山楽ぶらり探訪

国のまほろば大和の山野、寺社をぶらっと訪ね歩きます。
山川草木。日々是好日。

奥田蓮取り行事 03

2009-07-07 20:09:55 | Weblog
奥田蓮取り行事 04

 奥田池で採取された蓮華108本は、金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂(吉野町)の蓮華会(れんげえ)に供えられました。

奥田蓮取り行事 04

2009-07-07 20:08:44 | Weblog
奥田蓮取り行事 04

 昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。
 刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。
 以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。             「大和高田市史」より

水田アート

2009-07-05 09:50:59 | Weblog
水田アート

  古代米などを使って描かれた丑の絵

 滋賀県近江八幡市で、穂の色が異なる4種類の稲で絵をつくる「水田アート」が見頃を迎えていました。

 地域関係者や行政などでつくる「水茎夢の郷委員会」が、「夢のある地域」を目指し、2007年からスタート。毎年、干支(えと)にちなんだ図柄にしており、5月下旬に植えた苗が現在、見事な丑(うし)の絵(縦50メートル、横25メートル)になりました。

 古代米で白い縞(しま)稲や紫稲を使い、丑を表現。地区名の「すいけい」を黄稲で配し、緑色のヒノヒカリの中から浮かび上がらせました。水田脇に設置された高さ約3メートルの見晴らし台からきれいに見えるように工夫しており、今月下旬まで楽しめるという。  

持統天皇「吉野行幸」再現 01

2009-05-30 16:36:06 | Weblog
持統天皇「吉野行幸」再現 01

 明日香村で古代史をテーマにした作品を上演している劇団「時空」と地域づくり集団「大化塾」と合同で30日、飛鳥時代の持統天皇が吉野に行幸した様子を再現しました。
 吉野は、飛鳥時代から平安時代まで、多くの天皇や貴族が土地が持つ神秘性などにひかれ、訪れています。なかでも持統天皇は即位前、夫の大海人皇子(後の天武天皇)と一時期、吉野で暮らしたことも関係してか約30回も行幸しており、その様子を再現することになりました。

持統天皇「吉野行幸」再現 02

2009-05-30 16:35:23 | Weblog
持統天皇「吉野行幸」再現 02

 四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)の幡(旗)を持った従者を先頭に、高松塚古墳壁画を基に作った古代の衣裳を身にまとい、柿本人麻呂役や持統天皇役の女性を輿(こし)に乗せて吉野を目指します。持統天皇が通ったルートは不明ですが、飛鳥川に沿って、奥明日香から峠を越えていく古道が有力です。

 当日は、午前10時30分に同村平田の石舞台古墳を出発し、公園内を約30分行進しました。石舞台古墳を背景に古代飛鳥を鮮やかに再現してくれました。

持統天皇「吉野行幸」再現 03

2009-05-30 16:34:10 | Weblog
持統天皇「吉野行幸」再現 03

 メンバー一行は同村稲渕や栢森を経て吉野町との境界にある芋ヶ峠へ向かいました。(車で移動)
 
 来年の平城遷都1300年には、一般も人も参加するイベントに発展させようと企画しています。法隆寺から飛鳥・橘寺までの太子(聖徳太子)道をウオーキングするイベントは定着していますが、この「吉野行幸」道も古代のロマンが漂う道として魅力があるように思います。

 宇治間山 朝風寒し 旅にして
      衣貸すべき 妹もあらなくに (万葉集 巻一・七五)
 (宇治間山の朝風が寒い。旅の途中で、衣を貸してくれる愛しい人もいないのに。)

 この万葉歌碑は、吉野町千股、葛上白石神社前にあります。作者は、長屋王(高市の皇子の子、天武天皇の孫) 大宝元年(701)二月、長屋王が文武天皇の吉野行幸に従ったときの歌と言われています。
 
 

三峰山 ゴヨウツツジ 01

2009-05-26 17:19:11 | Weblog
三峰山 ゴヨウツツジ 01

 台高山脈の北端・御杖村の三峰山(1235m)は、奈良県と三重県の県境近く奥宇陀の地にあり、霧氷とゴヨウツツジ(ヤシオツツジ)の秀峰として近畿の登山家には、良く知られた山です。

 ゴヨウツツジは標高1000mを越す、太平洋側に自生。清らかな風情が好まれ、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまの「お印」にもなっています。

 「純白な花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」――食器や調度品など持ち物につける、敬宮さまのお印が「ゴヨウツツジ」に決まった。

 ゴヨウツツジは、ご夫妻がたびたび足を運ばれた栃木県・那須御用邸内に群生。ご夫妻は懐妊中の今年5月にも訪れ、白い花の美しさを気に入られていたという。

 ゴヨウツツジは別名「シロヤシオ」ともいい、東北から近畿、四国の太平洋側に生える落葉低木。葉は枝先に5つ輪状につき、5月から6月にかけて、枝先に白い花を咲かせる。


 

三峰山 ゴヨウツツジ 02

2009-05-26 17:18:26 | Weblog
三峰山 ゴヨウツツジ 02

 御杖村、奥宇陀青少年旅行村から神末川に沿って林道終点に駐車。よく整備された階段状の山道を辿り新道峠から左へ静かな若葉の尾根歩きを楽しみながら三畝(みうね)峠へ向かいました。峠から一等三角点標石のある三峰山山頂で小憩。古光(こご)山、倶留尊(くろそ)山など室生の山々が頂を連ねる展望を楽しみ、八丁平に下りました。

 山頂南西に草原が広がる八丁平には、3メートルをこすゴヨウツツジ(五葉躑躅)の古木も点在。密生した純白の花が綿帽子のように見えました。

三峰山 ゴヨウツツジ 03

2009-05-26 17:17:35 | Weblog
三峰山 ゴヨウツツジ 03

 三峰山は冬期”霧氷の山”として有名で、近畿では雪中ハイキングの対象の一つに挙げられ、私は今まで主に雪中、30回ほど登りましたが、ゴヨウツツジ(シロヤシオ)の咲く初夏新緑の頃は初めてでした。

 「純白」花盛りのゴヨウツツジに魅せられ帰路、三畝峠に向かいました。緩やかなアップダウンを二、三度繰り返すと木の間に高見山が鋭く天を突く姿が望まれました。

 ※ HP「home ktmr」 山歩き 2005 三峰山
 ※ ブログ 2008ー01ー20、01ー28 三峰山、八丁平も併せてご覧頂ければ幸いです。

葛城山 つつじ 01

2009-05-18 17:41:14 | Weblog
葛城山 つつじ 01

 水越峠を堺に南が金剛山、北が葛城山とされるが、古くは北は竹ノ内峠から南は千早峠までの間を総称して「葛城山」とされていました。
 また、役小角ゆかりの山としても知られるなど、山麓一帯には古代のロマンが息づいています。
 山頂付近はなだらかな高原状で、自然研究路が縦横に通っています。春はカタクリ、初夏はツツジ、秋にはススキで、冬は雨氷や霧氷と、四季おりおりの家族連れの登山者たちで賑わいます。