おじいクボマ~ル@青空保育園 since 2023

定年前に大学教授から保育園長に転身した「おじい」のブログです。誰にでも開放していますので、ご投稿も歓迎です!

人の命を預かるということ by お花坊 with くぼま~る

2019-07-02 06:32:37 | 自由投稿
※ 落とせそうな贅肉がたっぷりですね~

 2011年3月11日、東日本大震災で発生した大津波が、石巻市立大川小学校を襲った。
 当時は、子どもが被害にあった遺族からの「津波から逃げる時間は十分あったはずだ」や「避難後、直ちに高台に避難していれば子どもたちは助かった」という、学校の避難誘導に対しての疑問や、激しい指摘が相次いだ。
 そして、災害から7年がたった2018になっても、学校の避難誘導に対する訴訟や裁判が多く行われた。しかし、いくらそんな事をしたって、当時の事はそこにいた先生と子どもしか分からない。先生方が本当に判断を誤ったのか。
 以前津波が到達した記録もなく、学校の決まりとして校庭が避難所になっている。ましてや、大きな揺れに怖がり、動揺して子ども達は泣いている。そんな状況で余震の続く中、裏山に登らせることを考えると、校庭で保護者の迎えを待つのが一番安全ではないかと先生も考えていたはずだ。
 しかし、判断が誤っていたかどうかは別として、結果的に先生の判断で、多くの命が失われたのは事実だ。そしてその時、ほんの少しでも津波というワードが先生の頭にあれば、こんなに悲惨な事にはならなかった可能性があるのも確かだ。
 今私が考えることは、近い将来、先生という職業に就きたいと思う以上、常にその時々の判断に大きな責任を持ち、あらゆる可能性を考えなければいけないということだ。たとえそれが、まさか起きるわけがないと思うようなことでもだ。それが人の命を預かるということだ。

↓≪くぼま~るの推敲&改稿≫
 70名を超える児童たちが大津波に飲み込まれて亡くなる、という悲劇から八年経つ。今でも、「すぐに裏山に逃げていれば助かった」「非難する時間はあった」等、教員たちの避難誘導に関する論争や裁判が続いている。だが、その是非論はしょせん結果論でしかない。
 教員の判断は、本当に間違っていたのだろうか。大川小学校には、大津波が到達したという記録はなかった。しかも、学校自体が災害時の避難場所に指定されていた。余震に怯えて泣く子どもたちを見て、おそらく教員たちは裏山に登らせるのではなく、校庭で保護者の迎えを待たせる方を選んだ筈だ。
 この判断が、結果として多くの子どもの死を招いた。誰かの頭に、「大津波の到来」という言葉が浮かべば、あるいは、この悲劇は起きなかったかもしれない。
 私は、先生と呼ばれる仕事に就きたいと思っている。つまり、子どもたちの命を預かるということだ。すなわち、常に大きな責任と、起こり得るあらゆる危険を予測し、それに備える義務が求められる。自分には本当にその覚悟や能力があるのか、考え直したいと思う。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幼い命を守るために by ターミ... | トップ | 教員の判断は正しかったか?... »