SNSマイスペースが上陸から、思うもの(日記風な書きようで論点ずれまくり)
覚え書きなので、つまらんです。
SNSマイスペースが上陸
asahi.com:SNS利用者の争奪激化 米大手「マイスペース」参入 - ビジネスのようだ。
マイスペースの親玉は、あのメディア王
ルパート・マードック である。日本のどこぞのテレビ局を買収すると言ったとか,言わなかったとかした人でなかったか?
どちらにせよ、世界的に有名であり、湾岸戦争頃からの米国の戦争報道にその翳りを落していると思っているのは,私だけじゃないだろう、というのは妄想です、が、しています。
SNS自体はそう興味がない、というか、そういうものだろうということはやらなくても解っているし、開かれたweb1.0からSNSに閉じられてweb2.0なら、それはもう今リアル世界で行われている局地的紛争と同じであり、その論理適用であろう。
我々がそう望むと望まぬとリアル世界の反映はあり過ぎるほどネットにある。しかし、この2年近いネット生活で、心から吐き出す言葉は”それだけか”である。もちろん、知らない知識もあるし、知る必要もない知識もある。残念ながらネットの中で全く新しいジャンルを知る機会は一度もなく、逆に手あかのついた情報の繰り返しと信望と信者に多く出合った気がする。それは、私の知識内と興味内だけしかネットサーフしないからこういう結論になるのですし、それはあまりにも一般的な結論であろうことは百も承知してますよ、◯◯さん。
閑話休題
そう言ういわば、ソーシャルネットワークによる
セクト 化的現象がおきるのではなかろうかと心配になってきた。これはオタクと同一視はできない根本的な危険が含んでいるように思えてならない。
いうなれば、オタクの先鋭化でなく、新興宗教に言われるような感じであるのかもしれない。少なくても、メンバーが固定化され、新規参入者が身内的なものに限定される悪影響は現実世界だったオウムサリン事件より危惧と危険が多く、これは思想という名の血の濃縮だけであり、突然変異が生まれる可能性の飛躍的進化を秘めているに思える。そう言った意味合いで
セクト 化と表現している訳である。
新しいコミュニケーションであるネットには、あるイベント(出来事、話題でもいい、それらを総称してイベントとここでは言っておく)に対して論点が飛び回る巨大掲示板があってもいいし、もっとお堅くイベントについてだけの集中論議であってもいいのだが使う側がSNSだけに閉じこもるのは、少し問題があろうかなという,今のところの感想である。
まあ、これを読んでいる人は、SNSに閉じこもっていない訳であるから大丈夫です。