山荘雑記  

 定年退職後 信州白馬の里山に小さな丸太小屋を建て、
その生活の様子や山や旅の思い出など、気ままに書き綴っています。

又もや悲しい別れ  身近な山の後輩S君の死

2013年03月27日 | 生活一般

  初雪のイーグルサミットにて(北緯66度) S君と4wdのレンタカー 2003年9月

このところ親しかった友人が相次いで亡くなり、だんだん自分の番が近づいてきたような恐怖感を感ずる。 3日前の夜、山の会の会長F君から電話があり、後輩のS君がその朝亡くなったという。死因は肝臓がんらしい。予期もしない突然の訃報に思わず自分の耳を疑った。3カ月前に大阪で会の忘年会があり、彼も出席し若い会員たちと元気そうに談笑していた。淀屋橋名物の狭いカキ船で、お互い席が離れていてほとんど言葉を交わせなかったが、これが最期となった。
 S君は私より8歳若い後輩の一人で、どちらかというと皆と一緒に山へ行くより、ひとりマイペースで自分流の山を楽しむタイプで、共通点のある私と気が合い、新築した家が私の家に近い精もあって何度か伺い、近くのコートで奥さんも一緒にテニスなどもした。
 理由は分からなかったが、定年以前の早くから会社を辞め、自由な時間を持っていたので、長い間暖めていたカナダ・アラスカのドライブ計画に誘うと、二つ返事で参加に意欲を示した。バンクーバーからユーコン地方を回り、フェアバンクスを経てへインズまでの7000キロの行程を、キャンプしながらレンタカーで1カ月近くかけて二人だけの旅をした。丁度10年前の2003年の初秋であった。旅は計画通り順調に進み、毎晩料理に長けたS君の作る美味い食事にありつけた。しかし、見知らぬ海外での2人だけの閉塞された生活で、日が重なるにつれ心身に疲れが出始め、徐々に二人の間で気持ちの上でのズレが生じ出した。この旅へのお互いの描くイメージの違いが噴出し、和解しないまま、すっきりしない形で旅が終わった。帰国後もお互い旅のことは口に出すことはなかったが、おそらく彼の中にも、不燃焼のもやもやしたものが残っていただろう。一度思い出を語り合いながら、ゆっくり総括したく、堀田の小屋へも誘ったが、以前は小屋の暮らしが気に入っていたが、その後はとうとう一度も来ることがなかった。彼が逝ってしまった今、もはや二人の間に生じた軋轢は表に出ることなく永遠に伏されることになった。
S君、あの時は毎晩美味い食事を有難う。いつの日か私がそちらの世界に行った時、二人でゆっくりユーコンの思い出話をしよう。どうか安らかに眠って下さい。合掌


 関連記事 「カナダ・アラスカ ドライブ旅行」(2009.9に再録) 右フレームのカテゴリー一覧参照

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