山荘雑記  

 定年退職後 信州白馬の里山に小さな丸太小屋を建て、
その生活の様子や山や旅の思い出など、気ままに書き綴っています。

雪の被害に思う

2010年03月04日 | 小屋生活
  
 
 去年11月末の離荘以来、ほぼ3ヶ月ぶりの来荘になった。例年と変わらない秋の初雪で甘い予想をし、いつも通りの雪対策しかせずに帰ったのがよくなかった。来て見ると今年の大雪で見事に裏をかかれ、予想しない被害に見舞われていた。雪の被害を考え長い間迷った末、やっと昨年作ったテラスの手すりが、やはり2メートル近い雪の重みで傾いてしまった。雪が落ちるように、床板を外し50センチ以上も空けてあったが、何の効果もなかった。考えてみればかつてアラスカの氷河で私が落ちたヒドンクレバスは1メートル幅の空間に雪が積もっていたのだ。立山の大日岳で稜線から5メートルも張り出した雪庇を踏み抜いて遭難したケースもある。雪の持つ粘着力をもっと意識しなければならない。小屋の直ぐ傍に萱葺きの100年近い古い物置小屋が立っていて、老朽化して傾むいてはいたが、今年の大雪の重みでついに倒壊してしまった。
生命線である炊事用の水は、凍結を覚悟していたが、今度は裏をかかれ雪の被害で、貯水バケツも送水パイプもすっぽり雪の下に埋まって跡形もなくなっていた。長い間立っていたパイプを支える支柱も折られていて、いかによく降ったか想像できる。その他、凍りついた雪で埋まったトイレ入り口の掘り出しに時間がかかったり、雪のために次々と予想せぬ仕事が出てきた。
 要は自然は我々の甘い予想通りには動いてくれないと言うことである。5年間大丈夫だったから来年も多分と言うのは通用しない。 不便な小屋生活をしていると、つい便利さを求め、いろいろ手を加え文明生活に近づけようとするが、これは矛盾したことでもある。都会生活の後追いを止めて、臨機応変に自然に対応する適応性と応用力を磨かねばならないと改めて悟った今年の大雪であった。