私のコンピューター歴は結構長いが、その知識は全く初級者レベルで、何かトラブルが起こると、いつもあちこちの精通者たちに助けを求め回っている。
私のパソコン利用は約25年前の「国際パソコン通信」から始まった。ある高校で課外活動として生徒たちに日本の民話を英訳させる講座を開き、生徒たちの翻訳した英文を海外の小学生たちにパソコンで送り、相手からその感想とその国の民話を英文で送ってもらうという試みだった。大きな文字のぼやけた学校のPCを使い、KDDのパケット通信で、イギリスのTTNSという教育関係サーバーを通して、イングランド北部のある小学校と何回か交信したのが最初であった。電話のダイヤルが繋がるときに発するあの「ガガガツ―、ピツ―」という音には随分興奮したものである。生徒たちの作った英文は、紙のケースに入れられた5インチのフロピーデイスクの時代だった。
その10年後、転勤した私学でも最初に取り組んだのが「国際パソコン通信」であった。その時でもパソコン通信はまだそれほど普及していなく、周囲の協力や理解を得るのに苦労した。今度は生徒たちに自由に日本の紹介などを英文で書かせそれを海外の学校に送り、逆に相手からは日本語の文で返信してもらい、お互いに言葉の勉強し合うという交流を始めた。この際大いに協力してくれたのが、国際交流を推進する外務省の外郭団体「APICNET」であった。この担当者のKさんからオーストラリア・シドニー市内のある女子校を紹介され、その学校の担当者E先生を通じてメールでの交流が始まった。交流を始めて1年後、APICNETの協力で、当時ではまだ珍しかったリアルタイムでのチャットも成功し、新聞社からの取材を受け新聞にも載るほどであった。今でこそどの学校にも十分パソコンが設置され、生徒たちが自由に使えるように普及したが、当時はまだ貴重品扱いで、生徒たちが自由に使えず、入力はすべて私がやらなければならなかった。ブロードバンドの発達で、時間を気にせず、簡単に動画まで送れるようになった現在、昔の苦労がうそのように思える。いつの間に、「パソコン通信」という言葉が消え、Eメールと呼ばれるようになったのだろう。
私のパソコン利用は約25年前の「国際パソコン通信」から始まった。ある高校で課外活動として生徒たちに日本の民話を英訳させる講座を開き、生徒たちの翻訳した英文を海外の小学生たちにパソコンで送り、相手からその感想とその国の民話を英文で送ってもらうという試みだった。大きな文字のぼやけた学校のPCを使い、KDDのパケット通信で、イギリスのTTNSという教育関係サーバーを通して、イングランド北部のある小学校と何回か交信したのが最初であった。電話のダイヤルが繋がるときに発するあの「ガガガツ―、ピツ―」という音には随分興奮したものである。生徒たちの作った英文は、紙のケースに入れられた5インチのフロピーデイスクの時代だった。
その10年後、転勤した私学でも最初に取り組んだのが「国際パソコン通信」であった。その時でもパソコン通信はまだそれほど普及していなく、周囲の協力や理解を得るのに苦労した。今度は生徒たちに自由に日本の紹介などを英文で書かせそれを海外の学校に送り、逆に相手からは日本語の文で返信してもらい、お互いに言葉の勉強し合うという交流を始めた。この際大いに協力してくれたのが、国際交流を推進する外務省の外郭団体「APICNET」であった。この担当者のKさんからオーストラリア・シドニー市内のある女子校を紹介され、その学校の担当者E先生を通じてメールでの交流が始まった。交流を始めて1年後、APICNETの協力で、当時ではまだ珍しかったリアルタイムでのチャットも成功し、新聞社からの取材を受け新聞にも載るほどであった。今でこそどの学校にも十分パソコンが設置され、生徒たちが自由に使えるように普及したが、当時はまだ貴重品扱いで、生徒たちが自由に使えず、入力はすべて私がやらなければならなかった。ブロードバンドの発達で、時間を気にせず、簡単に動画まで送れるようになった現在、昔の苦労がうそのように思える。いつの間に、「パソコン通信」という言葉が消え、Eメールと呼ばれるようになったのだろう。