山荘雑記  

 定年退職後 信州白馬の里山に小さな丸太小屋を建て、
その生活の様子や山や旅の思い出など、気ままに書き綴っています。

久しく途絶えていたジョギング再開

2013年02月14日 | スポーツ一般
  週一の早朝ジョギングが途絶えて2年程になる。今年から後期高齢者(75歳)に仲間入り、身体にいろいろ更年期障害が現れ、体力も衰え、それを口実につい甘えてさぼってきた。長く途絶えると、急に走ると身体に負担がかかるのではと再開するにはかなりの勇気が要る。しかし、皮肉なことに持病の糖尿病の悪化が進み、かかりつけの医師から運動の励行を逆に勧告され、忘れていたジョギングを再開することにした。夏山に向けての体力作りにもいい切っ掛けである。
 かつて自分で編み出した一周8キロの静かないいジョギングコースが自宅付近にあり、昨日、今日の二日間、ほとんど歩いで辿ってみてその変わりように驚いた。以前田んぼや畑の中の細かった抜け道が広い舗装路になり、両側の畑が無くなり隙間なく新住宅が建並び、雰囲気が変わっている。特にこのコースで最も好きだった県境を成す山田川沿いの堤防の道が舗装され、後ろから来た車にクラクションを鳴らされたり、音もなくスピードで近づいてきた高校生の自転車が突然脇を追い越していき肝を冷やした。以前は雑草が生え人影のない安心して走れる地道であったのだが。
 慣れてくれば、車や自転車を気にせず安心して走れる新たなコースをまた考案しなければならない。それより今は、やっと再開したジョギングを三日坊主に終わらせないようにすることの方が切実な課題である。


中高生のオーストラリア研修旅行

2013年02月13日 | 文化活動


  時折小雪がちらつく先週末の寒い夕方、元勤めていた学校の初期のオーストラリア研修旅行に携わった現職員、退職した職員数名が、この旅行に最初から携わってきた添乗員の引退を機に、彼女の慰労会も兼ねナンバで小会席を持った。中には退職以来会っていない職員もあり、20年前の思い出に時を忘れて語り合い、気が付くと終電車直前で慌てて散会した。
 公立から私学に移り、最初に任された仕事が希望生徒を募ってオーストラリアへ連れて行き、できれば現地で交流校を探し、その生徒の家庭にホームステイさせ、体験通学させることであった。今から20年前のまだ日本が景気の良かった頃で、海外の学校も日本語教育に熱を入れ、日本の学校も海外との姉妹校提携を目指していた。
学園の命を受け事前の下見に、2度相手校探しにシドニーに行った。しかしそんなに簡単にこちらの望む学校はみつからなかった。旅行業者からの紹介を頼って、公立校も含めあちらこちらの学校を訪問したが、目ぼしい学校はすでに日本の学校と提携していた。気落ちする私を見て、現地の日本人ガイドが仕事を離れて自分の娘さんが通う学校を紹介してくれ、帰国直前に飛び込みでその学校を訪ね、下手な英語で必死に交流を訴えて帰国した。その2か月後、校長から同意する文書が届き飛び上がる思いだった。そして最初の研修旅行中に当校を訪問し生徒同士の交流ができ、その翌年には生徒宅でのホームステイが実現し、姉妹校締結をするまでに進展した。同時にメール交換を通じて同じシドニーの別の学校とも交流を深め、さらにブルーマウンテンを越えた内陸部の学校とも提携でき、以降20年間、毎年相互交流を重ね、かなりの数の生徒たちがこの研修旅行でホームステイを体験するまでに至った。これは両校の担当職員の公私を越えた熱意と努力で、お互いの深い信頼感に支えられたからだと思っている。
 もちろんここに至るまでには人に言えない失敗もいくつかあった。中でもいまだに忘れられない苦い経験は、両者を仲介した現地のある団体との意思にズレが生じ、相手側に誤解を与え、信頼関係が潰れて継続が途絶えてしまったことだ。これらの経験を通して今改めて思うのは、利害の伴う企業間での折衝ならともかく、利害関係のない学校同士の交渉は、たとえ語学力が十分でなくとも、仲介業者に任せず自ら直接行うことが必要で、それにより初めてお互いの真意が通ずるということで、以降不十分な英語に臆せず直接交渉することにした。