、当の副会長に対して反対尋問さえ許されない、
という日本の司法のありように
首をひねっていたのを覚えています。

私もあのとき米国の策略に騙された一人だったけれども、
いまにして思えば、あのロッキード事件は角さんが気の毒だった。
角さんは航空機トライスターの購入をめぐって
賄賂を受け取ったとして逮捕されましたが、
ロッキード社に関しては他にもP3C対潜哨戒機の導入をめぐる、
もっと大きな疑惑があった。
こちらに関与している政治家はもっとたくさんいたんですよ。

ところが、これは完全に黙殺されてしまった。
だから、あのロッキード裁判はいろんな意味でめちゃくちゃです。
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圧倒的な度量の大きさ

今回の執筆にあたって、様々な文献を参考にしましたが、
『文藝春秋』('11年11月号)に、
角さんが「越山会の女王」と呼ばれた秘書・佐藤昭さん(後に昭子と改名)に宛てた
ラブレターが掲載されていました。
これを読んで、気の毒なことをしたなぁと思った。

私が田中金権批判の引き金を引きましたが、
それに続いて、当時、立花隆氏の「田中角栄研究—その金脈と人脈」と、
児玉隆也氏の「淋しき越山会の女王」という2本の論文が発表された。

田中金権批判が盛り上がる中、
角さんと佐藤昭さんの一人娘、あつ子さんがリストカットをして、自殺未遂をしたんです。
私は彼女のことを、昭さんの連れ子だと思っていたんですが、
実際は角さんの実子だったんだね。
あの恋文を読んで後ろめたい思いをしましたね。

一方で、田中真紀子さんにしてみたら、
自分の母親が生きているのに、それ以外にお妾さんが二人いて、
それぞれに子供がいたら、女性としては許せないよね。
角さんは真紀子さんから責められて辛かったと思います。

角さんには5歳で亡くなった長男がいましたが、
彼が生きていたら、随分違っただろうと思います。
息子から見れば、男として共感はできないまでも、
まあ許してはくれたんじゃないかな。
父親を真紀子さんほどには咎めなかったと思います。

結局、ロッキード事件が長く尾を引き、
晩年、田中派に創政会ができて裏切られる形になってしまいました
本人はずっと復権するつもりでいただろうけど、
ロッキード裁判が長引いたこともあって、
ああいう結果になってしまったな。

角さんとの思い出のなかで印象的だったことがあります。
'75年の東京都知事選挙に僕が出馬(美濃部亮吉に敗北)し、
再び国政に戻ってからまもなく、ゴルフクラブで角さんと遭遇したときのことです。
角さんのほうから、いかにも懐かしげに声がかかった。
「おお石原君、久しぶりだな、ちょっとここへ来て座れよ!」
そう言って手招きして立ち上がり、自分から立って窓際の椅子を持ち運び、
自分の横に据えてくれたんです。

あのときは強烈だったね。
角さんからすれば、僕なんか、「俺に弓引いたけしからん奴だ」という評価だったでしょう。
そんな人間に対しても、あのとき「ちょっとこっちへ来いよ」と言った。
ある意味、こいつはよく俺に手向かったなと思われたかもしれないね。
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もし今、角さんが生きていたら
まあ、しかし、彼ほど先見性に富んだ政治家はいなかったというのが
正直な思いでね。
彼のような天才がまだ生きていて、
政治家として復権していたらと思うことはよくありますよ。
都知事時代、自分がやろうとしてできなかったことはたくさんありますが、
もし角さんが元気で相談していたら実現できたかもしれないと思う。
いつか、角さんの墓前で
いまの政治について言えば、世界情勢は緊張していて、
日本は身動きのとれない難しい状況に置かれている。

そうした中で安倍(晋三)君は安倍君なりによくやっていると思いますよ。
ただ、角さんだったら、もう少し奸智に長けた、
いろんな手を打っただろうね。はったりをかまして、
米国や中国を恫喝してみせたりもしたんじゃないか。
どっちにしても、これから日本は大変ですよ。
ヨーロッパの成熟国家はもう駄目になるだろうし、
日本は中国との関係をどうするか。
それに、いつまた大震災が起きるかわからない。
僕はもうすぐ死ぬからいいけども、子供や孫たちは大変だ。

僕は人気がないから、長生きできました(笑)。
人気者はみんな早死にするんだ。
いい人でいることを強いられるからかな。
裕次郎もそうだし、美空ひばりもそうだし、勝新(勝新太郎)だって
老人という年齢じゃなかった。市川雷蔵さんなんて、37歳で死んだんだから。
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これはきっと神様の摂理なんだな。
だから、おれは長生き。角さんの娘の真紀子さんがうまいことを言ったねえ。
「石原慎太郎は暴走老人だ」って。
言い得て妙で、自分でも気に入って使わせてもらっていますよ。
真紀子さんは、口のうまさでは父親の「天才」を受け継いでいるのかもしれない。

じつはこの本を出した縁で、角さんのお墓参りがしたいんですけど、
お墓は新潟の家の敷地内にあるから、入れない。
東京にもお墓があるかと思ったら、ないんだな。

せめて目白のお宅にお邪魔して、仏壇があったら拝ませてもらいたいんだけど、どうかなあ。
おそらく入れてもらえないんじゃないかな(笑)。

「週刊現代」2016年5月7日・14日合併号より
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