山荘雑記  

 定年退職後 信州白馬の里山に小さな丸太小屋を建て、
その生活の様子や山や旅の思い出など、気ままに書き綴っています。

かつてない腰の痛み続く

2021年03月18日 | 生活一般
 前回の記事から半月間も更新しなかった。腰部の激痛でとてもパソコンに向かい入力する体力も気力もなかった。この間、現役時代の学校の卒業生から、見舞いや激励のメールを戴いたが返信する元気もなかった。こんなひどい痛みは今まで一度もなかった。身体を横にするとかなりの苦痛に耐え時間を掛けなければ立ち上がれない。それでも介護付きタクシーに送り迎えを頼み、病院通いだけは欠かさなかった。主治医に痛みの原因を聞いても、これが転移したガンの痛みなのか、抗がん剤の副作用なのか、単なる圧迫骨折している腰椎の精なのかはっきりした答えがない。原因を調べるため、造影CT検査を受ける予定も、とても検査に耐えられそうになく、延び延びになっている。
 毎朝の症状は以前と同じく、容易に寝起きができず半時間ほどかかって手すりに掴まりやっと立ち上がれる。上体の重量がかかると腹部と腰が圧迫され我慢できない。脚部は水が溜まり丸太のように膨れ、ふくらはぎも足首もなくなり、皮膚はひび割れ、所々から出血している。
 毎朝の日課は、先ず水を排出するため利尿剤を飲み、便通をよくするための下剤を服用、塗り薬で荒れた皮膚の手入れが終わると、朝空腹時の血糖値測定とインシュリン接種で、起床後の作業が終わる。血糖値の変化はあまり気にしない。前日果物等を沢山取れば上がるし、絶食すれば逆に低血糖症状が生ずるほど下がる。食欲が無くなった最近は100前後の低血糖状態が続いていて、一日中眠気がある。幸い体温は平熱一定でコロナ感染の心配はない。
 リスクの多い高齢者の上に、こんな基礎疾患保持の状態で、副作用等の問題のあるワクチンを接種する気は到底起らない。間もなく順番が来て、行政から督促されるだろうが断るつもりである。外出を控え早くこのコロナ感染が収束に向かってくれることを期待するばかりである。

ひどい腰痛が再発

2021年03月02日 | 生活一般
 抗がん剤の服用を、毎日の経口剤から3週毎の点滴注射に変えて約3か月経った。
先週金曜日に第6回目の点滴を終えて、いつも通り帰路スーパーに寄り道し、野菜を主に30キロ近く買い物し自宅に帰る。ガレージから玄関の階段を3往復して買い物を運ぶが、それでも1回10キロ程度の重さになる。
 翌日、激しい腰の痛みを感じ、ベッドから起き上がれない。30分ほどかけて、杖と家具に掴まり、ようやく立ち上がるが、バランスが取れず一歩も前に足を出せない。
 こんな状態が1週間続き、予約した翌週の造影CT検査をキャンセルする。
抗がん剤服用の副作用なのか、重い荷物運びで再び脊椎の圧迫骨折か、調子が良い状態がつづき、自己流リハビリなどで油断した時が最も危ないことを痛感する。

ラグビーの平尾誠二とノーベル賞の山中教授

2021年02月12日 | スポーツ一般
 
 先日、NHKテレビでミスターラグビーと呼ばれ、4年前に癌で亡くなった元神戸製鋼の平尾誠二とips 細胞開発でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授との交友を紹介した番組を見た。平尾については、大学の後輩でもあり、伏見工業時代からの相棒の大八木や涙の山口先生との付き合いなどでも早くから知ていて、どの大学も成しえなかった大学選手権3連覇を達成した時のキャプテンで、最初の1982年は、同じ体育団体に属する私の山岳会にとっても忘れられない年だった。OBの松田宏也君のミニヤコンカ峰からの奇跡の生還を成し遂げた年でもある。その翌年の会創立30周年を祝う記念総会で、会長として両者の快挙を祝辞で述べたことを覚えている。
 平尾は大学卒業後、神戸製鋼のキャプテンとして日本のラグビー界をリードした。大学では3連覇したが、社会人チームには歯が立たなかった新日鉄釜石の松尾雄二氏との対談も両者の意地の激突だったと話し合っていた。その平尾が、時の科学者山中氏と精神的にも頼り合う密な交友関係にあったとは知らなかった。平尾の告別式で、友人代表として弔辞を述べた山中氏の、今世界で開発中の癌治療4つ目の先端医学治療を受け、世界初の治療が受けられたことを喜んでいた彼を救えなかったことを詫び、その姿が印象的だった。まだ当時は厚生省の認可が無かったノーベル賞の本庶佑氏の開発新薬オプジーボも試したがダメだったらしい。
 現在抗がん治療を受けている自分も、やがて今では保険適用が認可されたオプジーボの世話になるかも知れない。主治医に尋ねると、現在の自分は第一段階の治療で、まだ先の第三段階で使う薬という説明だった。出来れば使わずに済みたい。優れた性能と同時に治療費もかなり高額らしい。

胃癌手術、退院して1年経過

2021年01月19日 | 生活一般
  1昨年の暮れ偶然見つかった胃癌、胃を全部摘出する手術を受け、術後の入院生活の後、退院して自宅療養を始めて丁度1年過ぎた。最初、CTやMRIの検査結果の画像を示しながら、医師から「間もなく物が食べられなくなり、このままでは命は半年ももたない」と、いわば死の宣告を受けた時のショックを忘れることはない。それだけに無事手術を終え、半月の入院後退院した時、初めて死なずに生きていることに喜びを感じた。最初、抗がん剤は服用せず、整腸剤のみの治療をしていたが、2か月後に自宅近くの病院に転院し、新しい主治医の勧めで初めて抗がん剤服用の化学治療が始まった。しかし、しばらく続ける内にやはり脚先部の皮膚のひび割れと足首のむくみ、両脚の付け根から脚部に溜まった水分による異常な腫れと10キロ近い体重増加など副作用が表れ、現在は経口薬は中止し、3週毎の点滴治療に切り替えている。
 身体の調子は以前に比べるとかなりよくなり、倦怠感、疲労感は徐々に無くなり、食欲も戻ってきた。起床後ベッドで柔軟体操をしていると、ひょっとすればこのまま何年も生きられるのではないかという望みさえ湧いてくる。バスに乗って何とか外出もできるようになり、もはや不要となった電動式車椅子のレンタルも契約解除した。食べ方の要領も分り、毎食後のダンピング症状に苦しむことも少なくなった。但し好きだったビールは美味くなくいまだに一滴も飲めないのが残念である。山仲間の何人かが癌で亡くなっているが、胃を切除した後に、何度も海外旅行に出かけたり、岩登りを再開している会員さえいることを知り勇気を貰っている。調子に乗り過ぎて背骨の圧迫骨折を起こした失敗を繰り返さぬよう、今後用心深くリハビリを続けていきたい。

年明けから嬉しいニュースに元気湧く

2021年01月03日 | スポーツ一般
 日本中がコロナ禍で落ち込んでいる今、スポーツに熱中する若者たちの姿は一つの救いでもある。昨日、テレビで大学ラグビー選手権の準決勝戦2つを観た。特に2つ目の試合は私の予想をひっくり返す結果となり心が躍った。過去何度も優勝経験のある明大に対し、関西勢で唯一勝ち残った天理大が、終始圧倒し6トライを挙げ、大差で勝った。関西勢としては久し振りの快挙で、かつて3連覇を果たした当時の同志社より強い感じがした。早稲田との決勝戦にも力を発揮し、ぜひ優勝を期待したい。全国高校ラグビーでも強豪の同じ天理高を破り県代表になった御所実高も、東海大の2つの高校を破り大活躍である。是非次の桐蔭学園戦にも勝って、優勝してほしい。高校野球でも全国トップクラスの智弁学園があり、考えてみれば奈良県は全国に誇れるスポーツ王国である。しかし、県民全体の関心度はそれほどでもないのは何故だろう? サッカーの奈良クラブのJクラスへの早期昇格が望まれる。

新年明けましておめでとうございます

2020年12月31日 | ご挨拶
  2021年(令和3)元旦<

 (今から20年前、ユングフラウの麓、グリンデルバルト村郊外にて撮影)
昨年はコロナ禍と癌との闘病に明け暮れた年でした。
今年はコロナ感染も少しは収まり、希望の持てる年になることを願っています。
今年も、本ブログ、出来るだけ頻繁に更新しますのでよろしくご支援下さい。

      

岳友S君と久しぶりに電話で話す

2020年12月08日 | 生活一般
 今朝、京都の古い山仲間のS君から突然電話が掛かってきた。何年振りかの電話で随分懐かしく長々とtお互いの近況を伝え合った。昔は夜遅く店を閉めてから、会のことでよく電話があったが、最近はお互い会うこともなく、どうしているか気になっていた。
 今から40年も前、私が山の会の会長をしていた頃、副会長の彼が会務全てを引き受けてくれ、補佐というより事実上の会長の役を担ってくれた。その頃はお互い若く、後輩たちとよく夜の京の街を飲み歩き、最後は彼の家に雪崩れ込んで夜を明かした。女房がくも膜下出血で倒れた時、所有する空きマンションを提供してくれたり、京都の中学校に入ったばかりの息子の面倒を見てくれたり、家族ぐるみで随分世話になった。
 そのS君が2年前に脳内出血に見舞われたと聞いたが、大事に至らず現在普通の生活をしていると後輩たちから聞いて安心していた。私の癌との闘いについてはブログを見て知っていたとのことで、もう会えないかも知れないが、お互い元気に頑張ろうと言って電話を切った。後輩たちの助けが無ければ、もはや自力で白馬に行くのは無理で、堀田山荘も再び行くことなく、朽ち果てるのを待つばかりとなった。昔は彼と2人きりで小屋で飲みながら夜を徹して後輩の育成や会の将来のことなど語り合ったことを思い出す。
 電話が終わった後しばらくして、何故S君が突然電話してきたのかいろいろ思い巡らせた。両方とも余命が長くなく、お互い元気な内に話そうと思ったのか、それとも私の闘病記を読んで死が近いと感じたからか。長い闘病生活でかなりうつ病状態が起り、素直になれない自分に気が付き愕然とする。しかし、彼の電話で勇気づけられ、奇跡のカンバックを目指して頑張る気力が出てきたのは確かである。S君、励ましの電話有難う。また時々近況を伝え合おう。


電動車椅子の調子と使用感

2020年12月04日 | 生活一般
 介護業者からレンタルした最新のハンドル型電動車いすで、2度ほど通院とスーパーへの立ち寄りをした。はっきり言って、乗り心地が良いとは言えない。最高速度が時速6キロ(早歩き程度の速さ)しか出なく、信号のある大きな交差点での道路横断に不安を感ずる。また奈良は坂が多く、登坂力が少ないのが怖い。ギアを低くしても車のように馬力は強くならず、今にも止まりそうである。
 今日、病院帰りにいつも歩いているところが、陸橋の橋桁と壁の間が狭く、通過できず困っていると、初老の通行人が手助けしてくれやっと越せた。普段気にせず通過している箇所が、障碍者にとってはこんなに不備であることが初めて分かった。その他わずか5センチ程度の段差が乗り越えできず、必ず緊急停止し、その都度一度エンジンを切って入れ直さねばならず、まごつかせる。いわば車のエンスト状態である。座り心地はお世辞にも良いとは言えない。ノーパンクタイヤからの直接伝わる振動はひどく、背もたれから離れ、腰を浮かせないと耐えられない。それでも、歩く辛さから考えると、何もない舗装道路では素敵な乗り物であることは確かである。もう少し元気になれば、電動自転車に戻ることにする。歩行補助車もリハビリ用に使っているが、これは素晴らしく、不満はない。さすが大学で研究開発された優れものである。

S氏の訃報に衝撃を受ける

2020年12月02日 | 生活一般
 今年も早や12月、あちこちから年始挨拶の欠礼を伝える喪中ハガキが届く時節となった。大半は自分と同世代の人の親たちの逝去で、そのほとんどの人が90歳を越えての他界という長生きであったのに驚く。そんな中に、この4月に74歳で癌で亡くなったS氏の訃報を伝えるハガキが届き、大きなショックを受けた。S氏は自分の公立校勤務最終のN高で共に苦しかった労戦再編の組合活動で戦った仲間の一人で、分会長だった自分を書記として、よく助けてくれ精神的にも励ましてくれた。2人共、定年前に退職し、彼は専門の日本ミツバチ研究で博士号までとり、オペラが好きで何度か同じ趣味の女房も一緒に会った。最後に会ったのは2年前、両夫婦で奈良の老舗料亭での昼食会であった。その頃は二人共、癌に侵されるなんて思いもせず、酒を酌み交わしていた。
 自分が癌手術を終えて見た今年の年賀状に、彼も癌の発病らしいと書いてあったが、手術直後の不安状態の自分と比べて、彼の方が癌で先に死ぬとは思いもしなかった。残念である。
 自分のその後の病状はあまり変わりがないが、ひと頃の腹部の腫れや足のむくみも減り、毎朝起床後にストレッチをし、出来るだけ歩行補助器で散歩するリハビリを再開している。
 目下、乗用車の他、電動付き自転車、レンタルの電動車いす、安定した歩行補助車の4台があり、状況に応じて使い分けている。


脚の腫れ治療で再び入院

2020年11月24日 | 生活一般
「一人の高齢者が、癌を発症、手術後リンパ筋への腫瘍の転移や抗がん剤の副作用等で入退院を繰り返し、とうとう
〇年後に死亡した」という記事には誰も驚かずごく当たり前になっている。私の周囲にも、こうして亡くなっていった人が沢山いる。
 おそらく抗がん剤治療の副作用と思われるが、両脚の腫れがひどくなり、もはや家での日常生活も出来なくなり、担当医から入院治療を命ぜられ、即刻入院した。当初、治るまで3週間はかかるだろうと言われたが、担当医の丁寧な治療で、両脚の腫れもほとんど無くなり、10日後に退院することができた。
 入院中はのんびりできると思っていたが、血液検査など各種検査や点滴、リハビリの歩行訓練などで忙しい毎日だった。
退院後、自宅での自己対応については、医師の指示に従って、症状に応じて薬の種類や服用の仕方を頻繁に変えている。それでも、痛みは和らいだが、体力回復には程遠く、とても歩ける状態ではない。借り賃は高いが介護業者から電動車いすをレンタルすることにした。ハンドル式の最新車だが最高速度は時速6キロ、あまりにも遅くいらいらする。自宅付近は坂が多く、少しの段差が越えられず、絶えず緊急停止してしまう。しかし、歩くより楽で、慣れれば近くのスーパーに買い物に出かけたい。

抗がん剤の副作用か

2020年11月04日 | 生活一般
  7月に抗がん剤を服用し出して丁度4ヶ月になる。同時に利尿剤、整腸剤も飲んでいる。また、血糖値をコントロールするため朝晩食事前にインシュリン注射もしている。月単位で分かるA1cは6%台に下がった。それでも体調は良くならない。上半身は腹部の張りも無くなり、便も便秘と下痢を繰り返しながらも順調で、食欲も旺盛で大食いの習慣は直らず、よく食べ、
食後の30分間ダンピング症状に苦しんでいる。
 問題は下半身、両脚はもはや「むくみ」の度合いを越え、丸たん棒のように腫れ、
足先まで水が溜まり、その分体重が3キロも増えた。しゃがむと杖と家具などを支えにしないと立ち上がれない。先日はバスの20cmほどのステップに脚が上がらず、見かねた運転手と乗客が手助けしてくれた。足先は甲まで膨れ上がり靴も履けず、何度も返品しながら、現在2サイズも大きい29センチのスノーシューズを履いている。それでも脱着に苦労して時間が掛かる。 
 こんな症状になるとは1年前には想像もしなかった。人生最後の日が近づいているのを感じ、先日ある葬儀屋に生前契約し安心して死ねる準備をした

何でもデジタル化はどうか

2020年10月17日 | 生活一般
 政府のデジタル化推進政策に応じて、各大手銀行がネットバンキング採用の傾向に走り、従来の紙の通帳廃止の傾向にある。
パソコン操作も出来ず、専ら通帳とキャッシュカードだけで利用している多くの人たちを全く無視したやり方である。
 大手の3つの銀行、三菱UFJ、りそな、みずほに通帳開設は可能かどうかを問い合わせたが、どの銀行からも
明快な回答が得られず失望した。口座開設支店の窓口に行けば、手数料1100円で通帳が開設できるらしいが、出来ても全ての銀行が1年後に紙の通帳を廃止しネットバンクだけになると言われている。パソコンなど触れたことのない地方の年寄りなど、もうコンビニのATMが使えなくなりどうするだろう。「記帳」という言葉も消えてしまうだろう。銀行はもう一度従来の通帳利用が出来るよう
再考して欲しい。

自宅訪問介護サービスを受ける

2020年10月14日 | 生活
 両方とも80歳を越え日常生活もままならない状態になってきた。夫婦とも介護認定を受け、自分は要介護1、女房は色々な疾病で何度も入院し、要介護2である。両方とも歩行困難で外出はできない。地域包括センターや介護施設のケアマネから、再三介護サービスを受けるように勧められたが、女房が自分の生活が乱されることを極端に恐れ、どうしても導入に同意しなかった。しかし、自分が安全のため車の運転を控えるようになったため、買い物にも行けず、専らネット通販や食宅配に頼らざるを得ず、居間も掃除ができず散らかり、限界に近くなりついに訪問介護を頼み、週1回来てもらい、部屋、浴室、トイレの掃除をお願いすることになった。しかし真の目的は定期的に訪問してもらい夫婦の安否を確かめてもらうことである。幸い派遣されてきたヘルパーさんは、しっかり掃除をしてくれる親切な中年女性で、あれほど嫌がっていた女房が訪問介護に感謝し、少しは生活が安定しそうで喜んでいる。今後は訪問回数を増やし、買い物などを頼むつもりである。
今朝の朝日新聞にも老老介護の実情が載っていた。どこの家庭もあまりうまく行ってないようで、どちらも何らかの障害があり、先が見通せないのは当然である。今回訪問介護を頼んだのは正解だった。

糖尿病の自己コントロール

2020年10月11日 | 生活一般
 昨年末、胃の全摘手術を受け、消化器系統の回復は順調だったが、持病の糖尿病で血糖値が下がらず、合併症発生を警戒し退院が予定より2週間も遅れた。 
 30年ほど前、職場の集団検診で糖尿病と告げられて以来ずっと治療を続けている。最初は錠剤を毎食後飲む程度だったが、血糖値が下がらずgA1cの値も8%と高かった。いくら食料制限や運動療法をしても変わらないので、4年前に一度自己管理の体験学習をするため1週間ほど入院し、インシュリン接種の仕方も学び現在自分でコントロールしている。毎朝12単位、昼3単位、夜6単位のインシュリン注射を行っているが、病院通いや買い物などの外出や来客などで、規則通りに行かず、接種が欠けることが多い。
 胃が無いため、食欲が進まず、どうしても果物に傾倒しがちになるが、果物は糖度が高く血糖値が急激に上がる。特に好物の種無しブドウ、ブドウジュースを取ると、途端に血糖値が300に近くまで上がる。逆に果物を控えるとたちまち下がり、うっかりすると低血糖状態になる。担当医は高血糖よりこちらの低血糖の方を恐れている。血糖値50前後の低血糖状態を何度か経験し、自覚症状が表れ直ぐ気付く。冷や汗が出て意識が朦朧とし、貧血状態で視覚が乏しくなる。眠気を誘いそのまま眠り込むと意識不明のまま死に至る場合がある。インシュリンを打って何も食べない状態が続くと起こり易い。今朝も起り正常な状態に回復するのに時間がかかった。場合によっては糖尿病は癌より怖い病気である。








歩行補助車の威力に満足

2020年10月09日 | 生活一般
 
 日常、家の中でも杖無しでは歩けず、寝室のある2階への階段は、時間をかけて手すりに掴まり昇り降りをしている。毎週3回の決められたごみ収集の日に、家からわずか10mほどの集積場まで歩くのがやっとである。
 ゴミ捨ての後、天気が良ければ、新しく買った高齢者向けの歩行補助車を使って500mほど歩く訓練をしている。家の前の道は緩やかな傾斜で、登りはきついが、捕助車に寄りかかっても体重を受け止め、下りも半ブレーキを掛けながら安定して下れる。市販の介護用品は要介護認定者には市からの補助でかなり割引されるが、自分が買った補助車は介護用品でなく、大学研究グループと地元アルミ製作企業と共同で開発された製品で、高価格であるがそれだけの価値がある。重量は3キロと重く、これが安定性を保っている要因だが、道の段差で溝に車がはまると抜け出すのに苦労する。車への積み下ろしも重くて一人では簡単ではない。
 病院等で使われている軽い歩行器には信用できない苦い経験がある。今、我われ老夫婦とも利用しているデイサービスの民間介護施設に、亡くなった母親も通っていて、ある日歩行器を使い訓練中、介護士が眼を離したすきに転倒し、頭と腕に裂傷を受け近くの病院へ運ばれ手術をして入院したことがった。所長はじめ、所員の謝罪があり、誠実に処置がなされたので、問題にすることは控えたが、介護用の歩行補助器は軽く身体を預けると危険が伴うので注意したい。